皇室

2009年9月10日 (木)

「祈り 美智子皇后」 宮原安春著 文春文庫

 読了して、感動が胸に湛えられるのを感じる。胸が一杯という状態である。

 「人間 皇后」にこだわったと言うが、もしそうであるなら、「人間」とは何と言う崇高な存在足り得るのだろうか、という感慨が湧いてくる。

 神か人間か、というような俗耳に入りやすい対立項ではなく、人間の極みとしての神々しさとでもいうものを、皇后陛下のお姿を通して感じ取ることができるのである。「人間」というありのままの姿を伝えようとした結果がこれなのだから、誰も文句のつけようがないだろう。

 明治、大正、昭和、そして平成の皇室の変遷は、時代の相の移り変わりに沿ってその様相は変わっても本質に流れるものは一貫しているのだと思われる。

 皇后陛下は、恐らく当代一流の知識人であり芸術家であり歌人でもある。そして平成の天皇陛下の第一の臣下である。 皇室と国民の架け橋であり、日本の母である。

 「全てがそのあるべき姿にあるようにと祈り続けること」

 皇室の役割をこのように表現される皇后陛下。

 「常に国民の関心の対象になっているというよりも、国の大切な折々にこの国に皇室があってよかった、と、国民が心から安堵し喜ぶことのできる皇室でありたい」

 皇室のあり方をこのように表現される皇后陛下。

 読後感を表現しようとしても、うまく言葉にならない。

 今の日本にとって、奇跡のような存在、それが 美智子皇后である。

 125代連綿と伝えられてきた天皇の御位。天皇陛下を最もお傍で支えられ、また陛下の大御心が国民に伝わるように祈り続ける存在。

 どうもうまく言葉にならない。

 皇室について、まったく知らないことだらけなのだと、改めて思った。

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しばらく前に書いたものを、アップしてみました。

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天皇陛下御即位二十年奉祝記念写真パネル展示会の開催 広島

天皇陛下御即位20年奉祝広島県委員会が開催した

「両陛下 写真パネル展示会」 平成21年8月24日~26日 の様子が、YOU TUBE にアップされていた。

広島県下の全部の市町で巡回していくということなので、是非ご覧頂きたいものだ。



スクリーンに大写しになっている映画も上映されている。

今は、神石高原町と府中町で開催中  (~13日(日))とのこと、来週は、庄原市と海田町。

スケジュールは、奉祝委員会のHPでお知らせしている。

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2009年2月 6日 (金)

皇太子殿下のベトナムご訪問

皇太子殿下が、2月9日から15日まで、ベトナムをご訪問される。

はじめての社会主義国へのご訪問ということで、道中のご無事を心からお祈り申し上げる次第である。

さて、宮内庁の責任なのか、内閣の責任なのか、外務省の責任なのか、なぜ、2月11日を挟む日程を決定したのか?

2月11日は「建国記念の日」だ。この日に日本を離れる日程を組む外務省は、日本の建国ということを全く慮外においているということなのか。

アメリカ大統領が、独立記念日に外遊するなど、考えられることではない。如何なる国であっても自国の建国を記念する日を無視して外国訪問をする元首などいるわけがない。

皇太子殿下は、いうまでもなく皇位継承順位第一位の御方である。

皇室の方々は、内閣が決定したことについて公に文句を言うことは出来ない。だからこそ、政治家や官僚は、日本という国家における天皇・皇室というご存在の有り方をよくよく考慮して、ものごとを組み立てていかなければならないはずだ。

ご会見では第一問目の、ご視察に当っての抱負をお伺いするのはよいが、二問目、三問目が、直ぐに妃殿下のご同行が無いことにのみ集中していくのは全くもって皇太子殿下の御思いを無視するものではないか。


宮内庁がなぜ記者会見を中断させたのか理由は分からないが、建国記念の日に日程を組んだことについて質問されることを恐れたとすれば、見識かもしれない。

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2009年1月10日 (土)

天皇陛下御即位二十年の年を迎へて

昭和天皇が崩御されたのは昭和64年1月7日、翌1月8日が平成元年最初の日となった。

今上陛下は、剣璽渡御の儀を経て、践祚(せんそ)され、第125代天皇の御位をお嗣ぎになられた。

践祚とは、宝祚(ほうそ)=天皇の御位を、践(ふ)む、といふ意味であり、実質的には御即位の事を指すが、皇位継承儀礼として、諒闇(りょうあん)=服喪の一年が開けた後に、即位の礼・大嘗祭を挙行されるのである。

長い皇室の歴史の中で形成されてきた皇位継承儀礼は、正に我国の伝統の粋を極めたものだ。

今上陛下には、皇太子時代から、昭和天皇の御名代として、多くのご活動に取り組まれて来られた。

天皇と皇太子が協力するといふ伝統は、大化の改新の際の中大兄皇子の例をはじめ、近代でも上皇と天皇といふ関係を同様に考えれば、皇室の歴史の中では決して珍しくなく、その意味では、平成の御世は、昭和の御世に胚胎していたといつて過言ではないだろう。それは何時の時点だったのかを考えるとき。それは昭和20年8月15日だつたと思はれるのである。

終戦の頃に 昭和天皇の侍従次長を務められた木下道雄氏は、側近日誌の中で、今上陛下が、昭和二十年八月十五日を迎へられた当日に書かれた「新日本の建設」といふ第の日記を紹介してゐる。

当時御歳十一歳の陛下の書かれたご決意・ご覚悟は、本当に胸迫るものがある。

思ふに、この時のご決意を貫かれてきたのが、今上陛下の御歩みなのではないかと思はれた。

陛下が貫かれてきた御祈りを思ふと、本当に御聖恩の億分の一にもお応へ出来ないものかと焦燥に駆られる。

平成21年1月7日、昭和天皇二十年式年祭の儀に、両陛下が武蔵野御陵をご拝礼になられた。

(産経新聞記事) 昭和天皇の崩御からちょうど20年となる7日午前、東京八王子市にある武蔵野陵で「昭和天皇二十年式年祭の儀・山陵の儀」が行われ、天皇、皇后両陛下と皇族方が拝礼された。
 元皇族や麻生太郎首相、河野洋平衆議院議長ら約80人も参列。天皇陛下は陵前で拝礼後、「どうぞ、国家、国民をお守りくださり、さらに繁栄させていただきますよう、お願い申し上げます」という内容の「御告文」を読まれた。一方、皇室の祖先を祭る皇居・宮中三殿の皇霊殿では「昭和天皇二十年式年祭の儀・皇霊殿の儀」が行われ、両陛下の名代として皇太子ご夫妻が拝礼された。
 病気療養中の皇太子妃雅子さまが、心身を清める潔斎を経て、皇室の伝統的な装束に着替えて臨む宮中三殿での儀式に出席されたのは、平成15年9月に行われた「秋季皇霊祭の儀」と「秋季神殿祭の儀」以来。

 今年は、日本の国にとって本当に重要な岐路を迎へる年になる。

 どんなに遅くとも秋には衆議院選挙があり、その帰趨がどうなるか予断を許さない。

 御即位二十年奉祝政府式典が11月12日に開催されることは既に閣議決定されている。

 皇室を中心として発展してきた我が国の歴史を思ひ、この国柄を守り伝へることが今を生きる国民の使命であると切に思ふ。

 国民が目覚めるときである。

  「日本人として知っておかなければならない皇室のこと」といふ本がPHPから出版された。

 自分としても、力の限り、自らも学びつつ、思ひを及ぼして行く一年として行きたい。

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2008年8月 8日 (金)

皇太子殿下、富士山初登頂おめでとうございます!

 皇太子殿下が、8日朝、富士山を初登頂されたとのこと。


 爽やかな気持ちになりました。

 富士山へは二度登ったことがありますが、二度目の時よりも一度目の方が鮮明に覚えています。

 神々しい風景に、心身が清められていく心地がします。

 富士山の神様は、木花咲夜姫命(このはなさくやひめのみこと)と言われますが、皇室の、遠いご祖先に当られる神様でありますね。

皇太子さま、富士山頂に=「大きさ実感」8月8日8時39分配信 時事通信


 皇太子さまは8日早朝、富士山(3、776メートル)に登られた。1988年8月にも挑んだが、悪天候のため8合目で引き返しており、登頂は初めて。
 7日に静岡県入りした皇太子さまは、車で富士宮口新5合目に到着。山腹の宝永火口を経て御殿場口から登り始め、8合目の山小屋で1泊。小屋からご来光を眺めた後、午前6時半前に山頂に着いた。
 山頂で報道陣の問い掛けに応じ、「(富士山の)高さ、大きさを感じました。雨、霧、晴れと、その時々で山の表情が変わるので、行程が楽しかったです」と話した。この後、火口を1周する「お鉢巡り」をしてから下山する。 

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2008年7月14日 (月)

皇太子殿下万歳!

 平成5年の御成婚の際、声の限りに「皇太子殿下万歳」を言挙げしたことは、今でも鮮やかに思い出すことができる。

 黄昏の明治公園から出発した奉祝の提灯パレードは、明治神宮聖徳記念絵画館前に集まった1万名以上の都民の喜びの声に、お出まし頂いた、皇太子殿下同妃殿下の、晴れやかな笑顔に、胸が一杯になったのである。

 天皇陛下万歳、日本万歳、そして、皇太子殿下万歳!

 繰り返し繰り返し、言挙げをした。


 皇太子殿下は、日嗣の御子であらせられる。

 天照大御神が、「天津日嗣の栄えまさんこと、天地と窮まり無かるべし」と、神勅を下されてより、この方、万世一系の皇統は連綿と伝えられてきた。

 神勅は神話の話である、とは一応言えるが、天照大御神の御子孫である、皇室が連綿と続いてきたことは、厳たる歴史事実である。この歴史と伝統の上に、今の皇室があり、今の日本がある。

 皇太子殿下は、日の御子様であらせられる。それが日本人の信仰心なのであり、日本民族の心なのだ。

 皇太子殿下万歳を申し上げるしかない、その思いで一杯である。 

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2008年6月12日 (木)

1000万人移民計画に思ふ~日本は日本人の国だ~

 一瞬、耳を疑つた。

 今後50年間で、1000万人の移民を促進する。そのため移民庁をつくる。移民に言葉や就労の為の訓練のサービスを行ふ。

 政権与党の議員連盟が出した政策案だ。

 ネットで調べたら、2003年に、民主党の議員有志が、同じような提案をまとめてVOICEで対談してゐた。

 狂気の沙汰である。

 人口が減つたら、活力が落ちる、経済力が落ちる、だから、移民を入れて、人口を維持する、だと。

 人間を、頭数でしか考へることの出来ない、恐るべき野蛮。

 よしんば、経済力を維持できたとしやう。それを享受するのは一体誰なのか。

 100年後には4000万人人口が減るといふ試算をしているのだそうだ。

 では、50年後までに移入された1000万人は、100年後にはどれだけになるといふのだ。

 一億人の人口を維持するといふのだから、3000万人といふことか。

 やがて、純粋な日本人は少数民族となるだらう。

 そして、ネパールと同じやうに、日本人民党毛沢東主義派が、第一党となり、天皇制廃止を打ち出すのだ。

 神社などは過去の遺物として、鎮守の森は全て切り倒されるだらう。

 日本語は、劣等言語として差別され、中国語が公用語にされるのだ。

 日本女性は、中国人男性との結婚のみ許され、日本男児と中国人女性の結婚は禁止である。

 厳密な一人っ子政策が採られ、日本民族絶滅政策はかくて完遂されるのだ。

 これが、1000万人移民計画に隠れた、本当の意思である。そう断言してよい。

 裏に、中国や北朝鮮、また、解放同盟の陰がちらついている。

 なるほど、これが彼等の切り札か。全ての反日運動が、ここに収斂されているのだ。

 国籍取得要件を緩和させ、日本人の枠組みを曖昧にする。

 人権擁護法を通し、こうした動きに反対する国民の声を全て圧殺する。

 日本人愚民化政策たる、教育政策を推進する。

 日本人のアイデンティティを解体するため、歴史への攻撃、皇室への攻撃を徹底する。

 性モラルを崩壊させ、人間性崩壊を促進する。

 こうした徹底した日本民族劣化・絶滅計画をすすめるのだ。

 これが、自民党、民主党の一部議員が推進しようとしている1000万人移民計画の、本当の意図である、と直感する。

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2007年5月24日 (木)

昭和天皇の英国機密ファイル 報道

 このような資料は、今後も出てくることだろうと思われる。

 しかしながら、同時代を生きた日本人が抱いた、昭和天皇への敬愛の情というものが変はる訳ではない。

 生真面目に、一途に国家国民を思ひ続けられた昭和天皇への感謝の念が薄れる、といふ訳でもない。

 それにしても、インテリジェンスの国、イギリスの端倪すべからざる底力を垣間見せられる事実ではある。

 昭和天皇像の再編が、すすめられているように思われるが、それで本質が変はるわけではない。

 昭和天皇が、常に国家国民を念とされ、喜びも悲しみも国民と共に歩んでこられた昭和の歴史がいささかでも傷つけられるわけでない。 

昭和天皇:英国機密文書に“肉声”「日中事変で深い懸念」

 太平洋戦争開戦前から戦後にかけて、昭和天皇の肉声などを記録した英国政府の機密文書が、ロンドンの公文書館に残っていることが分かった。天皇の性格分析や日中の衝突を避けるため天皇が駐日英国大使に依頼する生々しいやり取りなども記されている。文書は、当時の英国が皇室をどう見ていたかを示す貴重な資料でもある。

 文書は、主に駐日大使が本国に打電したもの。「SECRET」「CONFIDENTIAL」などのスタンプが押され、「極秘」扱いされていたことが分かる。一部は、ジャーナリスト、徳本栄一郎氏が書いた「英国機密ファイルの昭和天皇」(新潮社、25日出版)に掲載される。

 文書には、日中戦争の引き金となった1937年7月の盧溝橋事件後に来日した英国大使が同年10月14日、昭和天皇に皇居で会った際の会話が記されている。

 天皇は「日中事変で日英関係が急速に悪化していることに、私は深い懸念を持っている」「かつての良好な日英関係に戻すのを心から願っている」などと明かしたうえで、「どうか、大使も力を貸してほしい」と要請。大使が「良好な日英関係を築く唯一の基盤は、中国を敵ではなく友人とすることです」と応えると、天皇は「その方向に、すべての努力を傾けなければならない」と語ったことが記されている。

 また、37年9月24日の英国外務省報告文書では、日本の政治システムを「天皇を取り巻くアドバイザーが(略)日本の政策を決定していく」と分析。そのうえで、天皇の性格を「周囲の人間の操り人形とならないためには強い個性が求められるが、今の天皇はそれを持ち合わせていない」「弟の秩父宮のように自由を与えられず、自分の意見を形成する機会を持てなかった」と記している。

 ▽昭和史に詳しい作家の保阪正康さんの話 昭和天皇の戦前・戦後の言動は、側近たちの記録などに加え、これまでは占領政策の中核を担った米国の資料に主に依拠して解明が進められてきた。今回の資料は、ドイツや中国を含めた他の国々の資料からみる必要性があることを浮き彫りにした。

毎日新聞 2007年5月24日 7時03分

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2007年4月30日 (月)

「昭和の日」に、広島繁華街の街頭で配布されていたチラシから「これだけは知っておきたい、昭和天皇とっておきの話」

(以下、チラシの文章を全文ご紹介いたします。)

