8月6日 田母神俊雄氏講演会in広島 「ヒロシマの平和」を疑う!~広島発、真の平和メッセージ~」 その3
8月6日 田母神俊雄氏講演会in広島 「ヒロシマの平和」を疑う!~広島発、真の平和メッセージ~」 その3
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8月6日 田母神俊雄氏講演会in広島 「ヒロシマの平和」を疑う!~広島発、真の平和メッセージ~」 その3
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8月6日 田母神俊雄氏講演会in広島 「ヒロシマの平和」を疑う!~広島発、真の平和メッセージ~」 その2
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8月6日 田母神俊雄氏講演会in広島 「ヒロシマの平和」を疑う!~広島発、真の平和メッセージ~」 その1
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この大じかけな、大上段に振りかぶった番組の予告を見て、見てみたいと思って、実際に見た。
いろいろな問題点が指摘されているが、全体を通底する、計り知れない「悪意」の存在に、吐き気を催した。
すべてを論じるヒマはないが、最もおぞましいと感じたひとつのことだけを指摘しておきたい。
明治初年、ロンドンで開催された万国博覧会に日本が初めて参加したエピソードが紹介された。
その中で、「人間動物園」というキャプションが躍った。
そのネーミング事態がショッキングなもので、一瞬、目を疑った。
その続きで、日本が、台湾の人々を、万国博覧会で見世物として「出品」したことが解説され、それは、イギリスがインド人を同じように「出品」したのに対抗し、「一等国」に張り合うためにそうした、と言わんばかりの取り上げ方だった。
まず、「人間動物園」というネーミングは、当時のものではあるまい。植民地の原住民を見世物にすることは、腹立たしいことであり、今の感覚からして決して許されるものではないことは当然である。しかし、当時の世界にあって、それが当然のごとく行われていたことを考慮しなければ、きわめておかしいことになる。
150年前の世界に、現在の常識をあてはめて断罪することに、何の意味があるのか。
これは、「進歩史観」の最悪の適用であり、この色眼鏡によって「歴史の真実」は覆い隠されるしかない。単なる「偏向」よりもはるかにたちの悪い「悪意」である。
それは、「Human Zoo」などという、下品な物言い、何となく、「1984」の世界を彷彿とさせるようなネーミングにはっきりと見てとることができる。
ここまでならば、不愉快ではあるが、当時はそういう一面もあったのか、ということで済ませることもできる。
ところが、NHKは、致命的ともいえる、人権侵害を行っている。それも気づかずに。
この、「人間動物園」の写真に写った台湾の人の、子孫をわざわざ見つけてきて、この写真をつきつけ、あなたのお爺さんは、このような目にあわされたのだが、どう思うか、とカメラを向けて、問いただしたのである。
もちろん、その台湾の方は、そんなことは初めて聞いたことで、絶句して声も出ず、ひどいことを、とお爺さんは何も言っていなかった、と目に涙をためて、深いショックを受けている様子だった。
NHKは、「あなたの祖先は、日本によって動物扱いされていたんだ。それをどう思うか」と、突きつけたのである。この台湾の方に、日本への憎悪をかきたて、視聴する人々に対しても、「人道的義憤」を催させる仕掛けのつもりなのであろう。
しかし、このようなことをやる資格が、NHKにあるのか。
祖先を敬う心を持つ人々が、お前の祖先は、動物扱いされたんだ、と、恥部をさらけだされたのである。
NHKのみならず、およそ人間であるならば、やってはならない所業である。
150年前の日本がやったことも、褒められたことではなかったかもしれない。しかしそれは当時の世界の中で当たり前とされたことに則ってなされたことにすぎない。そこに、悪意が介在する余地はない。
ところが、150年後のNHKが行った番組制作は、今の世界の常識に照らして、人道の基準に照らして、人権状況に照らして、明らかに悪意に満ちており、重大な人権侵害事件として見ることができる。
他にも色々と指摘すべき点は多いが、このような「悪意」に貫かれた番組は、ほとんど暴力に近い。
悪魔の所業といって過言でない。
番組制作の意図は、日本の台湾統治を断罪し、否定することによって、大東亜戦争下に行われた民族独立工作とその成果にケチをつけることにあるように思われた。
さらに言えば、親日的と言われる台湾と日本を乖離させ、ディバイド・アンド・コントロールしやすいようにする、中国の思惑が働いているようにも思われる。
中国のやりくちのあくどさには恐るべきものがあるが、日本のメディアがどこまで冒されているのかを、厳しくチェックする必要があるのではないか。
NHKは、今だにBBCが作成した「死のシルクロード」の放映さえ、していないのである。
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以下、ご案内です。広島在住の方、チャンスですよ。
映画「南京の真実」第一部「七人の『死刑囚』」 劇場公開のご案内です。
【広島県広島市】
シネツイン 1 (本通り)
広島県広島市中区本通2-22
TEL 082-241-7711
上映スケジュール :
平成 20年 10月 10日(金)・11日(土)
21時35分 開映 《特別レイトショー》
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自分のブログだから、何を書こうが、自由だ、と開き直って、ふと見た毎日JPの記事に触発されて、書いてみる。
