育児

2010年11月 3日 (水)

地方版「人権擁護(弾圧)法」=「広島市子ども条例」の制定を阻止しよう!

 昨日、「広島市子ども条例」制定を推進しようと叫ぶ弁護士らの市民団体が広島市議会に早期制定の請願書を提出した。「この条例で一人でも子どもを救えればそれでいい」とうそぶく弁護士のしたり顔がテレビに映っていた。いじめをする側の一人の子供が「人権」の名のもとに守られ、いじめられる百人の子供が犠牲になる、という事態が有り得るという全体像を語らない手法はフェアではない。

 この条例制定に向けて血道を開ける「広島市こども未来局」は、10月広島市各所で「説明会」を開催。市側のサクラと思しき動員された人々が各会場多数を占め、「こんな条例を二十年待っていた」などという礼賛の意見を挙げていた。礼賛論は抽象的であるが、反対論はきわめて具体的で、学校の生徒指導を受け持っている教師が、学校現場の実情を切々と訴え、こんな条例が出来たら、今でさえ厳しい生徒指導が不可能になる、と悲鳴を上げた。それに対して、「子どもの権利を教えれば大丈夫」などと、未来局は回答をしたが、こんなふざけた回答しか出せないのである。教育現場のことなど知らぬ顔だ。この担当者は、この4月に就任してばら色のことしか聞かされていないのであろう。

 抽象論と奇麗事で塗りつぶされた「広島市子ども条例」素案は、奇麗事が好きな人々に歓迎されるかもしれない。しかし、そのウラでどれほどの犠牲が出るのか、計り知れないものがある。


 広島市こども未来局の説明の中で、この条例制定の狙いは子供観を変革する次の3点だと明言した。

1、子供を「保護の客体」とする従来の子供観を転換して、子供を「権利行使の主体」とする。

2、大人と子供は、対等な権利行使の主体である、とする。

3、子供の意見を、行政に反映させるシステムを構築する。


正に唖然とさせられる内容である。

「児童の権利条約」の理念にも真っ向から対立するものである。市は条例の条文のつまみ食いをして特定のイデオロギーによって再構築しようとしているとしか思えない。

子供は保護されるべき存在であるとする考えを、市は真っ向から否定した。これは家族の解体を急速に促進する考え方である。子供は社会全体で育てる、という考え方を正面から打ち出したが、家庭と地域社会の衰退の代替措置を名目として、社会主義・共産主義的な、或いはナチズムにも繋がる考え方であり施策なのだ。


大人と対等な権利行使の主体。自己決定権という言葉。これにより、家庭・学校を問わず教育は全く不可能となる。


そして、子供の意見を行政に反映させるシステム化に至っては、子供を出しにた革命思想である。

強調しておかなければならないのは、こども未来局は「健全育成」という考え方を否定していることである。

「健全育成」という言葉は、大人の価値観を押し付けるものである、と否定的である。大人の価値観を押し付けることのどこがいけないのか。「大人の価値観」を、思い込みのエゴイスティックな、つまり、大人になりきれていない人々の独り善がりなものと位置づけ(そのような印象操作をしていた)、それを否定する。

しかし、「大人の価値観」とは、社会的に普遍的な公徳心や、価値観念であって、個々人の得て勝手なものを指す言葉ではない。リベラルな価値相対主義のイデオロギーに毒されていると全ての価値に中立でなければならないという脅迫観念が働くのかもしれないが、そのようなもので社会が成り立つはずがないのである。

一つの価値体系を押し付けることは必要なのである。それを受け入れるにせよ、反発するにせよ、それなくして子供は寄る辺を失うほかはない。そしてその価値体系は決して共通の価値観念、共同体に普遍的に通用する価値観念であるべきであろう。

広島市こども未来局の課員の方々には、サンデル博士の「これから「正義」の話をしよう」でも読んでみられたらいかがか、と思う。


この条例に致命的に欠けているのは、教育哲学である。

教育とは本来、歴史的・伝統的に受け継いできた祖先伝来の価値観を次世代に受け伝える機能が極めて重要であり、それを柱として徳性を喚起し、社会性を身につけさせるべきところである。知識の伝達はその次である。

礼儀作法など、永く伝えられてきたものには理に適った事が多い。しかし、それは子供には理解できない様々な配慮などが積み重ねられているものである。その場合には、理解できなくとも先ずはそれを身につけさせるということが必要な場合は間々ある。それを一々説明して納得させなければならないとしたら世の大多数の大人は途方にくれるしかない。いらぬストレスが増えれば虐待も増える可能性がある。また、説明できないからとて教えないとなればネグレクトも増えるであろう。


子供にとっても親にとっても有害無益なのが「広島市子ども条例」なのである。


担当者自らが、自分を変革しようと日々苦闘していると言っていた。


全ての大人の頭の中を変革しようというのが狙いなのだ。こんな全体主義的な、ビックブラザー的なことを行政が理想主義的な情熱を持って推し進めようとしている。こんな恐ろしいことはない。


数学者の藤原正彦氏が、「祖国とは国語」の中で、大人と子供は対等でない、頭ごなしの押し付けが教育には必要であり、それが自分を作った、親に感謝している、と述べている。


子供をダメにする条例は絶対につくらせてはならない。


こども未来企画課  庶務係 (082-504-2812)  企画係 (082-504-2813)

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2009年8月17日 (月)

マニフェスト対決!自民か民主か、政策選択を言うならこれを見てから考えよう!

