恋愛

2009年4月29日 (水)

いやはやまいりました

 久し振りに、仕事も手に付かなくなるほど、恋の病にかかってしまいました。

 (こんなことを書くためのブログではないので恐縮ですが・・・)

 もう5年以上も前に知り合った人であり、今さら何をといわれてしまいそうな相手なのですが、なぜか一気に心に深く入ってしまいました。

 一度かかると、この病はなかなか治りません。それが非常に困りものです。

 病状は一進一退で、あ、もう大丈夫と思った次の瞬間に、また吹き上げてくるのですからどうにもなりません。

 自分にまだ、こんな情熱が残っていたのかと、驚いています。

  写真(うつしゑ)の君の笑(え)まひをつくづくもながめつつ思ふ君の心を

  とりつかれし如くなりけりますらをも恋の奴となりはてにけり

 索漠たる虚脱の中にいるよりも、混沌とはしていてもエネルギーに溢れる今の状態の方がよい。

 恋というものを、稔らせたことがないという前科持ちでありますが、今度こそはと心に期しています。

 

 

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2008年6月 7日 (土)

DVD批評「フレンズ」を見て

「フレンズ ポールとミシェル」 

 自分のブログだから、何を書こうが、自由だ、と開き直って、ふと見た毎日JPの記事に触発されて、書いてみる。

 なぜ、どこで、あの映画を見たのか、よく思い出せない。映画館で見たような気もするし、テレビだったような気もする。

 映画が最初で、後から、原作の翻訳「フレンズ」を文庫で読んだ。

 今覚えている台詞の一コマ一コマは、どちらかといえばそちらの方の印象だと思う。

 動物園での出会い。カマルグでの生活。大人でないために仕事も得られない中、健気に生きていこうとする二人。接触感から、一体感を得た夜。そして、ミシェルの妊娠。その子が生まれたら、どんな名前をつけるか話しをする二人。ミシェルが、「シルヴィ~~ミシェル・ポーリン」よ、という。「何それ」とポールが言うと、「あんたとあたしよ」とミシェルが答える。そんなやり取りを、不思議と覚えている。
 そして、ラストシーン。いつものようにポールが仕事に出かける朝、見送るミシェル。そして仕事先には、ポールを待ち構える父親の影。

 フランスの田舎の湿原地帯であるというカマルグという地名も、今でもよく覚えている。純粋な形で、ままごとのような愛情を育てたポールとミシェルの物語である。

 その後に、「続フレンズ」が出来て、それを見た。それは、大人へと成長した、二人の再会の歓びと、辛い現実の話しでもあったように記憶する。

 少なくとも、1人の女性を愛することへの憧憬を抱く、きっかけとはなった映画である。

 ただし、見返したことはない。30年近くも前の記憶によるだけの話だ。

 すっかり忘れていたが、たまたま記事を見て、思い出した。思い出したら、これだけのことが出てきた。忘れてはいなかったんだな。

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2006年12月10日 (日)

泰緬鉄道のロマンス

 12月7日の産経抄の記事は、時間を超えたロマンスとでも言ふべき事實を紹介されていた。

 先ずは全文を引用する。

「一念が岩をも通すというのは本当だった。4ヶ月前の小欄で、戦時中の泰緬鉄道に関係した日本兵を探すタイ人の著名ビジネスマン、ビグロム・クロマディットさん(53)のことだ。そのビクロムさんが、鉄道第9連隊第6中隊で、彼の母親を知る大塚高二さん(91)と対面したのだ。 ▼泰緬鉄道は日本軍が英蘭捕虜を酷使したことから、「死の鉄道」といわれた。ところが、ビクロムさんの母は、日本兵が本当はやさしい人々であったと息子に話していた。娘盛りだった17歳の彼女は鉄道を使って果物を売り歩いていた。 ▼彼は自らの半生記を書き進めるうち、母が接した旧日本兵に話しを聞きたいと思った。駐タイ日本大使だった太田博さんに相談すると、元大使の心に火がついた。小欄にも情報がよせられ、第9連隊の一員がもつ戦友会名簿から、ついに大塚さんを探し当てたのだ ▼先月末に来日したビクロムさんは、相模原市の大塚さんを訪ねた。当時、20代だった大塚元軍曹は「あなたの御母さんはきれいな人だった」と目を細めた。通訳をした太田元大使は、2人が「夢のようだ」と繰り返す言葉が印象的だったという ▼六十余年の時を超えて、万感胸迫る風であった。大塚さんはビルマで捕虜になり、2年間の収容所生活を送る。ビクロムさんが英蘭軍の扱いを聞くと、「日本兵のそれよりも荒っぽかったな」と笑った。ビクロムさんは半生記の日本語訳ももくろむ ▼元大使から顛末を聞いた夜、秋吉敏子のジャズ・ピアノを聴いた。フィリピンの孤島で戦った小野田寛郎少尉に捧げた曲「孤軍」だ。死と隣り合わせにいた戦場の兵は、みんな「弧軍」だっただろう。大塚軍曹の戦地での出会いは、一瞬の「夢」だったか。」

