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2011年8月

2011年8月30日 (火)

今ある中でのベターな選択

野田佳彦氏が民主党代表に当選した。

海江田万里がなっていたら、菅以上の悪夢になると思ってたから、本当に胸をなでおろした。


実は、演説を聴いていて、一番首相になってほしいと思ったのは鹿野氏だった。


現在、我が国が置かれてる状況を切々と語られているところに大いに共感が持てた。もちろん、自分の人となりを滔々と語った野田氏が悪いというのではない、が、他の候補も含めて、自分自分という印象を感じたので、国家の事を真剣に考えているという印象を、鹿野氏から得たのである。


決戦投票で、野田氏が逆転勝利をした。民主党内の最大勢力である小沢グループが海江田支持を明確に打ち出す中、まさかの逆転勝利だった。


そのまさかの立役者として、鹿野氏の判断があったと、報道されている。3番手の前原氏が野田氏に付くのは、反小沢の仙谷がいることから分かりやすかった。もちろん、前原本人も松下政経塾の同志である野田を支持するのにやぶさかではなかったと思う。

しかし、それでもまだ過半数には足らないわけである。

鹿野氏を支持した52票が加わって初めて過半数勝利ということになったわけだ。


国家のために、今の選択肢の中で最善を選ばねばならない。


野田氏を選択した民主党は、あるいはその選択を誤らなかった、と言えるかもしれない。


いずれにせよ、民主党は、せめて綱領を作成し、政党として明確な指針を出さねばならない。その過程において、離合集散がなされなばならないし、それは必ず政界再編を引き起こすことになるだろう。


今はまだ、再編の中途過程である。もし民主党が、本当の意味で政権担当能力を示してしまった場合、自民党は今の体たらくで本当に政権奪還など出来るのか。政界再編の軸がどこに立つのかが、これから2年間で決まってくるものと思われる。


極左の菅が破壊した政府中枢を修復し、極左の工作員を叩き出し、政府中枢を再建することから手がけねばならない。しかし、民主党という十字架を背負いながら、野田氏が何を展開していくのか、注視せねばならないし、「朝鮮学校」無償化問題や、人権侵害救済法案など、イタチの最後っ屁のような菅の悪の遺産を葬り去ることは喫緊の課題である。


当然、民主党の背後にいる左翼勢力は、既得権益を伸張するために徹底した工作をしかけてくるだろう。それをどうかわし、あるべき政府を創り上げていくのか、その手腕が問われる。松下政経塾が初めて世に送り出す首相である。やはり注目せねばなるまい。

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2011年8月27日 (土)

辞意表明から3ヶ月。このあり得ない政治空白

 やっと、菅首相が辞任する。

 26日午後2時からの民主党の衆参両院議員総会において、「やるべきことはやった」と述べて、正式に辞任表明となった。

 民主党代表選挙が始まっているが、乱立気味の候補の顔ぶれを見ても何の期待感も湧かない。

 3ヶ月の政治空白をつくった菅首相は、日本の首相がかくも軽いものであるという悪しきイメージを振りまいたことに何の責任感もない。あればこのような愚かなことはしないだろうから、ないものねだりではあるが、それにしても、なんとも虚しい。これから、あの空虚な顔を見る機会が減ることがありがたいばかりだ。

 政権のたらいまわしを批判してきた民主党は、おそらく、解散総選挙に打って出るだろう。いや、そうでなければ言行不一致の誹りを免れない。と言っても、政権獲得からことごとく言行不一致を貫いて来たのだから、最後まで(民主党が崩壊するまで)それを貫くのだろう。首尾一貫しないことのみ首尾一貫するという、あまりにもお粗末な体たらくを残して。

 戦後66年の「戦後民主主義」の成れの果てが、「民主党政権」であった。

 この政治的焼け跡の廃墟の中から、如何にして日本の政治を取り戻すのか。

 いずれにせよ、再来年、嫌でも衆議院の任期が来る。参議院選挙と重なるこの年、平成25年は、衆参同時選挙により、政界の大再編が起きなければならない。

 日本を再興するために、既存の政治勢力の崩壊を目の当たりにしつつ、新しい清新な政治勢力の構築に向けて大きく動き出さねばならない。その兆しは諸方に見えているのだ。

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2011年8月19日 (金)