自民・民主「マニフェスト」研究 前半

民主党の「マニフェスト」に載っていない、「民主党政策集INDEX2009」の中の政策


自民・民主「マニフェスト」研究 後半

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民主党の目玉・「子ども手当て」は家族解体政策


民主党のマニフェスト研究
http://www.youtube.com/watch?v=ivU4SN_OLaI

民主党=フェミニズム→家族解体→少子化→外国人労働者導入→日本の自殺

「子ども手当て」は家族解体政策

家族を守る「扶養者控除撤廃」を訴えてきたフェミニスト

民主党の言う「子ども手当て」は、不倫・離婚のススメ。

60万人の不登校児たちは、フェミニズムの犠牲者。それを増やそうというのが、「子ども手当て」政策。

家族解体を進める民主党の政策の底意を見抜かないと、あなたの家族が壊されます!

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2009年5月 8日 (金)

なぜ謝る!? 麻生首相! 子供二人、義務果たした、と言って何が悪い!!

【麻生首相ぶら下がり詳報】「子供2人で義務」発言は「不適切で撤回しておわびする」(7日夜)
2009.5.7 20:22

衆院予算委員会で菅直人・民主党代表代行の質問に答える麻生太郎首相=7日午後、国会・衆院第一委員室

 【衆院予算委の撤回答弁】

 --今日の衆院予算委員会で、子育て問題について、首相は「私はちゃんと子供が2人いましたから、一応最低限の義務は果たしたことになるのかもしれません」と言った…。
 「(予算委で発言したのは正しくは)『2人産みましたからね』。うん。あの、それは発言が適切じゃないと思って、その場で撤回したと思います」
 --あっ…
 「それで、不愉快なご迷惑をかけた方がいらっしゃるなら、と言って、おわびしたと思いますが」

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確かに不妊症の女性もおられるだろう。独身で通してる人もいるだろう。DINKSを謳歌してきた人もいるのだろう。


多様化というもっともらしい理屈がつけられるが、狭い了見でしかない。

50年100年単位で物事を考えるならば、成り立たない考え方であり理屈である。

次の世代を育てる責任が、最低限人間にはある。

「産めない人もいるから」というのは理由にならない。その人のことを言っているのではないからだ。


およそ、マクロの考え方と、ミクロの考え方は、全く違うことが多い。

インフルエンザの大流行でたくさんの方々が死ぬかもしれない。個々の人の死は、それに関わる人々の悲しみを誘発するもので、避けるための最大限の努力がはらわれるのは当然のことである。しかし、これを自然の摂理としてとらえることも可能なのだ。それによって人口調整が行われ、全体としては人類の永続に貢献している、との見方は決して暴論でもなんでもない。

ことほど左様に、マクロ的なものの見方とミクロ的なものの見方はすれ違うのである。

それを無理にいっしょくたにする議論が、こわばった言論空間を作り上げる。基本的に、頭の悪い人の考えであり、いっしょくたにしてはならない事柄を、あえていっしょくたにして、くそみそ一緒にしているのだ。

おそらくはわざとなのだ。こうしたことを繰り返すと、知能レベルの低下を招く。

論理的な考え方が不可能になるからである。

およそ没論理な感情論で、論理を蹂躙するのだから、ものを正しく考えるなど、できるはずもない。


男女二人が次の世代を育てる責任を自覚するなら、同数の二人を育てるというのは、あまりにもシンプルなごくあたりまえの、時代を超えて変わらない真実ではないのか。


頭の悪い人の、くそみそいっしょの屁理屈につきあう必要などないのだ。

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2008年8月13日 (水)

テレビに殺される子育て文化

 この間、子育て中の女性を含むミーティングがあり、アフターのお茶の席で何気なく聞いていた話。

 「崖の上のポニョ」がよかったという話をする中で、

 「最近、子供がビデオ飽きちゃって、見せても静かにしていてくれないのよ」

 「それビデオにならないのかしら」

 この女性は、その日初めて知った人で、特に背景を知っているわけではないが、なんとなく違和感を感じた。

 子育てを、テレビ(ビデオ)に任せているのだ。テレビを見て静かにしていれば「いい子」だという認識を持っているわけだが、その場にいたほかの同じような立場にいるお母さんたちも別にそれが当たり前という風で、気にも留めていない。


 ところが、これが大きな落とし穴で、それは奈落の底までつながっているような、深い暗黒の闇なのである。

 それを教えてくれたがの、この本、



 「一に抱っこ二に抱っこ三、四がなくて五に笑顔」

 この題名からして気に入っているのだが、帯に次のように書いていある。

 「子育てに意外な落とし穴・・・

  テレビに子守をさせていませんか?

