教育

2011年4月25日 (月)

Atomic Bomb Health Benefits  (原爆の健康効果)

低線量率放射線が健康にプラスになるという研究論文を発表し、臨床の場でも成果を上げている稲博士の講演内容が話題を呼んでいます。

福島原発事故の風評被害を抑制するためにも、是非多くの人々に見て頂きたいと思います。

福島原発事故の医学的科学的真実: 稲 恭宏博士 緊急特別講演 1

稲 恭宏(いな・やすひろ)博士
東京大学 大学院 医学系研究科
病因・病理学/免疫学 専攻 博士課程修了。博士(医学)。
東京大学医学博士で病因・病理学、免疫学者。
『低線量率放射線療法』の発見確立者で、
放射線の医学的科学的真実を証明した世界的権威の医学英文論文多数。

(YOU TUBE より)

さて、この低線量率放射線が健康に良いという事実は、ホルミック現象として研究者の間では常識に近いことなのだそうです。

下記の論文はアメリカのミズーリ大学のラッキー教授が発表したものです。



ATOMIC BOMB HEALTH BENEFITS


健康に良い放射線量は年間100ミリシーベルトまで、ということだそうです。


放射線に関する正しい知識を世界的に広めて頂きたいものですね。


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2010年11月 3日 (水)

地方版「人権擁護(弾圧)法」=「広島市子ども条例」の制定を阻止しよう!

 昨日、「広島市子ども条例」制定を推進しようと叫ぶ弁護士らの市民団体が広島市議会に早期制定の請願書を提出した。「この条例で一人でも子どもを救えればそれでいい」とうそぶく弁護士のしたり顔がテレビに映っていた。いじめをする側の一人の子供が「人権」の名のもとに守られ、いじめられる百人の子供が犠牲になる、という事態が有り得るという全体像を語らない手法はフェアではない。

 この条例制定に向けて血道を開ける「広島市こども未来局」は、10月広島市各所で「説明会」を開催。市側のサクラと思しき動員された人々が各会場多数を占め、「こんな条例を二十年待っていた」などという礼賛の意見を挙げていた。礼賛論は抽象的であるが、反対論はきわめて具体的で、学校の生徒指導を受け持っている教師が、学校現場の実情を切々と訴え、こんな条例が出来たら、今でさえ厳しい生徒指導が不可能になる、と悲鳴を上げた。それに対して、「子どもの権利を教えれば大丈夫」などと、未来局は回答をしたが、こんなふざけた回答しか出せないのである。教育現場のことなど知らぬ顔だ。この担当者は、この4月に就任してばら色のことしか聞かされていないのであろう。

 抽象論と奇麗事で塗りつぶされた「広島市子ども条例」素案は、奇麗事が好きな人々に歓迎されるかもしれない。しかし、そのウラでどれほどの犠牲が出るのか、計り知れないものがある。


 広島市こども未来局の説明の中で、この条例制定の狙いは子供観を変革する次の3点だと明言した。

1、子供を「保護の客体」とする従来の子供観を転換して、子供を「権利行使の主体」とする。

2、大人と子供は、対等な権利行使の主体である、とする。

3、子供の意見を、行政に反映させるシステムを構築する。


正に唖然とさせられる内容である。

「児童の権利条約」の理念にも真っ向から対立するものである。市は条例の条文のつまみ食いをして特定のイデオロギーによって再構築しようとしているとしか思えない。

子供は保護されるべき存在であるとする考えを、市は真っ向から否定した。これは家族の解体を急速に促進する考え方である。子供は社会全体で育てる、という考え方を正面から打ち出したが、家庭と地域社会の衰退の代替措置を名目として、社会主義・共産主義的な、或いはナチズムにも繋がる考え方であり施策なのだ。


大人と対等な権利行使の主体。自己決定権という言葉。これにより、家庭・学校を問わず教育は全く不可能となる。


そして、子供の意見を行政に反映させるシステム化に至っては、子供を出しにた革命思想である。

強調しておかなければならないのは、こども未来局は「健全育成」という考え方を否定していることである。

「健全育成」という言葉は、大人の価値観を押し付けるものである、と否定的である。大人の価値観を押し付けることのどこがいけないのか。「大人の価値観」を、思い込みのエゴイスティックな、つまり、大人になりきれていない人々の独り善がりなものと位置づけ(そのような印象操作をしていた)、それを否定する。