なぜ、どこで、あの映画を見たのか、よく思い出せない。映画館で見たような気もするし、テレビだったような気もする。
映画が最初で、後から、原作の翻訳「フレンズ」を文庫で読んだ。
今覚えている台詞の一コマ一コマは、どちらかといえばそちらの方の印象だと思う。
動物園での出会い。カマルグでの生活。大人でないために仕事も得られない中、健気に生きていこうとする二人。接触感から、一体感を得た夜。そして、ミシェルの妊娠。その子が生まれたら、どんな名前をつけるか話しをする二人。ミシェルが、「シルヴィ~~ミシェル・ポーリン」よ、という。「何それ」とポールが言うと、「あんたとあたしよ」とミシェルが答える。そんなやり取りを、不思議と覚えている。
そして、ラストシーン。いつものようにポールが仕事に出かける朝、見送るミシェル。そして仕事先には、ポールを待ち構える父親の影。
フランスの田舎の湿原地帯であるというカマルグという地名も、今でもよく覚えている。純粋な形で、ままごとのような愛情を育てたポールとミシェルの物語である。
その後に、「続フレンズ」が出来て、それを見た。それは、大人へと成長した、二人の再会の歓びと、辛い現実の話しでもあったように記憶する。
少なくとも、1人の女性を愛することへの憧憬を抱く、きっかけとはなった映画である。
ただし、見返したことはない。30年近くも前の記憶によるだけの話だ。
すっかり忘れていたが、たまたま記事を見て、思い出した。思い出したら、これだけのことが出てきた。忘れてはいなかったんだな。
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支那事変における南京攻略戦後の映像で、平和回復の様子がよくわかる。
平和回復した南京において、早速、破壊された市街の整備に取りかかる我が帝国陸軍の将兵の姿はほほえましい。
また、赤ちゃんを抱く若い母親の姿や、子供たちの姿には心和むものがある。こうした南京市民はじめ中国の人々のために戦っているのだ、というナレーションが入っているが、恐らくこれは当時の将兵の実感であっただろう。
負傷した兵隊さんたちが、白衣の天使のやまとなでしこにやさしく介護されているシーンもある。
兵隊さんたちは、一日も早い原隊復帰を願っている、ナレーションが入る。
原隊に復帰する兵隊さんたちを見送るシーンがあるが、白衣の看護婦さんたちも大勢で、万歳で見送っていた。「天に代わりて不義を討つ、忠勇無双の我が兵は、歓呼の声に送られて~」という軍歌を皆で合唱して送り出していた。
難民区の様子も映し出され、電線を張る作業がとらえられていた。
南京の城壁は何十メートルもあるが、友軍に扉を閉ざされた中国兵は、何でも結べるものを結んで、壁をよじ登り、城壁の外では、軍服から銃器からすべてを捨て散らかして、一般市民に化けて逃げていた。その一面の捨てられた軍服が印象的だった。
捕虜収容所の場面であり、武装解除をして身体検査がなされているシーンがあった。押収した機関銃なども映されていた。
当時の朝日新聞は、「平和回復する南京」という特集を組んだそうだが、それと軌を一にする記録フィルムである。
日中戦争(という言い方は歴史的に不正確であって使うのはためらわれるのだが)の側面を知りたい方にはぜひとも見ていただきたいものだ。また、中学生・高校生には、こうした昔の映像をよく見て欲しいものだ。
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フジテレビ系の深夜ニュース番組、ニュースジャパンにえとうせいいち氏が取り上げられるというので、昨日は久しぶりにテレビを見た。自宅にはテレビを置いていないので事務所に残ってみていた。
梅雨前線の活発化による集中豪雨のニュース、防衛白書が、北朝鮮の2倍のスペースを割いて分析し警戒を呼びかけた中国軍の軍拡・近代化の脅威を伝えたニュースに続いて、自公協力のきしみをテーマに放映がなされた。
党の党紀委員会から、えとうせいいち氏が警告を受けた、というところから始まり、その理由が、公明党の名誉を傷つけるもの、というものだった。
えとうせいいち氏の地元である大分で、勝手連の人々が配布したとされる「参議院選挙、助けてください」とする文書が配布されたということで、自公協力を阻害するもの、と認定されたということである。
東京のえとうせいいち事務所で本人への取材がなされていた。あの朴訥な顔に、ごま塩髭がうっすらと生えている。一生懸命闘っているんだな、という印象を先ずはもった。
えとうせいいち氏が党に復帰して参議院比例区で出馬するに当たって、誓約書が求められた。その中に、「大分県から住民票を移す」というものがある。そしてまた「大分県内では運動しない」というものがあるそうだ。
公明党の北側幹事長の目の下に大きな隈が出来た顔が何度も映った。6日大分で自公協力を確認する集会が開かれたという。
大分では、自民党の地方区に公明党が協力する代わりに、自民党支持者に比例区は公明党を入れるよう、票のバーター取引がなされてきたという。
これが、自公連立の正体な訳だが、その結果、前回の参議院選挙では、民主党2100万票に対して、自民党1700万票と、400万票もの差をつけられて自民党は第2党の位置に甘んじたということである。しかし、これが国民の意思を反映しているのかといえば、上記のようなバーターがなされている現状では不透明としかいいようがない。
公明党を嫌って自民党支持から民主党支持にシフトした団体もあるわけだから、余計混沌としているといえるだろう。
話を戻すが、大分の自公協力が確認されたところで、公明党が参議院地方区の鹿児島、熊本、大分で自民党候補への推薦をようやく決めたということだが、残りの地区はどうなっているのだろうか。
公明党の票の出し方の厳格さは定評があり、決して「自由な投票」ということは有り得ない。統制の利いたまとまった数万の票は、確かに接戦において当落を決する力があるといえるだろう。
