宮島詠士(大八)先生の筆により書かれたのがこの「大亜細亜悲願之碑」である。

昭和27年11月、広島を訪れたインドのパル判事は、原爆慰霊碑に参り、その碑文を見て驚きかつ怒られた。「過ちは繰り返しませぬ」とは、何事か。広島市民の上に原爆を落としたのはアメリカではないか!日本人はなぜここまで卑屈になってしまったのか!このパル判事の痛憤は、敗戦国日本を連合国側が断罪した「東京裁判」の判決に遡る。

パル判事は、ただ一人、該博な国際法の知識をもとに、提出された全ての証拠証言などを全て検討され、ニュルンベルグ裁判で作られ、東京裁判所条例で採用された新しい罪状である「文明に対する罪」「人道に対する罪」という概念に対し、いわゆるA級戦犯として訴追されていた日本人被告全員の無罪を主張し、長文の意見書を提出した。

これは裁判では朗読さえ拒否され、占領下の日本では翻訳も出版も許されなかった。

日本人に罪の意識を植えつけて、未来永劫十字架を背負わせるという、占領軍の計画は見事に効を奏し、日本人に対するジェノサイドである原爆への怒りされも、内訌させることに成功したのである。怒りは日本自身に向けられ、平衡感覚は失われた。

その害悪を誰よりも憂えたのがパル判事だった。インドは今でも親日国であるが、その淵源は、インド独立に日本および大東亜戦争が深く関係したことにも拠る。

パル判事は、大東亜戦争の意義を記す詩をベンガル語で書かれた。そして、それを英文と日本語に翻訳して、原爆慰霊碑から数キロしか隔たっていない、広島市内の本照寺に、この碑を建立する有志があったのである。

今、平和教育からは見捨てられたこの碑こそ、本当の広島の心を伝える随一の遺物である。