 現在の天皇陛下である今上天皇は、ご即位につづいて行われた一世一代のお祭り「大嘗祭(だいじょうさい)」について次のように御製(天皇のみ歌)にお詠みになられました。  

父君のにいひなめまつりしのびつつ我がおおほにへのまつり行なうふ

 今上天皇は、昭和天皇の大御心を心として、務めを果していきたいと折にふれてお述べになっています。
 では、昭和天皇とはどのようなお方だったのでしょうか。

 昭和天皇は、明治三十四年、大正天皇の第一親王としてお生まれになりました。学習院初等科時代には、日露戦争で勇名をはせた乃木院長の下に質実剛健の厳しい教育を受けられました。また、皇太子時代には、皇室の歴史上初めてヨーロッパをご視察されました。大正十一年にはご病弱だった大正天皇のせっしょう摂政として政務をお取りになられ、昭和三年、二十八歳という若さで即位の礼を行い、第百二十四代天皇として即位されたのです。

 昭和十六年九月、日米交渉の行き詰まりの中、開戦に傾く政府に対し、昭和天皇は、

 四方の海 みなはらからと 思ふ世に など波風の 立ちさわぐらむ

 という明治天皇の御製をお示しになり、平和への意思を明らかにされました。御前会議でのご発言は極めて異例なことでありましたが、政府は改めて平和的妥結に向けた交渉に当たることになりました。

 しかし、米国の圧迫は日増しに強く、遂に昭和十六年十一月二十六日、アメリカ政府から運命のハル・ノートが突き付けられ、政府は開戦やむ無しと決定を下しました。

 政府の一致した決定に対して、天皇は立憲君主として拒否することは出来ず、わずかに「開戦の詔書」の中に「あに朕が志ならんや」(どうして(開戦が)自分の意思であろうか)という一言を挿入され、平和希求の意思を明らかにされたのでした。

 昭和十七年の年頭、昭和天皇は次の御製を発表され、一日も早く戦争が終るよう祈られました。

 峯つづき おほふむら雲 ふく風の はやくはらへと ただいのるなり

 しかし戦局は悪化の一途をたどり、昭和二十年八月十四日、我が国はついにポツダム宣言を受諾し、史上初めての敗戦を喫することになったのでした。

 この時、政府は戦争継続か、終結かを決定することが出来ず、当時の鈴木貫太郎首相は、御前会議において、天皇陛下の「ご聖断」を仰ぎました。

 昭和天皇のご意思は、「戦争終結」でした。
 その時のお心を託した御製が伝えられています。

 爆撃に たふれゆく民の うえをおもひ いくさとめけり 身はいかならむとも

(爆撃の被害で死んでいく国民のことを思って戦争を終らせた。自分の身はどうなってもかまわない)
昭和天皇、御歳四十四歳でありました。

 昭和二十年九月二十七日、昭和天皇は占領軍最高司令長官のマッカーサー元帥を訪問されました。マッカーサーは、敗戦国の君主が会いに来るというのは命乞いに来るのだろうと思っていました。ところが、昭和天皇は次のように述べられたのです。――このたびの戦争について全ての責任は自分にある。いかなる処置をも受ける覚悟がある。しかし国民は飢えている。皇室の財産の目録がここにある。これで国民に食料を提供して頂きたい。――この会見はマッカーサーを骨の髄まで揺さぶりました。

 昭和二十一年、戦災を受けた国民を直接激励したいとの、昭和天皇の強い意志で、全国御巡幸がスタートしました。次の御製はその時の心を詠まれたものです。

 戦の わざはひうけし 国民を おもふ心に いでたちて来ぬ

 広島には昭和二十二年十二月、御来県されました。

   ああ広島 平和の鐘も 鳴りはじめ たちなほる見えてうれしかりけり

 昭和天皇は原爆を受けた広島に真っ先に訪れたいとの意向を持っておられました。占領軍当局や政府は難色を示しますが、陛下の強い思いもあつて実現したと言われています。

 長崎では、自らも被爆し白血病と闘いながら被爆者への援護活動を続け「この子を残して」を著した永井隆博士が、長崎医大病院で昭和天皇をお迎えした時の感想を次のように残されています。

「陛下がお歩きになると、そのあとに万葉の古い時代にあった、なごやかな愛情の一致が甦って、日本人が再び結びつく。今日は実にうれしかった」

 「あっ、そう」という気さくなご会釈、「日本再建のために一緒に努力していきたいものだね」と呼びかける昭和天皇に、人々は勇気と希望を取り戻していきました。そして昭和二十九年の北海道行幸により沖縄を除く三万三千キロに及ぶ全国ご巡幸は達成され、戦後復興の礎となったのでありました。

 昭和二十七年、我が国は独立を回復します。陛下は、次の御製にその喜びを託されました。

  国の春と 今こそはなれ 霜こほる 冬にたへこし 民のちからに

昭和四十五年、七十歳を迎えられた際、陛下は次の御製をお詠みになられました。

  よろこびもかなしみも民と共にして 年はすぎゆき いまはななそぢ

 「国民と共に」といふ大御心は、皇室の伝統であり、今上へいか陛下もまたその大御心を継承されているのです。

昭和六十年には「旅」と題して

 遠つおやの しろしめしたる 大和路の 歴史をしのび きょうけふも旅ゆく

 とお詠みになられました。天皇陛下は、我が国の悠久の歴史を背負はれているのです。

昭和六十二年、唯一つ残された未訪問の地、沖縄への行幸を目前に、昭和天皇はお倒れになりました。

 思はざる 病となりぬ 沖縄を 訪ねて果たさむ つとめありしを

 昭和六十三年九月、陛下は、再びお倒れになります。そして、ご闘病百十一日、国民の祈りも空しく、昭和六十四年一月七日、昭和天皇は崩御されたのでした。

 ご在位六十四年というご歴代最長を記録され、しかも戦争・敗戦といふ激動の歴史を乗り越え、戦後の我が国の復興を導かれたそのご足跡を、私たちは永遠に語り継いでゆきたいと思います。

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 コンパクトにまとめられた「昭和天皇」のお歌とエピソードを簡単に紹介した一文でした。微細な点で、やや正確を欠く部分があるのは、短い中にまとめようとした瑕疵であろうかと思われます。例えば、マッカーサーとの会見の内容ですが、陛下の言われたお言葉の前半は初めての会見の際の言葉としても、後半は別の機会の会見での言葉であったと記憶します。しかし、大勢においてこの通りであると思われます。

 更に、戦没者や遺族に対する思いを述べた御製など、知っておきたい話としては更にたくさんありますが、それは多く出版されている書籍などを見ればよいのでしょう。特別番組などでも相当詳しく色々なエピソードが語られたということです。

 はじめての「昭和の日」、どのようにお過ごしになられましたか?

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2007年4月28日 (土)

卜部日記の「A級戦犯御意に召さず」報道について

 またぞろ昭和天皇がいわゆる「A級戦犯合祀」に反対だった、とも取れる記述のある侍従の日記が公表された。

 平成14年に78歳で逝去された卜部氏は大正13年生まれと思われるので、終戦時21歳と推定される。

 問題の「靖国神社の御参拝をお取りやめになった経緯 直接的にはA級戦犯合祀が御意に召さず」というものである。平成13年7月31日にある記述だということである。

 それ以前に「長官拝謁のあと出たら靖国戦犯合祀と中国の批判・奥野発言のこと」という記述が昭和63年4月28日にあるという。

 後者は、元宮内庁長官の冨田氏のメモに符号する、という指摘をしている新聞もある。

 しかし、この二つの記事の間には14年の隔たりがある。特に、明確に「A級戦犯合祀が御意に召さず」と記した記事は平成13年になってのことである。この隔たりをどう考えるかということを思うのである。

 こうしたことを論じるには、まだまだ断片的であり、昭和天皇がご晩年にどのような御思いをかこっておられたのかについては軽々しく判断は出来ないと思う。

 産経新聞の4月27日の記事に抜粋されている日記の要旨を見ると、生真面目な昭和天皇の面影が彷彿と蘇ってくるようにも思われる。また、御晩年に至っても尚ご公務に尽くされようとされるお姿が浮かび胸を締められる思いがするのである。

 卜部侍従の生きた年代は戦前に人間形成をしたとはいえ、敗戦・占領・戦後という激動の歩みを20代から30代という時にすごしていることを考えねばならないように思われる。いかなる人物であったのか。昭和44年12月から平成14年2月まで毎日丹念に記したとされる日記を、生前、朝日新聞に託したとされている。

 それにしても、御晩年の昭和天皇は、このような側近に囲まれていたのか、と改めて痛々しい感じがしてならない。

 そして、今上陛下の周囲におられる側近の方々はどうなのであろうか、ということが思われてくる。平成に入ってからの様々な不祥事を思い起こすと、平成の皇室をお守りする側近の責任は充分に果たされてきたのか、考えざるを得ないようにも思われてくる。その兆しは昭和天皇の御晩年にあったということである。

 猪瀬直樹氏が、昭和天皇は満足して目を閉じた、というようなことを書いていたが、全くの見当違いだと思う。彼は「ミカドの肖像」で世に出た評論家であり、天皇を論じて飯を食ってきた男である。単なる左翼ではないが、冷たくじろじろ見回す視線は、決して生身の人間の目ではない。三島由紀夫を論じた「ペルソナ」を読んだときに似たような感想を抱いたが、氏の本質であり限界であるのだろう。

 昭和の日を迎えるにあたって、昭和天皇の「御無念」ということを思わざるを得ないのである。勝手な憶測は控えるが、今の日本に対して憂慮されておられるに違いないと思うのである。

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2007年4月13日 (金)

昭和天皇をお偲び申し上げて

 平成19年4月29日は、記念すべき「昭和の日」である。

 平成19年にしてようやくこの日を迎えることが出来ることは、感慨深いものがある。

 平成生まれの子供たちが今年3月、高校を巣立っていった。昭和を知らない世代が社会の一員として登場してくるのだ。この時にあたり、昭和という時代がどのような時代であったのかを、若い世代にも深く知ってもらいたいものと思うのは、恐らく年配の方々の多くの思いではなかろうか。

 しかし、昭和の歴史については、昭和20年8月15日の敗戦を境として、前後に裁断された認識が幅を利かせている。我が国の歴史始まって以来始めて外国に負けて本土を占領されるという屈辱を受けたのだから当然といえば当然なのかも知れないが、独立を回復し、経済的な復興をしても、精神的にはまだまだ傷跡は癒えないということなのかも知れない。

 近年、ようやく歴史の見直しが広く浸透してきて、それと同時に、いわゆる自虐史観をバックボーンにした政治勢力は著しい後退をしている。特に顕著なのが社会党であり、往時の勢いは見る影もない。共産党も看板の「赤旗」も半減し退潮傾向は止まらないようである。しかし、問題は、薄められた左翼主義が、保守政党であるはずの自民党を深く犯していることであり、かつまた民主党をも色濃く染め上げていることである。

 平成の時代は、日本の国の姿が揺れ動いている時代ということも出来るかも知れないが、昭和の負の遺産が精算されていないことがその大きな原因であることは間違いないであろう。

 昭和の時代は、西暦で言えば1925年から1989年という極めて長期間に亘っており、その前と後では世界全体が一変した観がある。昭和天皇という御人格なくして「昭和」という時代をひとくくりにすることは不可能といってもよいだろう。世界の歴史にも稀に見る御人格であり、これほどの激動を潜り抜けてきた君主は世界のどこにもないといってよい。かつまた、その無私の御足跡も顕著であり、この天皇の御世に生を受けたことをただ喜ぶ他はない。

 平成の時代は、ある意味昭和の歴史以上の苦難の歩みであるように思われてくる。昭和の時代には少なくとも日本国民が日本国民であったが、平成の民は日本国民であることを止めようとしているとしか思えない。「美しい国日本」の再建は、国民精神の回復以外にはないように思えるのである。「美しい日本」などと言えば嘲笑する人々が少なくないのである。彼らの中には「美しい日本」は最早存在しないのであろう。結局、国は心の中に存在するものである。「美しい日本」も、国民の心の中に宿るものである。嘲笑する人々は、自分の中に「美しい日本」がないことを証明しているに過ぎない、哀れな浮浪の民に過ぎないのだ。

 昭和の時代を振り返ることは、決して後ろ向きなのではない。これから前に進むにあたって、足元を見定めて大きく羽ばたくために必要なことなのだ。だからこそ、平成生まれの若い世代に、昭和天皇の御足跡を知ってもらいたいと思うのである。

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2007年3月18日 (日)

「皇位継承を考える―男系主義への疑問」への疑問

 昨年の最大の出来事は、悠仁親王殿下のご誕生ではなかつただらうか。

 小泉首相(当時)が聖域なき構造改革を掲げて、その改革の情熱を 皇室「制度」にまで及ぼし、皇位継承の原則を拙速に変更する「皇室典範」改変を企図し、その法案を国会に上程しようとした直前に、秋篠宮妃殿下のご懐妊の報が小泉首相(当時)の下にもたらされた。それ以降の小泉首相(当時)は、それまでの強硬な改正既定路線を引っ込め、9月のご誕生をお待ちする、という方向に転換した。

 皇位継承といふ、最も大切な、歴史と伝統の機微に触れた事柄は、日本人ならば、軽々しく議論すること自体が憚られる問題である。

 私も数ならぬ名も無き民草の一人であり、何の専門的な研究をしたわけでもない、一介の草莽の分際で、偉そうな議論をしたいとは思つてもいなかつた。他の問題ならいざ知らず、皇室に関する事柄について、軽々しい議論はしたくは無かつた。男系「主義」などといふ言葉にも、分類されればそうに違いないかもしれないが違和感を感じざるを得ない。

 そもそも、愛子内親王殿下がご誕生になられたころから、下世話にも、愛子様を天皇に、という話しは口にされることがあつた。当時、ある尊敬すべき先輩と、抜き差しならぬ議論になつてしまつたことがあつた。私の考え方はそのときから知識の量は蓄積されたかもしれないが、一貫して変はつてゐない。迂闊なことには、当時は単なる下世話な話で済んでいたものが、それこそ抜き差しならぬ国会への法案上程という具体的な政治課題として浮上してきたことにより、色々な賛成論・反対論に触れた後でも、基本的な考え方、感じ方にはいささかの変化もないのである。その意味で、ことこの問題に関して、自分は他者の考え方に賛成・反対を問はず、影響されたものとは自分を省みて思はないのであるが、その当時の抜き差しならぬ議論とは何かといへば、先輩は、愛子様の即位に賛成であつたが、自分は断固反対だつたといふ一事である。

 理由は、愛子様が即位されるといふことがあつたとしたら、歴史上その例はないことはない。しかし、愛子様がどなたかと御結婚なされて、そのお子様が次ぎをお継ぎになられるというような例は歴史上類例がないこと。(当時そのように認識しており、現在も基本的にその事実認識は変つていない。)
 もしそのようなことになつたとき、果たして自分は、素直に心の底から「天皇陛下万歳」と申し上げることが出来るであろうか。そのような改変が果たして行はれてよいものなのか。
 このような問ひかけを自らに行ふものであつた。これは仮定の話ではあるが、そうではあつてもこれは根本原則の変更ではないのか、といふことを感じた。それでつい断固反対といふようなことを言つてしまい、座が白けてしまつたのであつた。残念ながらその後、その先輩は事故で急逝されてしまつたので、今、改めて話すことは出来ない。