 いい話だ。60年の時を超えて通い合う交情のロマンス。一編の映画を見るような陶然とした気分にさせられた。

 どんな心の通い合いがあったのだろう。20代の青年下士官と、現地の17歳の少女には、60年の時を超えて「夢」となる、どんな出会いと交情があったのだろう。そして、敗戦という現実の中で、どのような別れをしたのだろう。

 アメリカの反日華僑系の団体らが南京の映画をつくるという。日本兵は「鬼畜」としてしか描かれない。

 一方、硫黄島の映画が、これもアメリカ発で作られ、上映される。

 大東亜戦争下の日本人のありのままの姿が、少しでも後世に伝わるように語り継いでいきたいところだ。

 誰か日本の映画監督が、この話を、日本発の淡いロマンス映画として、描いてくれないものだろうか。

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2006年4月14日 (金)

自主性尊重の美名に逃げる親たち

 この間、滅多に見ないテレビを偶々見ていた時、昨今の青少年の性の事情について、番組がやっていた。

 産婦人科医の院長先生のところに、17歳の女子高校生が相談にやってくる。20代後半の会社員という彼氏も一緒にだ。妊娠していることが分かり、親と相談してくるように言う。二度目にも彼氏と二人でやってきた。親の姿はない。親は自分のやった行動の結果なんだから、自分で責任を取りなさい。産んだ方がよい、と言ったという。しかし、産んでも育てられる自信がないと彼女は言う。当然だるう。3度目にやってきた時、堕胎することに決めたという。今度も彼氏と二人である。親の姿はない。手術の当日にも、親はやってこなかった。

 この先生は言う。「子供の自主性に任せる、という親は物分りが良いのではなく、子供から逃げているに過ぎない。」と。

 その通りだと思った。今、このような無責任な親が増えているという。

 大体、20代後半の彼氏という男性は、相手が17歳の高校生であり、もし妊娠しても産み育てることが難しいこと位分からないはずはない。女子供を守ることも出来ないこの弱弱しい男は一体何なんだと思った。昔ならば、先ず第一にこの男の責任が問われただろう。自分が親なら断じて許さない。

 ヒニンすればいい、などと安易なことを言う手合いは多い。学校の性教育もそちらの方向に向かっている。しかし、何かずれている。

 昔、岡潔博士が、女児の初潮年齢が低下する傾向があることについて、人間が獣化しているのだ、と指摘したことがある。博士が指摘した時代よりも更に低下しているし、欲望に歯止めをかける訓練さえ怠り、性の乱れなどという言葉でさえ生易しいほどの目を覆わんばかりの惨状である。

 性は神聖なものである、という考え方は嘲笑の対象でしかなく、コミュニケーションとしての性などということばが教科書にまで登場するようになっている。国を挙げて気が違っているとしか思えない。

 自主性尊重の美名。その裏で深く傷ついていく子供たち。大人の責任放棄。この悪循環。

 子供から逃げている親は、自分自身の人生にも決して真正面から向き合っていない。この延長線上に、今の悲惨な世相があるのだ。地獄への道は善意に満ち満ちている。子供たちを地獄へ突き落とすのは、善意に満ち満ちた大人たちなのだ。その偽善に隠れた冷酷な心で、それとは知らずに犯す深い深い罪が、あとどれだけ重ねられるのだろうか。 

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2006年1月12日 (木)

「女性の方」に誤解して欲しくないこと。〜「女系」容認は女性尊重と何の関係もなく、「男系継承」は女性蔑視と何の関係もないということ。〜

1、「女系」天皇の反対は、女性蔑視でも女性軽視でもないこと。女性が仕事を持つことへの反対でもなければ、女性が管理職になること、もっと言えば女性が首相になることへの反対でもありません。

2、「女系」と「長子優先」がセットになると、一切の原則が無くなります。「男系」はもちろん、「女系」でも皇統をたどることは不可能になり、皇統の内実は失われることになります。反天皇制論者ならいざ知らず、皇室を大切に思う大多数の国民にとって、それは耐え難いことです。

