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2012年9月

2012年9月22日 (土)

「国防の常識」書評 追記

 ひとつ気付きがあつたので、追加しておきます。

 「国防の常識」は、大変時宜を得た、貴重な著書でありますが、そこに指摘されてゐない点にひとつ気付きました。

 それは、戦歿者の取り扱いについてであります。

 大東亜戦争終結後、日本は幸いにして深刻な武力衝突を経験せずに済みました。もちろん多分に僥倖もあつたでありませう。しかし、そこにはやはり「英霊のご加護」といふほかはないものがあつたのではないかと思ひます。

 それはともあれ、終戦まで、「靖国神社」は陸海軍省の管轄下にありました。戦歿者の慰霊は、国防の一環だつたのであります。


 それは、敗戦までの我が国に特有の「国家神道」と「軍国主義」のなせる業であつたのか、と早とちりしそうですが、そうではありません。


 およそ軍隊を持つ国(といふことはすべての国家といふことになりますが)は、戦歿者の追悼を国家として行ふことは当然の事として実施されてゐます。その形式はその国の伝統や宗教によつて異なりますが、戦歿者の追悼事態をないがしろにしてゐる国はないのではないでせうか。

 考へてみれば当然の事で、それなくして軍隊そのものが成り立たないからであります。

「英霊にこたえる会だより」第50号の「日本はこれでいいのか(Ⅲ)-敗戦後の歩み「ドイツと日本」-」といふ一文があります。英霊にこたえる会副会長の國松善次氏の論文ですが、このことを正面から指摘されてをられました。といふよりも、この一文を拝読して、上記の事に改めて気付かされたといふことであります。


「軍隊を持つ国は、戦歿者遺族の援護や戦歿者の追悼など、戦争の犠牲者の諸課題を放置していては、軍隊の士気はあがらないだけでなく、軍隊そのものが成り立たないことになう。また、国家が国民に兵役の義務を課す以上、国家が本人のことや、その残された家族のことに責任を持つのは、当然のこととなる。それも、日本のように、厚生労働省が所管する福祉行政としてではなく、国防の一環として、いや国防行政そのものとして、対応していたと云うことである。」


 「国防の常識」の中で、「徴兵制」について触れてゐるところがあります。

 フランスで徴兵制が「廃止」と伝へられた報道があつた時に、それは「停止」であつて、いつでも必要な時に復活できるものであるとの指摘がなされてゐました。

 平時に於いて、国民すべてを対象とした「徴兵制」はある意味大変効率の悪いシステムとなる。だから、選択的徴兵制として「志願制」が取られるのだといふことでした。

 これは、普通の国であれば「国防の義務」といふものが当然国民に課せられてをり、それを制度として表現したものが「徴兵制」であるから、当たり前の事なのです。

 ところが、戦後の日本では、「徴兵制」は「廃止」され、「国防の義務」も憲法上明記されてをりません。

 戦歿者慰霊が蔑にされ、戦歿者遺族の援護が、福祉行政に分類されてゐる事の淵源にはこの問題があるのだといへるでありませう。

 
 国防を考へるならば、兵員一人ひとりが、時には生命の犠牲を払ふ事が前提となることは自明であります。


 しかしながら、「生命尊重」が至上の価値とされ、「国防の義務」もないところに、はたして兵士一人ひとりに「生命の犠牲」を強要する事が論理的に可能なのでせうか。

 そこには、「任務に当たつては身の危険を顧みず」との宣誓にその根拠が求められることになるのでありませう。自ら宣誓する事によつて生命の犠牲も強いられることの根拠とされる、またそれ以外に根拠を求めようがない、といふのが戦後日本の国家体制の根本的不備ではないかと思はれます。

 いかなる言葉を弄しても、自己の生命を犠牲にするといふ事を、合理化することは出来ないと思はれます。


 個人の生命尊重以上の価値を提示できなければ、国防も、軍隊も成り立ちようがない。


 「生命尊重のみで魂が死んでもいいのか」

 三島由紀夫氏が叫んだのは、正にこの根本的なごまかしへの糾弾でありました。


 戦後日本は、生命尊重以上の価値を提示せず、国家を防衛する根本的な理由を提示してこなかつたのであります。これは、根本的な不道徳であると言はねばならないと存じます。

 国防の根拠とは何であるか。


 もう一歩そこに突つ込んで頂きたかつた、と思つた次第です。


 顔を醜く引き攣らせて抗議してくる人の顔が目に浮かびます。「戦争はもうこりごり」それはそれでいいでせう。
 しかし、そういふあなたのために、他人が生命を投げ出して守つてゐるといふ厳粛たる事実の前に、如何なる態度を取るべきなのかの答へはそこにありません。あなたは、根本的に不道徳なのです。なるほど、道徳は軍国主義の手段だと、あなたは言ふかもしれない。しかし、あたなを守ることは、軍国主義なのでありませうか。