 一昨年から昨年3月にかけての保守論壇が沸騰したかのやうな議論の洪水に、一々全て目を通したわけではない。相当数出版された本の全てに目を通した訳ではない。それでも、「有識者会議」報告書は発表された直後に全文を丹念に目を通した。そのときの感覚は「愛情に欠けた」「誠意のかけらもない」「悪意に満ちたもの」であり、結論以前の全体に対して「背筋が寒くなる」感じを持つた。

 あれだけ議論が沸騰した背景にある政治状況を考へるならば、いわゆる「男系」を守ることが皇室をお守りすることであると思ふ立場に立てば、当然といつてよい反応ではなかつただらうか。あのときは、もし法案が通過した場合どうすればよいのか、といふことまで真剣に考へたものだ。実際にその法を発動しなければならない時期まで予想される時間、その法を再改変させるべく一貫して議論し続けることしかないとも考へた。状況は絶望に近かつた。

 女系でも皇室をお守りしたことになる、と思ふ立場に立てば早く法案を成立させた方がよいといふことになる。皇位の安定的継承のための法律であり、いわゆる「女性宮家」の制度を創出しても、内親王様方が皇籍離脱された後では意味がないといふことから、これも時間がないという切羽詰まつたものであるはずだからだ。しかし、いわゆる「男系」派ほどの危機感があつただらうか。確かに女系容認派の論客は当時もいわゆる「男系」派を指弾してゐたが、法案は通ると思ひ、「油断」していたのではないのか。

 いわゆる「男系」派的な議論をする人々の中に、品格が疑はれるやうな発言をする人々がいたことは事実であらう。そうした中で、その「運動」に対して眉を顰める「良識的」な人々もいたであらう。

 短絡といはれるかもしれないが、幕末の志士といはれる人々には、当時の所謂良識派(「公武合体論」者も含め)からみれば眉を顰めざるを得ない人物は大勢いただらうと思はれる。生きて動いていく動乱の中にあつては、多くの間違いや錯誤もある。しかし、国の本質にかかわる事柄に対して、その渦中にあつて、「冷静に」「慎重に」といふばかりで自ら火の粉を被るでもなく、超然としてゐることが果たして「正しい」ことなのだらうか。それぞれが己の信じた所を貫くこと、それは言葉の上だけのことではない。

 あのとき、皇室の歴史と伝統についての基本的な知識を身につけている人物が国会議員の中に、あるいは政府・与党の中にどれだけいたのか。

 あのとき、あるいは現在只今の時点において、皇室の歴史と伝統についての基本的な知識を身につけている国民はどれだけ居るのか。更に一歩踏み込んで、日本人としての感受性を保ち得て、知識だけではない心からの認識を把持してゐる人がどれだけゐるのか。

 日本人が日本人としての資質を蝕まれ続けて一体どれだけの年月が経過してしまつたのか。

 明治維新以後の歴史の中で、殊に敗戦後において、日本人本来の感受性がどれだけゆがめられてきたのか。

 著者が、女系・女帝容認の立場に立つてゐることは明らかであるが、秋篠宮家のご慶事を、「「男系派諸君!いまこそ冷静になつて継承論議を深めなさい」との啓示であつた」と、いわゆる「男系」派ばかりが「冷静」でなく、浅薄であつたやうにいふのは同調できない。「冷静」でなく、浅薄でもあつたのは、いわゆる「男系」派がそうだといふならば、同様に(あるひはそれ以上に)「女系容認」派も、「冷静」でなく、「浅薄」でもあつたと、私は思ふ。そして、そうした「生活」に「関係のない」ことに熱を上げるものを尻目に、自分のことにしか感心を持たない多くの国民は、この問題に対して「冷静」であるかも知れないが、決して「深い」わけでもなからう。

 当時の議論の字面のみを追つて、なぜこのやうな所謂「保守」を真っ二つに分断するやうな議論になつたのか、「男系」「女系」などの概念を使つて説明するのはそれほど難しいことではなからう。しかしそれは影であつて、事の本質ではなく、また、本質を論じたことにもならないと私は思ふのである。

 同時代に生きていても、見ている「現実」は一人一人が皆違ふ。トータルファクトたる「真実」(全ての事実を寄せ集めて真実になるかどうか、心もとないが)に基づいて、神の如くに無謬なる判断を下そうなど、人の身としてよく及ぶところではない。

 悠仁親王殿下がご即位される可能性はあるものの、皇太子殿下に皇孫殿下がお誕生にならないとはまだ断言できることでもなく、仮定の議論を無責任に論うべきでもないと思ふ。本当に議論し得る資格を持つ専門家が、慎重に議論を尽くして、最後には、天皇陛下に御裁可を仰ぐといふ道をつくること。それが、臣下としての道ではなかろうか。

 敗戦後の占領軍による皇室弱体化政策を、清算することなく、現在まで頬被りしてきた日本の「保守」政治家の責任は計り知れない程に重い。昨年成立した「皇室の伝統を守る国会議員の会」が、いたずらな議論をするのでなく、国民の代表としての分限を弁へ、「聖断」を仰ぐ回路を回復する道をこそ、模索して頂きたいと思ふのである。「男系」論も、もちろん「女系容認」論も、臣下が判断すべきことではない。それが、私の現時点における結論である。

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2007年3月13日 (火)

晴れて「昭和の日」を迎える今年

 昭和の日制定記念シンポジウムが開催される。

 平成19年4月4日(水) 文京シビックセンター・小ホール

 先着400名(無料)

 総合司会     桜林 美佐

 発 言 者     大原康男(国学院大学教授)
            長谷川三千子(埼玉大大学教授)
 コーディネーター 高森明勅(日本文化総合研究所代表)


 昭和天皇の御遺徳を偲び、昭和の正史を確立するための日としたい。

 ご参考 昭和の日ネットワーク

      昭和天皇

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2006年4月16日 (日)

皇室典範の勉強会はやはり危ない

教育基本法改正問題が山場を迎える間隙を突いて、皇室典範改悪派=皇統断絶を策謀する連中が巻き返しを図っている。

旧宮家の皇籍復帰の特別法を提唱した小堀氏に対して、反論を浴びせかけた。顔ぶれは分からないが、隙を突いて既成事実を積み上げる策謀の一環であると思われる。

それにしても、伏見宮系統の旧宮家を、600年前の後伏見天皇から分かれた余りにも遠い家系であるという認識は胡散臭い詭弁のにおいが付きまとっている。このことを保守派が指摘しないのはおかしい。

男系こそが皇位の正統性の原理であるということから、女系導入派の詭弁が見えなくなっているのではないか。

明治天皇の皇女四方の嫁ぎ先が、伏見宮家から分かれた竹田宮家、北白川宮家、朝香宮家、東久邇宮家の四家であり、敗戦後、臣籍降下を余儀なくされた旧宮家とは、明治天皇の皇女の子孫であらせられることになる。もし、女系を男系と平等と観るならば、旧宮家が皇籍復帰してもきわめて近い間柄であり、尚且つ男系維持もされるということになるのである。

女系論者が見え透いた詭弁で、600年という数字ばかりを一人歩きさせようとしているのは、男系を断つことを第一義に考えているからに他ならない。

旧宮家の皇籍復帰が、皇室と国民の区別を曖昧にするというなら、民間男性が皇族になるという女系論者の目論見の方が曖昧どころか完全に区別をなくしてしまい、やがては皇室を無化することにつながることが見え見えである。

また、やがて男系は維持できなくなるという議論も、観念的で意図的な確率の単純計算の所産に過ぎない。数字の遊びが論拠などトンでもないことである。

勉強会なるものの実態が、結局は、革命的有識者の報告書の中身の浸透にあるのであれば、即刻中止すべきである。

※「語られなかった皇族たちの真実~若き末裔が初めて明かす「皇室が2000年続いた理由~」(竹田恒泰)の202ページに系図が掲載されている。

以下、記事引用


続きを読む "皇室典範の勉強会はやはり危ない"

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2006年3月 8日 (水)

皇室の伝統を守る一万人大会

3月7日(火)、東京・武道館にて開催された、「皇室の伝統を守る一万人大会」について、毎日新聞がやや詳しく報道しています。

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20060308k0000m010046000c.html

平日の午後という出にくい時間にも拘らず、13000人満杯という大盛況になったことは、主催者側の努力も去ることながら、国民の関心が如何に高いかということを証明したことになるでしょう。時間帯の設定が国会の開催状況をにらんだものであったこともあると存じますが、本人が86名、代理を含めると実に160名以上の国会議員が出席されました。堂々たる国民大会だったと存じます。大会決議には、今回の問題の焦点となった「女系」「長子優先」という皇位継承の伝統破壊を許さないというだけでなく、戦後六十年間放置されてきた様々な皇室制度の不備を解決していくという方向性が示されていました。また、皇室についての基本的な正しい知識が普及していない現状は、教育現場で教えられて来なかったことに基本的な問題があることも指摘されています。今の天皇陛下が百二十五代だということを知らず、知って驚く若い人も少なくありません。また、歴代天皇方が常に国安かれ、民安かれと祈り続けて来られたということも、知らないのです。これでは、なぜ天皇が「日本国及び国民統合の象徴」であらせられるのか、わかりません。戦後六十年の空白を取り戻すことは、喫緊の課題といっても良いでしょう。本当の意味で皇室をお守り申し上げる戦いは、まさにこれからが本番であると言っても過言ではないように思います。

以下、3月7日大会の当日パンフレットから転載してご紹介させて頂きます。

皇室の伝統を守る国民の会
 The National Association to Respect Tradition of the Imperial House
「万世一系の皇室は世界に誇る宝です この大切な伝統を国民の力で守りましょう!」

■設立趣意書

 百二十五代、二千年以上続いてきた日本の皇室は、世界に比類ない歴史と伝統をもっています。世界に多くの王室がある中、我が皇室は、その淵源が神話にまでさかのぼる最古の存在であり、しかもその皇位が今日まで断絶することなく男系により継承されてきました。その歴史的事実は、まさに世界の奇跡であり、私共日本人の誇りでもありましょう。

 この度、四十年来、皇位を継承されるべき男性皇族のご誕生がないため、安定的な皇位の継承を可能にするための制度を確立するとして、「皇室典範を考える有識者会議」は、女性・女系天皇の導入と皇位継承者の長子優先を柱とした改正案を報告しました。

 ところがこの改正案は、男系による皇位継承の伝統を大きく改変する制度の導入であり、各界識者や国会議員より、拙速な改定に慎重な意見が相次いでおります。こうした中、今秋、秋篠宮家に第三子がご誕生されるというご慶事が訪れ、政府・与党内にも慎重な議論が必要との判断が出されていることは、誠に多とすべきであります。

 歴史を翻れば、百二十五代の間、幾度か男系による皇位継承の断絶の危機に直面したことがありました。しかし私共の祖先は、多くの叡智と努力を傾けてこれを乗り越え、万世一系の伝統を守りぬき、天皇陛下を中心として、国の発展が図られてまいりました。

 私共は、過去の祖先の努力に学び、現在の私共が直面している皇位継承の危機を乗り越えなければなりません。そして皇室のご存在の意義を広く啓発し、国民一人一人が関心を寄せ国民的議論を起こすことによって、百年先、千年先のより良い日本の将来を築く契機といたしたく願っております。

 ここに、各界各層の皆様方のご賛同を得て「皇室の伝統を守る国民の会」を設立し、多くの国民の叡智を集めて、伝統に基づく皇位継承制度を確立し、もって世界に誇るべき万世一系の伝統を守ってまいりたく存じます。

平成十八年二月吉日

■大会決議(案)

 我が皇室は、百二十五代、二千年以上にわたって断絶することなく男系によって皇位を継承し、その淵源が神話にさかのぼる世界に比類なき存在である。しかるに今般、政府は、「皇室典範に関する有識者会議」の報告に基づき、女系天皇の導入及び長子優先主義の採用という、皇位継承の伝統に重大な変更をもたらす皇室典範改正を行おうとしている。

 幸いにも、本国会への皇室典範改正案の上程については、拙速な改定に反対する各界有識者および国会議員の声の高まりと秋篠宮家の御慶事を迎えたことにより、慎重な対応がなされるに至っている。

 顧みれば戦後六十年にわたり、皇室制度にかかわる様々な課題は不問に付されたまま今日にいたっている。今回の皇位継承問題を始め、宮家の存続や拡充、皇族方の教育制度、皇室に課せられる相続税を始めとする皇室経済の問題、皇室関係法規の不備など、皇室制度にかかわる解決すべき課題は山積みしている。これらの諸問題を抜本的に検討し、万世一系の皇室を磐石ならしめることこそ、いま我々国民に課せられた責務である。

 我々は、本大会をもって「皇室の伝統を守る国民の会」を設立し、過去に皇室の御慶事にあって様々な奉祝事業を推進してきた実績を踏まえ、皇室の伝統を守るために左の活動に取り組むものである。

一、万世一系の皇室の御存在の意義を踏まえ、男系による皇位継承を堅持すべく、具体的な提案を検討し提唱する。

一、皇室への敬愛の念を高めるため、政府に学校教育の内容充実を要望するとともに、来るべき天皇陛下御即位二十年奉祝事業など広範な国民運動に取り組む。

一、戦後六十年にわたり放置されてきた皇室制度の諸問題を抜本的に解決するため、皇室制度を検討する国会議員の会の設立を要望する。

右、決議する。

 平成十八年三月七日
                        皇室の伝統を守る国民の会

http://www.nipponkaigi.org/n/budoukan/budou-moushikomi.html
http://prideofjapan.blog10.fc2.com/blog-entry-272.html

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2006年3月 4日 (土)

神風

 秋篠宮妃殿下の第3子ご懐妊の朗報に、さしもの小泉首相も「女系容認」の皇室典範改定をごり押しできなくなり、長期戦戦術に切り替え、今国会での成立は断念されたというのが専らの話である。

 何人もの人から、「神風」が吹いた、という言葉を聞き、自分も実感としてそのように思った。

 「神風」とは、なんと時代錯誤な言葉だろう、とあきれる向きもあるかもしれない。しかし、死語でなかった。今回のこのご慶事を言い表す言葉として、「神風」ほど実感に即した言葉はなかったからである。そして、その言葉が自然に口をついて出たのである。

 思えば、「万世一系」という言葉も、久しく使われなかった。占領軍のプレスコードによって、超国家主義を鼓吹する言葉の一つとして使用を禁止されて以来、マスコミでも教育の場でも、この言葉はパージされてきたのではなかったか。世間一般においても、ともすれば忘れられようとしていた言葉だったように思う。

 ところが、有識者会議が面妖な報告書を出し、皇位継承の伝統に重大な改変がなされる、という危機が表面化して、俄かに「万世一系」という言葉が当たり前のように使われるようになった。日本の皇統を表現するのに、これほどシンプルかつ的を得た言葉が他になかった為もあるが、「万世一系」という歴史事実の重みが、60年の抑圧を撥ね退けて、現れ出たように思われ、すがすがしい思いがした。

 「万世一系」イデオロギー、という言い方を、皇室否定論者は使う。初代神武天皇から男系により一貫して継承されてきたという歴史事実は、断じてイデオロギーなどという死物ではない。言葉は明治につくられたものかもしれない。幕末の志士、吉田松陰が「万葉一統」という言葉で表現したところにその萌芽を見ることも出来よう。しかし、それは事実の確認であって、決して明治になって捏造したというものではない。