3、古事記・日本書紀の記述によれば、皇統の原点は「天照大御神」という女神に到ります。「太古女性は太陽だった」という有名な言葉の背景に「天照大御神」という太陽の女神があったと思われます。「男系」の皇統をたどれば、天照大御神に行き着くことを考えれば「男系継承」は女性蔑視と何の関係もないことがわかります。むしろ天照大御神を始祖と仰ぐ皇室を尊重することは女性尊重の原点ともいえます。

4、8人10代の女帝(推古、皇極/斉明、持統、元明、元正、孝謙/称徳、明正、後桜町)の歴史をつぶさに省みたとき、多くの女帝の方々が如何に男系継承のために尽くされたかが解ります。

 ここでは直近の後桜町天皇の御事跡をみてみます。
 先帝であられる桃園天皇が22歳の若さで崩御され2皇子は未だに5歳と3歳に過ぎず、先々代の桜町天皇の皇女で21歳になられていた智子内親王が、中継ぎ役として即位されました。これが第117代後桜町天皇です。
 女帝は在位7年の後、明和5年に11歳になられた英仁親王を皇太子に立て、2年後の明和7年に女帝31歳の時に譲位あらせられました。ところが在位9年目にして、後桃園天皇が22歳の若さで崩御されてしまい、生まれたばかりの欣子内親王殿下しかおられず、通常の形での継嗣は不可能になりました。
 天皇崩御の前々日、後桜町上皇は閑院宮家の9歳になれたばかりの祐宮様を「ご養子」(猶子)にする勅許を得、また欣子内親王を入内立后するようにされたのでした。更に、74歳で崩御されるまで、光格天皇の君徳養成の為に一方ならぬご配慮をなされたのでした。「日本史上最後の女帝は、譲位の後にも皇位継承の危機を救い、また朝権再興の中核となる光格天皇を育てあげた、まさに”国母”のような存在であったといえよう」(「皇位継承」文春新書)と評されるとおりのお方であられたと存じます。
 光格天皇からは今上天皇まで(光格、仁孝、孝明、明治、大正、昭和、今上)父子相承にて皇位継承はなされてきております。
 後桜町天皇の御事跡を省みるだけでも、皇位継承のことを軽々しく改変することなど、出来はしないことと、国民として気付かねばならないと思います。

5、何よりも、皇室の伝統のことについて何も知らない人たちが、国民の知らないところで、国民の叡智の結集もせず、当事者であられる皇室の方々のお声も無視して、2千有余年の伝統を勝手に変えようとする姿勢は、ニヒリストかヴァンダリストかと思います。世界中の物笑いの種になり、日本人の国際的な信頼は一気に底を突くことになるでしょう。下品な日本人ではなく日本人は下品だ、ということになり、日本人はものの価値もわからない最低の民族だ、ということになりましょう。

6、正統性の修復不可能の分裂が起こります。「女系」天皇は「男系」で見れば全く別の家系であり、すでに「皇統」ではありません。片や、「男系」の皇統に属する方がおわすわけですから、「天皇」位の権威は著しく低下することになります。そして、「女系」でも正統というグループと、「男系」でなければ「天皇」とは認められない、というグループに国論は二分し、収拾のつけようのない事態に陥ります。日本中を戦乱に陥れた「南北朝」の再現さえありうると言えるでしょう。国民統合の象徴としての「天皇」はなくなり、国柄は根底から崩壊させられることになるでしょう。革命派、共和制派などの暗躍もなされ、混乱の収拾には膨大な犠牲を覚悟しなければなりません。「女系」容認がどれほどのリスクを持つか、少し想像力を働かせれば誰にでもわかることだと思います。

以上、思いつくところで書きましたが、反天皇主義者はいざ知らず、ふつうの常識を持った女性の方々で、もしか気付かない方がいれば残念なことと思い書きました。

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2005年11月15日 (火)

映画化された「春の雪」を見ました。

映画化された「春の雪」を見ました。

映画を見ようと思って原作を引っ張り出して何気なく開いて拾い読みしたところが、蓼科が偽装自殺未遂する場面でした。あのおぞましい古証文のような約束のシーンが、映画では冒頭に描かれていました。

映画としては仕方ないのでしょうが、原作では後半まで隠されていた背景にあるエピソードが、最初からあかされてしまうというのはいかがなものかと思われました。

原作の冒頭で触れられたあの日露戦争の絵画は、やはり省略されていました。

それに替わって、二人の叔父の遺影が、日露戦争の影を浮かび上がらせる役割をしていましたが、それはそれなりに自然でもあるのですが、やはり神聖性としてはやや一段下ったように思われてなりません。