「福島の現状は「国による風評被害だ」と訴える高田純教授」 産経新聞より

放射線の専門家が激白シンポ「一部メディアの過剰反応に異議あり!」2011.8.15 07:00

 いまだに半径20キロ圏内の一般人立ち入り禁止が続く東京電力福島第1原発の事故。菅直人首相が4月に「10~20年、原発周辺には住めない」と発言したとされ批判を浴びたが、週刊誌などでは同様の主張が展開され続けている。この状況に、世界の核被災地を現地調査した放射線防護の専門家が「一部メディアによる福島県の人たちを混乱させ、心配させる報道には腹が立つ。ただ火のないところに煙は立たない。火をたいているのは日本政府だ」と声を上げた。

 都内で7月末に開かれた「福島支援シンポジウム」。東日本大震災後、何度も福島入りして調査にあたり、報告書「福島 嘘と真実」(医療科学社)も発行している札幌医科大の高田純教授が「東日本放射線衛生調査の報告」と題して基調講演に立った。

 「福島県民に放射線による健康被害はない、福島は必ず復興できる、というのが最初に報告したい調査結果です」と、まず結論を提示。続けて、政府の被災地に対する調査のずさんさに触れ、同県飯舘村民を半強制的に避難させた根拠は非常に怪しいと指摘し、「私はあの避難は“無計画的避難だ”と菅政権を非難しております」とボルテージを上げた。

 ビキニ水爆実験や旧ソ連の核実験、チェルノブイリ原発事故などによる数々の核被災地を現地調査してきた高田教授は、4月上旬に検査機器一式を抱えて札幌から福島に向かった。致死線量まで計測可能な個人線量計を持っての、覚悟を決めての調査だったが、原発周辺まで近づいても放射線量は予想外に低かった。「原発の門の前まで行ったが、累積被曝線量はたったの0・1ミリシーベルトと意外な結果だった。防護服を着る必要すらなかった」と報告する。


続き

続きの続き

行動派の科学者・高田純先生の行動力の源泉は何なのだろう、といつも思わされる。

致死量の放射線が調べられる測定器を持参して、福島原発まで行くという体を張った行動は、凡百の議論を吹き飛ばすパワーがある。


原発は怖い、放射線は怖い、と言っている学者であればあるほど、そういう「無謀」な事はしない。

遠くから、危ない危ないと危機感を煽っているのだ。


高田先生は、ホルミシス効果については語らない。そのことの専門家ではないためだろう。

低線量放射線が健康によいというホルミシス効果については、専門学会が立ち上がっており具体的な研究も進められている。

低線量でも蓄積されれば高線量と同じになるという仮説が政治の世界では支配的だが、先端の学問の世界ではもはや過去の学説になっているということだ。


世の中に絶対の安全は存在しない。リスクを如何に低減するかであるが、いくつもあるリスクを勘案考量して、より低いリスクを取っていくのが現実世界の道理ではないのか。


不用意な避難をさせた結果、何名もの方が命を落とされた。

勿論、その場に残っていれば「被曝」の恐れはあっただろう。しかし、「ただちに」命に別条があるほどの「被爆」の恐れはなかった。

とすれば、一体何のために「避難」をさせたのだろう。


「放射能」は怖い、とは、戦後長い間の「平和」教育によって刷り込まれてきた認識であるが、それは決して科学的なものではなかった。ただ、恐怖感を植え付けることにより、平衡感覚を麻痺させ、ある特定の教条的スローガンに左右されやすくするための準備に過ぎなかったのではないか。


そのため、ヒステリックで非科学的な、放射線恐怖症を発生させ、インテリと言われるような階層の人々の間に、差別感情さえ生みだしてしまったのだ。


ちなみに、これはイデオロギーの問題ではない。科学的な事実の問題である。

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2011年8月15日 (月)