 伝統という概念は、近代と共に成立した、とはおそらく正しい説なのだろう。古来からの宗教や歴史・文化の流れを断絶させる近代という概念に対して、その継承を軸とする概念として伝統という観念が生まれたということなのだろう。そして、伝統という観念が成立し、そこで再構築がなされるということにもなる。それが「創られた伝統」という概念として、そもそも「伝統」などというものは、近代につくられたものなのだ、という説も出てくる。

 しかし、だからといって、「伝統」を軽視したり、無価値だとする意見は、「伝統」について知らぬものだといわねばならない。過去から営々と受け継がれてきた人間の営みの中にある珠玉のような真実を見出すことは、現代人の責務と言わねばならない。その責務を果たさずに、現代の価値観のみで過去を断罪するという姿勢は、やがて未来において現代の営みがさばかれるということを受け入れることである。そのような不毛が、所謂「進歩」主義にはつきまとう。過去は過去として完全な形をして目の前に厳然として存在している。それを現代の人間がどうこうすることは、分を超えた傲慢なのである。

 「万世一系」という伝統は、過去に対して謙虚になって無心に対した時に生まれた言葉である。それは明治維新の指導者たちが把握した日本の国家像である。

 「神風」から話がずれてしまったようだが、そうではない。

 幕末の歴史を知る人には、孝明天皇の妹君であられる和宮様をご存知であろう。徳川将軍家持に降嫁された姫君である。この反対運動が幕末の歴史に刻まれていることを忘れることは出来ない。公武融和のために、一身を投げ出されたのが和宮さまだった。

 この和宮様の御歌として、幕末の志士たちに伝わった歌がある。

 惜しからじ君と民との為ならば身は武蔵野の露と消ゆとも

 人皆の心の限り尽くしての後こそ吹かめ伊勢の神風

 一首目は一身を投げだしてのお覚悟を詠まれたものである。
 そして、二首目に注目して頂きたい。

 「神風」が詠まれているのであるが、神風は「人皆の心の限り尽くし」た後に吹くのではないか、というご感懐を述べておられるのである。

 このことは、昨年11月から今年1月にかけて、「女系容認」の皇室典範改定が既定路線として進行する中にあって、まさに「人皆の心の限り尽くし」て、「万世一系」の伝統をお守り申し上げるべく努力してきた後に、秋篠宮妃殿下のご懐妊という「神風」が吹いた、という一連のことに重なってくるように思われてくるのである。

 このことは、足利義満が、皇位を簒奪しようとした一歩手前において俄かに死神に魅入られたのと同じように、皇統を守る歴史の中に起った一つの奇跡なのだと思われる。

 しかし、奇跡を頼み、「神風」を頼んで、「心を尽くす」ことを怠ったのでは本末転倒であろう。

 皇室をお守りする責務は、これだけで果たされたとはいえない。占領軍が残したくびきを払拭することが、国の真の独立と永遠を願う国民のなすべき責務なのだ。

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2006年2月10日 (金)

後桜町天皇御製

後桜町天皇御製

寄民祝国  (安永十年)

民やすきこの日の本の国の風なほただしかれ御代のはつはる

 安永八年に、後桃園天皇が22歳の若さで崩御され、遡って東山天皇の皇子により創出された閑院宮家の祐宮さまが9歳で皇位を継がれた。第119代光格天皇である。

後桜町上皇は、幼帝の院政をおとりになり、天皇としてのご教育に当たられた。御歳40歳の頃のことである。

諒闇があけて、初めての正月を向え、詠まれた御製である。

「日の本の国の風」が「なおただしかれ」と祈られているのである。「御代のはつはる」とは、なんと清清しい表現であろうか。

最後の女帝、後桜町上皇の祈りが、光格天皇から仁孝天皇、孝明天皇、そして明治天皇にいたる歴史を切り開き、幕末を乗り切り、近代国家創出のエネルギーへと転化していったように思われてくる。

男系継承を守り抜いた後桜町天皇のご遺志をお偲び申し上げるべき時ではないかと思われる。

そして、平成の新井白石が出るべき時である。

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皇室典範改定問題は、今国会上程阻止が最終目標ではない!

時事通信が、自民党の勉強会が今月下旬を目処に発足させることとなった、と伝えた。
秋篠宮妃殿下のご懐妊とは切り離して、女性・女系天皇容認の皇室典範改正を論議するという。

(時事通信)2006/02/10-00:00
典範改正の勉強会、下旬発足へ=自民部会が確認
 自民党内閣部会(木村勉部会長)は9日、都内で役員会を開き、女性・女系天皇を認める皇室典範改正を論議する勉強会を今月下旬に発足させることを確認した。小泉純一郎首相が今国会への改正案提出を見送る方針を固める一方、党内の意見集約も指示しており、秋篠宮妃紀子さまのご懐妊とは切り離して論議に着手することにした。 


また、共同通信では、首相は、国会提出時期に拘らないが「よく議論していけば改正は必要だという認識を持つようになる」と強調したと伝えた。

(共同通信)2月10日
 国会提出時期こだわらず 首相、皇室典範改正で
 小泉純一郎首相は9日夜、女性、女系天皇を容認する皇室典範改正案の国会提出時期について「期日にはこだわらない」と述べ、今国会での提出を見送る可能性を重ねて示唆した。
 与野党で改正案提出への慎重、反対意見が強まっていることに関し「よく議論していけば、改正は必要だという認識を持つようになる」と強調。政府が検討している改正案の内容修正については「議論していかなければならないだろう」と述べるにとどめた。官邸で記者団の質問に答えた。
 これに先立ち首相は自民党の武部勤幹事長、山崎拓前副総裁と官邸で相次いで会談し「全会一致(での成立)が望ましい」との考えを伝えた。


さて、ここで考えなければならないのは、「女系容認」の改定は断固阻止しなければならないが、さりとて、現状のままでよいというのでないことを明らかにしておく必要がある。現状維持は勝利ではない。今回の問題で明らかになった占領遺制の害悪を取り除き、皇室のご安泰を図らねばならない。

秋篠宮妃殿下のご懐妊は、本当に神風のようだと思われるが、これは、皇祖皇宗のご神霊が堕ち切った現代日本に対して与えられた猶予時間なのではないかと思われてくる。

今国会での改定案上程阻止が最終目標ではない。

男系維持はもとより、更に積極的に皇室をお守りするための典範改定が行われる必要がある。
旧宮家の皇籍復帰も真剣に検討されるべきである。その上で、現在の皇室会議を改めて、皇族会議を復活し、皇室のことについては、天皇陛下を中心として、皇族で決定するということにする必要がある。また、皇室典範の改正は、皇族会議が第一義的に発議できるものとする必要がある。
また、皇室典範についてだけは、出来るならば国会から超然として運用されるべきものであって欲しいが、国会を国権の最高機関とする現行憲法のあり方を踏襲しなければならないとするならば、最低でも皇族会議の意思は最大限尊重される、という形にするべきだろう。
皇室をお守りする藩屏をいかに構築するのか、叡智を絞らなければならない。皇室経済法を改正して、経済的な基盤を整備すべきであるし、本来皇室に属すべき資産についてお返しすることも重要である。また、皇室に対して課税がなされている現状も、慎重に見直さねばならない。
やらねばならないことは山のようにあると思われる。
また、典範だけの問題ではない。教育において、象徴に関する教育が全くなされていないことは問題である。皇室の御存在の意味を、国民が改めて知ることも重要である。

これからが、本当の戦いである。

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2006年2月 7日 (火)

血迷った平泉学派の重鎮

諸君3月号に、皇學館大学名誉教授の田中卓氏が論文を書いた。「女系天皇で問題ありません」というものだ。
ざっと眼を通した。失礼な物言いになるが、歴史学の泰斗が聞いて呆れる。「耄碌爺の寝言」に過ぎない、というのが率直な感想だ。

平泉学派は、「皇国護持史観」であるとかねて聞き及んでいたが、平泉学派の面汚しだ。泉下で平泉先生は切歯扼腕していることだろう。

支離滅裂のアジ文に過ぎない。よくもまあ、恥ずかしげもなく、このような駄文を載せたものだ。

これまで、一定の敬意を払ってきたが、今後一切、やめる。蔵書も処分することにしよう。

自分は、氏の万分の一も学識はないかもしれないが、「女系」と「女帝」の違いを間違うことはない。

思えば、氏の文章に啓発されたことはついぞなかったことを思い出した。「維新の歌」を編集されたことだけはよしといえようが、維新の志士たちの前に恥じて死なねばならぬだろう。

突っ込みどころ満載の耄碌爺の蒙語録だが、ひとつだけ挙げておこう。

「試案として改定案(第一条)だけ示しておく。「皇位は日本国憲法(第2条)にもとづく世襲のもので、皇統に属する子孫がこれを継承する」これは天照大神の神勅を現代文に直しただけで、真の日本人なら誰も反対出来ないであろう」

天照大神と日本国憲法を同格に置く発想には、最早言葉を失うが、これが占領憲法との思想的対決に敗れ、取り込まれてしまった形骸だけの歴史学者のなれの果てであるとは、情けない限りだ。

ちなみに、現行皇室典範の第一条は次の通りだ。

「皇位は、皇統に属する男系の男子がこれを継承する」

明治の皇室典範の第一条は次の通りだ。

「大日本皇位は、祖宗の皇統にして男系の男子、之を継承す。」

この間に本質的な違いはないが、田中案は、わざわざ「日本国憲法」を持ってくる。気が触れているとしか思えない。最後に後醍醐天皇の「朕の新儀は未来の先例たるべし」との言葉を引いて、「心して拝聴せよ」というが、噴飯ものである。自らを後醍醐天皇になぞらえる神経はそうとうのものだ。全くの見当はずれという以外にはない。この人の文章には、品がない。そして何より祈りがない。

皇太子殿下御成婚の際、聖徳記念絵画館前において奉祝のつどいにお出まし頂いた両殿下のお姿を思い浮かべつつ、日の御子さまの一日も早い御降誕を熱祷するばかりである。

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2006年1月21日 (土)

幡掛正浩先生を悼む 〜ものいわぬ仏の心が天皇陛下の大御心〜

 1月14日、元神宮少宮司であられた幡掛正浩先生が逝去された。享年92歳であられる。

 私は、先生に一面識があるわけでもなく、謦咳に接したことがあるわけでもない。しかし、先生の文章を通じて、遠く尊敬申し上げていた一人である。遂にご生前謦咳に接する機会もないままとなってしまったことは、返す返すも残念でならないが、先生の残された文章を通じて、その志を少しでも受け継げるように努力して行きたいものと思うのである。

 それにしても、皇室典範の問題が浮上する中、おそらく大変な御憂念を持たれたまま、幽界に旅立たれたことと思われる。そこで、少しでもこの問題について、先生が抱懐されておられた思いを拝察申し上げることができればと思う。

 「神国の道理」という著書がある。その最後の文章に「問答・天皇意思と国法」という一文がある。

 そこに、一つ考えさせられる一文があった。

「なるほど、陛下は国の危機だとか、そうしたことについては何も仰せにはならないけれど、その何も仰せにならないということのうちにこめられた千万無量の思いというものについて、われわれは、もっと慎重に考える必要がありはすまいか。
「仏教に、”慈眼衆生を視る”ということばがあるが、僕が学生時代師事した老師は、これは、地獄の釜の口で乱舞している無自覚な衆生を、唯、無限の慈悲心をもって、もの言わず、じっと視つめている仏のすがたであると説かれたことがある。
「貴君は、このもの言わぬ仏に向かって、ものを言わせようとしているわけではないか。衆生よ、こちらへおいで、そちらへ行くのは危ないと。
「貴君がそのように言わせたいとねがう気持ちは僕にもわからぬでないが、それはあくまで貴君や、あるいは僕などの小思量底の分別というものだ。なんにも言わず、じっと視ている仏の眼ざしは、そんな小思量を超えた、ほとんどはかり知ることの出来ぬ深いかなしみが湛えられているとは思わないか。この無言の大悲心こそ、本当はことばあるに勝って強い力をはたらかせる当のものだ。畏いことだが、大御心というものを僕はそのように億念し、考え、戴いているつもりだ。」

 この一文を拝読しつつ、皇后陛下の次の御歌が浮かんできた。

    うららか(平成十年)

ことなべて御身(おんみ)ひとつに負(お)ひ給ひうらら陽(び)のなか何思(なにおぼ)すらむ

 ありとあらゆることをご一身にお引き受けになり背負われておられる陛下の大御心への、慎みと畏れと敬いを込めた、皇后陛下のみ思いをお述べになられた御歌である。

 思量分別を超えて、受け止めておられる、仏さながらの陛下のお姿である。

 皇室典範の問題について、陛下にご意見を、という声もあり、それも尤もだという向きもあるが、こうしたことを考えるとそうしたことも、やはり臣下の思い上がりではないか、と思うようになった。陛下を相対の議論の場に引き摺り下ろそうとする態度ではないのか。

 陛下は、常に国民が最も良きことを志向するように、祈られている。

 国民が議論を尽くさないで、安直に、陛下のご意見を、などというのは、国民としてのまじめさにもかけるのではなかろうか。勿論、細田官房長官のように、これは陛下の大御心だ、というような言い方は、断じて許されるものではない。

 なぜ、三笠宮寛仁親王殿下が、あれだけ踏み出されてご意見をお述べになっておられるのか。

 日本の国民として、一人一人がまじめに物事を考え、結論を出しているのか。甚だ心もとないといわなければならない。思うに、この問題を巡り、日本という国がどのような国であるのか、祖先から引き継いだこの国を、どのような形で子孫に伝えていくのか、そのことが切に問われているのである。このことに心を致すことができなければ、他のあらゆる問題を論じることは出来ない。

 天皇について、国民があまりにも無知になってしまった。そのことと今日のことは無関係ではない。

 国民が知ると知らぬとに拘らず、天皇陛下は祈り続けておられるのである。知らぬですまされることではない。

 現行憲法第一章が「天皇」であることの意味と意義をよくよく考えてみる必要がある。「天皇」について知らないということは、「日本」という国について知らないということであり、それは「自分」自身をも知らないということである。戦後の日本人が無自覚な人生しか送れない(というのも独断ではあるが)原因は、まさにここに存すると言っていいのではないか。

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2006年1月19日 (木)

民主党前原代表「女系」容認発言に反発

毎日新聞が、民主党内の動向について伝えている。

http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060119k0000m010082000c.html

これまで、政府・自民党サイドの動きが注目されてきたが、民主党内においてきちっとした議論がなされることは重要であろう。

しかし、如何なる議論にもせよ、「女系」が皇統でない以上、その「容認」論は無意味である。

如何にして「男系」継承を守るのか、そのことにあらゆる努力を集中させることそれ以外に、道はないのだ。

考えてみれば、日本という国は、他のあらゆる国々と違って、最初に天皇のご存在があって、次に国が生まれた。

もうすぐ2月11日の建国記念の日がやってくるが、日本という国が今ここに存在する以上、そのはじめがあるのは当然であり、それが神話・伝承しか存在しなかった時代にまで遡れる国など、世界中どこを探してもないであろう。

神話・伝承が無意味かつ無価値だというならば、ローマ法王の存在だろうが、キリストの存在だろうが同じように無意味かつ無価値だということになる。聖書の世界を科学的に証明出来なければ、それは無価値だというような議論は、それこそ現実を無視したものでる。

