ことばとこころ

2008年8月12日 (火)

戦後否定された戦前までの日本の中に、未来があったのではないか、という作業仮説

 昔から、日本民族は「胎教」を大切にしてきた。

 ところが、戦争に負けて、「胎教」など迷信だ、ということになって、欧米流の子育て論がはやった。

 子供がおかしくなってきた。

 原因はわからない。色々な議論だけがむなしく繰り返されるだけだ。母親はおろおろするばかり、果ては生まれてきた赤ちゃんを次々と殺してしまうという陰惨な事件までおきた。つい最近のことだ。

 欧米では、「胎教」が大切だと、気がついた。

 でも日本では、欧米では遅れた「科学的」な知識の毒がなかなか抜けない。

 欧米から教えてもらうまでもなく、「胎教」はずっと日本の子育ての基本だった。それでうまくいっていたのだ。

 戦前否定の思い込みが、そういう記憶を思い出す邪魔をしているのかもしれない。

 親が変われば子供が変わる。

 親と子供は、目に見えない深い絆で結ばれている。

 「愛」という絆で結ばれている。

 それを、断ち切るようなまねはしないで欲しい。

 世界でもっとも大切な宝が、昔の日本にはあった。

 それを取り戻すことが出来れば、「未来」が開けるのではないだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月16日 (月)

言葉のまやかし

 聖書ヨハネ伝は、「はじめに言葉あり、言葉は神なりき、よろずのものこれによりてなり、これによらでならざるはなし」という文句から始まっています。

 ゲーテは、「ファウスト」の中で、この「言葉」というところを、色々に思い巡らすファウスト博士の姿が描かれていますが、それはさておき、ここで私が強調したいのは、「き」の一言です。

 日本語訳の聖書は、やはり文語体のものが一番リズムもあってよいと思われます。翻訳につきものの正確であるか否かという面はありますが、旧約聖書はヘブライ語、新約聖書は古代ギリシャ語がカノンだと言われているわけであり、ラテン語だろうが、ドイツ語だろうが、フランス語だろうが、英語だろうが、翻訳であることに変りはありません。勿論、語族の上では先祖と子孫のような関係にあるのでしょうが、宗教改革が、聖書の各国語訳から始まったことを考えれば、日本語訳が、日本語として格調の高い言葉で綴られることが最重要課題であることは間違いないでしょう。

 日本のキリスト教徒が、口語訳では相当に分かりにくい、調子も悪い言葉で翻訳してくれているので、これ以上、キリスト教が広まらないのは、私から言わせれば「幸いなるかな」であります。

 それはさておき、なぜ、「き」なのかといえば、過去形であるということです。

 つまり、言葉が神であったのは、過去のことだということです。

 現代は、偽りの言葉が支配する時代であり、言葉にはまやかしがあるということです。

 マルキシズムが、正に言語魔術をよく使っていました。彼らがいった「民主主義」とは、「民主集中制」のことで、「人民独裁」のことでした。「人民」とは抽象概念であり、結局は、共産党の権力者の独裁であったわけです。

 「独裁」といえば、今の共産党政府支配下の中国も独裁国家です。三権分立を正面から否定している国連安保理常任理事国は、シナ共産党政府だけでしょう。

 「多文化共生国家」「日本型移民国家」などという、言葉で語られた「1000万移民構想」は、言葉のまやかしに満ちています。

 世界中の国が、移民問題で苦悩しているのは周知のことであり、アフリカのルワンダでは、フツ族とツチ族で血で血を洗う抗争を続けていることはよく知られています。中国における東トルキスタン、チベット問題はどうなのか。今回の地震でも、少数民族は切捨てられているのではないのか。ボスニア・ヘルツェゴヴィナはどうなのか。ヨーロッパ各国は、移民政策を推進した結果どうなったのか。アメリカでさえ、ヒスパニックの流入に苦しんでいる。

 アジアでは、マレーシアが、植民地支配下にイギリスによって進められた移民政策によって、人口の3割が中国系、1割がインド系、もともとのマレー人は6割だが、経済も教育も圧倒的に中国系が強い。民族間の衝突は常にくすぶっている。インドネシアでは、人口の3%の華僑が経済の7割を握っているといわれている。
 