しかし、選挙の本義が、民意を問うことにあるならば、これを利用することは邪道である。
公明党支持の人は公明党に、自民党支持の人は自民党に、無党派の人は時々の政策や人物に共感や信頼が持てる候補に、投票するのが当たり前であり、かつまた健全でもあろう。
それが、極めて不透明になってしまうのは、上記のような不純な机上の票数計算によるはかりごとのためなのである。
そもそも、参議院選挙において、公明党の地方区の票数は、一人の候補を独力で通す力は本来無い。その浮いた票を生かすという意味では、地方区における選挙協力というのは、死に票をなくすという意味では良いことなのかも知れない。
しかし、その本来の死に票を武器に、比例区において、支持政党と違う政党に投票するように、本来投票の自由が憲法上保障されているはずの選挙民に呼びかけるということは、政党として不純である。党利党略としては成り立つのかも知れないが、極めて問題が多いであろう。
自民党は、非自民連立政権の悪夢から醒めないのであろう。本来なら、政治理念による政界再編がなされるべきなのだろうが、それほどの勇断が出来るほどには情勢は煮詰まっていない、ということなのだろう。
このまま微温湯の中に居れば、そこそこやっていける、そこまで根こそぎやり直す必要はない、寝た子を起すな、ということなのだろうか。これは自公ばかりのことではない、民主党も同床異夢の、無理念の「政権奪取」のみを旗印とする野合を解消することの難しさという意味では同じことなのである。
政党は、政治理念だけでなく、選挙基盤に共通点を持つ政治集団のことを指すのであろう。
共産党のような強烈なイデオロギー政党はむしろ分かりやすいが、それは共産党がそれ自体で完結していることの証明であって、国家内国家をつくり、やがては国家そのものを乗っ取るという、伝統的な共産党の本質を維持しているがためであり、通常の意味での政党でないことを明かすに過ぎない。「たしかな野党」などというまやかしではなく、「唯一の革命政党」であるという本質を明らかに歌い上げるのが、共産党としては正直であるといえるだろう。
元にもどすが、えとうせいいち氏が全国行脚で一生懸命に挨拶をしている姿が映し出された。徳島市では、安倍首相とニアミスし、電話で話す場面が流され、夜行バスで東京に戻る際、徳島の支持者の方々が、「頑張ろう」と応援する姿が映し出された。
12日の公示まであと僅かだが、えとうせいいち氏の存在そのものが、この参議院選挙の特質をよくあらわしているように思えてならない。
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「吉原御免状」という時代小説の後記に次のような話が書かれている。
大正12年9月1日の関東大震災で新吉原は壊滅した。焼跡には夥しい遊女の死体が転がり、お歯黒どぶには水ぶくれになった遊女たちで埋まったという。
この遊女たちが、お互いの体をロープでつないでいたことが、評判になった。鬼のような楼主たち(昔の亡八ども)が、遊女がこの機会を利して逃亡することを恐れ、こうしてロープでつなぎ合わせた、このために、女たちは自由に逃げることが出来ず、この惨状を招いた、と多くの人々が語った。ロープの最先端にいたのが、殆どいわゆる牛太郎であったことが、この噂に輪をかけることになった。勿論、遊女たちの監視人、と信じられたからだ。
大震災直後に生まれた僕でさえ、この噂を長いこと信じていた。それほどこの噂は深く長く流布されていたのである。
僕が真相を知ったのは、戦後も大分たってからだ。牛太郎の役割は、監視ではなかった。大地震と火事のショックで、オロオロと逃げまどうことしか出来なかった遊女たちを誘導するために、ロープをかけたのである。登山の場合のアンザイレンである。このお蔭で、多くの遊女は生命を拾い、誘導に失敗した牛太郎は遊女もろとも死んだ。彼等の何人かはアンザイレンしていなければ、逃げのびた筈である。若く、身も軽く、足も疾い。寧ろ彼等の方が犠牲者だったのである。
吉原は、遊女を逃がさない(足抜きと云う)ために、どんなひどいことでもする。そういう固定観念さえなかったら、真相は即座に判明した筈であり、牛太郎たちの死は、称賛されるべき行為の結果とみなされた筈である。
吉原を語る場合、この事件は極めて象徴的であると僕は思う。吉原が遊女たちを縛り、足抜きをふせぐためにどんな残虐なことでもするというのは、本当に事実なのだろうか。
人々は様々な例をあげて、これを証明しようとする。(後略)
この、吉原の話と、沖縄集団自決の問題は、まったくかけ離れたものではある。
しかし、悪逆非道な日本軍が、足手まといの住民に、集団自決命令を発した、と戦後長く信じられてきた挿話と、相通ずるものがあるように思われた。
日本の歴史上、集団自決事件はいくつも存在する。
大規模でありかつ一時代の終わりを示したものとして青史に明らかなものとしては、鎌倉幕府の滅亡時の集団自決が上げられるだろう。敗戦を迎えて集団で自決をするという例は多いのである。是非善悪の判断を超えて、これが最後の抵抗であることは紛れもないであろう。生き恥をさらすよりは、生きて苦しむよりは、死んだ方がましだ、という観念は、日本人にはそれほど違和感のないものだ。戦争という極限状態の中でそのような心理が集団に蔓延することは、ありうべきことである。
軍がいなければ、手榴弾などの武器も入手することは出来ないのだから、集団自決など出来ないではないか、という手合いもいる。しかし、凄惨な例でいえば、鋤鍬といった農具などで滅多打ちにして家族を殺し、自分も死んだという例もある。武器が無ければ集団自決は起こらなかった、というのは的を得た話ではなかろう。
ペリュリュー島の戦いなどでも、島民を逃がして玉砕した例もある。非戦闘員を巻き込まないための配慮は多くの戦地で行われている。
ではなぜ、沖縄では、なされなかったのか?
この問い方が既におかしいのである。
沖縄では、本当に、非戦闘員への配慮はなされていなかったのか?