戦後66年目の終戦記念日

全国戦没者追悼式について

厚生労働省が管轄している国家としての戦没者追悼行事。


以下、独立回復後になされた閣議決定に基づき行われてきた戦没者追悼行事を、昭和57年になって8月15日を期日と定め、引き続き行われてきた。


8月15日には、公の施設は半旗を掲げることになっている。


国を挙げての慰霊の一日である。


広島では、広島護国神社における「英霊感謝祭」と「戦没者追悼広島県民集会」が開催された。


笹幸恵氏の講演「玉砕の島を行く」は、好評を博した。まだ36歳という若さの女性ジャーナリストが、南方の島々をはじめ、大東亜戦争で命を落とされた兵隊さんの足跡を確かめ、歩いてきた中で感じた事をお話し頂いた。


笹氏が幼少時から抱いていた怖さ、なぜ日本は戦争をしたのだろうか、という事について、天啓を与えたのは20歳の頃に読んだ、会田雄次氏の名著「アーロン収容所」だったという。

大学出のインテリだったこともあり、捕虜収容所の中で英語の通訳をしていた著者はあるとき日本側の将校が「戦争を起こして悪かった」と言ったのを通訳した。それを聴いたイギリスの将校が言った。

「君たちは奴隷か、奴隷だったのか。」

「我々は我々の正義を正しいと思って戦った。君たちも君たちの正義を信じて戦ったのではないのか。
負けたらすぐに謝るというのは、奴隷だ。ただ命令されたから戦ったのか。

私は、私の戦友が奴隷と戦って死んだとは思いたくない、サムライと戦って死んだと思いたい。
そういう情けないことは言わないでくれ。」


「アーロン収容所」は色々な読み方が出来る本だ(名著とは正にそのようなものであろう)。


それにしても、このように一人の女性の人生を変えてしまうほどのインパクトを与えたということ。

これは、読み手の資質にもよる。自分はそれほどのインパクトを受け取ることができなかった。


さまざまな解釈に動じないもの。南方の島々に残る兵器の残骸は正にそのようなものなのだ。


そして、言葉とは、そのような解釈に動じないものを刻み込むようにして紡ぐものなのだ。


この人は、そのようにして言葉を紡ぎだそうとしていると思えた。


このような言葉が、今の日本にはもっと必要なのだ。


「全国戦没者追悼式の実施に関する件」(1952年4月8日閣議決定)によれば、「平和条約の発効による独立に際し、国をあげて戦没者を追悼するため」に実施するとされた。

全国戦没者追悼式の実施に関する件

昭和27年4月8日 閣議決定

平和条約の発効による独立に際し、国をあげて戦没者を追悼するため左記により式典を実施する。


一 政府主催で、五月二日新宿御苑において、両陛下の御臨席を仰いで、全国戦没者追悼式を行う。

二 本式典の戦没者の範囲は、支那事変以降の戦争に因る死没者(戦災死者等を含み、軍人軍属に限らない。)とする。

三 本式典は、宗教的儀式を伴わないものとする。

四 本式典中の一定の時刻において、全国民が一せいに黙とうするよう勧奨する。

五 本式典には、全国から遺族代表を参列させる。

なお、参列に要する経費に対し、一定額の旅費を国より補助する。

備考

各都道府県及び各市町村においては、その実状に応じ、それぞれ適当な時期において戦没者追悼の式典を行うよう勧奨する。


「「戦没者を追悼し平和を祈念する日」について」(1982年4月13日閣議決定)によれば「先の大戦において亡くなられた方々を追悼し平和を祈念するため、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」を設け」てその期日を8月15日とし、この日に政府は「昭和38年以降毎年実施している全国戦没者追悼式を別紙のとおり引き続き実施する」ものとしている。

別紙「全国戦没者追悼式の実施について」の内容は、以下の通り。

1.全国戦没者追悼式は天皇皇后両陛下の御臨席を仰いで毎年8月15日、日本武道館において実施する。

2.本式典における戦没者の範囲及び式典の形式は、1981年(昭和56年)の式典と同様とする。

3.本式典には、全国から遺族代表を国費により参列させる。

4.式典当日は官衙(が)等国立の施設には半旗を掲げることとし、地方公共団体等に対しても同様の措置をとるよう勧奨するとともに本式典中の一定時刻において全国民が一斉に黙祷するよう勧奨する。