現存する日本最古の歴史書である「古事記」「日本書紀」の記述の内容の解体的な批判的研究などは、否定することに情熱を覚える好事家の学者に任せておけばよいのである。そこに書かれていることは、事実そのものではないかもしれないが、歴史的事実の反映があることは間違いない。

日本の皇室に「姓」が無いこと。「万世一系」は事実なのだ。

「万世一系」という言葉が、戦後占領下にあってGHQのプレスコードの検閲対象になり、以後60年もの間メディアをはじめ否定的文脈以外で語られたことは殆ど無かったと思われる。

それが、今、「万世一系」の皇統を守れ、と自然に出てくるのはなぜであるか。それは、深い歴史の底から湧いてくる日本人の心の中にある確信が言わしめるのだと思う。

人のことはいざ知らず、自分の心に徴してそう思う。

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2006年1月17日 (火)

「男系」の伝統は、女性蔑視と何の関係もないこと、再論


反天皇主義者を自認する痴れ者が、わがブログをのぞいたらしい。

一般の、ふつうの女性に対して、「女系」が如何に重大深刻な問題であるのか、知って欲しいという思いで書いたものを、「女系」を容認する女性すべてを反天皇主義者であると指弾したように悪意に満ちた曲解を敢えてした。

痴れ者が、痴れているのは仕方のないことであり、それ自体を非難するつもりはないが、曲解をそのままにしておくのはやや害があるかも知れないと思うので、もう一度、敷衍しておきたいと思う。

「男女共同参画」という概念が俄かに浮上して、何らかの社会貢献にかかわってきたご婦人方がすべてこの「運動」に巻き込まれている現状を先ず認識したい。

そして、「女性」という括りによって、社民、共産系の議員や運動家、学者らとの垣根をなくして、思想的背景を持たずに、純粋に社会貢献に尽くしたいという思いで活動しているご婦人方が、同じテーブルの上でそれと知らずに、オブラートに包まれた「ジェンダーフリー」思想の洗礼を受けつつあるという構造があることを、念頭においてもらいたい。

薄められた毒を飲まされているうちに、一般庶民の良識なり常識が少しづつ崩されていき、正常な判断力が狂わされていくのである。そして、ある政治的スローガンに対する抵抗力が低下して、あるいは同調していくのである。しかも、それが自分の頭で考えたと錯覚させられており、それだけに頑強な力を持つ。

少し齧った程度の知識ではあるが、ユングの心理学における「アニマ」論と、その弟子たちが発展させた「アニムス」論からも説明がつく。女性の心理構造として、一つの強烈なドグマをひとたび受容すると、合理的、論理的な自己批判なり自己分析が出来ずに、一直線に突っ走ってしまう傾向があること。

インド独立運動の思想的指導者だった、アラヴィンダ・ゴーシュが、あらゆる運動は、女性が動き出したとき本物になる、と喝破したが、ジェンダーフリー運動はフェミニズム運動から派生してきたものであり、そもそも女性が動いてきたものである。其の背後に、男性の扇動者がいるとしても、はじめから女性をターゲットにして行われてきたものである。

人類の半分が女性であるという事実を元に考えれば、一般女性を巻き込んだ女性運動が重大な影響力を持つことは必至である。

その意味で、もともとが革命を志向するジェンダーフリー運動の思想的洗礼を知らず知らずのうちに受けさせられている可能性が、社会的に一生懸命活動している女性であればあるほど高いことは論を待たず、おかしいと思っても個人で太刀打ちすることは難しく、沈黙させられてしまうのである。

いずれにせよ、もともと極めて政治的な偏向性を帯びた女性学という擬似学問が蔓延っている現状の上で、革命的な底意を秘めた「女系」論に対して、違和感を失わしめられていることが考えられるのである。

本来、合理的な区別であろうが、男女の区別はすべて差別であるとする、過激な男女平等原理主義をうたった女性差別撤廃条約は、アメリカなどでも批准されていないにもかかわらず、日本が不用意に批准したがために、日本の社会的な動揺が生まれているのである。

フェミニズムが男性に対する女性の権利獲得の運動であるとの一般的な見方があるが、その底にあるものは、女性に対する徹底した憎悪と敵意であることも強く指摘されている点である。

男女平等原理主義は、女性性の破壊をその中に秘めているのであって、女性のための運動では、必ずしもない。

「男系」の伝統は、女性蔑視とは何の関係もない。むしろ、日本の歴史は、他国に比して著しく女性の優位を示している。それが女性蔑視の歴史だというのは、色眼鏡をかけて見れば空は尽く赤いものだ、というに等しい愚論に過ぎない。日本最高の小説が「源氏物語」であり、それは女流文学としても世界最古であり、かつ最高のものである。平安の女房たちの気概の高さは、男たちの俗物性を見下して、誠に意気軒昂でさえある。時代の変遷はあろうが、日本の歴史での女性の活躍は相当なものであることは間違いない。

しかし、家系に関する観念においては、「男系」が当然とされてきたのは、歴史上一貫しているといってよく、その伝統の中にあって上記の女性の活躍があったことを踏まえれば、「男系」と女性蔑視は全く別の観念であることが思量されようものである。

むしろ、女性の力は「男系」継承を助けて力があった。「妹の力」への畏れは、伝統的な日本男性の観念でさえあると思われる。

それはそれとして、「男女共同参画」だから「女系」もあり、などというのは、愚の骨頂に過ぎない。そのような洗脳から、一人でも多くの女性が脱却して頂きたいものと思うのである。

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2006年1月15日 (日)

A級戦犯=曲学阿世の元凶/所功氏

「皇位継承のあり方”女性・母系天皇”は可能か」(PHP新書382 所功)が緊急出版された。氏の40年来の”恩師”だという皇學館大学教授の田中卓氏の強い勧めによるものとある。

ぱらぱらとめくって、10分後、床にたたきつけていた。腸が煮えくり返るとはこのことだ。
小泉内閣に、女系容認の悪知恵を授けたのは、この男か、と写真をにらみつけてやった。

所功氏の専門は法学であり、これまで様々な日本の伝統に関する著書を著してきたことも承知している。

氏は明確に意識しているのだ。「男系」による継承が2千年来の皇位継承の原則であったことを。そしていわゆる女系の導入が、その伝統の大転換であることを。だから、「母系」などという新語を新たにまた提出したのである。

それにしても、この本は、悪質である。

「皇統」「皇室」の定義を根本から変えようというのだ。定義を変えれば何とか形を整えることができる、そういっているに過ぎない。つまり、内実は関係ないのだ。こういう誤魔化しをあからさまに主張して恬として恥じない人種をなんといえばいいのか。

私は、氏の何十分の一も勉強はしていないだろう。眼を通すべき文献にすべて眼を通しているわけでもないと思う。しかし、勉強とか何とかいう前に、愛子様がご生誕になられた際、ある人と議論になったとき、愛子様がご即位されたとする。その次はどうするのか。配偶者たる人物との間に生まれた御子が、皇位継承をしたとしたら、「男系」の立場からすればそれは別の家系に移ることになる。そうなったとき、素直に天皇として仰げるのか、内心に問うてそれは否だ。また、国民一般の常識からしても、受け止め方は二つに分裂することになるだろう。それは「君徳」以前の問題である。「血統」の維持の問題であるからだ。皇統が男系による継承で維持されてきた以上、女系はすでに皇統ではありえず、万世一系の天皇の歴史はそこで終わるのだ。それでいいという人間は最早共に論ずるに足らない。

もちろん、ではどうするのか、皇統が絶えるのを座視せよというのか、という反論が当然帰ってくるだろう。何の努力もなく、可能性を一つ一つ潰していくしか能のないものが、忠義顔して言うのだ。占領軍に強制的に臣籍降下をさせられた旧宮家の皇籍復帰はあり得ない、と。国民感情にそぐわない、血縁としても遠すぎる、というのだ。だから、何の関係もない一般国民の子を、天皇として仰げというのか。ふざけるな、といいたい。

伏見宮家が40親等はなれるという。結構ではないか。少なくとも確実に系統をたどることが出来、しかもその間現皇統との距離が遠くならないための縁組を何度かにわたってしているのだ。そもそも今のような皇統の危機に際して儲けられた制度であり、役割なのであるから、血縁の遠さはこの際問題ではない。

「有識者」の連中が、あたかも現皇室の意を受けているかのように臭わせ、反論を封じようとしている姿勢は、それこそ自分らが否定する天皇の政治利用そのものではないか。しかも「誤解」を誘っておきながら「誤解」した方が悪い、ということになるようなやり方であり、ペテン師か詐欺師か、というやり方でしかない。

所氏の基本姿勢がわかる部分がある。この本の21ページに

「いうまでもなく憲法は「国家存立の基本的条件を定めた根本法」であり、法治国民ならばそれを遵守しなければならない。その現行憲法に、天皇は日本国・国民統合の象徴と位置づけられ、皇位は皇室の子孫が「世襲」すべきものとされている。だから我々は、その主旨に適合する法律などを用意して「世襲」の保持に努力しなければならない。」

つまり、このGHQが作成した現行憲法を全面的に容認し、その立場(つまり占領軍の立場)に立って日本を改造しなければならない、といっているのだ。

ああ、伝統尊重の仮面をかぶった占領軍の手先だったのか、と慨嘆せざるを得ない。

現行憲法は、その成立事情からしても到底日本の「根本法」足り得ないものである。しかも、憲法改正論議が愈愈政治日程に上がろうとしている今日、60年前の亡霊の如くに「占領軍」の意思をもって日本の慣習法としての根本法である皇位継承法を覆そうというのだから恐れ入る。

天皇が「象徴」足り得るのは、憲法の条文によるのではない。憲法の条文は、現代における皇位の解釈に過ぎない。皇位を日本国及び日本国民の統合の象徴と解釈するのは、現代法としての枠組みに過ぎない、しかしそれは「なぜ」を説明しないのである。なぜ皇位が「日本国及び日本国民統合の象徴」足り得るのか。その説明には、125代2666年に渡る歴史・文化・伝統の理解が必要なことは言うまでもない。憲法に「天皇」が規定されている以上、憲法はこの2666年の歴史・伝統・文化を踏まえたものであることは当然のことである。そして、「世襲」という言葉が、当然、皇統の歴史・伝統における継承法を踏まえた文言であると解釈するのが正統な解釈である。

占領軍の強圧の下につくられた憲法であっても、日本国の連続性を担保したものとしようとした先人の苦悩がそこにあるのであって、憲法の解釈には先人苦悩の跡を明瞭に汲み取っていくことが重要である。

かつまた、現在の憲法改正論議も、現在の状況の中で必要な変更ということも当然であるが、それ以上に、日本国本来の姿はどのようなものであるのか、という根底的な議論なくしてはあり得ないものである。国家契約説一辺倒の改正ならしないほうがましともいえる。

複雑な議論は必要ない。「女系」は天皇ではない。もし、そのような改変がなされるならば、私は、その「女系」が皇位を僭称することに対し、一生をかけて断固反対と糾弾の声を上げ続ける。

この議論は、女性の皇族が果たしておられる役割の大切さを否定しているのではない。そういう議論の混同を狙っての議論のすり替えを行うことは許されない。

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2006年1月12日 (木)

必読!「天皇様、その血の重みーなぜ私は女系天皇に反対なのかー」(文藝春秋2月号)

 髭の宮様として国民にも親しみのある三笠宮寛仁(ともひと)親王殿下が、皇室典範改正問題を巡って、初めて公の雑誌にご意見を述べられた。前に、福祉法人の機関誌で述べられたご意見は、私的な場なので内々に、という形で公表されたものであり、なるべく控えめに皇族の意見を世間にもれ伝わるように、というご配慮があられたように拝されるが、今回の文藝春秋でのご発表は、最早、そのような控えめな形では到底伝えることが出来ないという、危機感に立たれてのことと拝された。

 内容は多岐にわたるが、そのすべては、皇室の伝統の中核である皇位継承について、そのプリンシプル(原則)を守ることへの強い意志が漲っている。

 ここでは、皇室の伝統について、皇族の日常について、語られている。そして、「女系天皇容認、長子優先」を打ち出した「有識者会議」の報告書の問題点について、櫻井よしこ氏が、寛仁親王殿下からざっくばらんに引き出している。

 最初の話題は明治天皇についてと、昭和天皇のエピソード。
 昭和天皇の公平無私のお人柄、そして人間というものについて透徹してご存知でいらっしゃったこと。専門分野を超越してすべてをわかってしまわれておられ、誤魔化しの通じないお方であられたことなど。

 そして、皇族の役割がどのようなところにあるのか、について。

 福祉に携わられる伝統の一環として、ハンセン氏病への取り組みについてなど。皇族は「ニッチ」産業だ、とくだけていわれる。政治が手の届かないところ、気のつかないところにも、国民のために手を差し伸べる役割を務めてこられていること。

 皇族であるということが重荷であるかどうかという、突っ込んだ話もされています。

 学習院初等科の時代に、クラスメイトから「お前たちは俺たちの税金で食わせてやってるんだ」などといわれたことなどを紹介されています。

 皇族には、医療保険がない、ということ。病気になられた時は自腹を切るしかないとのこと。

 宮内庁病院は、皇族のための病院ではなく、基本的に宮内庁職員のために作った共済病院のようなものであること。皇族病棟はあるが、両陛下を想定したものであること。

 皇族の歳費は3千万程度であること。「侍女」と呼ぶ若い女性などの人件費だけで歳費の半分は飛んでしまうこと。講演料や印税がなければギリギリの生活になるだろうとのこと。

 決して多くない歳費に対して、国民からの公務や暮らしぶりについての期待は大きいこと。

 こうしたことを踏まえて、皇族という存在を突き詰めて考えたとき、「存在していることが大切」と述べられている。

「血統を守るための血のスペア」として存在価値があるのだと述べておられる。

これについて、櫻井氏が「日本文明の核」と表現し、次のように述べる。「日本は半ば神話の時代から今日まで、神武天皇の血を引く天皇を戴いてきた、万世一系、つまり男系の血筋を重んじてずっと継承してきた。その事実自体が日本民族の生成の物語なのです。その物語は、大切なものとして受けとめなければならない。」

 アメリカ人のエピソードとして、殿下の友人マイヤースさんのことを語られた。日本に来て商売を始めた人だが、派閥政治など根回しの文化や、大臣がコロコロ代わって誰と約束していいのか皆目わからなかった。そのとき、「天皇を担保と考えた」と言う。「天皇を担保と考えると、日本は絶対に変わらないのだから、自分は商売を続けられると考えた」という。振り子の原点、と殿下は語る。

 「二千六百六十五年間も続いてきた世界でも類を見ない、まことに稀有な伝統と歴史を、一年、わずか十七回、三十数時間の会議で大改革してしまうということが、果たして認められるのでしょうか。あまりに拙速にすぎませんか、ということは強く申し上げたい。」と述べられる。

 また憲法第一条に象徴と書かれてあるが、「国民にじっくり考えてもらわなくてはなりませんが、考えるだけの情報があるのかというと、必ずしもそうではない。百二十五代の天子様のうち、何方をご存知でしょうか」と、指摘されている。