 提言には、ご丁寧にも「人種差別撤廃条約」の趣旨を生かした民族差別禁止法を制定して対応するらしい。

 つまり、これは、日本土人よ、移民様に文句をつけたら、罰するぞ、というものである。

 長野で、たった4000名の中国人留学生が動員されただけで、長野市は占拠状態になり、警察も彼等の暴行を見て見ぬふりをするしかなかった。

 留学生30万人計画などという形で、既に動き出しているわけであり、不法就労者はうなぎのぼりだ。

 一方において、「ゆとり教育」世代は、自分が置かれている立場に気付かず、刹那主義的に、ニートだフリーターだと甘え放題。このまま行けば、彼らは、間違いなく、日本国内において最下層民化することになる。

 親のすねかじりをしていられるのは、あと数十年の間だけで、その間に、働き口も何もかも、移民たちの手に落ちてしまうのだ。

 今朝、公園のベンチでねっころがっている7~8名の10代後半から20代前半位の男女の若いのがいた。どこでなにをしていたのか知らないが、今はまだ帰るところがあっても、これからはそうはいかなくなるのだ。そして、犯罪者予備軍となっていく。基本的に「豊かな」社会で、「人権」だ何だと甘やかされてきた彼らは、修羅場をくぐってきた移民たちに太刀打ちできるわけがない。

 イヤになれば逃げる。叱られたら辞める。そんなことを続けていて、気付いたら、最早誰からも相手にされなくなり、野垂れ死にするしかない。それもこれも、みんな社会が悪いのだと、ほざくのが落ちだ。

 真っ当な日本人も、こうしたお荷物を背負っていかなければならないのだから、大変である。


 経済界というのは、金勘定の論理だけで、女性を家庭から引きずり出して、家庭崩壊を進めた。そして少子化が進む原因を作っておいて、今度は少子化で、人口減少社会に転じたからといって、移民を進めようとする。

 場当たり的というか、目先のことしか考えていないというか、そういう意味では、刹那主義的な生き方しか出来ない若い連中と、根は一緒だということなのだろう。こんな日本に、誰がしたのか。

 今、国籍が狙われている。国籍のたががはずされて、希望すれば誰もが「日本人」を名乗れるようになる。

 すると、「日本国憲法」が適用され、「文化的最低限の生活」が保障される。食うや食わずで日本に来ても、移民申請が通り、「日本人」となれば、「生活保護」の対象となるだろう。

 「日本型」移民国家、などという言葉で騙されてはいけない。ありえない話しなのだ。日本は、移民国家ではないのだから、「日本型」というのは、これから政策を考える連中が頭の中で作り出すへ理屈に過ぎないのだ。

 日本解体のための移民国家政策、というなら、わかるし、それが実態だが、そうは言わない。だから、「言語魔術」であり、まやかしだというのだ。

 なぜ、差別がいけない、人権尊重などということが、ひたすら強調され、刷り込まれてきたのか。

 それは、この「移民」政策が実施されたときに、皮膚感覚でおかしいと感じても、それは「差別」感情ではないか、「人権」侵害ではないか、と自己規制させるためであったのだ。

 それは、いわば「精神的武装解除」といってよいだろう。

 その逆は、恐らく野放しににされるのだ。日本人がどんどん追い込まれ、虐待されることになる。

 その犠牲の上に、ごく一握りの連中が、あぶく銭を稼ぎ、世界のどこにも在る、貧困と差別と特権階級のうごめく国となるのだ。

 その頃には、もう、日本の「国体」など、完全に解体されていることだろう。

 そんな日を迎えさせることは、断じてあってはならない。

 人権擁護法案も、外国人参政権も、この移民1000万計画によって完成する、日本解体のための一里塚なのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月12日 (木)