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2011年8月 2日 (火)

ちょっとでも枝野の言葉を持ち上げた自分がバカだった!!(怒)

菅内閣、譲歩と配慮のツケ
2011.8.2 00:56 (1/2ページ)

 「長い一日だった…」

 1日深夜、羽田空港国際線ターミナル。50人以上の報道陣に囲まれた自民党の稲田朋美衆院議員はこう言ってため息をついた。自民党の新藤義孝衆院議員、佐藤正久参院議員もやや疲れた表情。韓国当局と約8時間あまりも押し問答を続けたこともあるが、「譲歩」を繰り返した日韓外交が両国の溝をより深くしたと痛感したからだった。

 3人は午前11時すぎに全日空機で金浦空港に到着。出迎えた韓国の空港事務所関係者は「法務部」の看板を掲げた部屋に誘導し、空港事務所長が「入国不許可」を告げた。

 理由は「公共の安全を害する」。3人は「テロリストに適用する法律ではないか」「入国理由を聞かずに何をもって『公共の安全を害する』のか」と詰め寄ったが、所長は「分からない」を繰り返し、最後はこう言って部屋を去った。

 「私の権限を越えているので…」

 午後になると韓国側は3人に「ディテンションルーム」(入国を拒否された人たちを仮留置する部屋)への移動を通告。さすがにこれは撤回したが、3人は空港から一歩も外に出ることはできなかった。

 入国の許可は基本的にその国の裁量に委ねられるとはいえ、3人の視察先は竹島ではなく日本政府も韓国領と認める鬱陵島であり何の問題もない。それをかたくなに拒む韓国政府の姿は民主主義国家と言い難い。

 しかも、「身辺の安全上の憂慮がある」として入国拒否を指示したのは李明博大統領だ。訪韓を直前に見送った平沢勝栄衆院議員は「大統領が他国の国会議員の安全を保証できない国が先進国といえるのか」と首をかしげる。

 ただ、新藤氏らが金浦空港を離れる直前、韓国当局者はこう言った。

 「入国させられず申し訳ありませんでした…」


× × ×


 1日の金浦空港周辺は異様な雰囲気に包まれた。

 韓国の保守派団体関係者ら200人以上が集結し、新藤氏らが入った部屋とガラス一枚隔てた位置を陣取り、シュプレヒコールを繰り返した。


菅内閣、譲歩と配慮のツケ
2011.8.2 00:56 (2/2ページ)

 韓国メディアは、新藤氏が硫黄島で玉砕した栗林忠道中将の孫であることをことさらに強調し、旧日本軍をイメージを重ねて世論を刺激した。1日付の朝鮮日報は、3人と合流予定だった竹島研究者の下條正男拓殖大教授が7月31日夜、仁川国際空港で入国を拒否された記事を1面トップで報道。「こっそり入国 摘発 きょう未明 追放」とまるで密入国者扱いだった。


× × ×


 日本政府の動きは相変わらず鈍かった。

 「日韓の友好協力関係に鑑みて極めて遺憾だ…」

 枝野幸男官房長官は1日午後の記者会見で憂慮を淡々と表明。「外交当局として一行の入国についてギリギリまで最善を尽くしている」と“官僚答弁”を繰り返した。

 そもそも日本政府が動いたのは1日になってからだった。7月27日に韓国紙が李大統領が新藤氏らの訪韓に懸念を示したことを報じた際、枝野氏は「韓国側がいろいろと心配しているのは承知している。政府として特段コメントすべき事項ではない」と傍観する方針を表明。これにより韓国側が強硬姿勢をより強めたとの見方もある。

 菅直人内閣は日韓併合100年の「謝罪談話」を出したり、朝鮮王室儀軌(ぎき)の引き渡しを約束するなど韓国への譲歩と配慮の繰り返しだった。尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件やメドベージェフ大統領の北方領土視察などでの主権意識の欠落した対応も韓国の強気を後押ししたとみられる。