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2012年9月19日 (水)

書評「国防の常識」 鍛冶俊樹氏著

「国防とは国家を防衛するという意味である。しかし、だからといってただちに軍事防衛を意味しない。」

冒頭の書きだしからして奮つてゐます。

神皇正統記の冒頭、「大日本は神国なり。天祖はじめて基をひらき、日神ながく統を伝へ給ふ。我国のみ此事あり。異朝には其たぐひなし。此故に神国と云ふ也。」を思ひ起させるやうなリズムの良さです。

2段落目には、「国家は主権、領土、国民の三つの要素からなる。従って国家を防衛することは、必然的に主権を防衛し領土を防衛し国民を防衛することになる。」と明快です。

そして、主権、領土、国民のそれぞれについて、防衛するとはどういふことかについて触れ、「本書では国防を総合的な防衛の方策と捉え、国民防衛、経済防衛、情報防衛、文化防衛、軍事防衛という五つの視点で考察し、最後に日本の取るべき国防体制について、総合的な視点から大胆な提言をさせて貰った。」としています。


この簡潔なはしがきを読むだけで、この著書どのやうな構想の下にどのやうにまとめられたものかがよくわかります。


第一章「アジアの地政学的危機」では、日本が置かれた東アジアの現代の状況について検討が加へられます。単に東アジア地域だけに絞つた視点ではなく、ヨーロッパから中東にかけての動向と、中国、ロシア、北朝鮮、東南アジアから勿論アメリカを含めた各国の動きを捉え、日本の置かれた危機的状況を抉り出しています。


第二章「国民防衛の思想」は、国民防衛についての視点をまとめていますが、一言でいつて現在の日本には国民防衛の意思が欠落してゐるといふ衝撃的な事実が指摘されてゐます。

第三章「経済防衛なき経済大国」は、現在進行形で起つてゐる中国における反日暴動のリスクによつて突きつけられた問題も含め、経済大国と言はれながら、経済防衛の視点を欠落させてきたことにより国際競争力の低下を招いたこと、また帝国主義による侵略といふものが過去のものではなく、正に同じ手法により独立を奪はれる可能性を指摘してゐます。

第四章「情報戦争と情報防衛」、第五章「エシュロン」、第六章「サイバー戦争」の三章は、情報防衛について述べたもので、この視点についてこれだけ割いてゐることからも窺へるやうに、防衛における「情報」の重要性を痛感させられます。

第七章「文化防衛と文明の衝突」は、「文化防衛」といふ視点からまとめてゐます。これは、三島由紀夫氏が著した「文化防衛論」と、サミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」を枕に論を展開し、オサマ・ビン・ラディンによるイスラムとアメリカの戦ひについてイスラムの勝利といふ判定を下し、日本が敗北をし続けてゐる背景に、敗戦後文化を否定されたところにその淵源があることを指摘してゐることは類書にない部分であらうと思はれます。

第八章「軍事防衛と核戦略」でようやく「軍事防衛」といふ通常議論される視点となりますが、近未来へのシュミレーションともいつて良い日米中の動きには手に取るやうに判る問題が指摘されてゐます。

第九章「防衛省を買いたいして総力戦体制を確立せよ」は、日本が取るべき具体的な国防体制をどう構築するかについての独自の見解が展開されてゐますが、「総力戦体制」の本当の意味が理解されます。日本以外の国ででは、現代の戦争が「国家総力戦体制」でなければ戦へないことは自明であることが述べられてゐます。そして、日本に於いて真に国防体制を築くならば、「防衛省」は解体し、再編する必要性と具体的なプランまで提示してゐます。

大変読み易く、「国防」についての国民の「常識」を養ふ好著であることを実感しました。

政治家に是が非でも読んで頂きたいとも思ひました。国防を知らないものは政治家になるな、といふか考へてみればそれが当たり前なのです。

是非ご一読をお勧めいたします。


併せて前著の「戦争の常識」「エシュロンと情報戦争」もお勧めいたします。


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2012年9月16日 (日)

暴虐の支那・中国は健在。 既に戦争状態にある日本と中国。その覚悟を。

リンク: 中国尖閣実効支配へのシナリオ 漁船使って海洋権益を拡大、そして… - 速報:@niftyニュース.