1000万人移民計画に思ふ~日本は日本人の国だ~

 一瞬、耳を疑つた。

 今後50年間で、1000万人の移民を促進する。そのため移民庁をつくる。移民に言葉や就労の為の訓練のサービスを行ふ。

 政権与党の議員連盟が出した政策案だ。

 ネットで調べたら、2003年に、民主党の議員有志が、同じような提案をまとめてVOICEで対談してゐた。

 狂気の沙汰である。

 人口が減つたら、活力が落ちる、経済力が落ちる、だから、移民を入れて、人口を維持する、だと。

 人間を、頭数でしか考へることの出来ない、恐るべき野蛮。

 よしんば、経済力を維持できたとしやう。それを享受するのは一体誰なのか。

 100年後には4000万人人口が減るといふ試算をしているのだそうだ。

 では、50年後までに移入された1000万人は、100年後にはどれだけになるといふのだ。

 一億人の人口を維持するといふのだから、3000万人といふことか。

 やがて、純粋な日本人は少数民族となるだらう。

 そして、ネパールと同じやうに、日本人民党毛沢東主義派が、第一党となり、天皇制廃止を打ち出すのだ。

 神社などは過去の遺物として、鎮守の森は全て切り倒されるだらう。

 日本語は、劣等言語として差別され、中国語が公用語にされるのだ。

 日本女性は、中国人男性との結婚のみ許され、日本男児と中国人女性の結婚は禁止である。

 厳密な一人っ子政策が採られ、日本民族絶滅政策はかくて完遂されるのだ。

 これが、1000万人移民計画に隠れた、本当の意思である。そう断言してよい。

 裏に、中国や北朝鮮、また、解放同盟の陰がちらついている。

 なるほど、これが彼等の切り札か。全ての反日運動が、ここに収斂されているのだ。

 国籍取得要件を緩和させ、日本人の枠組みを曖昧にする。

 人権擁護法を通し、こうした動きに反対する国民の声を全て圧殺する。

 日本人愚民化政策たる、教育政策を推進する。

 日本人のアイデンティティを解体するため、歴史への攻撃、皇室への攻撃を徹底する。

 性モラルを崩壊させ、人間性崩壊を促進する。

 こうした徹底した日本民族劣化・絶滅計画をすすめるのだ。

 これが、自民党、民主党の一部議員が推進しようとしている1000万人移民計画の、本当の意図である、と直感する。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月20日 (木)

しきしまの道の師、逝く、嗚呼

「2008/03/19-19:45 夜久正雄氏死去(亜細亜大名誉教授・国文学)
 夜久 正雄氏(やく・まさお=亜細亜大名誉教授・国文学)19日午前8時56分、肺炎のため東京都武蔵野市の病院で死去、92歳。東京都出身。自宅は同市桜堤1の3の24の206。告別式は23日午前11時から三鷹市上連雀2の5の13の法専寺で。喪主は長男竹夫(たけお)氏。(了)」

 夜久正雄先生が、今日、逝去された。数へ年94歳であったという。

 実は、昨日の夜、ある会合で、「しきしまの道について」という題で90分話しをさせて頂いた。

 依頼を受けてから2ヶ月時間があったが、常に頭の片隅で考え続けているような状況で、昨日何とか話終えたところでほっと肩の荷を下ろしたような気持ちになった。この間一貫して私を導いてくれたテキストこそ、夜久正雄先生の『しきしまの道研究』であった。そのほか、『短歌のすすめ』『短歌のあゆみ』『和歌と日本文化』『万葉集その漲るいのち』『明治天皇御集』『今上天皇御歌解説』等等である。
 そしてまた、『古今集』『新古今和歌集』『神皇正統記』『古事記』『万葉集』『古事記傳』『うひ山踏み』『本居宣長』等等。挙げていけば枚挙に暇がない。

 本当に久しぶりに、「しきしまの道」といふ学びを分け入ったのである。

 その翌日、夜久先生の訃報に遭はうとは、何か、運命といつたものを感じるといったら、大袈裟になるだろうか。
生前一面識ものが、をこがましくも。

 しかし、このしきしまの道についての学びが、今まで以上に抜き差しならぬ意味を持ってきたことを感じる。

    寄道述懐
 「白雲のよそに求むな世の人のまことの道ぞしきしまの道」(明治三十七年御製)

    道
 「ひろくなり狭くなりつつ神代よりたえせぬものは敷島の道」(明治三十九年)

    道
 「いとまあらばふみわけて見よ千早ぶる神代ながらの敷島の道」(明治四十年)

    寄道述懐
 「ふむことのなどかたからむ早くより神のひらきし敷島の道」(明治四十二年)