しかし、「大人の価値観」とは、社会的に普遍的な公徳心や、価値観念であって、個々人の得て勝手なものを指す言葉ではない。リベラルな価値相対主義のイデオロギーに毒されていると全ての価値に中立でなければならないという脅迫観念が働くのかもしれないが、そのようなもので社会が成り立つはずがないのである。

一つの価値体系を押し付けることは必要なのである。それを受け入れるにせよ、反発するにせよ、それなくして子供は寄る辺を失うほかはない。そしてその価値体系は決して共通の価値観念、共同体に普遍的に通用する価値観念であるべきであろう。

広島市こども未来局の課員の方々には、サンデル博士の「これから「正義」の話をしよう」でも読んでみられたらいかがか、と思う。


この条例に致命的に欠けているのは、教育哲学である。

教育とは本来、歴史的・伝統的に受け継いできた祖先伝来の価値観を次世代に受け伝える機能が極めて重要であり、それを柱として徳性を喚起し、社会性を身につけさせるべきところである。知識の伝達はその次である。

礼儀作法など、永く伝えられてきたものには理に適った事が多い。しかし、それは子供には理解できない様々な配慮などが積み重ねられているものである。その場合には、理解できなくとも先ずはそれを身につけさせるということが必要な場合は間々ある。それを一々説明して納得させなければならないとしたら世の大多数の大人は途方にくれるしかない。いらぬストレスが増えれば虐待も増える可能性がある。また、説明できないからとて教えないとなればネグレクトも増えるであろう。


子供にとっても親にとっても有害無益なのが「広島市子ども条例」なのである。


担当者自らが、自分を変革しようと日々苦闘していると言っていた。


全ての大人の頭の中を変革しようというのが狙いなのだ。こんな全体主義的な、ビックブラザー的なことを行政が理想主義的な情熱を持って推し進めようとしている。こんな恐ろしいことはない。


数学者の藤原正彦氏が、「祖国とは国語」の中で、大人と子供は対等でない、頭ごなしの押し付けが教育には必要であり、それが自分を作った、親に感謝している、と述べている。


子供をダメにする条例は絶対につくらせてはならない。


こども未来企画課  庶務係 (082-504-2812)  企画係 (082-504-2813)

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2009年8月18日 (火)

8月6日 田母神俊雄氏講演会in広島 「ヒロシマの平和」を疑う!~広島発、真の平和メッセージ~」 その3

8月6日 田母神俊雄氏講演会in広島 「ヒロシマの平和」を疑う!~広島発、真の平和メッセージ~」 その3

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2009年8月17日 (月)

8月6日 田母神俊雄氏講演会in広島 「ヒロシマの平和」を疑う!~広島発、真の平和メッセージ~」 その2

8月6日 田母神俊雄氏講演会in広島 「ヒロシマの平和」を疑う!~広島発、真の平和メッセージ~」 その2


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8月6日 田母神俊雄氏講演会in広島 「ヒロシマの平和」を疑う!~広島発、真の平和メッセージ~」 その1

8月6日 田母神俊雄氏講演会in広島 「ヒロシマの平和」を疑う!~広島発、真の平和メッセージ~」 その1

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マニフェスト対決!自民か民主か、政策選択を言うならこれを見てから考えよう!

自民・民主「マニフェスト」研究 前半

民主党の「マニフェスト」に載っていない、「民主党政策集INDEX2009」の中の政策


自民・民主「マニフェスト」研究 後半

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2008年12月 8日 (月)

クリスマス、大晦日、お正月

 クリスマスの飾りをする家が、お正月の飾りをする家の数を追い抜いたというニュースを聞いた。

 別に、クリスチャンが増えているわけでもなかろうに。

 サンタクロースの赤いちゃんちゃんこならぬ外套を着て、寒中水泳と洒落るバカもいれば、極ミニスカ型の格好で若い女がふざけている姿もばかばかしい。真面目なクリスチャンなら目を剥きそうな、涜聖的クリスマスである。