大正様式ともいえる和洋折衷の世界の猥雑な美しさとでも表現すべき中にあって、「雅」が己の本質を守るために、綾倉聡子になったのではないかとさえ思えました。

十分役にあった美しさだったと思います。

今、あらゆるタブーが打ち壊され、野蛮で即物的な恋愛しか存在せず、丈低い男女の野合しか存在しない現代という不毛の時代の、その魁の時代である大正。その中にあって、絶対のタブーを侵し、命を捨てるという行為は、血の匂いのする業火すれすれの文化の生命滾る営みであり、それこそが「雅」の姿なのだということをまざまざと示しているのではないかと思いました。

いつか、「春の雪」という名の楽曲が作られる日が来るような気がします。

古い没落した伝統の暗い淵の底からくる復讐の予感を基調低音とし、無垢の信頼から些細なずれを生じさせ、次第に大きくなる振幅、そして転換。「序、破、急」のリズムによる。

そしてこの「雅」の復讐という、「豊穣の海」の中での「序」といえる「春の雪」から、次の「奔馬」が映画化される時代もやってきて欲しいものと思います。残念ながら、今回の映画では、その導入になるエピソードは省かれてしまっていました。「春の雪」は「春の雪」だけで完結させ、「奔馬」という、現代ではまだまだ「危険」な作品への架け橋は慎重に取り除かれてしまっていました。これは、原作に対する剽窃であり、冒涜であるとも言えると思います。

「豊穣の海」はやはり四部作であり、それでなくては、輪廻転生のテーマも、単に来世で結ばれよう、幸せになろう、というような陳腐で中途半端なものに堕落せしめられてしまうでしょう。映画の最後の余計なナレーションは、まさに作品全体を陳腐化させる以外の何者でもありませんでした。

それでも、「春の雪」の映画化は、意義あるものと思われます。

映画化が可能なのは、「暁の寺」までで、おそらく「天人五衰」だけは、不可能ではないかと思われます。芸術としての言葉が最大に発揮され描き出された絶世の美女と信じる絶世の醜女を、映像ではどうにも描くことは出来ないと思われるからです。

最後の原稿を書き終えて後に、自ら割腹して命を絶ったことにより、この作品はこれからも蘇り続けることになると思われます。

僕も過去2回だけですが通読し、1回目よりも2回目により強い印象と感動を得ましたが、次に通読するときにはおそらくまた違った、より深い印象と感動を得ることが出来るという予感を持っています。

輪廻転生というテーマは、読者にとっても永遠に作品が甦り続けるという意味も込められているように思えて来ます。

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2005年5月25日 (水)

思い出すことども 続き


子供は子供なりに、真剣に考え、生きている。

大人の苦労も、狡さも知らない。

ただ、子供同士の間で、色々な関係がある。

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思い出すことども

ほろ苦い思い出というものは、誰にもあるものだろうと思うけれど、
僕も、人後に落ちず、色々とある。

中学2年の9月、2学期が始まったばかりのある日、思いを寄せていた同級生の子と、放課後一緒に町に出る機会を得た。何がきっかけだったのか、憶えていない。ただ、夏休み中に、アラン・パーカーの「小さな恋のメロディ」を読んで、そんな出会いをしてみたい、などと思っていたことは確かだ。彼女のことは、1年の頃から知っていた。一度、何かの機会に話したとき、好きな人がいるということを聞いた。2年になって同じクラスになっても、距離が縮まるわけでもなかった。

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2005年4月23日 (土)

恋愛論・徒然

恋愛論をぶつ資格は、本来ない。

何故となれば、ただの一つも、実らせたことがないからだ。

しかし、実のない山吹の花のように儚く、黄泉路に持ち越すことしか出来ないものとしても、切実に、恋ひ募る思いが、無かったのではない。

ただ、実らなかっただけである。

葉隠れの「忍ぶ恋」の説は、面白い。煙仲間というものに、自分も入れて欲しいと思うこともあるが、そこまでストイックに、知らぬ顔が出来るほど、強く出来ていない。それで、仲間には入れない。

言い古されたことだが、書き留めておくこともあながち無駄ではないと思うので書いてみる。

恋、戀  どちらも「こい」という言葉である。

「こい」とは、本来、糸し、糸しと、言う、心、と書く、
しかし、略字体になって、亦、心、になってしまったと嘆く。

恋に命をかけることが出来るのは、前者でなければ叶うまい。亦心では、心もとない。

昔の娘は、恋煩いで、病気になって、甚だしい時には死ぬことさえ出来た。

今は、はるかに複雑になってしまった。そして、遥かに、悲惨で、無残なものに成り下がってしまった。いや、そうではない。どんな荒地にも咲く花は美しい。確かにそうかもしれないが。