と問うのが正しい。
硫黄島を除けば、唯一の本土決戦が行われたのが沖縄である。
先ず認識を改めなければならないのは、沖縄戦は本土決戦だったという事実である。
勿論、住民の疎開も進められたが、その船でさえ敵に撃沈されるという追い詰められた状況の中、住民は、軍の近くに居た方が安心できる、と思った。
アメリカは、非戦闘員が居ようが居まいが関係なく、鉄の雨を降らせる。一平方メートル当たり何十発という艦砲射撃が行われる。それが沖縄戦だった。島民の三分の一がこの戦いで生命を落とした、といわれる。
陸海軍とも死力を尽くして戦った。本土からは戦艦大和を旗艦とする艦隊特攻が出撃し、また九州各地の特攻基地からは連日のように、沖縄めがけて特攻隊が出撃していった。
沖縄、そして硫黄島のあの奮戦がなければ、ポツダム宣言はなされず、本土上陸作戦は決行されていただろう。そして日本全土が沖縄のようになっていただろう。
その意味でも、沖縄戦のことは、日本人が決して忘れてはならないのであり、明日、6月23日の沖縄戦終結の日(組織的戦闘はこの日を持って幕を閉じた)は、今上天皇がおおせられているように、日本人が忘れてはならない日であるのである。
戦後、軍と名のつくものは悪逆非道なものとされ、敗戦の十字架を背負わせられ続けてきた。敗軍なのだから、それも仕方がないといえばそれまでである。そして、軍に全ての責任をなすりつけることによって精神的な安定を得てきたのかも知れない。
しかし、半世紀以上が経過し、少し静かにものを考えるべき時を迎えているのではないか。熱狂や偏見にとらわれるのでなく、虚偽に騙されるのでなく、人間の理性の力で、歴史の事実があるべき場所にすえられるようにすべきではないのか。
意図的に、架空な話をつくりだすものもいたわけだが、これを訴えたのが、現在行われている、「沖縄集団自決冤罪訴訟」である。
虚偽の仮面を剥ぎ取り、真理が、過去の賞罰のそれぞれに、所を変えることを要求しているのだと、思わずにはいられない。
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今日は余裕がないので、紹介だけ。
いわゆる「南京大虐殺」の(でたらめ証言以外には唯一の映像)証拠として、中国側が金科玉条の如くに持ち出してくる戦時プロパガンダ映画、「バトル・オブ・チャイナ」(アメリカで制作。1943年)がある。
ここに出てくるショッキングな映像が、アメリカ人をして、日本への憎悪をかきたて、結果的に、広島・長崎の原爆投下を含む日本全土への空襲によって、80万人以上もの(その大多数が非戦闘員であり一般人と推定される)犠牲者を生み出すことになった。
銘記せよ! 広島・長崎の原爆の悲劇、東京大空襲をはじめとする日本全土の100を越える都市空爆による犠牲者は、ありもしない、南京大虐殺があったとする、反日プロパガンダによってもたらされたものである!
(何と、日本国内において、いわゆる「反戦平和運動」なるものを主唱するものの殆どが、南京大虐殺信奉者なのである。恐るべき歴史への冒涜であり、人間性の破壊であることか。彼らが一日も早く迷妄から醒める日のあることを、世界のあらゆる神に祈りたい)
戦後六〇余年を経て、やっとのことで、アメリカ人への反日プロパガンダの洗脳を解除する作業が始まったことを喜びたい。
上記の映像を、是非一人でも多くの人々に見ていただきたい。特に日本人として、何故あれほど理不尽な殺戮が父祖の上にもたらされたのか、知ることになるだろう。そしてそれは、日本人としての誇りを取り戻す第一歩だといえるのだ。
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以下のブログを拝見して、感服いたしました。
スクープ! マスコミがひた隠す、マンモハン・シン・インド首相の親日マル秘?演説原稿
昨年12月14日に、来日したインドのマンモハン・シン首相の演説内容について、上記のブログからなぜマスコミが報道しなかったのかについてのポイントを引用させて頂くと、
◎インドが賠償を放棄したこと→ゆすりやかりの某国と違いが際立つ
◎パル判事の名前が出ていること→「東京偽裁判」がまやかしであった
◎ネルーが日本に学ぼうとしたこと→日本がアジアの手本であったことがバレる
◎岸信介に感謝していること→意図的に岸の功績を貶めていたことがバレる
◎日印防衛協力に言及→某国の逆鱗に触る
ということでした。
全文の日本語訳と英語原文をアップしておられますので、是非ご一覧下さい。
また、衆議院のHPでは、よくわからないように映像がアップされていることを示唆しておられましたので、指示に従って探してみましたので下記でご覧下さい。
以下、上記ブログからコピーさせていただきました。
マンモハン・シン・インド首相演説
2006年12月14日
東京
河野洋平衆議院議長閣下
扇千景参議院議長閣下
安倍晋三内閣総理大臣閣下
衆議院議員ならびに参議院議員の皆様
著名な指導者の皆様ならびにご列席の皆様
この威厳のある議会において演説の機会を得ましたことは栄誉なことと認識しております。我々二カ国の国民が互いに寄せる善意と友情の表れです。
ご列席の皆様
日本とインドは文明的にも近い国であります。我々の最も古い絆を形成するのが、共通する遺産でもある仏教です。二つの文化は歴史を通して交流し、豊かさを増してきました。1000年余り前、インドの僧侶ボディセナ(菩提僊那)は、東大寺の大仏開眼供養に参列するため奈良を訪れました。近代においては、タゴールと岡倉天心が、アジアの偉大なる両国の間に理解の新しい架け橋を築きました。
科学技術の発展に基づく明治維新以降の日本の近代化と、戦後に日本再建の基となった活力と気概は、インドの初代首相であるジャワハルラル・ネールに深い影響を与えました。ネール首相は、インドが日本と緊密な絆を結び、その経験から学ぶことを望みました。