 もちろん、もみの木を買って飾り付けをする、家庭も多いのだろう。ケーキを買って家族で食べる。

 何を祝ってのことかは知らない。少なくとも、救世主イエスの降誕を祝ってのことでないことだけは確かだ。

 この空虚な茶番の蔓延は、戦後日本の空疎さと通じている。

 などと、目くじらを立てる方が野暮天であって、そんなことを言っていたら誰からも相手にされないかもしれない。アホどもに相手にされなくても一向に構わないが、さりとて、本当に家庭団欒につながっているなら、それもキリスト様の効用と思っても良いのかもしれない。


 それはともかくとして、大晦日の除夜の鐘を聞きながら、元旦には初詣をするという、日本の神仏混交の目出度い習俗が、クリスマスに圧されて廃れてしまうというなら、それは怖い。

 日本人の中から、日本の習慣や伝統が、どんどん廃れれてしまい、意識の上にも登らなくなってしまうというのでは、最早、在日日本人、元日本人、日本人の格好をした得体の知れない人たち、ということになろう。

 芥川賞を中国人作家が取ったが、見た目は殆ど日本人と変わらない中国人や韓国人が、大挙して日本に押し寄せてきたら、今の日本人は、自分が日本人であるということを、どうやって証明するのだろうか。日本語だってよほどあちらの方が旨くあやつるかもしれない。

 チョー何とかとか、壊れた粗雑な日本語しか使えない連中が、最下層に押しやられていく姿が想像されてならない。体力だって、修羅場を潜り抜けてきた連中の方が強いに決まっている。

 自国の歴史・文化・伝統を身に付けていない人間は、侵略に抵抗することは出来ない。動物とそれほど違わないのである。事実、野生動物よりもはるかに下品な文明社会にうごめく人間群像は、何と表現してよいか分からない。

 お正月を迎える。年神様を迎える。数え年で国民がみんな一緒に一つ年を取る。

 そんな国民同胞感の溢れるお正月を回復したいものである。

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2008年9月29日 (月)

中山元文部科学大臣の、「日教組解体宣言」を断固支持する!

 言葉狩りによって、たった5日で国土交通大臣を辞職した中山元文部科学大臣。

 特に「日教組解体宣言」はには快哉を叫びたい思いだ。

 破防法すれすれの団体と言われた日教組。チュチェ思想研究会を組織内に持つなど北朝鮮との闇のつながりも指摘されている。

 中国の反日「愛国」教育と連携し、日本において中国の「愛国」(反日)教育を模倣してきた罪悪。

 権利偏重の教育によって、自分の権利がすべてに優先する狂った考え方をやわらかい子供たちの頭に注入し、社会の動脈硬化を促進。

 「いじめ」問題は、日教組に所属する教員が、非組合員の教師に対して行った、きわめて陰湿な「いじめ」を見て、子供たちが模倣したのではないか。「いじめ」は「犯罪」である。ストーカー的に執拗をきわめて、同僚教員を精神的、物理的に追い詰めたやり方は、「人民裁判」ともいえるものだ。

 日本版「教育黒書」を作成すればその大部分が日教組にまつわるものであることは間違いない。

 入っていないと何をされるかわからないという脅迫観念を、「保険」と言い換えて仕方なく加入している教員の月給から毎月何万という組合費を徴収し、搾取し、潤沢な闘争資金を使って、公務員、特に教育公務員に禁じられた政治運動に狂奔する。臨時のカンパ金を集め、地方自治体の首長や国会議員を当選させ、政治的圧力をもって文部科学省を骨抜きにする。これを「がん細胞」と表現するのはきわめて的確な比喩であるといわざるをえない。

 子供を盾にして国旗国歌反対闘争を仕掛け、校長を土下座させた国立市の事例や、校長を自殺に追い込んだ広島の事例は今なお生々しい。

 大分県の組合率が異常に高く、教育委員会自体を犯していたことは周知の事実であり、大分県では教育基本法で禁止されている教員の政治活動が当たり前のように横行していた。多かれ少なかれ、全国の都道府県市町村の教育委員会が日教組に圧迫され続けている現実は変わらないのである。