 先生が、「敷島の道」といふ言葉をめぐつて、といふ研究ノートの中で紹介された 明治天皇の御製である。

 夜久先生は、三井甲之先生や、川出麻須美先生ら、正岡子規から、アカネ、そして人生と表現に連なる学統の流れに位置する方でもある。

 文芸に偏した「アララギ」と異なり、日本人が踏み行うべき道としての「しきしまの道」の在処を求めて、明治・大正・昭和を貫き、道を切り拓いていかれた先達である。

 「日本主義時代の古層」という研究所を昨年書店で見つけたとき、思わず「やった」と思った。それは、全てではないが、この道統についてそれなりに真面目な研究書がはじめて出た、という思いからである。更に、「日本主義的学生思想運動資料集成」といふ膨大な資料集が遂に刊行されたのである。これには本当に驚きかつ喜びが沸いてきたのである。

 「学問浪人」という言葉を冠されたことがある。

 近代の我が国の歴史の中で底流に根強く存しながら、軽佻浮薄な知識人が支配する大学やマスメディアという遊園地からは、はじき出されざるを得ない、真面目で地道な、わが民族の魂の在り処を探求する学問である。

 和歌というものが、単なる一文芸ではなく、日本人が踏み行うべき道として捉えられたときに「しきしまの道」と言うのである。

 昨日話を聞いてくれた方は十指に満たない方々であった。しかも和歌に興味のある人など殆どいなかった。この方々にどうしたら伝わるのか。結果として、しきしまの道に興味を持って頂くことが出来た。ある方からメールを頂いた。帰り道に一首作ってみようと思ったが、まだ出来なかった。また話しを聴きたい、と書いて下さっていた。

 夜久先生の御霊前に、頭を垂れつつ、「しきしまの道」の道統を守り伝へる一人たらんことをお誓い申し上げたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月10日 (木)

小学生高学年から中学生にかけての読書は人生の基礎をつくる、と思う

 産経新聞の正論で、曽野綾子さんが「何より怖いのは、子供たちが本を読まないことだ」と指摘している。

 この「怖い」という感覚は鋭い、と思う。

 自分自身、憑かれたように本を読んだ時期というのは、実は小学生から中学生にかけての時期だった。勿論他愛もないものもあったが、今読み返そうと思っても中々難しいような科学書まであった。

 司馬遼太郎が大阪のある図書館にある本を全部読んだという話がある。勿論、「話」ではあろうが、あらゆる本の背表紙を眺め、大部分の本を引っ張り出してパラパラと眺めたことがある、とするなら、自分にも体験があるとはいえる。

 知的好奇心というのか、活字の面白さというのか、自分の活字中毒の始まりは存外に早かった。

 父から何度か読書についてコメントをもらったことがある。断片的な言葉なのだが忘れられないものである。高校に入ってすぐの頃だったか、父が好きな本を買ってよいと言われたので書店で何冊も物色したが、2冊、と限定されたので、「本居宣長補記」と「孫子・呉氏・六韜・三略」の2冊にした。「本居宣長補記」は、小林秀雄という人物を知っていたための選択ではなく、とにかく昔、国学とやらをまとめあげた大変な学者に本居宣長という人がいるそうな、少し知ってみたいものだ、という程度の思いだったのだが、「本居宣長」はなく、「補記」があったのでそれにした、というまあいい加減なものだ。そのため、小林秀雄の本居宣長を読むのはかなりあとのことになった。その少し後に、山本七平氏の「小林秀雄の流儀」だっただろうか、本居宣長は補記の方が面白い、などとコメントしていたのをかじって、その面白い方なんだな、と思ったりした。いきなり、本居宣長とソクラテスの比較から入るのだが、学校では絶対にお目にかかれない取り合わせにワクワクしたものだ。

 御多分に漏れず、高校の数学で躓いて、理系の道はなくなったのだが、思春期の読書がブルーブックスなどの科学書に偏っていたせいもあって馴染みは深いものがある。

 日本史は高校までまともに勉強しなかった。大学受験は世界史だった。世界史をやると、何でせせこましく日本史などやれるか、という気にもなる。それで日本史を勉強したのは大学に入ってからしかも殆ど独学に近かった。今では日本史の素晴らしさが分かるようになったが、もう少し早い時期から勉強しておきたかった、とは思う。