インドが日本からのODA(政府開発援助)の最初の受益国になるよう尽力されたのは、当時の岸信介総理大臣でした。今日、インドは日本のODAの最大の受益国であり、こうした援助に我々は深く感謝しております。
日本の工業は、自動車や石油化学などインド産業の発展のために貴重な役割を果してきました。90年代の初頭、インドが深刻な経済危機に陥った時期、日本は迷うことなく支援し続けてくださいました。
1952年、インドは日本との間で二国間の平和条約を調印し、日本に対するすべての戦争賠償要求を放棄しました。戦後、ラダ・ビノード・パル判事の下した信念に基づく判断は、今日に至っても日本で記憶されています。
こうした出来事は、我々の友情の深さと、歴史を通じて、危機に際してお互いに助け合ってきた事実を反映するものです。
日本を訪れるたびに、お国の発展を見て真に鼓舞され、寛大さに心を打たれます。私は、1992年の訪日を決して忘れることがないでしょう。それは、インドの財務相として初の両国間の訪問でした。
1991年に前例のない経済危機に対処した際、日本から送られた支援に謝意を述べるための訪日でした。古い型を打破し、グローバル化しつつある世界での競争に備えるべく経済を開放し、新たな前進への道を乗り出す機会を、あの危機は我々に与えたのでした。当時、弾力性や献身といった長所、あるいは逆境にあって如何に機会を創造するかといったことを日本から学ぼうとして、我々は日本に目を向けたのでした。
新生インドの首相として、今日、私は日本に戻ってまいりました。過去15年間、インド経済は年率平均6パーセントを上回る成長を遂げてきました。近年は一層弾みがつき、成長率は年間8パーセント以上に加速しています。現在、インドの投資率は対GNP比で30パーセントに相当します。1990年代初頭に立ち上げた広範な経済改革の結果、インド経済は、経済のグローバル化と多極化の進む世界の出現によってもたらされた課題やチャンスを受けいれる柔軟性を身につけました。
インドは、開かれた社会、開かれた経済として前進を続けています。民主的な政体の枠組みの中でインドを変容させようとする我々の努力が成功を収めることは、アジアと世界の平和と発展にとって極めて重要です。これまでに、10億を超える人々が民族や文化など多元的な要素を抱えた民主主義の枠組みの中で貧困を撲滅し、社会と経済を現代化しようと試みた例は全くありません。
インドは、現在、持続的な高度成長の波に乗っていると思います。サービス主導型かつ技術先導型の経済によるグローバル経済との統合という新しいモデルを開発してきました。今日、インドは、情報技術、バイオテクノロジー、医薬品など、知識を基礎とする分野で主要な役割を担う国として台頭してきました。道路、鉄道、電気通信、港湾、空港などから成る物理的および社会的インフラを拡大し現代化するため、大規模な投資が行われています。こうした発展は、インドの製造業の競争力と生産性を大いに高めるでしょう。
インドと日本が両国間の結びつきを急速に発展させるための土台は、こうした経過と国際的な筋書きの変化によって生まれました。二つの古代文明にとって、戦略的かつグローバルな関係を含む、強固で今日的な関係を構築する時が到来したと思います。それは、アジアと世界にとって大変重要な意味をもつでしょう。
我々は、自由、民主主義、基本的権利、法の支配という普遍的に擁護された価値を共有するアジアの二つの大国です。両国間に存在するこの共通の価値と膨大な経済的補完性を活用し、互いに相手国を最重要と認める強固なパートナーシップを築いていかなければなりません。
また、新たな国際秩序の中で、インドと日本は国力に見合った均衡の取れた役割を演じなければならないという点でも、考え方を共有しています。日印間の強い絆は、開かれた包容力のあるアジアを構築し、地域の平和と安定を強化するための重要な要素です。
経済関係が二国間関係の基盤となるべきであり、この分野での結びつきを強力に推し進めることが必要です。日印間の貿易や投資は、到底その可能性を発揮しているとはいえません。それとは対照的に、インドと中国、インドと韓国の貿易は好調で、昨年は両国との貿易がおよそ40パーセントの伸びを示しました。中国との貿易は日印貿易の3倍近くに膨らんでおり、韓国との貿易も日印貿易とほぼ肩を並べています。
経済協力の可能性を十分に生かすには、両国の政府、経済界、産業界の積極的な努力が必要です。
将来、このパートナーシップを築くことができる最も重要な分野は、知識経済であると信じています。両国の経済構造、比較的得意な分野の均衡状態、人口動態の違いなどを考えれば納得できるでしょう。
科学技術の分野でも、ナノテクノロジー、バイオテクノロジー、生命科学、情報通信技術といった将来の成長分野での提携を加速させていく必要があります。インドのソフト産業と日本のハード産業は、相乗効果を活用しながら発展しなければなりません。
心ある賢人同士のパートナーシップは、人事の交流をより盛んにすることを意味します。私は、インドにおいて日本語を学ぶ学生の数が増えることを願っています。日本語は、既にインドの中等教育で外国語の選択科目として導入されています。明日、安部総理大臣と私は、「将来への投資構想」を立ち上げます。今後数年の間に何千人ものインドの若者が日本語を学ぶことができるようにしたいと望んでいます。
相互が関心を持っているもう一つの分野は、エネルギーの安全保障です。アジア地域全体として、エネルギー供給の安全を保障し、エネルギー市場を効率的に機能させることが必要です。
我々は貿易とエネルギーの流れを確保するために、シーレーンを保護することを含めた、防衛協力の促進に同等の関心をよせています。
日本と同様にインドも、増加するエネルギー需要に対応するため、原子力が現実的でクリーンなエネルギー資源だと考えています。これを実現させるために、国際社会による革新的で前向きな取り組みが軌道に乗るよう、我々は日本の支援を求めます。