 道徳教育に反対し続けてきたこと、学力テストに反対し続けてきたこと。学力テストは教師の教育力を測るものである。勤務評定に反対し続けてきたこと。勤務時間中の組合活動。やりたい放題が放置され続けてきた。その組織と闘い続けて来た中山元文部大臣が、「日教組は癌」であるというきわめて的確な認識を示してくれたのである。

 親は、日教組批判には及び腰になる。なぜなら、自分の子供が人質にされているからだ。それでも日教組と戦わなければ、子供に何を教えられるか判らないと、がんばっている親が各地にいた。

 日教組に加入する教育公務員は漸減し、ついに30%を切ったが、負の遺産は計り知れない。

 モンスター・ペアレントといわれる権利主張の権化のような親たちも、日教組が育てたのであり、地獄の責め苦に遭う教師は、日教組の負の遺産を背負わされているといってよい。往々にして組合教員はうまく立ち回り、まじめな教員がひどい目に遭うのだ。

 中山元文部科学大臣の「日教組解体宣言」を断固支持するものである。

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中山元文部科学大臣の、「日教組解体宣言」を断固支持する!

 言葉狩りによって、たった5日で国土交通大臣を辞職した中山元文部科学大臣。

 特に「日教組解体宣言」はには快哉を叫びたい思いだ。

 破防法すれすれの団体と言われた日教組。チュチェ思想研究会を組織内に持つなど北朝鮮との闇のつながりも指摘されている。

 中国の反日「愛国」教育と連携し、日本において中国の「愛国」(反日)教育を模倣してきた罪悪。

 権利偏重の教育によって、自分の権利がすべてに優先する狂った考え方をやわらかい子供たちの頭に注入し、社会の動脈硬化を促進。

 「いじめ」問題は、日教組に所属する教員が、非組合員の教師に対して行った、きわめて陰湿な「いじめ」を見て、子供たちが模倣したのではないか。「いじめ」は「犯罪」である。ストーカー的に執拗をきわめて、同僚教員を精神的、物理的に追い詰めたやり方は、「人民裁判」ともいえるものだ。

 日本版「教育黒書」を作成すればその大部分が日教組にまつわるものであることは間違いない。

 入っていないと何をされるかわからないという脅迫観念を、「保険」と言い換えて仕方なく加入している教員の月給から毎月何万という組合費を徴収し、搾取し、潤沢な闘争資金を使って、公務員、特に教育公務員に禁じられた政治運動に狂奔する。臨時のカンパ金を集め、地方自治体の首長や国会議員を当選させ、政治的圧力をもって文部科学省を骨抜きにする。これを「がん細胞」と表現するのはきわめて的確な比喩であるといわざるをえない。

 子供を盾にして国旗国歌反対闘争を仕掛け、校長を土下座させた国立市の事例や、校長を自殺に追い込んだ広島の事例は今なお生々しい。

 大分県の組合率が異常に高く、教育委員会自体を犯していたことは周知の事実であり、大分県では教育基本法で禁止されている教員の政治活動が当たり前のように横行していた。多かれ少なかれ、全国の都道府県市町村の教育委員会が日教組に圧迫され続けている現実は変わらないのである。

 道徳教育に反対し続けてきたこと、学力テストに反対し続けてきたこと。学力テストは教師の教育力を測るものである。勤務評定に反対し続けてきたこと。勤務時間中の組合活動。やりたい放題が放置され続けてきた。その組織と闘い続けて来た中山元文部大臣が、「日教組は癌」であるというきわめて的確な認識を示してくれたのである。

 親は、日教組批判には及び腰になる。なぜなら、自分の子供が人質にされているからだ。それでも日教組と戦わなければ、子供に何を教えられるか判らないと、がんばっている親が各地にいた。

 日教組に加入する教育公務員は漸減し、ついに30%を切ったが、負の遺産は計り知れない。

 モンスター・ペアレントといわれる権利主張の権化のような親たちも、日教組が育てたのであり、地獄の責め苦に遭う教師は、日教組の負の遺産を背負わされているといってよい。往々にして組合教員はうまく立ち回り、まじめな教員がひどい目に遭うのだ。

