「核兵器の廃絶は夢物語」
田母神元航空幕僚長が8月6日広島における講演会でも述べた言葉だ。
「右派・保守派」とか、「右翼・保守」などと、「右翼」と「保守」を並べて書く論者が、この「核がなくならない7つの理由」の著者も含めて目に付く。外交官であり、いわゆるA級戦犯にされた東郷茂徳の孫に当たる東郷和彦氏が著した「戦後日本が失ったもの」の中でも、同様の言葉づかいがなされている。
「左翼・リベラル」という言い方があるので、それに対地する言い方なのかも知れないが、悪意ある印象操作、という感覚を持つのである。
時々「保守リベラル」という言い方をする人がいるので、笑ってしまうこともあるが、「保守反動」「右翼」などという言葉は明らかにある特定の印象を与えようとする意図があるであろう。
戦前においては「革新右翼」という存在が確かにあった。
「反資本主義」は左翼の専売特許ではなかったのである。
さて、前置きはさておき、「核がなくならない7つの理由」の目次を紹介したい。
序章 核テロの恐怖が米国を変えた
理由1 「恐怖の均衡」は核でしかつくれない
理由2 核があれば「大物扱い」される
理由3 「核の傘」は安くて便利な安全保障
理由4 オバマに面従腹背する核大国
理由5 絶対信用できない国が「隣」にあるから
理由6 「緩い核」×「汚い爆弾」の危機が迫る
理由7 クリーン・エネルギーを隠れ蓑にした核拡散
中々整理されていて分かりやすいものだった。
注意しておいてよいのは、著者は「核兵器廃絶」を否定しているわけではない。しかし、「情緒的に対応しているばかりでは「核なき世界」の実現などいつまでも不可能のままだ」という認識を示している。それはアメリカにおいて「ワシントン・インサイダー」の人々にインタビューしてきた結果の実感なのである。
「核兵器は本当にこの地球上からすぐにでも無くなるものなのだろうか。恐らく、答えは否である。」
と自問自答した後に、
「では、核廃絶は人類にとって未来永劫、不可能なことなのだろうか。その答えはまだよくわからない。」
と再度自問自答している。
その上で、
「だからこそ、核廃絶の意味とその手段を今、考えなければならない」
と述べているのである。
誠実の態度であると、思う。
現在の「核廃絶」論の盛り上がりは、明らかにアメリカのオバマ大統領のプラハ演説に起因している。
「現時点で言えることはただ一つ。世界最強の核大国である米国がその気にならなければ、核廃絶はいつまでたっても夢物語に過ぎないということだ」
とする著者が、プラハ演説を「画期的な出来事」と述べるのは当然であろう。
しかし、更にその「真の理由」についても冷静に次のように述べている。
「それはもちろん、個人的な信条を実現するためでも、究極的な世界平和を達成しようという理想主義でもない。21世紀の米国が直面している現実、つまり世界的な核兵器の拡散とそれに伴う「核テロ」がもたらす脅威に対抗するためである。」
ここから話をはじめていることは、「ヒロシマ」でよく見かける「ヒバクシャ」の言説とは天と地の差があることを確認できるだろう。
ただし、あとがきで著者はこのように述べている。
「(ペリー氏にとって)日本という存在は世界における核拡散に歯止めをかけられる数少ない国の一つと映っていた。にもかかわらず、日本では忘れたころに右派・保守派から核武装論が跳梁跋扈し、一方でリベラル派からは戦略なき「核廃絶論」が唱えられるばかりで、現実的な対応姿勢を見せられないでいた。」
自国については、冷静客観的な認識が鈍るものなのだろうか。
1「右派・保守派から」
2「核武装論が」
3「跳梁跋扈し」
という言葉は、頂けないし、正確でもない。
1については、具体的にどのような括りを考えているのか分かりにくい。それらの論客がいることも確かだが、左派の中にも核武装容認論者はいる。被爆者の中にも少なくない核武装論者はいるのである。また、政治的な性向のない人々の中にも「核武装」を論じる人々はけっして少なくない。一方、自分などもその一人だが、「保守派」であっても、短絡的に「核武装すべき」とは考えていない人々もいる。安易な符牒による、安易なレッテル張りに過ぎないだろう。「理由5」で詳細に論じているにも関わらず、日本人一般の反応が、インド・パキスタンやイスラエルとの連関で捉えられていないことはこの本の持つ本質的な(つまり、日本が唯一の被爆国(という誤った認識)による特権意識)誤謬を含んでいるといえるだろう。足元の見えない議論は、砂上の楼閣ではなかろうか。
2については、例えば冒頭の田母神氏の「核武装論」と言われるものは、非核三原則の「もちこませず」を削除し、ニュークリアー・シェアリングというドイツなど欧州において現実に行われている核の傘の実効性を高める方策の提唱なのであり、それほど突飛なものとは思えない。おそらく著者は、田母神氏の議論など目を通してはいないのであろう。これは現状を大きく踏み出すものとは言えない。日本の主体性が強まるだけのことである。
3については、最早、著者が批判する「感情論」的な言葉の使い方である。跳梁跋扈しているのは、むしろ「感情的な核アレルギー」であり、むしろ日本にとって危険なのはこちらの方であるにもかかわらず、このような言葉の使い方しか出来ない著者は、その程度の認識のレベルにとどまっているといえるだろう。
そうはいっても、
「(「核なき世界」の実現を阻む多くの)それらの理由を一つづつ解き明かし、それぞれに見合った対応策を丹念に探っていかなければ、この世界から核がなくなる日は決して来ないだろう。」
という言葉はその通りである。
世界の現実は圧倒的な「不可能論」であると思われる。
米国の本音も、「核廃絶」ではなく、自国に都合のよい「核兵器削減」(リストラ)にすぎないことは著者が書いているとおりだ。「核不拡散」と「核廃絶」の間には大きな溝がある。それは、「核なき世界」と「平和な世界」の間にある深い溝よりも尚深いかもしれない。
いずれにせよ、このようなアプローチの著書が、日本人の「感情的な核アレルギー」を治すために役立つことにつながるものと期待した。
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