テロは平和に対する共通の脅威で、開かれた我々の社会の調和と組織を脅かします。テロには多くの側面があり、その原因も多様で、地理的な境界も無視されるという複雑な問題なのです。我々が力を合わせないかぎり、テロとの戦いには勝てません。
私は、国連と国連安全保障理事会が今日の情勢に対応できるものになるよう、その活性化と改革に向けて両国が協力してきたことをうれしく思います。両国は国連とさまざまな国連関係機関の効率強化に関心を持っています。この意味において、今、我々が置かれているグローバル化された世界で、各国の相互依存関係を秩序正しく公正に運営していくべく、両国の協力関係を強化しなければなりません。
アジアで最大の民主主義国と最も発達した民主主義国である両国は、お互いの発展と繁栄に利害関係を有しています。我々は、インドの経済環境が投資のしやすいものになるよう努める決意です。日本企業に是非インドにおけるプレゼンスを拡大していただきたいのです。安部総理大臣と私は、二国間の投資、貿易、テクノロジーの流れを増大させるべく、包括的経済連携協定の締結につながる交渉を開始します。
我々のパートナーシップは、アジア全域に「優位と繁栄の弧」を創出する可能性を秘めています。それは、アジア経済共同体の形成の基礎となるものです。
こういった日印間のパートナーシップを拡大させたいという希望や抱負は、あらゆるレベルでの交流を増すことによってのみ現実のものとなります。我々はハイレベルでの「エネルギー対話」を設置することで合意していますが、このような機会がさらに多くの分野で設置されるべきであり、とりわけ貿易と産業分野では不可欠です。
ご列席の皆様、
いかなる戦略的パートナーシップにおいても、その礎となるのは人々の友情です。日本の若者の間で映画『踊るマハラジャ』が人気を博していると聞き、うれしく思っています。インドの子供たちは、日本のロボット『踊るアシモ』を見て歓声を上げていました。また、日本ではインド料理店の数が驚異的に増えているようですし、インドでも寿司と天婦羅への人気が高まってきたことは間違いありません。
2007年は日印友好年であり、日印観光交流年でもあります。さらに、両国を結ぶ航空便の大幅な増便も望んでいます。老いも若きも多くの日本人がインドを訪れ、古代と現代のインドが放つ数多くの輝きをご自身の目で見てほしいと思います。
インドと日本の新たなパートナーシップという構想は、本日、その決定的瞬間を迎えました。私の訪日はこの構想を具体化するためであり、21世紀をアジアの世紀にするために我々が努力して演じている役割に、将来の世代が感謝することができるようにするためなのです。
ご清聴、ありがとうございました。
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リアルな戦争でなく、バーチャルな戦争で、これほどの長期に亘るものは珍しいのではないだろうか。
1937年、昭和12年、第二次上海事変による日支両軍の衝突から派生した南京攻略戦は、泥沼化する日支事変にピリオドを打つため敵国の首都を攻略するという史上初めての戦いだった。世界の関心も集まり、報道関係者も多数そこにはいた。
戦闘終了後、当時「平和蘇る南京」と報道され、日本の新聞には、日本の兵隊さんが屋台で食べ物をにこやかに食べる写真なども掲載された。不祥事もなかったわけではないが、大虐殺事件など、影も形もなかった。
ところが、敗戦後、東京裁判において、初めて南京陥落時において大虐殺事件があったとされた。ところが法廷に提出された証拠は伝聞証拠ばかりで、直接の見聞としては強姦未遂事件があるばかりだった。
その後、昭和40年代後半に至って、朝日新聞記者のH氏によって大々的に喧伝されるに至る。それに対して、「南京虐殺のまぼろし」などの反論が出て今に至る論争となっている。
その間、毎日新聞の創作記事「百人切り」の冤罪によって死刑となった二人の将校の名誉回復を求める裁判なども起された。
中国系アメリカ人のアイリス・チャンによる「レイプ・オブ・南京」という虚実取り混ぜた著作がアメリカで出されるに及んで、宣伝戦の舞台はアメリカに飛び火した。
そして、今年、多分にチャンの著作に沿った映画が今年封切りとなる。
息の長い宣伝戦である。中国からすれば、自国の首都を守ることも出来ずに、放置して逃げ出した後ろめたさを糊塗するためにも、被害者意識を強調し、日本軍をより悪逆非道な集団として描くことが必要なのだろう。
しかし、歴史の真実を伝えるために、日本から声が上がった。ところが、マスコミは沈黙したままである。宣伝戦はマスコミ操作に及んでいるのだということを、改めて実感する。
現在に至るまで、厳正な法手続きをクリアできるほどの証拠を、「虐殺あった派」は提出し得ていない。逆に、戦時プロパガンダであったとの証拠は心ある学者らの手によって次々と明らかにされている。「体験者」の語り伝えというプロパガンダの手法が採用されているが、検証に耐えうるものは何一つないというのがそれらを精査した学者らの見解である。
自分は、この問題については何冊かの書物を読んだに過ぎない。比較検証して厖大な資料を精査する時間も余裕も能力も持ち合わせてはいない。しかし、今回の保守派による南京映画の作成についての記者会見が、多くのマスコミが集まって熱心に取材したにも関らず、不気味なほどにマスコミが沈黙を守ったことが逆にこの問題の「政治性」「プロパガンダ性」を証明しているようにも思われる。
自分は、日本の兵隊さんを信じている。勿論、おかしな人たちも(今もいるように)いたかもしれないが。「歴史の真実」といったとき、本当に真実を求めるものと、真実という言葉を利用してプロパガンダに使うものとがある。「虐殺あった派」に後者の腐臭がしてならない。
映画「南京の真実」が成功することを、市井の一人として心底願わざるを得ない。