 韓国政府は竹島領海内の「海洋科学基地計画」を打ち出し、ヘリポート改修拡張工事を始めるなど竹島の実効支配を着々と強化。韓国閣僚や国会議員の竹島訪問も相次ぎ、韓国国会は12日の「独島委員会」を竹島で開催すると言い出した。

 6月16日には大韓航空が成田-仁川間の新型機導入を記念したフライトで竹島上空を飛行した。

 にもかかわらず、首相は何の指導力も発揮しようとしない。今回の対応を受け、韓国ばかりか、中国やロシアもますます強硬姿勢を強めるに違いない。(酒井充、久保田るり子、ソウル 加藤達也)


弱腰浮き立つ自民執行部 
2011.8.2 01:30 (1/2ページ)

 韓国・鬱陵(ウルルン)島視察を目指した自民党議員3人が入国を拒否された問題では、自民党執行部の弱腰も浮き立った。

 「これは党務の出張ではなく個人の訪韓だ…」

 1日午後の自民党本部。石原伸晃幹事長は谷垣禎一総裁ら党幹部を前にこう断じたが、だれも異論を挟まなかった。協議後、石破茂政調会長は人ごとのようにこう語った。

 「わが党というより日本の国会議員が理解できない扱いを受けることに対しては当然党も政府と歩調を一にしていく」

 新藤義孝衆院議員ら3人はもともと自民党「領土に関する特命委員会」(委員長・石破氏)として訪韓する予定だった。石原氏も許可し、旅費の一部負担を約束していたが、27日に韓国の李明博大統領が視察に懸念を表明したことが報じられると豹変した。新藤氏らを党本部に呼び出すと渡航延期を迫った。

 石原氏「われわれは菅直人首相と戦っている。そのときに外国訪問とは気が緩んでいると思われる」

自民党といい、民主党政府といい、この国の2大政党はいずれも終わっている。

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カエサルの箴言

ローマ人の物語を、久々に読み返している。

読みやすい文章なので、頭の中のごちゃごちゃから逃れるには大変いい。

まさに物語で、小難しい理屈ではなく、RES GESTE (所行)が語られているので、描写に目方があり、心も落ち着いてくるのだ。

この間は、風呂の中で読んでいたら、誤って風呂桶の中に落としてしまい、2日間程乾かしてからまた読んだ。

カエサルというローマ人は、代表的ローマ人の筆頭に挙げられる人物であることは間違いない。

今読んでいるところはガリアでの戦いであるが、ガリア人の性情について記した言葉が紹介されている。


「人間とは噂の奴隷であり、しかもそれを、自分で望ましいと思う色をつけた形で信じてしまう」


この言葉から2000年以上が経過しているが、人間というものは、なるほど変わらないものだと思う。


だからこそ、歴史を学ぶ意味があるのだが。

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行動することで見えてくるものがあるということ

 新藤義孝議員、佐藤正久議員、稲田朋美議員

 この3名の自民党国会議員は、本物のSTATESMANだということが出来る。

 ある行動を起こしてさまざまに起こるリアクションに正しく身を処していくこと。その行動そのものが言葉であり、これは目方を持った言葉だ。政治家としての身の処し方として大変立派だと思った。

 これに対して、POLITICIANであることを晒したのが、自民党の石原伸晃幹事長と、途中で逃げた平沢勝英議員である。また、自民党執行部であろう。「われわれは菅直人首相と戦っている。そのときに外国訪問とは気が緩んでいると思われる」というのが石原幹事長の言である。馬鹿も休み休み言えと言いたい。

 欝稜島にある「独島博物館」を視察すること。

 これは、韓国が「竹島」を占拠していることをどのように主張しているのかを調査することであり、日本の国会議員として、国政調査権として当然あってしかるべき行為だと思う。

 それを、「日本人は殺してやる」というような凶暴な自国民を抑えることもできず、国際儀礼にも最悪の「国旗や当人の写真に放火」してみたり、国旗を引きちぎってみたりと、あまりにもやりたい放題の韓国人の姿はもはや異常だ。