 ・からだが育たない  ・言葉の力が育たない  ・五感が育たない  ・そして脳にも異変が・・・・・・

 ●2歳までのテレビ、ビデオ視聴は控えましょう
 ●授乳中、食事中のテレビ、ビデオの視聴はやめましょう
 ●メディアを上手に利用するルールをつくりましょう       」

 この本は、本当に読みやすいです。2時間もあれば全部読めます。10代、20代のこれから子育てをするお父さん、お母さんに是非とも読んでもらいたいです。これ一冊あれば、基本的な心構えは全て出来ます。是非買って読んでください。


 子育てに失敗すると、人生が台無しになります。

 子供の人生も、親の人生も大変です。

 いえ、本当は、失敗なんてないんです。

 どんなに苦労しても、結局、親と子が向き合うための勉強。

 それが出来るまで、何度でもトライ・アンド・エラーなんです。

 テレビに親子の時間を奪われてはいませんか?

 ちなみに、私はもう5年以上、家からテレビを追放しています。

 私の父親は、テレビ漬けといってよいほど、朝から晩までテレビをつけっぱなしの人でした。

 話をしたくても、すぐにテレビに逃げてしまう人でした。

 それは非常に悲しいことです。

 テレビなんて無くても生きていけます。ケータイも、パソコンも、インターネットも、昔は何もなかったけど、今よりはるかに子供は元気に育ちました。親子の関係もよかったです。

母親はいつまでも息子の弱点でありましたし、父親は尊敬の対象でした。

 一体いつから、親子の絆はほころびてしまったのか?

 テレビに魂を奪われたころから、かもしれません。

 でも、ちょっとした工夫で、テレビをつけない日を毎週一日つくるだけで、取り戻せるのですよ。

 もっとも大切な絆、親子の絆、命の絆。

 
 今日、電車から降りて、中学生か高校生位の男の子と女の子が私の前を歩いていました。男の子はゲーム機を覗いて何か操作しています。女の子は、そんな男の子を見もしないで、時折携帯を覗き込んだりしてはあさっての方を向いています。一緒に歩いていなければ、全然関係のない二人に見えます。

 一体、この二人に、何か「絆」は生まれるのだろうか。

 生まれたときからテレビ漬け。言葉を覚えたのも、色々な刺激も、みんな扁平な画面から教えてもらった。

 だから、言葉も風景も、何もかもが、扁平なのだ。嫌ならいつでもチャンネルを変えられる、消すことだって出来る。

 だけど、実際の世の中は、そんなもんじゃない。好きな人といつも一緒にいられるとは限らない。嫌なやつと一緒に何かをしなければならないことだってしょっちゅうだ。人をかえることは出来ない。消すなんてとんでもない。

 そんな当たり前のことが、わからなくなっちゃったから、変な事件を起こすのだろう。

 昔、日本は、子供の楽園だった。

 今は、煉獄ではないか。なぜそんなことになったのか。

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2008年8月12日 (火)

「真っ当な日本人の育て方」を是非読んで・・

 この際一気に紹介してしまいます。

 「真っ当な日本人の育て方」(新潮選書)

 田下昌明先生のこの本、紹介しようと思いながら、出来ないでいました。

 真っ当な日本人って、一体何?

 そう思う人もいるかもしれません。

 それくらい、日本人は、壊れちゃってるんだと、私は思います。

 「日本人」なんて強調するのは間違ってる、「地球人」でいいんだ、日本にこだわるなんてばかげてる、

 なんて、多くの現代日本人は思ってるんじゃないでしょうか。

 何か「真っ当な日本人」なんていうと、おどろおどろしい、軍国主義の権化や神がかり的な姿を想像してしまうのではありませんか。

 そんな「期待」を持ってこの本のページを開くと、必ず拍子抜けするでしょう。

 ほとんどの人が、「当たり前じゃないか」「ああ、そうだったな、昔、ばあちゃんが言ってたことと一緒だ。」「昔のやり方でよかったんだな。それが今では世界的に科学的に認められてるんだな。」ってことに気がつくに違いありません。

 そもそも、「真っ当な日本人」ってことは、「真っ当な人間」というのとほとんど同義です。

 世界に誇るべき、日本の「子育て文化」を、見直してみましょう。