「産経」07/01/21
伝えたい「南京の真実」 保守系有志ら映画製作へ
昭和12年、旧日本軍が日中戦争で南京を攻略した際、「南京大虐殺があった」との立場で描いた映画「南京」の上映が今月18日から米国の映画祭で始まった。これに対し、保守系の有志らが「南京大虐殺は政治的陰謀のでっちあげ」とするドキュメンタリー映画「南京の真実」の製作に乗り出す。
映画「南京」は事件当時、現地に滞在していたドイツ人ビジネスマン、ジョン・ラーベ氏の残した日記を踏まえ、製作された。映画では犠牲者の数が「20万人以上」とされている。今年はほかにも中国系米国人作家、故アイリス・チャン氏のベストセラー「ザ・レイプ・オブ・南京」を下敷きにした米英中の合作映画など、5本程度の「南京大虐殺」映画が封切られる予定だ。
ただ、チャン氏の著作に対しては、「掲載された写真は中国国民党の宣伝担当による捏造(ねつぞう)で、南京大虐殺を証拠立てるものは存在しない」(東中野修道亜細亜大教授)など保守論壇からは否定的な見方が相次いでいる。
映画「南京」のストーリーに反発する、衛星放送テレビ局「日本文化チャンネル桜」(東京都渋谷区)社長で映画監督の水島総さん(57)は「ありもしない『南京大虐殺』が歴史の『真実』とされるのは納得がいかない。このまま何の手も打たず、日本の国際的なイメージが悪化するのは見過ごせない」と映画の製作を思い立った。
水島さん自らがメガホンを取り、当時の生存者の証言やフィルムなどをまとめ、今夏までに完成させる。今年は南京攻略から70年。南京が陥落した12月に合わせ、劇場公開と世界への配信を目指す。水島さんは「国内外の誤った歴史認識を改める道を切り開きたい」と話している。24日に映画の製作委員会を発足させ、製作資金の支援を一般に求める。問い合わせは同委員会準備室((電)03・5464・1937)。
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評判の「硫黄島からの手紙」をレイトショーでやっと見ることが出来た。
2005年に硫黄島で遺骨収集団が栗林中将の遺品を発見するシーンから始まる。
そして、硫黄島での日本軍の準備、米軍の上陸、縦横に掘り抜いた壕からの攻撃、自決、突撃などの戦闘が、意外なほど淡々と描かれる。
そして、遺品が土中に埋められ隠され、栗林中将の遺体が隠されるところを描く。
そこから現在に戻り、掘り出された遺品から家族に宛てて書き続けられていた手紙が舞い落ちるところで終る。
栗林中将がどのような最期を遂げたのかに関する史実は残つて居ない筈なので、そのシーンが創作であることは間違いない。ただ悪意や恣意ではなく、かくもあつたであらうかといふ描き方だとは思つた。
米軍が投降した日本兵を射殺したシーンがあつたがこれはリンドバーク大佐の記述などでも明らかなように第二次世界大戦を通じて戦線の随所で起つたことであり、これ自体が史実であるかどうかは別としてアメリカ人の作成した映画として、自国の暗部をも正直に描き出したものと受け止めることが出来る。
口先だけの勇ましさが本当の勇気ではないといふメッセージもあつたやうに思はれる。
戯画化されたところは一つとしてなく、かくも戦つただらうかといふ淡々とした眼で捉へられてゐた。
惜しむらくは、時間の経過がよく分からないこと、海軍側の司令官であつた市丸少将のルーズベルトに与ふる書にも触れて欲しかつたこと、降伏勧告に肯んぜず自決した東大出身の学徒兵のことなど、史実に基づくエピソードを更に多く盛り込んで欲しかつた。
日本が何故あれほど頑強に戦つたのかについて、一つの解釈として「愛する家族のため」といふものを前面に取り出したものであり、それは大切な側面であると思ふ。しかし、残念なことに市丸少将がルーズベルトに与ふる書に込めたやうな、日本が戦争に赴いた理由については欠落していやうに思はれた。
戦勝国が戦敗国に与へることの出来ない只一つのものは、「正義」であると云ふ。クリントイーストウッド監督も、このくびきからは自由でなかつたといへるだらう。それでも、硫黄島に眠る英霊に対して悪意でなく、敬意を払つてこのやうな映画を作成してくれたことに対しては、やはり敬意を表すべきなのかと思はれる。
栗林中将が訓示の中で何度か触れ、最期の突撃に当つても述べた「我は常に諸君の先頭にあり」との言葉が印象的であつた。「天皇陛下萬歳」も「靖国神社で会おう」も戯画化されることなく、かくもあつたかといふ真剣さで描かれていた。
憲兵が徹底的に悪く描かれていたが、これは創作の部類に入るのではなからうか。悪名ばかり高いが本当のところどうであつたのか。職権の濫用が何処まで蔓延していたのか、そこに先入観による予断はないのか。そうしたところに疑問は残つた。
兵隊さんについても、もつと朗らかなところがあつたと信じたい。
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イギリスの作家、オスカー・ワイルドの言葉をふと思い出した。
新しいテレビドラマの記事を新聞で見たからである。何でも中学生が妊娠出産して母親になるというストーリーだという。なるほど、世も末だ。
テレビなどトンと見ないもので、テレビドラマなどという茶番劇を見る機会もないのであまり気にも留めなかったが、いやまてよ、と思った。どんなにくだらない物語でも、それを漫然と見ていれば影響も受けるだろう。テレビが垂れ流す低俗な番組がどれほど日本人の精神性を害しているか計り知れないものである。
テレビなど無くても充分生活していくことが出来る。いや、無いほうが余程すがすがしい。
紀子様はテレビのない家庭で育ったというではないか。気品のある子供を育てたければ、テレビなど売り払ってしまうがよい。
いや、最近は衛星放送など、無数のチャンネルがあり、有用なものもある、という反論が帰ってくるかもしれない。