野田首相が、中国における邦人保護について外務省次官に指示を出したと報じられてゐます。

私は、野田首相の政策にすべて賛成するとかしないとかいふことは一切ありませんし、民主党政権は心底どうしようもないと思つてゐるものではありますが、首相として最低限のやるべき指示を出したことは良かつたと思ひます。


中国共産党政府内の権力闘争の煽りもあつて、反日がまたぞろ利用されてゐるといふ側面が大きいやうですが、それにしても「愛国無罪」のお国柄は相変はらずであります。


仮にこれが日本で反中国デモが起こり、中国製品(といつてもロクなものはありませんが)がボイコットされ略奪され、中華飯店が焼き討ちにでもあつたら、恐らくその損害賠償請求のやうなことがぐじぐじと言はれ続け、その民度の低さが後々までも指弾され続けることでせう。中国では、あまりにも判り切つたことなので、そのこと自体が問題にはならず、また賠償など誰もしないでせう。日本なら国家に請求するといふやうな訴訟が次々と起こるかもしれませんが、共産党政府を訴えることなど、中国国内で出来るはずもありません。そんなことをしたら、「国家反逆罪」で命まで取られかねないからです。


中国では、政府への不満は、「反日」といふ形で表現するのが一番手っ取り早いのです。

そのことも踏まえた上で、現象として日本人の生命・財産が脅かされてゐるのですから、何らかの対抗措置を取る必要があることは当然であり、日本国内で同じやうな暴動を起こされる拠点にされかねない、新潟の5千坪の総領事館が買い込んだ土地買収の凍結や、特別ビザの発行停止などを行ふ必要があるでせう。

最大級の台風が今日沖縄を通過してゐるといふのも象徴的ですが、中国の漁船団が尖閣沖にやつて来たら、台風がやつて来るまでおびき寄せて逃がさないやうにして、かつての元寇のときのやうに東シナ海の藻屑としてやればよいと思ひます。心やさしい日本側は恐らく救助に全力を尽くすことになるかも知れませんが、命を助けられても決して改心しないのが連中だといふことだけは踏まえてやらねばなりません。


さういへば、自衛隊反対を声高に叫ぶ連中が、自衛隊に守つて貰つたり、救助されたりすることが間々ありますが、連中、恥ずかしくないのでせうね。何でも利用すべきものは利用しろといふ連中を助けることのむなしさははかり知れませんが、それでも日本民族の崇高な民族性を棄損しない為には、さういふ悪魔のやうな連中でも苦境にあれば助けなければならないのかも知れません。しかし、圧倒的な実力を保持し、警戒を怠らないといふことが前提条件であると思ひます。


中国漁船団が尖閣に押し寄せるのはもう秒読み段階に入つてゐるといつて良いでせう。そのとき、我々はどうするのか。


中国本土では、日本企業とその職員はすべて人質になり、恐らく多くの商社マンらが拉致・監禁され、でっち上げの罪状で逮捕されることになるでせう。そして何人かは実際に死刑という虐殺される事態になるかも知れません。


さうした中で、魂を売り渡す企業も出てくるでせう。現に今回、あるユニ○○といふ企業は、「尖閣は中国の領土」といふ張り紙を出したさうです。もともと反日企業だと言はれてゐましたが、かうした企業の製品は不買運動を起こさねばなりません。


また、緊張状態がすぐに戦争になるといふ人がいますが、それは認識が不足してゐます。既に戦争状態なのです。中国は、戦時と平時の区別をおいていませんので、現に戦争を仕掛け、さまざまな形で日本を攻撃してゐるのです。戦争とは、宣戦布告があつて正規軍がせめてくるといふ古典的なイメージしか抱けない古い脳味噌ではもはや戦争になつてゐるといふ現実さへ判らない訳です。国家の総力をあげてこれを遂行しなければならない。なぜなら、敗北すなわち服従すなわち隷属すなわち亡国であるからです。そして、亡国の民の悲惨な結末といふものを、賢者であるならば世界の歴史から学ばねばなりません。生命も財産も人間の尊厳も何もかも奪はれて、歴史の闇の中にたたき落とされて消されてしまふといふことになりかねないのですから。

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2012年9月14日 (金)

堂々たる反論、慰安婦問題

勉強になります!