 中山元文部科学大臣の「日教組解体宣言」を断固支持するものである。

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2008年8月13日 (水)

テレビに殺される子育て文化

 この間、子育て中の女性を含むミーティングがあり、アフターのお茶の席で何気なく聞いていた話。

 「崖の上のポニョ」がよかったという話をする中で、

 「最近、子供がビデオ飽きちゃって、見せても静かにしていてくれないのよ」

 「それビデオにならないのかしら」

 この女性は、その日初めて知った人で、特に背景を知っているわけではないが、なんとなく違和感を感じた。

 子育てを、テレビ(ビデオ)に任せているのだ。テレビを見て静かにしていれば「いい子」だという認識を持っているわけだが、その場にいたほかの同じような立場にいるお母さんたちも別にそれが当たり前という風で、気にも留めていない。


 ところが、これが大きな落とし穴で、それは奈落の底までつながっているような、深い暗黒の闇なのである。

 それを教えてくれたがの、この本、



 「一に抱っこ二に抱っこ三、四がなくて五に笑顔」

 この題名からして気に入っているのだが、帯に次のように書いていある。

 「子育てに意外な落とし穴・・・

  テレビに子守をさせていませんか?

 ・からだが育たない  ・言葉の力が育たない  ・五感が育たない  ・そして脳にも異変が・・・・・・

 ●2歳までのテレビ、ビデオ視聴は控えましょう
 ●授乳中、食事中のテレビ、ビデオの視聴はやめましょう
 ●メディアを上手に利用するルールをつくりましょう       」

 この本は、本当に読みやすいです。2時間もあれば全部読めます。10代、20代のこれから子育てをするお父さん、お母さんに是非とも読んでもらいたいです。これ一冊あれば、基本的な心構えは全て出来ます。是非買って読んでください。


 子育てに失敗すると、人生が台無しになります。

 子供の人生も、親の人生も大変です。

 いえ、本当は、失敗なんてないんです。

 どんなに苦労しても、結局、親と子が向き合うための勉強。

 それが出来るまで、何度でもトライ・アンド・エラーなんです。

 テレビに親子の時間を奪われてはいませんか?

 ちなみに、私はもう5年以上、家からテレビを追放しています。

 私の父親は、テレビ漬けといってよいほど、朝から晩までテレビをつけっぱなしの人でした。

 話をしたくても、すぐにテレビに逃げてしまう人でした。

 それは非常に悲しいことです。

 テレビなんて無くても生きていけます。ケータイも、パソコンも、インターネットも、昔は何もなかったけど、今よりはるかに子供は元気に育ちました。親子の関係もよかったです。

母親はいつまでも息子の弱点でありましたし、父親は尊敬の対象でした。

 一体いつから、親子の絆はほころびてしまったのか?

 テレビに魂を奪われたころから、かもしれません。

 でも、ちょっとした工夫で、テレビをつけない日を毎週一日つくるだけで、取り戻せるのですよ。

 もっとも大切な絆、親子の絆、命の絆。

 
 今日、電車から降りて、中学生か高校生位の男の子と女の子が私の前を歩いていました。男の子はゲーム機を覗いて何か操作しています。女の子は、そんな男の子を見もしないで、時折携帯を覗き込んだりしてはあさっての方を向いています。一緒に歩いていなければ、全然関係のない二人に見えます。

 一体、この二人に、何か「絆」は生まれるのだろうか。

 生まれたときからテレビ漬け。言葉を覚えたのも、色々な刺激も、みんな扁平な画面から教えてもらった。

 だから、言葉も風景も、何もかもが、扁平なのだ。嫌ならいつでもチャンネルを変えられる、消すことだって出来る。

 だけど、実際の世の中は、そんなもんじゃない。好きな人といつも一緒にいられるとは限らない。嫌なやつと一緒に何かをしなければならないことだってしょっちゅうだ。人をかえることは出来ない。消すなんてとんでもない。

 そんな当たり前のことが、わからなくなっちゃったから、変な事件を起こすのだろう。

 昔、日本は、子供の楽園だった。

 今は、煉獄ではないか。なぜそんなことになったのか。

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