 女系容認について、それは「皇室の伝統を破壊するような女系天皇」という厳しい表現をなされておられる。
 「皇室の伝統を破壊するような女系天皇という結論をひねり出さなくても、皇統を絶やさない方法はあると思うのです。たとえば、継体天皇、後花園天皇、それから光格天皇のお三方は、それぞれ十親等、八親等、七親等という、もはや親戚とは言えないような遠い傍系から天皇となられています。光格天皇の場合は、前の天皇の内親王さまのところに婿入りされて、内親王様は皇后になられている。そんなに古い時代のことではありません。光格天皇という方は孝明天皇のお祖父様ですから、明治天皇から見ると曽祖父様で、我々からもすごく近いところにいらっしゃる方です。
 また、宇多天皇という方は一度、臣籍降下なさって、臣下でいらっしゃった間にお子様も儲けられているのに、その後、皇室に適格者がいなくなったのか、皇族に復帰されて、皇太子になられ、天皇に即位されています。お子様も一緒に皇族になられて、その後、醍醐天皇になられています。
こういった事実はいくつもあり、選択肢もたくさんあることをメディアはもっと発表すべきです。そうすることで国民が事実をよく理解し、選択肢の中のどれかをやってみて、それでもどうしようもなくなった時、初めて女性、女系の議論に入るという方法もあるではないですか。「有識者会議」では、そういった議論をしていなかったように思います。」

 ちなみに、有識者会議は歴史や伝統は無視するということを方針としていた。座長の吉川弘之元東大総長は「歴史観や国家観で案を作ったのではない」と公言している、という。
 また、櫻井氏は、「報告書の中で非常に面白いのは、今、皇族のうち男系男子が五人いらっしゃるとして、出生率が1.29である、男女半々で生まれるとすると子の世代には男系男子は3.32人、孫の世代には2.08人、曾孫の世代では1.34人と急速な減少が見込まれる、などと、すべて計算で理屈付けを行っているのです。吉川座長はロボット工学の権威で、まさにその発想を天皇家の問題にも適用しているのですが、人間も歴史も、ロボットのように計算どおりにはいきません。」と指摘し、

 「歴史観や国家観がないだけでなく、倣岸不遜でもあります。殿下が「ざ・とど」に書かれたエッセイについて新聞記者から質問を受けた吉川座長は、「どうということはない」と答えています。この無礼さは何なのでしょう。」と、批判する。

 そして、櫻井氏の次の指摘は、この問題に真向かう国民の姿勢について、極めて大きな示唆に富んでいるといえよう。

「過去の日本においては、男系のお世継ぎが眼の前にいない時、先人たちは大変な苦労と工夫をして、女系をとらずに男系の継承をつないできました。殿下がおっしゃったように、十親等も離れていれば、赤の他人かもしれませんが、あえてそれでいい、それでも男系を守ることが大事なんだと考えた。その祖先の心というものを大切にしなくてはいけないと思います。」

 続く

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「女性の方」に誤解して欲しくないこと。〜「女系」容認は女性尊重と何の関係もなく、「男系継承」は女性蔑視と何の関係もないということ。〜

1、「女系」天皇の反対は、女性蔑視でも女性軽視でもないこと。女性が仕事を持つことへの反対でもなければ、女性が管理職になること、もっと言えば女性が首相になることへの反対でもありません。

2、「女系」と「長子優先」がセットになると、一切の原則が無くなります。「男系」はもちろん、「女系」でも皇統をたどることは不可能になり、皇統の内実は失われることになります。反天皇制論者ならいざ知らず、皇室を大切に思う大多数の国民にとって、それは耐え難いことです。

3、古事記・日本書紀の記述によれば、皇統の原点は「天照大御神」という女神に到ります。「太古女性は太陽だった」という有名な言葉の背景に「天照大御神」という太陽の女神があったと思われます。「男系」の皇統をたどれば、天照大御神に行き着くことを考えれば「男系継承」は女性蔑視と何の関係もないことがわかります。むしろ天照大御神を始祖と仰ぐ皇室を尊重することは女性尊重の原点ともいえます。

4、8人10代の女帝(推古、皇極/斉明、持統、元明、元正、孝謙/称徳、明正、後桜町)の歴史をつぶさに省みたとき、多くの女帝の方々が如何に男系継承のために尽くされたかが解ります。

 ここでは直近の後桜町天皇の御事跡をみてみます。
 先帝であられる桃園天皇が22歳の若さで崩御され2皇子は未だに5歳と3歳に過ぎず、先々代の桜町天皇の皇女で21歳になられていた智子内親王が、中継ぎ役として即位されました。これが第117代後桜町天皇です。
 女帝は在位7年の後、明和5年に11歳になられた英仁親王を皇太子に立て、2年後の明和7年に女帝31歳の時に譲位あらせられました。ところが在位9年目にして、後桃園天皇が22歳の若さで崩御されてしまい、生まれたばかりの欣子内親王殿下しかおられず、通常の形での継嗣は不可能になりました。
 天皇崩御の前々日、後桜町上皇は閑院宮家の9歳になれたばかりの祐宮様を「ご養子」(猶子)にする勅許を得、また欣子内親王を入内立后するようにされたのでした。更に、74歳で崩御されるまで、光格天皇の君徳養成の為に一方ならぬご配慮をなされたのでした。「日本史上最後の女帝は、譲位の後にも皇位継承の危機を救い、また朝権再興の中核となる光格天皇を育てあげた、まさに”国母”のような存在であったといえよう」(「皇位継承」文春新書)と評されるとおりのお方であられたと存じます。
 光格天皇からは今上天皇まで(光格、仁孝、孝明、明治、大正、昭和、今上)父子相承にて皇位継承はなされてきております。
 後桜町天皇の御事跡を省みるだけでも、皇位継承のことを軽々しく改変することなど、出来はしないことと、国民として気付かねばならないと思います。

5、何よりも、皇室の伝統のことについて何も知らない人たちが、国民の知らないところで、国民の叡智の結集もせず、当事者であられる皇室の方々のお声も無視して、2千有余年の伝統を勝手に変えようとする姿勢は、ニヒリストかヴァンダリストかと思います。世界中の物笑いの種になり、日本人の国際的な信頼は一気に底を突くことになるでしょう。下品な日本人ではなく日本人は下品だ、ということになり、日本人はものの価値もわからない最低の民族だ、ということになりましょう。

6、正統性の修復不可能の分裂が起こります。「女系」天皇は「男系」で見れば全く別の家系であり、すでに「皇統」ではありません。片や、「男系」の皇統に属する方がおわすわけですから、「天皇」位の権威は著しく低下することになります。そして、「女系」でも正統というグループと、「男系」でなければ「天皇」とは認められない、というグループに国論は二分し、収拾のつけようのない事態に陥ります。日本中を戦乱に陥れた「南北朝」の再現さえありうると言えるでしょう。国民統合の象徴としての「天皇」はなくなり、国柄は根底から崩壊させられることになるでしょう。革命派、共和制派などの暗躍もなされ、混乱の収拾には膨大な犠牲を覚悟しなければなりません。「女系」容認がどれほどのリスクを持つか、少し想像力を働かせれば誰にでもわかることだと思います。

以上、思いつくところで書きましたが、反天皇主義者はいざ知らず、ふつうの常識を持った女性の方々で、もしか気付かない方がいれば残念なことと思い書きました。

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2006年1月11日 (水)

「長子優先」説に隠された罠 〜もし皇室典範がこのまま改正されれば、愛子様に施される「帝王学」は「ジェンダーフリー教育」になる!〜(皇室典範に関する有識者会議報告書 批判 その3)

「有識者」会議の面々が、如何にして「愛子様」を「皇位」につけるか、頭を悩ました点が、「男子優先」か「長子優先」かについての理屈付けであった。言うまでもなく「長子優先」と決まれば、自動的に「愛子様」は皇位継承順位2位となり、次に「皇長男子」が生まれても、継承順位は変わらず、この時点で近代皇室史上初の「女帝」誕生は確定することになる。

 もちろん、そこに留まらず、この”原則”は「女系」を確実にする「皇統断絶」の謀略でもあるのだが、その点はひとまず措いておくとしよう。

 悪知恵に長けた「有識者」らは、このために考えた。理屈付けに何が有効であろうか。そして一つの罠をしかけたのである。それが「ご養育の方針が早い段階で定まる」という理屈だ。これが”「帝王学」は早ければ早いほどよい”と俗受けを狙ったキワモノの論理であることは、すでに文藝春秋2月号の「天皇さま、その血の重み」の中で明快に否定されている。念のため、該当部分を引用しておく。

「(櫻井)ところで、拙速であっても、今、女系天皇容認という結論を急いで出さなくてはならないという根拠の一つとして、天皇になる方の帝王学は三歳くらいから始めなくてはならないと言う人もいます。」

「(寛仁親王)それもナンセンスです。たとえば先帝様(昭和天皇のこと/引用者註)のように、幼い頃からご学友が決められ、東宮御所に御学問所が建てられるといった時代には、帝王学というものがあったかもしれません。とくに先帝様の場合、東郷平八郎を総裁として、杉浦重剛が倫理学をご進講されるとか、錚々錚たる方たちが教育にあたられたわけですから、それは帝王学と言っていい。しかし、今の皇太子様からは、まったく私と変わらない教育を受けてこられたわけです。学習院で一般の生徒に交じり、一般の生徒と同じ授業を受けられてきたのですから。したがって、お父様やお母様の背中を見て、あるいはお祖父様やお祖母様の背中を見ながらお育ちになることが、結果として帝王学になるということであり、それならば、とくに焦る必要はないと思いますが・・・。」

 これでも「有識者」会議の報告書をベースに法案作成を急いでいる内閣府官僚は「長子優先」を主張するつもりだろうか。寛仁親王殿下が述べられていることは「事実」であり、特に際立った政治的主張ではない。しかし、事実に基づいた明快なご判断であり、国民の多くも十分に納得の行く話ではないか。もちろん、現状の「一般の生徒と同じ授業」のみで良いかどうかは疑問ではあるが、皇族としての心得そのものが当然に「帝王学」に繋がっていくものであるとは、当然に思量されることである。

 有識者らは、「ご養育の方針」というオブラートに包んだ言い方を用いることによって、反対するであろう保守派に対して、「帝王学」は早いほうが良い、という錯覚を起こさせ、更に言えば、所謂「三歳児神話」説(註)に否定的なふつうの国民の心理の間隙を突いて、「ご養育の方針」は早い方がよい、と同調を誘おうとしたものと考えられる。

 しかし、考えてみれば、この「報告書」のベースは内閣府の官僚が作文していることは間違いなく、男女共同参画の牙城である内閣府の官僚たちが「三歳児神話」説を知らないわけはなく、明確な誘導の意図を持って国民を欺瞞しようとしたと容易に想像がつく。

 これは、相当に念の入った悪意である。

 更に、ここからは憶測になるが、「ご養育の方針」が決められるとして、所謂「帝王学」について、「女性天皇」たるための「帝王学」として、新たに「ジェンダー学」が必要であり、「ジェンダーフリー教育」がなされなければならない、という屁理屈がつけられたとしたらどうなるであろうか。
 考えたくもないことではあるが、「愛子様」に対して「ジェンダーフリー」思想による「洗脳」が行われる可能性が高まるのである。あまりにも当然のことながら、「女性天皇のための特別な帝王学」などと言う触れ込みで、「ジェンダー学」の専門家と称するフェミニストの毒手が宮中を跋扈することになる。
 そんなおぞましいことまでなりかねない。もちろんフェミニスト官僚たちはすでにそこまで想定して着々と謀略を練っているに違いない。

(註:「三歳児神話」/三つ子の魂百まで、ということわざに現れているように乳幼児期から数え年三歳位までは母親が子供を見るべきだという伝統的な子育ての考え方を、厚生省が白書で「科学的根拠がない」として否定したことをさす)

以下参考「有識者会議報告書」該当部分

続きを読む "「長子優先」説に隠された罠 〜もし皇室典範がこのまま改正されれば、愛子様に施される「帝王学」は「ジェンダーフリー教育」になる!〜(皇室典範に関する有識者会議報告書 批判 その3)"

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2006年1月10日 (火)

<女系>と<女性>の違いが判れば・・・

成城大学の専任講師で「天皇家の財布」の著者でもある森暢平氏が、月刊現代2月号に「皇統維持どころか天皇制の危機を招く「皇室典範改正」最大のパラドックス」という一文を書いている。

この一文の興味深い点は、大学の授業で学生相手に「女系」天皇について、学生がどれだけ理解しているかを実際に試した点である。

「40分間、新聞熟読のあと、「<女性天皇>と<女系天皇>の区別がわからない人は」と挙手を求めたところ、約4割が手を挙げた。記事を読んだ後でも、愛子内親王が即位できるかどうか、と問題を矮小化して理解する学生がクスなくなかった。」

と報告している。「女性天皇」と「女系天皇」が全く異質であるということに、少なくとも意識的に考えることを求められた学生でさえ4割も理解できていないということは大きな問題であると思われる。

森氏が「皇室典範改正論のポイントは、<女性天皇>ではなく、<女系天皇>の是非である。大学生ならずとも、この点を理解できないと、事の本質はわからない」と指摘しているが、まさにその通りであろう。

そして、授業の中では、メディアリテラシー論的に、様々な情報を与えて学生の反応を追っていた。その詳細は記事を見て頂きたいと思うが、結論として、次の点は重要だと思われる。

「授業での反応を見た限り、<女系天皇>と<女性天皇>の違いを深く理解すればするほど、女系反対が多くなる。逆に、あまり興味がなく問題点の意味を深く考えない学生は、「別に女系天皇でもいいじゃない」という答えが多かった。」

また、世論調査の分析でも「やはり、<女系>と<女性>の違いが理解されれば、<女系>への否定的な考えが強くなる傾向にある。」としている。

森氏の立場は明確ではないが、この調査と分析は参考にすることができる。

私も身の回りに居る人に、「女性天皇」と「”女系”天皇」の違いについて尋ねると、大多数の人が判らない、と答える。5分で澄むので、と説明をすると、なるほど、そうだったのか、確かに問題あるね、とパッと認識が変わる。

とにかく、この重大問題に対して無関心で居られるやつは信用しない、と心定めて、積極的に議論を吹っかけていくのだ。大多数の人は、皇室は大切だ、と思っている。しかし、深い知識を持っているわけではない。そこで、愛子様でもいいじゃないか、という感情論に流されやすいのだ。

押えるべき点は最低以下の3点です。

1、10代8方の歴史上に存在した女帝は、すべて男系女子であったこと。また、中継ぎ的な役割であり、男系男子の皇統を維持してきたこと。
2、何度かの皇統の危機の際にも必ず傍系から男系の血を入れて一系を維持したこと。
3、女系は、王朝交替とみなされ、2000年の伝統の廃絶を意味すること。

この3つを適確に説明できれば、女系が問題であることは判る。決して難しい話ではなく、ちょっと考えれば誰にでも判ることに過ぎないが、皇室の役割についてあまり知らず知らないがゆえに関心も薄い中にあっては、下手をすると「どうでもいいこと」と思われてしまうかもしれない、というのが話している中での危惧であり、やはり皇室がどれほど大切なものであるのかを、改めて訴えていくしかない、ということになる。

いずれにしても、「女系」と「女性」の違いを明確に理解することは、国民の、あるいは、選良であるべきところの国会議員が、理解しておかなければならないポイントであることは間違いない。

櫻井氏が文藝春秋2月号で指摘しているように「女系天皇を認め、長子を優先するという報告書の方針は、GHQでさえ手を付けなかった皇室のお血筋、本質論に手を突っ込むことを意味します。もし、報告書の通りにことが進めば、殿下のご心配のように、日本の皇室は消滅してしまううかもしれません。その場合、日本はどうなるのか。日本民族を日本民族たらしめてきた精神文明の核とも言える皇室がなくなれば、私たちは無国籍の民のような、どこの誰ともわからない民族になりかねない。」のである。