 共通のテーブルにつくこともしなければ解決手段はもはや武力しかない、という事を表明しているようなもので、明らかな日本への挑発行為だ。

 
韓国の議員入国拒否に枝野氏「受け入れられない」
2011.8.1 11:53

 枝野幸男官房長官は1日午前の記者会見で、鬱陵島を視察する新藤義孝衆院議員ら自民党議員3人の韓国入国を同国政府が拒否する方針を示していることについて、「一般論として合法的に入国する国会議員にこのような対応がされることは受け入れられない」と批判した。その上で「そうしたことがないことを期待している」と述べた。


 枝野官房長官が、まともなことを言った。


 しかし、「韓国政府は3議員から訪問目的も聞かずに入国不許可を伝えた。出入国管理法の「公共の安全を害する行動を起こす恐れがある」との入国禁止規定を適用したとみられる。」(産経記事)


 もしこれが事実なら「公共の安全を害する行動を起こす恐れがある」=何の根拠もなく、日本の国会議員をテロリストとして扱ったことになる。


 これは、極めて深刻な外交問題である。


 こんなことが許されるなら、韓国とまともな国交は出来ないということになる。


下條正男・拓大教授 韓国の本質さらした「国外追放」
2011.8.2 00:04 (1/2ページ)


 既に竹島問題を超えて、韓国の対日外交姿勢そのものが問われる問題である。


 韓国の「保守派」というが、彼らは北朝鮮の走狗ではないのか。
 

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韓国・欝稜島視察のため韓国入りした国会議員3名を、「入国拒否」テロリスト扱い!

韓国、自民3議員の入国拒否 「両国の良好な関係に役に立たない」  
2011.8.1 12:05  産経

入国を拒否されたのは新藤氏のほか、稲田朋美衆院議員と佐藤正久参院議員。関係者によると、韓国政府は3議員から訪問目的も聞かずに入国不許可を伝えた。出入国管理法の「公共の安全を害する行動を起こす恐れがある」との入国禁止規定を適用したとみられる。

 新藤氏は金浦空港内で記者団に対し、「納得できない」と語った。日本政府は在ソウル大使館を通じて韓国政府側に説明を求めている。

 新藤氏らは2日に韓国の竹島実効支配の拠点となっている鬱陵島に入り、島内の「独島博物館」などを視察する計画を立てていた。ただ、韓国内では鬱陵島訪問が日本側による「竹島支配」の行動と受け止められ、反対運動が加熱。韓国外交通商省は7月29日に武藤正敏駐韓大使を呼び、新藤氏らの入国を拒否する考えを伝達していた。武藤氏は抗議し、再考を求めていた。


新藤義孝衆院議員 帰国コメント「残念であり遺憾」
2011.8.1 23:56

新藤義孝衆院議員「韓国の竹島の活動拠点となっている鬱陵島の実態を見たかっただけだ。平和的に法律の範囲内での視察が認められなかったのは残念であり、遺憾だ。われわれは安全を脅かす計画はないのに、テロリストや暴力的な犯罪者に適用する法律で入国を拒否され、根拠は何も示されなかった。答えが戻ってこないまま時間が経ち、後は駐韓大使に委ねて帰国することにした。韓国内でデモ活動が騒がしくなったのは望むことではない。竹島問題は本当の信頼関係の元に話し合っていかなければならない」


佐藤正久参院議員 帰国コメント「尋常ではない」
2011.8.1 23:51

佐藤正久参院議員「テロリストではないにも関わらず、テロリストに適用する出入国管理法の条項を適用したことは友好国の国会議員に対して取る対応ではない。訪問の目的や内容を一切聞かずに入国禁止措置を実行するのは尋常ではない。日本政府からも強い抗議を求めたい。

 問題の原因は、日韓双方の主張がかみ合っておらず協議する場がないことにある。政府内や国会に領土保全のための部署を設けることが必要だ。領土問題のトゲを抜かない限り、日韓関係は振り出しに戻ってしまう。双方が真剣に取り組む時期に来ている」