 平泉澄博士の「少年日本史」が、講談社学術文庫で「物語日本史」上中下で出ているが、それが通史としての国史を実感する上で最上の手引きとなった。小林秀雄氏が、通史を書くには大歴史家の手腕が要る、という意味のことを言っていたのを思い出すが、下手なやつではどうにもならないものにしかならないのだろう。

 話があちこちしているが、読書という体験がなければ、今の自分は間違いなく存在しない。それは断言できる。

 様々なメディアは、読書の代替には決してならない。人間は「言葉」によって生きるのであり、「言葉」なくして人間足り得ない、というのが自分の持論であるが、活字離れの怖さは、人非人の増加への恐怖でもある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月24日 (日)

沖縄 ~若夏の島~

 沖縄の心を思へば胸迫り戦世の事ひたに思はゆ

 鉄の雨嵐となりて吹き荒び数多の生命奪ひしかの日々

 若夏の島を訪なふ時にしも国守らしし御霊ら偲ばゆ

 ハイビスカスの花の盛りに照りつける陽射しの遥か青き海見む

 靖国の宮に学徒の御霊をば祀りし先師忘ら得ぬかも

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年5月 1日 (火)

言葉を喪いつつある日本の若い世代

 産経新聞の4月30日付で、「大丈夫か日本語 上 意味が通じない 」という記事が掲載された。

 やはり、という思いも強いが、記事の冒頭に述べられている「ついに、ここまできたか」という言葉が胸をえぐる。

 もう、語彙力がない、というレベルではなく、更にメルトダウンしているとしかいえない。短大生が、「まごまごする、ってどういう状態?」などと真顔で聞いてくるというのである。小学校からやり直せといいたいところだが、考えて見れば、彼らは一度は小学校から中学、高校を経てきたはずなのである。

 今の学校は一体何をしているのか。

 歴史の教科書は問題になって多くの議論がなされてきたが、実は、家庭科の教科書や国語の教科書の方のダメージが実は深刻なのではないかと思われるのである。

 特に、国語の破壊は凄まじい猛威を振るっているといえる。古典がどんどん削られ、現代文も、生徒の作文が主になるという状況、自由でのびのびと書きなさい、などという。何の素養もない中で、どうやって自由に書くことが出来るというのだろう。

 言葉を舐めているとしか思えない。言っちゃ悪いが、言葉という道具は人類の歴史と共に古いものではあるが、祖先から継承してきたものである。それを断ち切って、自由になどと言っても意味を成さない。

 言葉は学ばなければ身に付かないものである。

 しかし、今の現象は、そんなレベルではないような気がする。おそらく、ゼロ歳児保育などで幼少時から母親から引き離されたことによって、最も基本的な言語の習得の機会を奪われていることによるのではなかろうか。

 勿論、若い母親の言語能力も低下の一途を辿っているという側面もあるだろう。美しい日本語を話せる女性は大変貴重な存在である。

 MOTHER TONGUE と英語でも言うように、言葉は母親から口移しで伝えられるものである。赤ちゃんは無心で母親が語りかける口元と懐かしいその声の響きを通して、言葉を覚えていくのである。

 親として、赤ちゃんが始めて言葉を発し始めたら、かつての家庭なら例外なく心から喜んで、もっといってご覧と言って、「パパ」とか「ママ」(これも問題だが)と何度も言わせただろう。話せば喜ばれるという原体験が、言語能力を飛躍的に伸ばす源であるということは、したりげな学者先生のご高説を待つまでもなく(彼らはしばしば非常識なことを言うが)当然のことだったのだ。

 既に実害が出始めている。企業でも支持をしてもきちっと的確に受け止めることの出来ないものが増えているという。「敬語が使えない」「違和感ある言葉遣い」といったレベルではないというのである。

 はっきり言うが、言葉の正確な意味において、最早、日本語が使えなくなりつつある彼らは「日本人」ではない。モドキに過ぎない。彼らの頭の中には、母国語の能力が育っていないのである。はっきり言うが、彼らが英語を学ぼうとしても、「Often」の訳語を調べさせても「しばしば」という言葉も「頻繁に」という言葉も、理解できないというのである。「よく~する」ではどうかといえば、「よく」を「good」の意味でしか認識していない学生もいるというのである。よく生きてきたものと思う。