これほどの重大問題に、無知無関心で居ることは、許されないのではないか。

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いざ子ども 馬に鞍置け 九重の 御階の桜 散らぬその間に(平野国臣)

文藝春秋2月号に、三笠宮寛仁親王殿下へのインタビュー記事「独占会見 天皇さま その血の重み―なぜ私は女系天皇に反対なのか」聞き手、櫻井よし子、が掲載されました。

早速購入して拝読させて頂きました。議論は皇族の役割、現実になさっておられるお仕事、余りにも少ない歳費のこと、皇室存在の意味、皇統をつないできた歴史、と多岐に渡っています。もちろん話題の中心は、「女系」問題で、「女系天皇は日本国の終わりの始まり」という見出しにもあるように、強烈な危機感が伝わって参ります。

問題の多い有識者会議について、櫻井氏が「日本に軸足を置いた方というのがどれくらいいらしたかははなはだ疑問です」と述べられているのを受けて、殿下が次のように述べられています。

「会議の構成について私が口を挟むわけにはいきませんが、二千六百六十五年間も続いてきた世界でも類を見ない、まことに稀有な伝統と歴史を、一年、わずか十七回、三十数時間の会議で大改革してしまうということが果たしてみとめられるのでしょうか、あまりに拙速にすぎまんせんか、ということは強く申し上げたい。」

横道にそれますが、「拙速」ということについては、月刊現代1月号において「「天皇と民主主義」という対談で、保阪正康氏が繰り返し述べています。この対談自体は、相手の原武史氏が「私は別に天皇制の護持論者ではありません」と述べているように、如何にして皇室をお守りするか、という問題意識を持たない冷笑的なものであって、違和感と憤りを誘われたものでしたが、保阪氏が「皇室問題はそんな短兵急な問題ではない」と述べているように、「拙速」という点についての認識は一致しています。

ここで二つのことが確認できるわけです。

第一に、有識者会議は人選から始まってその議論の内容に到るまで、極めて不適切かつ不十分であったという点。
第二に、あまりにも拙速すぎるという点。

拙速ということでは、昨年11月24日に「報告書」が提出された一週間後の12月1日には内閣官房準備室が設置され、今年の通常国会に改正案を提出する予定で作業が進められているという点です。何でこんなに急ぐのか。全く理由が示されないまま、内閣府が暴走を続けているわけです。

1月5日の朝日新聞は次のように報じました。

「政府が今月から始まる通常国会に提出する皇室典範改正案の概要が明らかになった。小泉首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」がまとめた報告書を踏襲し、「女性・女系天皇」を認め、天皇直系の「第1子優先」で皇位を継承する。複数の政府関係者によると、改正案には、成立後、直ちに皇室に適用するとの規定が盛り込まれる。現状では敬宮愛子さまが父親の皇太子さまに次いで皇位継承順位2位になる。

 政府は改正案を3月中旬にも国会に提出する。これまで男系男子に限定してきた皇位継承資格を、「女性天皇」や、その血筋を引いた「女系天皇」にも拡大。天皇直系で、最初に生まれた「第1子」を優先する。女性天皇は歴代8人存在するが、女系天皇は過去に例がない。

 「皇籍離脱制度」を改め、女性皇族は結婚後も皇室にとどまる。皇族以外の男性も女性皇族との結婚で皇族入りする。「皇后」「皇太子妃」に相当する男性皇族の呼称を新たに定める。政府は「皇配(こうはい)」「皇婿(こうせい)」など複数の案を検討している。

 このほか、皇室に対する政府の経費負担について、原則として女性皇族は男性の半額と定めた皇室経済法を改正、男女同額に改める。 」

事は憲法改正、いやそれ以上の重大な問題であるにも拘らず、これほどのスピードで「法案化」が進められている点それ自体に著しい違和感を感じざるを得ません。

冒頭に掲げた歌は、幕末の志士、平野国臣が詠んだ歌です。ざっくばらんに意訳をすれば以下の通りです。

「馬の準備をせよ!天子様の一大事だ!間に合うように急げ!」

まさにこの通り。通常国会は2月には開会されます。すぐにも上程される可能性があります。

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2006年1月 9日 (月)

あらためて益なき事は、あらためぬをよしとするなり

あらためて益なき事は、あらためぬをよしとするなり

徒然草の第百二十七段は、この一文だけが記されている。

文章は、必ずしも長ければよいというものではない。徒然草も、短い一文だけの段に印象深い言葉が多い。

小泉内閣が強行しようとしている、「皇室典範」の”改正”は、改めて益なき事であり、あらためぬをよしとするほかはない。アメリカの大統領選挙のやり方も、国を二つに割って大変なエネルギーを費やし多大な弊害もあるが、みだりに改めないのは、国家の中心に関わる問題は軽々に手をつけると「パンドラの箱」を開けたような恐るべきことになりかねないということを、ギリシャ・ローマ以来の政治学の伝統の叡智の上に、感じ取っているからに違いない。

昨年の暮れから、大正時代について勉強してみようと思い、手ごろなテキストになるものを考えて手に取った本として児島襄氏の「平和の失速〜大正時代とシベリア出兵〜」(全8巻)があり、現在3巻まで読了し、4巻目を読んでいるところだが、第一次世界大戦が長引く中、ロシアに二月革命が勃発したところまで読んできた。革命派のボルシェビキは、ロマノフ帝政を打倒したが、当事者たちにとっても思いがけない政体の転覆だった。ロシアの専制君主体制は、それ自体として批判の俎上に上げられることは当然のことだったかもしれないが、その後のレーニンからスターリンに到る粛清の嵐や革命と戦争の輸出による悲惨を考えれば、帝政ロシアの方が遥かにましではなかっただろうか。

もちろん、日本の天皇は、ロマノフ王朝とは違う。また、現存するイギリス、オランダ、スウェーデン、スペインなどの王政の国々とも違う。明治維新から近代国家の建設は、天皇の存在なくしては考えられない。また、敗戦から戦後復興の歩みの中で、天皇が如何に国家の安定軸となったか、計り知れないものがある。

歴史の長さでも、少なくとも1500年以上の歴史を持ち、その源は遠く神話の時代に霞むほど古い。文句なく世界最古の王朝であることは間違いない。長い歴史と伝統の中で、国家の安泰と国民の繁栄を祈ってきたことでも一貫している。政治的中枢であるばかりでなく、文化的な中枢でもあり続けてこられたのが日本の皇室である。

一時代の風潮や、気まぐれな世論が、手を触れてよいものではない。もし検討を要するのだとすれば、まさに国民の叡智を結集して、慎重に取り扱わなければならないだろう。

今国会に改正案を上程するなどというのは、拙速というよりも国民が知らない間にやってしまおうという悪意さえ垣間見えるものだ。

恐るべきことに、共産、社民党は、「天皇制」の廃絶に繋がるこの改正を、今か遅しと待ち焦がれている。旧社会党系の議員も多い民主党も容認する構えだ。公明党は明確な推進派である。つまり、自民党がこの改正案を国家にに提出することを了承してしまえば、事は終わってしまうのである。それほどに事態は切迫している。

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2005年12月22日 (木)

皇室典範に関する有識者会議報告書 批判 その2

前回は、新聞発表されたもので「全文」を見て、率直に気付いた点をランダムに批判した。
今回もその域を出ないものではあるが、官邸のホームページで公開された報告書を見ると、新聞に載っていない資料も多くあった。

それにしても、冒頭にある「基本的な用語の説明」からして、極めてずさん、意図的な歪曲が加えられていると思わざるを得ないものである。

「皇統」の説明は「歴代の天皇からつながる血統のこと」とシラっと流している。

こんな一言で済ませられるほど、「皇統」は「軽い」ものなのだろうか!?驚くべき貧困さである。

文科系の人間としては、これではとても「皇統」について、しみじみとした実感を感じ取ることはできない。

そもそも皇室典範は「皇位継承法」が中心の「家法」である。「皇統」の護持が当然のことながら決定的に重い内容である。その「皇統」に関するこの貧寒な説明は、まず、「報告書」の貧困さを暗示して余りある。

そして、極めて不十分な説明でもあろう。「皇統」は「歴代の天皇からつながる血統のこと」では、そもそも「皇統」の淵源はどこにあるのか、ということの十分な説明になっていない。はっきり言えば、「天祖はじめて基をひらき、日神ながく統を伝給ふ」(神皇正統記 天)ということになる。第1代天皇の即位以前の神話時代を、無視してはそもそも「皇統」の説明は出来ない。また、「歴代天皇の血統」ということで言えば、臣籍降下した皇別の家系はそれこそ膨大なものになる。極端な話、この説明だけで言えば、日本国民全体が「皇統」に連なる、ということになる。そしてそれは事実でもあるのだが、このような理解は「皇統」という言葉の理解としては端的に誤っているといわざるを得ない。
最も重要な定義からして、このざまででは、後は推して知るべし、ということになる。

「皇族」「皇籍離脱」にしても言いたいことは山ほどあるが、「男系・女系」の説明の段では、早くも、「女系容認」というよりも「女系願望」とでも言い得るような書きざまになっているのである。

天皇(男子)―――女子A(男系女子)===男子C(女系男子)===男子G(女系男子)
         |              ‖
         |              ‖=女子D(女系女子)===男子H(女系男子)         |
         |
         |―男子B(男系男子)―――女子E(男系女子)===男子T(女系男子)
                         |
                         |―男子F(男系男子)―――女子J(男系女子)
                                        |
                                        |― 男子K(男系男子)

この図を見れば、この「用語の説明」をつくった人間(官僚か?)が、如何に「男系」を貶めたいと思っているか、一目瞭然であろう。「男女平等」という言葉さえ「女男平等」と言い換えなければ気の済まない、「ジェンダーフリー」原理主義者でなければ、このような書き方は出て来ないだろう。この書き方から伺われるのは、一段目に記されたとおり、男系女子から女系男子、そして女系男子に受け継ぐというコースへの願望であるが、「男系」の視点からすればそれは、「皇統」とは別の「男系」に移行する事態を意味することは、一目瞭然である。この図を作成したものが、最も忌避したいケースが、次々と下段に追いやられていく「男系男子」による継承であると見てよいだろう。

このような悪意が冒頭から撒き散らされた「報告書」が、いい結果を生み出すはずがない。この図を冒頭に掲げている以上、この会議に参画した「有識者」の面々は、無知のゆえに断罪されるのではなく、悪意ゆえに断罪されなければならない。

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2005年12月16日 (金)

皇室典範改正問題・・・意味不明の櫻田論文

今日(12/16)の産経新聞正論欄に、桜田淳氏が書いていた。

共感するところもあるが、いかがなものかと思われた。

「熱い議論に相応しからぬ皇位問題」という題にあるように、確かに、個々の国民が、軽々しく論うべき問題ではない。謙抑であることは美徳でもあるだろう。

しかし、氏は「有識者会議」答申を、「公論」に一応の形を付与したものと評価されるべきであろう、と評価する一方、噴出している批判的な議論に対して、「熱い議論」の対象とするに相応しいものであるか、と上記の視点を持ち出して批判するのである。

続いて氏が指摘しているように、「有識者会議」答申の意味は、「次の次の次」の皇位継承についてのことであり、今後数十年という年月を経て後のことである。であるから、「早晩、皇統が断絶するという議論」は「仰々しい」のだと批判するのである。

しかし、ちょっと待ってほしい。数十年もの後のことなのだ、というが、まさにその事を、今の時点で決めてしまおうというのが「有識者会議」の答申ではないのか。法改正が成立してしまえば、それが何十年後であろうが、その通りになるというのが成文法というものの性質ではないのか。一度確定した法は、それが如何に破壊的な極悪な法であってもそれを利用しようとする輩がいる限り、「合法的」に害悪を流し続けるかは、「男女共同参画社会基本法」にみるとおりである。

氏は、この文章を見る限り、特にこの問題に関する定見はないらしい。論じること自体が「畏れ多い」という。その感覚は大切であり、この感覚を感じることのないものには、まず論じる資格がないのだと思う。

その点において「有識者会議」答申に対して、批判を加えている論者の多くは、その感覚を桜田氏に勝るとも劣らず把持しているものと思われる。

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2005年11月29日 (火)

「皇室典範に関する有識者会議」報告書・批判 その1

 皇位の正統性は、第一義的に、神武天皇から皇統連綿と受け継がれたその事実にある。それは一点の疑いも入れることは出来ない。そして、それこそが最重要問題であり、全ての議論は、この皇位の正統性とその永続を如何に守るか、であって、それ以外ではない。

 皇位を巡る様々な諸要素は、神話的要素ももちろんあり、封建的な世襲という中世武家などの家督相続的な要素も色濃くあるであろう。様々な要素の上に、国民の総意というようなものも、憲法にそうかかれているからというのではなく、昭和天皇が終戦のご聖断を下されたとき国民を信頼されたその一点に基づくものであり、これは一つ伝統の要素が新たに美しい形で歴史に出現したとはいえるものである。

 さて、歴史上に存在した女性天皇、つまり女帝であるが、これも男系の女帝であって、それ以外の例が皆無なことは報告書も認めざるを得ない。であるから、皇統を”女系”に開くことが、「伝統」に反することも認めている。

 ところが、有識者らは、ここで「伝統」という言葉を概念操作している。「伝統とは、必ずしも普遍のものではなく、各時代において選択されたものが伝統として残り、またそのような選択の積み重ねにより新たな伝統が生まれるという面がある」と述べているが、「伝統」に関する極めて薄っぺらで、弛緩した、怠惰な認識でしかない。

 小林秀雄氏が、「伝統」という一文において、最も意識的に集中して見出さなければ「伝統」は存在しないに等しい、そして「慣習」はその逆で無意識の内に最もよく現れるものだと述べたことがある。イギリスの保守主義の理論から言っても、コモン・ローは、見出すものであり、得手勝手に作り出していいものではない。一言でいうなら、この「有識者」らの「伝統」観は、極めて貧弱であり、端的に間違っているということができる。日本の伝統の中核である、皇室の、更に重要事項である皇位継承に関する議論する基礎的な知識さえない、非「有識者」であることが、この一文からでも読み取ることが出来る。

「有識者」らは、報告書において、如何にして、これまでの”伝統”を否定し、男系継承を相対化し、断ち切るかに意を注いでいる。

「男系継承維持の条件」として続けて論じている記述は、言葉自体が極めて下品であり、その点だけでも許しがたいものがある。「血統に基づいて継承」などと、いう表現は、皇位継承を、犬の血統書と同次元で捕らえているとしかいえない許しがたい無礼である。

 そして、歴代天皇の半数近くが非嫡出子である、と表現している。しかし、宮中における婚姻制度が現代と全く異なる近代以前の例において「嫡出」「非嫡出」という言葉は不適切であり、不確かでさえある。こうした、現代の観念的な用語でしか語ることの出来ない報告書は、それだけでもトータルファクトたる真実をつかみ出す能力の欠如をしめすものである。古代においては、兄弟間における継承が頻発した例もある。しかし、「伝統」とは、錯雑紛糾した歴史の事実の矛盾錯綜の中から、一筋の不易なる本質を見出す営為そのもののことであり、「有識者」らには、そのような片鱗さえも見出すことが出来ない。彼らは事実に触れることも出来ず、ただ、自らが架空の観念を操り、その架空なる観念そ操作することによって、事実そのものに触れている錯覚をしているに過ぎず、積極的に自らを欺いている、ともいえる。