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2005年4月 9日 (土)

遊女幻想 性に関する論考1

以前、この問題についてまとめてみようと思って書いたメモの一部です。考えが熟すこともないようなので、アップしてみます。大方のご批判を賜れば幸い。


性に関する論考1

遊女幻想

現代日本社会の病理の根源

 日本において、性は歴史的、文化的にいかなる地位を占めてきたのであろうか。日本の歴史は社会史的に見て、幾つかの大きな転換期がある。第一は神話的古代社会から中国文明の影響を受け入れた律令国家への変換。次には律令制の崩壊・変容が進行したいわゆる平安末期から足利後期にいたる中世。そして戦国・安土桃山時代を経て迎える近世。そして幕末維新を経た近代、そして敗戦から今に至る現代である。

こうした流れの中で、性がどのように扱われてきたのかは、日本人がどのような性愛観念を抱いてきたのかという問題でもある。

女性差別をなくすという、ひとつの政治的な運動の視点から、女性差別の淵源を、売春という、性を鬻ぐ女たちの存在が、社会的・文化的に強制されたという、前提を立てて、批判的に見ていくというやり方がなされていった場合、それは歪められずにありのままの姿を現すことになるのだろうか。

現在の問題から考えを起こして行きたいと思うのだが、殆ど性交奨励教育と化している現在の過激性教育の問題は、いわば、ウーマンリブ運動による女性解放の極北として捉えられる。

野放図と化した性の氾濫の中で、性被害にあわないためにという予防的な措置であると主張されながら、それが却って性への意識づけになるということにつながっている。

鶏と卵の論になりそうだが、ことはそう簡単ではない。

単純に、あるいは善意によって、性教育を推進しなければならないと信じている知識階級の女性は多いやに見受けられる。

しかし、極めて近視眼的な対処療法的性教育がなされることによって、それが必要となる性の氾濫が一層加速化されるという事態が引き起こされる。これを単に悪循環と言えるだろうか。

性教育をしなければ、望まない妊娠や、性病罹患という最悪の結果が子供たちにもたらされると主張する。

では、一律になされる性教育は、性の氾濫という現実を前提としてなされることによって、一層その前提とされた性の氾濫という事態を普遍化するのに役立つということになるのである。

性は極めて根源的な人間の営みであり、それぞれの文化の中でさまざまに捉えられている。

女性差別が、売春という、性を売り物にするところから発すると考えた場合、売春を「悪」として捉えることになる。確かに売春が道徳的に「善」として捉えられたことはなかったかもしれない。

売春は、人類の発生と共に生まれた職業である、といわれるほど根源的な営みである。ここで食い物にされているのは、果たして女なのか。あるいは、なけなしの金を一夜の情交によって巻き上げられる男なのか。

売春婦は、社会的に底辺の身分とされたことは間違いないが、そうとばかりも言い切れないことは、社交界において上流階級へのステップになることも有り得たケースが洋の東西を問わず、実に多くの例があることからも知られる。

ことはそれほど単純には行かない。

人間にとって、性の営みとは一体どのような意味を持つものであろうか。

それは大きく二つに分けられる。一つは子孫を残すための営みである。もう一つはそれによって得られる快楽を得るための営みである。

快楽とは何か。身体と分かち難いこの人間にとっての根本的な属性は、性行為によってのみ得られるものと、それ以外のものとがあるかもしれない。

人間の基本的な本能は性欲、食欲、睡眠欲であるとされる。

人間は食べなければ生きていけない。眠らなければ生きていけない。
また性交をしなければ、次の世代を生み出すことは出来ない。しかし、こればかりは一人では出来ないことである。

遠大なテーマである。

性は、一個人の問題であると同時に、人類全体の問題でもある。

最も私的な問題であると同時に、最も公のものである。

これに向き合うに如何にすべきなのか。

これを難問題として受け取る必要もなく、生きている人がいるならば、それはある意味羨むべき存在である。と同時に、詰まらない存在である。

これを知的に捉えようとすることには、無理があるのかもしれない。

人間の心の営みの総合力が試される場であるのかもしれない。

いや、あるいは即物的な問題であるのかもしれない。

人間同士は永遠に分かり合えないという、観念。それに耐えられずに、神というものを作り出した。

しかし、神話はそのようなものではない。

神話にある、大らかな、神々の営みこそ、人間の理想ではなかろうか。

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