慰安婦問題、英語で論議

GEISHA, TONY BLAIR & COMFORT WOMEN [Yujiro 谷山雄二朗 Taniyama]


歴史の捏造に、冷静、客観的に、論理的に堂々と反論する、若き日本人男性の出現。


これを是非欧米のジャーナリスト、政治家、教育者に広めよう。


それから、日本の地方議員にも。彼らに正しい情報を伝え、冷静な議論に基づく立論を求めよう。

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沖縄県知事の二枚舌

尖閣海域に6隻もの中国外交部所属の公船が領海侵犯している事態に、沖縄県知事が、「国と国の問題」だといったそうだ。

「6隻も」海保に驚き 沖縄県知事「国と国の問題」


それは間違いない。しかし、仲井間知事さん。


石垣市を始め沖縄の離島の住民の生命・財産に関わる問題じゃないのか?!


オスプレイ反対や基地反対を唱えるなら、中国の公船出て行けと叫ぶのが、一貫した態度というものだろう。


ダブルスタンダードか。


余りに腹が立ったものだから、紹介しました。


沖縄県庁はこちら。

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尖閣諸島海域の領海に、中国公船6隻が侵入!

NHKニュース 中国当局船 尖閣諸島沖の領海に侵入


9月14日未明から、中国国家海洋局の公船「海監」6隻が相次いでも尖閣諸島の我が国領海内の侵入し、未だにうろついています。

これは中国の外務省に相当する「外交部」の管轄下にある機関の船であり、漁業監視船の侵入とは意味合いが全く違います。


中国外交部は、12日、尖閣諸島を領海基線として勝手に設定してきました。


次々と手を打つ中国に対して、我が国の動きは余りにも鈍いといわねばなりません。

中国農業省漁業局は、16日に、大量の漁船団が出航すると示唆しました。


これまでの動きから更にエスカレートしていることが読み取れます。

これは尖閣上陸・占拠を敢行する可能性が高まっていると言えます。


民主党、自民党の党首選が行われ、謂わば政治不在の状況が現出する9月の間、というよりも、今のこの動きを見れば、ここ1週間の内にも、それが起こる。


東京都の妨害をして尖閣国有化宣言をしたはいいが、何の準備もしていないのか!野田民主党政権!

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領土意識の昂揚を!

 尖閣諸島、竹島、北方領土。

 我が国の辺境における主要な領土を廻る問題は上記3点である。

 それぞれ、対する国も違い、その依って来る由縁も違うが、一つだけ共通項があるとすれば、我が国の正統な領土が不当に脅かされているという一事である。

 更に尖閣諸島と、竹島・北方領土の問題を分けるとすれば、前者は我が国が実効支配を継続しているという点であり、後者は現在不当に乗っ取られ実効支配されてしまっているという問題である。

 それにしても、日本国民の領土意識の希薄さは、あまりにもひどいものがあった。

 そもそも、日本の領土が何処から何処までかすら明確に判っている国民が一体何人いるのか。

 その原因が戦後長きにわたって行われてきた教育の「負の遺産」であることはほぼ間違いないであろう。

 尖閣諸島を、「せんかくしょとう」と正確に読めない大人がしばしばいた。それはご愛敬だが、何処に位置するかを正確に思い浮かべる事の出来る大人は良く言って少数派であったろう。

 竹島や北方領土が不当に占拠されているという事は流石に知っている人が多かったろうが、ではそれを取り返さなければならないという信念にまで落としこんでいる大人が果たしてどれだけいただろうか。聴くところによれば、警察でさえ上層部は帰って来るはずがないと投げ出すような輩がいるのだそうだ。

 北方領土が如何なる経緯で、旧ソ連に奪われたのか。それが如何に不当であり、事実においても、国際法上も正義は日本にあるという事を、国民教育に於いて周知徹底させることが何故出来なかったのか。


 国民の中に、領土を守るという意識が行き渡ることがなにより重要で、その背景に立ってこそ心ある政治家が動く事が出来る。


 あまりにも当たり前の事で、書いていて恥ずかしいばかりだ。

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