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「母なる天皇」に現れた女性天皇・女系天皇について

数年前に翻訳出版された、ヘブライ大学教授のベン・アミン・シロニーが書いた「母なる天皇」という本がある。

「皇室典範に関する有識者会議」の報告書の結論と、奇妙な一致点が見られた。

それは、最終章のところで、側室制度と、宮家が廃絶された今、象徴天皇制を将来にわたって守るためには、皇位継承権の範囲を、女性・女系にまで広げなければならない、と述べている点である。

シロニー博士には「天皇陛下の経済学」など、社会学的な興味深い一般書が幾つか翻訳されている。イスラエルという極めて特殊な国家に所属し、極めて独特な歴史を背負ったユダヤ人という民族・宗教集団の一員という人物である。決して日本に対して、悪意を持っているわけではないことは、信頼してよいと思われる。

しかし、やはり、日本の歴史・伝統・文化からは、最も遠いところに位置する文明圏に属する人物であり、氏の該博な知識を以ってしても、やはりネイティブ日本人にはどうしても鼻に付く大きな感覚のズレがあることは否めない。

聖徳太子を単に蘇我氏の一族と言って見たりするのはその例であろう。確かに、聖徳太子の生母は蘇我氏の出であり、当時の天皇家を蘇我氏一族が婚姻政策によって血統的に極めて近く擦り寄っていたことも事実ではあるが、だからといって、聖徳太子を蘇我氏の一族だ、と何の衒いもなく記述するその感覚は、断じて日本人のものではありえない。

逆に、日本人からすれば、それほどまでに蘇我氏が天皇家に容喙していたのか、と改めて事の深刻さに気付かされる契機とはなるので、遠く海外の別の文明圏に属する学者が、同じ事実を見ても全く違う見え方をしていることにいちいち目くじらを立てても仕方ない。

ただし、それが、現代の皇室が、国家にとってほとんど意義ある存在でない、と言うに到っては言語道断であり、そのような臆断に基づく提案も、極めて無意味かつ無礼なものでしかない。

「有識者」諸氏は、あるいは、この「母なる天皇」という著作も参考にしたのかも知れぬ。

しかし、それは、何が何でも「女性・女系天皇」の容認を結論付けるための、材料でしかないだろう。

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2005年11月 4日 (金)

三笠宮寛仁親王殿下のエッセー要旨

読売新聞に掲載された、エッセーの要旨です。

宮様のご文章をこのような形で転載させて戴くことは誠に恐縮至極ではありますが、新聞各社の報道では、各社の思惑やスタンスによって、つまみ食いが生じ、全体として殿下のお述べになられようとされたことがややもすれば歪曲されるのではないかとの懸念を感じましたので、敢えてアップさせて戴きます。

以下、本文

世間では、「女帝問題」がかまびすしいので私の意見を、「ともさんのひとり言」として聞いて頂きます。本来は首相傘下の審議会に諮られていますので政治問題であり口出しできないのですが、本会報は市販されておらず、”身内”の小冊子と理解し「プライヴェート」に語るという体裁を取ります。

論点は二つです。一つは二六六五年間の世界に類を見ない我が国固有の歴史と伝統を平成の御世でいとも簡単に変更して良いのかどうかです。

万世一系、一二五代の天子様の皇統が貴重な理由は、神話の時代の初代・神武天皇から連綿として一度の例外も無く、「男系」で今上陛下まで続いて来ているという厳然たる事実です。生物学的に言うと、高崎経済大学の八木秀次助教授の論文を借りれば、神武天皇のY1染色体が継続して現在の皇室全員に繋がっているという事でもあります。

 歴史上八名一〇方(御二人が二度践祚されている)の、「女帝」がおられましたが、全員在世中、独身又は寡婦(未亡人)でいらして、配偶者を求められておられませんので、「男系」が守られ、「女系」には至っていない訳です。

 二つ目は、現在のままでは、確かに”男子”が居なくなりますが、皇室典範改正をして、歴史上現実にあった幾つかの方法論をまず取り上げてみる事だと思います。順不同ですが、

1, 臣籍降下された元皇族の皇籍復帰。

2, 現在の女性皇族(内親王)に養子を取る事が出来る様に定め、その方に皇位継承権を与える。(差し当たり内廷皇族と直宮のみに留める)

3, 元皇族に、廃絶になった宮家(例=秩父宮・高松宮)の祭祀を継承して頂き再興する。(将来の常陸宮家もこの範疇に入る)

4, として、嘗ての様に、「側室」を置くという手もあります。国内外共に今の世相からは少々難しいかと思います。

 余談ですが、明治・大正両天皇共に、「御側室」との間のお子様です。「継続は力なり」と言いますが、古代より国民が、「万世一系の天子様」の存在を大切にして来てくれた歴史上の事実とその伝統があるが故に、現在でも大多数の人々は、「日本国の中心」「最も古い家系」「日本人の原型」として、一人一人が何かしら”体感”し、「天子様」を明解な形であれ、否とに拘らず、敬って下さっているのだと思います。

 陛下や皇太子様は、御自分達の家系の事ですから御自身で、発言される事はお出来になりませんから、民主主義の世の中であるならば、国民一人一人が、我が国を形成する、「民草」の一員として、二六六五年の歴史と伝統に対しきちんと意見を持ち発言をして戴かなければ、いつの日か、「天皇」はいらないという議論に迄発展するでしょう。

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三笠宮寛仁親王殿下の皇室典範改正問題に関するエッセーを報じる新聞記事の比較について

■東京新聞

女系天皇容認論を懸念

三笠宮寛仁さま 会報のコラムに私見

 三笠宮寛仁さま(59)が従来の男系の皇位継承を支持し、女系天皇容認論に疑問をはさむ文章を、自身が会長を務める福祉団体の会報に掲載されていたことが分かった。
 皇室典範に関する有識者会議は、女性・女系天皇を容認した最終報告を月内にもまとめる予定。天皇や皇族は憲法上、国政に関与できないとされるだけに、有識者会議では皇族から意見を聞いておらず、文章は今後論議を呼びそうだ。
 三笠宮さまは、福祉団体「柏朋会」が九月末に発行した「ざ・とど(寛仁さまの愛称)」と題された冊子に、「とどのおしゃべり」というコラムを執筆。文中で「プライヴェート」と断った上で皇室典範の改正に触れ、「世界に類を見ない我が国固有の歴史と伝統を平成の御世で簡単に変更しても良いのか」「神武天皇から例外なく『男系』で今上陛下まで続いて来ているという厳然たる事実」などと記し、男系男子継承の維持を唱えた。
 さらに一九四七(昭和二十二)年に皇籍を離脱した旧皇族の復帰、女性皇族に旧皇族から養子をもらうこと、宮家が途絶えた秩父宮や高松宮の祭祀(さいし)をつぎ宮家を再興すること、などの意見も表明している。
 その上で、典範改正問題について「日本国という『国体』の変更に向かう事になりますし、いつの日か天皇はいらないという議論に発展するでしょう」と述べ、天皇制存続が危ぶまれる事態につながる懸念を表した。

■サンスポ

三笠宮さま女系天皇容認に異論…団体会報のコラムに私見

三笠宮寛仁さま=写真=が、自身が会長を務める福祉団体の会報のコラムで、皇位継承資格について、男系維持を主張し、女性天皇の子に皇位を継がせる女系天皇の容認に異論を示す文章を掲載されていたことが3日、分かった。

首相の私的諮問機関である皇室典範に関する有識者会議は、女性、女系天皇を容認する方針を決め、11月末をめどに最終報告をとりまとめる。

寛仁さまは「“身内”の小冊子と理解し“プライベート”に語る」として私見をつづられている。まず皇位の歴史に触れ「2665年間の世界に類を見ないわが国固有の歴史と伝統を平成の御世でいとも簡単に変更して良いのかどうか」とし「万世一系の皇統が貴重な理由は神武天皇から一度の例外も無く『男系』で今上陛下まで続いて来ているという厳然たる事実」と主張されている。

■朝日新聞  2005年11月03日22時38分

寛仁さま、女系天皇に異論 「ひとり言」と随筆
 三笠宮寛仁さま(59)が、女性・女系天皇を容認することについて、異議を唱える趣旨の随筆を自ら会長を務める福祉団体「柏朋会」の機関誌に寄稿していたことがわかった。小泉首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」(吉川弘之座長)は、最終報告に向けて女系・女性天皇を容認する方針を固めており、この方向性に疑問を唱える形となった。皇室典範論議について、皇族の肉声が明らかになったのは初めて。

 憲法上、天皇や皇族は政治的発言ができないとして、「身内の小冊子でのプライベートなひとり言」と断りながらも「世界に類を見ない我が国固有の歴史と伝統を平成の御世(みよ)でいとも簡単に変更して良いのか」と問いかけている。

 「近況雑感」と題された随筆は「皇統が貴重な理由は、神話の時代から連綿として一度の例外も無く、『男系』で今上陛下迄(まで)続いているという厳然たる事実」と指摘。さらに「古代より国民が『万世一系の天子様』の存在を大切にして来てくれた歴史上の事実とその伝統があるが故に、現在でも大多数の人々は、『日本国の中心』『最も古い家系』『日本人の原型』として、敬って下さっている」と述べたうえで、皇位継承の男系主義を崩すと「いつの日か、『天皇』はいらないという議論に迄発展する」と危機感をにじませている。


 有識者会議の吉川座長は記者会見で、皇族の意見聴取は念頭にないと表明しており、仮に意見が明らかになったとしても「議論に影響はない」としていた。


■読売新聞  2005年11月3日3時0分
三笠宮寛仁さま、女性天皇容認に疑問…会報にエッセー
 三笠宮寛仁さま(59)が、自身が会長を務める福祉団体の会報で「女性天皇」に触れ、「歴史と伝統を平成の御世(みよ)でいとも簡単に変更して良いのか」と、疑問を投げかけられていることがわかった。

 皇籍を離脱した元皇族の復帰や、元皇族を女性皇族の養子として皇位継承権を与えるなどの方法により、男系継承を守るべきだとの考えを示されている。小泉首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」は女性・女系天皇の容認を打ち出し、最終報告書の取りまとめに入ったが、この問題について皇族が考えを明らかにしたのは初めて。

 寛仁さまの意見が掲載されているのは、福祉団体「柏朋(はくほう)会」の会報。寛仁さまは「とどのおしゃべり―近況雑感」という題でエッセーを連載しており、その最新号で「政治問題で口出し出来ないのですが、会報は市販されておらず“身内”の小冊子と理解し『プライヴェート』に語るという体裁を取ります」と断って「女帝問題」を論じられている。

 寛仁さまはまず、「万世一系、一二五代の天子様の皇統が貴重な理由は、神話の時代の初代・神武天皇から連綿として一度の例外も無く、『男系』で続いて来ているという厳然たる事実」と強調。〈1〉皇籍離脱した元皇族の皇統復帰〈2〉女性皇族(内親王)に元皇族(男系)から養子を取れるようにし、その方に皇位継承権を与える〈3〉廃絶になった秩父宮や高松宮の祭祀(さいし)を元皇族に継承してもらい、宮家を再興する――などの方法を挙げられている。

 その上で、「陛下や皇太子様は、御自分達の家系の事ですから御自身で、発言される事はお出来になりません」とし、「国民一人一人が、我が国を形成する『民草』の一員として、二六六五年の歴史と伝統に対しきちんと意見を持ち発言をして戴(いただ)かなければ、いつの日か、『天皇』はいらないという議論に迄(まで)発展するでしょう」と結ばれている。

 天皇や皇族は憲法上、政治的な権能を有しておらず、有識者会議はその意見聴取をしていない。


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民草の祈り 〜三笠宮寛仁親王殿下のエッセーを拝して 〜

今日の新聞に掲載された三笠宮寛仁親王殿下のエッセー要旨を拝して、誠に恐れ多いことと、思わず胸迫るものがありました。

「九重の悩む御心思ほへば手に取る屠蘇も飲み得ざるなり」

吉田松陰の歌ですが、御心を休め奉らんことこそ、民草の尽きせぬ願いであります。このような議論を親王殿下にご発言賜ること自体、本当に申し訳ないことであります。

すめろぎにつかへまつれる民草と生れにし幸をしみじみ思ふ

すめろぎのしらしめしたるこの国に民とし生きむことぞ嬉しき

御民我れ生けるしるしあり天地の栄ゆるときにあへらく思へば(古歌)

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2005年10月27日 (木)

「女系」天皇容認の皇室典範改正に、断固反対します

首相官邸への意見送付

以下の意見を送りました。

「女系」天皇容認の皇室典範改正に、断固反対します

このたび政府の「皇室典範に関する有識者会議」が女性天皇、女系天皇を容認する方向で、最終報告書を取りまとめるとの報道がなされています。

事実であるなら、2600年にわたる日本の歴史上、重大な国体の変更を加えようとするものであり、断じて許されるものではありません。

敗戦後、皇統を断とうとした、米国を中心とする占領軍の思惑を、独立回復後もそのまま放置し、皇室のあり方について、おざなりにしてきたことがすべての原因であり、本来、占領軍の行った干渉、例えば、皇族の強制的な臣籍降下などを、本来あるべき姿に戻す努力もせずにきた政治の責任はきわめて重大であります。

あまつさえ、自らの責任を頬かむりし、女系天皇が、実質的な王朝交替であり、万世一系の皇統の断絶を意味することは明らかであるにも拘らず、それを推進しようということは、重大な結果を招来するものであると憂慮せざるを得ません。

明治に皇室典範が成立した際、皇室典範は明治憲法の外に並立するものとして存在しました。それは、皇室の伝統と文化の近代における集大成である明治皇室典範に、一時の政務をつかさどるに過ぎない政府が容喙するようなことがあってはならないという、当時の為政者の叡智のしからしめるところであったと思います。

敗戦後、占領軍から押し付けられた憲法の下、皇室典範はこの性格を根本から改変せしめられてしまいました。これは、異常な事態であり、このような状況は、独立回復後、すぐに軌道修正されるべきものであったにもかかわらず、その責任を歴代政府が放置した結果、このような重大な問題に関して、天皇陛下も、皇族の方々も、その会議にご臨席にさえなれないという、おかしなことになってしまっています。

皇位の神聖性を犯すことは、日本の歴史・文化・伝統に対する反逆であり、そのようなことを日本の政府は決してなしてはなりません。

女性天皇は、中継ぎの存在として歴史上存在しました。しかし、皇室の歴史を踏まえ、その総括として生まれた明治皇室典範において、女性天皇は本来の姿ではないとして退けられたわけです。単なる風潮としての世論調査のみによって、しかも、女性天皇と女系天皇の重大な違いについての区別もなく行われた世論調査を根拠とすることは、なんら根拠になるものでもありません。

「女系」とは詭弁に過ぎず、別の「男系」への移行とみなされる危険性が濃厚であり、この一点において、断じて許すことはできません。

皇室のあり方として、宮家の復興など、打つべき手は幾らでもあります。また、財政の負担という点についても、現在の皇室への献上についてのきわめて厳しい制限を行っている皇室経済法などを改正することによって、改善が可能であろうと思われます。

どうか、日本を滅ぼさないで下さい。草莽の微臣の心からなる願いであります。

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