なるほど一理ある。しかし、番組を選ぶ主導権は手放すまい。番組の奴隷となるな、である。
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大分県臼杵市が舞台の、美しい映画だった。作られたのはまだ数年前、新しい映画であるのに、そこに描かれた世界は、懐かしい町、懐かしい人、懐かしい、昔のにっぽんだった。
臼杵には、行った事がある。
崖に掘られた石仏群を、大分市から、車で山を越えて見に行ったのだった。
野仏のような、優しい顔をした仏たちがいた。映画の中で、夏の祭りで、夜にあの野原を篝火が整然と縦横の模様をなして燃えているのが眺められるシーンがあったが、僕が見たのは、秋の昼下がりの、草原だった。ちょうど、明日香に似ている、とそのとき思った。
分かれるのは、きらい、と雪子が何度も言っていたが、確かに、分かれるというのは辛いものだろう。それも、置いていかれる方の身になったらどうだろう。
映画を見ながら、僕は、故郷のことを思い出していた。東京に上京して以来、余り戻ることのなかったところだ。今、僕の周りにいる人々は、その多くが、先祖代々この土地に暮らしてきた人たちだ。その人たちは、よきにつけあしきにつけ、全く言葉にする必要がない前提を沢山持ちながら生きている。余所者から見れば、しがらみとしか言い様のないものの中で生きている。そのしがらみを断ち切って、根無し草としての生き方、つまり決して土地に根ざさない生き方を選択したものとして、そのしがらみは、ある意味、置き去りにしてきた、何ものかを意味している。
僕が本当には、土地に根ざして生きている人々の気持ちがわからないのと同じように、根無し草の僕の気持ちが分ってもらえることもあるまい。あるあきらめの中を生きる。それはごまかしではなく、ただ違うのだ。
「なごり雪」という、誰もが知ったフォークソングを種として、臼杵という、進歩という名の破壊の浸潤を阻止してきた町を主人公として、美しい日本語の生きている世界を描いたということ。物や金をめざす生き方が、相手への思いやりを最優先して生きる生き方と対面する。
最後のシーンで、男泣きに泣く、号泣する場面があった。今、失われた最たるものの一つだろう。
壊すのは簡単でも、大切に保ち続けるのは難しいのだろう。その難しさを乗り越えて、大切に保ち続けた先に、何があるのか。変わらない町、変わらない人の思いがある。変わらないものの中で、確実に変わっていくのが齢を重ねていく人というものなのだ。
大林監督の話にあったが、言葉が明快で、ごまかしの言葉がない。きれいな日本語で通している。それが、この映画の不思議な懐かしさ、つまり今の日本にはない言葉の美しさと、それが生きる世界がどのようなものかを目の前に見せてくれた。
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これは、以前書いた映画の感想です。何の参考書もなく書いていますので、歴史的に正確さを欠くかも知れませんが、一つの詩を書くつもりで書きました。映画を見た人でなくても、解ってもらえるかどうか、あるいは映画を見た人でも解らないかもしれませんが、映画を見た一種異様な感覚を祓う為に書いたというのが動機なので、許して頂くしかありません。
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フランス史上に刻まれた、聖バーソロミューの大虐殺
和解のために集まったプロテスタント6千人を一夜にして死体の山にした、カトリックを奉じるバロア王家の行った血塗られた歴史である。
王妃マルゴは、この演出のための政略結婚の道具であった。彼女は、母を殺され、自らを兄弟の慰み者とされ、一種の特異な精神異常であったといえるだろうが、しかし、信仰が行った狂気に比べれば、彼女の狂気こそが正気だったとも言えるのだろう。
初夜を、下町の行きずりの男に捧げ、そのためにその男を愛するという、羽目に陥る。しかし、それが彼女の純真の証なのかもしれぬ。
虐殺の余韻は覚めやらぬ。平和と安寧を旗印に、血塗られた暗殺を繰り返す母后カトリーヌ・ド・メディス。彼女も、その愛着の深きがゆえに、神の名を用いて罪を重ねる。
仏教で言えばカルマに陥ったものといえよう。敵を葬らんとして、最も愛するべき王に毒を盛ることになる。愛と信を求めた王は、敵にさえそれを求める。そして、最も愛すべき女さえも守り抜くことが出来ぬ。政略の愛憎の渦の中で、いくつもの命が青白い死体を残しては消えてゆく。
アンリが示したものは、義務か。それとも愛か。愛のない政略結婚。それは、プロテスタントとカトリックの和合のためという見せ掛けのために捧げられた茶番劇であった。しかし、それを茶番ではなく、悲劇たらしめたのは、アンリの高貴なる精神にあるといえよう。自分を愛することのない王妃マルゴ。自らの同志が、彼女との恋を結ぶことを、受け止めるしかない。彼はマルゴを愛しないわけではない。しかし、彼は忍ぶ。そして、彼女を同盟者として信頼の絆を結ぶのだ。愛とは別の。
虐殺の青い夜。そこに花咲いた婀娜なる恋が、最も純真なものであった。
首切られたかの男の死体に、王の防腐剤が使われる。美しさを保つために、マルゴの宝石が捧げられる。
彼女は生きる。生きて、アンリのもとへ行く。愛しているわけではない。しかし信頼できる同盟者なのだ。お互いがお互いの窮地を救う。只一度だけ、肉体的な結びつきを持ったのは、その徴なのか。二度とはなくとも、それが高貴なる契約の徴だったのか。
淫売と罵られ、自らもそのように振舞う、男なしでは夜も寝られぬからだと成り果ててしまった彼女の悲しい性。最も低俗なものと最も高貴なものが一つと連なって連環を閉じるのだ。
青白い死体が、満月の光に照らされる。生き返るのは常に死者だけの特権なのだ。生きているものの、何と影の薄いことか。
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