 最近、レストランのチェーン店などでウェイトレスの女の子の言葉を聞いていてどうもぎこちないので、留学生かなと思って名札を見ても日本名であるので首を傾げることが多くなった。ちょっとしたことがわからないようなのだ。悪気はなくても、結果として大いに不愉快な思いをすることが一再ではない。

 きちんと日本語を学んでいる留学生の方がよほどきれいな日本語を話す。彼らは母国語でも高度な能力を持っていることは間違いない。これで国際間の競争にまともに戦って勝てるはずがない。せめて母国語の能力を培っておかなければ。

 幕末維新の志士たちの中で、外国語を学んだものもいたが、その時間を惜しんで実践活動に突入していったものもたくさんいた。先見の明があるとかないとかの問題ではない、選んだ道が違ったに過ぎない。彼らの母国語の能力はいうまでもなく高い水準にあったと見て間違いない。

 現在、青少年の無気力の現状は、この言語能力の著しい低下と無関係ではなかろう。言葉がつたなければ思考する力も脆弱となる。 考える力なくして将来の夢を描くことは不可能である。感覚的な刺激を求めるだけの、動物的な生活に安住することを選ぶだろう。

 言葉は魂の翼なのである。その翼を捥ぎ取ってきたものが一体何であるのか。

 如何にすれば、かの無明の魂にともし火を灯すことが出来るのか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月25日 (土)

私の母の句と歌を  ~こんな母を持って、私は幸せです~

 母から時折メールが来ます。

 今日は2通のメールが届きました。

 「合掌

  懐に孫の足入れ暖を取る      (※ふところに まごのあしいれ だんをとる)

  幸せは重きものよと孫を負う    (※しあわせは おもきものよと まごをおう)

  孫に観ゆ天使のごとき微笑みを  (※まごにみゆ てんしのごとき ほほえみを)」

 ※の読みは私がつけました。

 「善悪を越えて現す神の道、昨日も今日も明日も生きつつ。

  見えぬとも描きて観つつ真なる内なる仏尊くもかな。

  人人の心の奥に声を聴く、君よ生きよ我も生くると。  合掌」

 AUは2台で1台よりも安くなる割引制度があるので、機種変更のときにもう一台契約した分を、当時携帯を持っていなかった母にプレゼントしたのが一年前。代金はこちらもちなので、厳しい発信規制(口頭)をしていますが、その分メールのやり方を覚えて結構上手くなっています。

 写真の添付は控えてもらってますが、結構呑込みが早く使いこなしているもよう。ただし、よく置き忘れるらしいことと、充電を忘れることがあって肝心なときに連絡がつかなかったりするのが玉にキズ。それもご愛嬌。

 妹の長男のお守りを押し付けられて、この間少しこぼしていたけれど、今回の句を見て安心しました。

 母にとっては、16人目の孫になるはずですが、それでも可愛さは一入のようです。

 悠仁親王殿下と同学年になるはずなので、今から学習院大学をめざしてもらい、殿下の御側にて御守りする志を立てて貰いたい、などと勝手なことを思う伯父です。天真爛漫な妹の性格、義弟の真面目さと気さくさを受け継いでくれればよいのだが、などと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月21日 (土)

「本居宣長補記」を読み返して

 昨日、高速バスで移動する時間が往復で4時間以上あつたので、小林秀雄全集(昭和58年頃刊行)別巻1を持参しました。最新の全集ではなく、一つ前のもので、その巻を持ち出したのは特に理由があつてのことではありませんでした。

 最初に収録されてゐたのが「本居宣長補記」でした。何度も読んでいるはずなのですが、今回久しぶりに読み返して、何も読み取れていなかつたことに気付きました。

 さわりは、プラトンの第7書簡の話や、昔のエジプトの文字を発明した神様の話、ソクラテスの話などですが、主要部分は、「本居宣長」では触れなかった「眞暦考」についての話でした。

 この話、ぼやつと理解してゐたつもりだつたのですが、全く理解していなかつたことに気付きました。

 大陸から暦が入つて来る以前にも、古代人は暦を持つてゐたといふことについてなのですが、その証拠は、「暦」といふ漢字を「こよみ」と訓読みしたことで明らかだといふ訳です。

 その古代人の「暦」を、「眞暦」と宣長は言つたわけです。

 大陸から入つた暦は太陰暦で、四季の運行と月の巡りをあわせるために、閏月などが何年かに一度入るなどの特徴があります。眞暦はそのような不完全なものではなかつた、といふのです。

