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2012年9月19日 (水)

書評「国防の常識」 鍛冶俊樹氏著

「国防とは国家を防衛するという意味である。しかし、だからといってただちに軍事防衛を意味しない。」

冒頭の書きだしからして奮つてゐます。

神皇正統記の冒頭、「大日本は神国なり。天祖はじめて基をひらき、日神ながく統を伝へ給ふ。我国のみ此事あり。異朝には其たぐひなし。此故に神国と云ふ也。」を思ひ起させるやうなリズムの良さです。

2段落目には、「国家は主権、領土、国民の三つの要素からなる。従って国家を防衛することは、必然的に主権を防衛し領土を防衛し国民を防衛することになる。」と明快です。

そして、主権、領土、国民のそれぞれについて、防衛するとはどういふことかについて触れ、「本書では国防を総合的な防衛の方策と捉え、国民防衛、経済防衛、情報防衛、文化防衛、軍事防衛という五つの視点で考察し、最後に日本の取るべき国防体制について、総合的な視点から大胆な提言をさせて貰った。」としています。


この簡潔なはしがきを読むだけで、この著書どのやうな構想の下にどのやうにまとめられたものかがよくわかります。


第一章「アジアの地政学的危機」では、日本が置かれた東アジアの現代の状況について検討が加へられます。単に東アジア地域だけに絞つた視点ではなく、ヨーロッパから中東にかけての動向と、中国、ロシア、北朝鮮、東南アジアから勿論アメリカを含めた各国の動きを捉え、日本の置かれた危機的状況を抉り出しています。


第二章「国民防衛の思想」は、国民防衛についての視点をまとめていますが、一言でいつて現在の日本には国民防衛の意思が欠落してゐるといふ衝撃的な事実が指摘されてゐます。

第三章「経済防衛なき経済大国」は、現在進行形で起つてゐる中国における反日暴動のリスクによつて突きつけられた問題も含め、経済大国と言はれながら、経済防衛の視点を欠落させてきたことにより国際競争力の低下を招いたこと、また帝国主義による侵略といふものが過去のものではなく、正に同じ手法により独立を奪はれる可能性を指摘してゐます。

第四章「情報戦争と情報防衛」、第五章「エシュロン」、第六章「サイバー戦争」の三章は、情報防衛について述べたもので、この視点についてこれだけ割いてゐることからも窺へるやうに、防衛における「情報」の重要性を痛感させられます。

第七章「文化防衛と文明の衝突」は、「文化防衛」といふ視点からまとめてゐます。これは、三島由紀夫氏が著した「文化防衛論」と、サミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」を枕に論を展開し、オサマ・ビン・ラディンによるイスラムとアメリカの戦ひについてイスラムの勝利といふ判定を下し、日本が敗北をし続けてゐる背景に、敗戦後文化を否定されたところにその淵源があることを指摘してゐることは類書にない部分であらうと思はれます。

第八章「軍事防衛と核戦略」でようやく「軍事防衛」といふ通常議論される視点となりますが、近未来へのシュミレーションともいつて良い日米中の動きには手に取るやうに判る問題が指摘されてゐます。

第九章「防衛省を買いたいして総力戦体制を確立せよ」は、日本が取るべき具体的な国防体制をどう構築するかについての独自の見解が展開されてゐますが、「総力戦体制」の本当の意味が理解されます。日本以外の国ででは、現代の戦争が「国家総力戦体制」でなければ戦へないことは自明であることが述べられてゐます。そして、日本に於いて真に国防体制を築くならば、「防衛省」は解体し、再編する必要性と具体的なプランまで提示してゐます。

大変読み易く、「国防」についての国民の「常識」を養ふ好著であることを実感しました。

政治家に是が非でも読んで頂きたいとも思ひました。国防を知らないものは政治家になるな、といふか考へてみればそれが当たり前なのです。

是非ご一読をお勧めいたします。


併せて前著の「戦争の常識」「エシュロンと情報戦争」もお勧めいたします。


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