稲田朋美衆院議員 帰国コメント「納得できない」
2011.8.1 23:55

稲田朋美衆院議員「国と国の本当の友好は、自国の立場をきちんと主張し、相手方の主張もきちんと聞くことにある。今回韓国を訪問したのは日本の領土である竹島を実効支配している韓国の立場を冷静に客観的に認識しようということが目的であり、友好国である韓国が私たちの入国を認めなかったことは大変残念に思っている。

 また、その理由がテロリストに適用する韓国の利益を脅かす危険な人物ということであり、それで拒否されたことは納得できない。大使を通じて韓国政府に見解を求めているので回答を待ちたい」


韓国保守派ら200人結集、緊張高まる 自民議員到着の金浦空港
2011.8.1 11:23

竹島(韓国名・独島)北西の韓国・鬱陵島視察のため、自民党の新藤義孝衆院議員らが到着したソウルの金浦空港では1日、保守派の団体の関係者ら200人以上が集まって抗議集会を開催、多数の警察官が配置されるなど物々しい雰囲気に包まれた。

 集会の参加者らは、空港周辺の広場で、竹島の写真と「日本人接近禁止」の文字が印刷された横断幕などを掲げ、入国阻止を主張。空港内の到着ゲートでは「日本人を殺してしまうぞ」と叫ぶ男性の姿も見られた。

 また、1日付の韓国紙は、1面などで新藤議員らの訪問予定を報道。中央日報は「強硬な右翼の日本自民党議員」として、1面に新藤議員らの顔写真を掲載、入国不許可となる見通しを報じたほか、KBSテレビは、訪韓を強行したことで「韓日の外交摩擦が高まる」との憂慮を伝えた。(共同)


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☆ 2011年8月7日(日)ウイグルの被爆を考える集会  ご紹介!

☆ 2011年8月7日(日)ウイグルの被爆を考える集会

【日時】2011年8月7日 午後17:00開場 17:30開始

【会場】広島県広島市中区袋町6番36号
    広島市まちづくり市民交流プラザ 北棟6F スタジオ

【会費】500円

【内容】「Death on the silkroad」上映、

    イリハム・マハムティ会長 挨拶

    ウイグルの核実験についての説明

【主催】日本ウイグル協会

広島、長崎の被爆から今年は66周年になります。
66周年にあたり今年もウイグルの核災害について集会を行います。
中国では、新疆ウイグル自治区(東トルキスタン)の楼蘭付近で核実験を行い、
周辺住民への甚大な健康被害と環境汚染とがもたらされています。
中国は1964 年から1996 年まで東トルキスタンのロプノールの核実験場において、
46回、総爆発出力22メガトン(広島原 爆の約1370 発分)の核爆発実験を行いました。
中国は核実験の被害状況を公表せず、現地調査も許可しないため、被害状況は長い間不明であった。
1992年にウイグル人、アザト・アキムベク、ユシュムベク・ムフリーシが世界被害者大会で被曝の状況を訴え、
1998年にイギリスのチャンネル4が「Death on the Silk road」というドキュメンタリーで
ウイグルの被曝の状態について放送を行なった。2008 年には札幌医科大学の高田教授が
カザフスタンのデータとRAPSから分析した結果、死傷者が100万人以上であると推論しました。
中国共産党の極秘資料によると75万人の死者が出たとも言われます。
核実験の中でも「地表核爆発」は、砂礫などの地表物質と混合した核分裂生成核種が大量の砂塵となって、
周辺および風下へ降下するため、空中核爆発と比べて核災害の範囲が大きくなります。
このよう な危険な実験を、中国政府はウイグル人居住区で行いました。
本集会では中国核実験の一端を調査したドキュメンタリー「Death on the Silk road」を上映します。
また中国の核実験について簡単に説明していきます。
皆様のご参加宜しくお願いします。

特定非営利活動法人 日本ウイグル協会
〒162-0067 東京都新宿区富久町16-11
武蔵屋スカイビル405
Tel.: 03-6273-1459
FAX: 03-6273-1460
メール: info@uyghur-j.org


尚、ウイグル協会では、8月6日、7日、広島市内において、街頭での広報活動を予定しています。

支援が可能な方は是非かけつけて下さい。詳細は上記までお問い合わせください。

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