 絶対に狂はない暦、それが眞暦である、といふこと。

 このことの意味を、これまで良く分かつていなかつたことに気付いたのでした。

 現在使用されている太陽暦であるグレゴリウス暦も、四年に一度2月29日があるなどの調整が必要で、決して完全なものとはいえません。しかし、眞暦は狂はない、といふことはどういふことなのだらうか。

 これは、文字以前の言葉と、文字以後の言葉との関係のやうなものであることが、冒頭に何故文字以前についての話があるのか、分かります。

 自分の外にあるものとしての言葉、それが文字で綴られた言葉ですが、文字以前にあつた言葉は、全て自分の内にあるものであつた訳ですね。暦も同じだといふ事なのです。古代人は、四季の巡りと、月の巡りは別のものであるといふ事を認識してゐた、と。それを無理矢理合理的な説明をしやうとしたところに伝来の暦の様々な不具合が生じたといふ指摘はなるほどと思はれました。

 そして、古代人の認識は、現代の最新の科学にも繋がるやうなところがあるのだといふ指摘も面白いものです。

 人間の頭で捻り出した理屈などは、素直に大自然に直面してゐた古代人の認識に、到底及ばない。

 今、人間の頭でこねくり回す理屈が社会を支配しています。ジェンダーフリーや人権擁護法案などはその最たるものだと思はれます。それは言語魔術であり、中世の暗黒と少しも変はらないといつてよいのだと思はれます。

 人は誰しも古代人と同じ自己本然の姿を持つてゐるのだといふこと。そのことをよくよく考へねばならぬと思はされました。


| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年8月25日 (金)

「修身教授録」を読む~「人身享け難し」といふこと ~その4~

森先生は、更に生徒に分かりやすいように、具体的に如何に人間として生を得たことが稀有のことであるのかを生徒に自覚させるため、次のように注意を向けます。

「諸君試みに寄宿舎の庭に立つて諸君の周圍を飛翔匍匐する動物は暫く措くとしても、せめてそこらに見らるる植物の數だけでも数へてごらんなさい。恐らく諸君は正確にはその數を數へ得ないでありませう。けだしその數は諸君の幾十百倍あるか知れないからである。成程大樹の數となれば極めて少ないでせうが、もし雑草の一々を數へたとしたならば、恐らく全庭の植物の総數は本校生徒の幾十百倍をも超えることでありませう。沿んや更に動物をも勘定に入れて、その邊にゐるくも、みみず、あぶ、はへ、地蟲等迄數へたとしたならば、實に際限なきことでありませう。しかるにお互に今それ等動植物の一つとして生まれないで、此處に特に人間の一人として生まれ出たことに對して何人かその資格ありと言ひ得る者があるでせうか。牛馬犬猫蛇蛙、更にはうぢ蟲などに生まれなかつた事に對して、何か當然の理由乃至資格ありといひ得る者があるでせうか。洵に地上の生物の數は、人間のそれに比して如何程多いか實に測り難いことであります。しかもお互いにそれらの何れでもなくして、此處に人間として生まれ得た事が何ら我が力によらざる事に思ひ及べば、何人も、享け難き人身を享け得た事に對してしみじみと感謝の心が湧き出づる筈であります。」

この地上には、様々な生命体が満ち溢れています。そのなかには大樹もあれば雑草もある、馬や牛、犬や猫もいれば地蟲もいる。そうした動植物の数は、人間の何百倍にもなることは生徒にも容易に理解されます。そしてそのような動植物に生まれずに、人間として生を享けたこと、そこに当然の理由や資格があると断言できるものが生徒諸君、否人間のなかにいるであろうか、と。そして、人間として生まれ得たことに対してしみじみとした感謝の念を感じせしめるよう導いていきます。きめ細やかな指導であると思います。

しかして、「感謝の念」を持つことは中々難しいこととて、信仰薄い現代人の特性にも説き及びながら、人として生まれ得たことへの「感謝の念」の大切なことを生徒の心に刻み込んでいかれるのです。



続きを読む "「修身教授録」を読む~「人身享け難し」といふこと ~その4~"

| | コメント (0) | トラックバック (0)