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2011年7月

2011年7月31日 (日)

86広島平和ミーティング 三たびヒロシマの平和を疑う! まであと1週間

このセンセーショナルなネーミングは凄いと思います。

一昨年は、極左の秋葉市長が、露骨な言論弾圧をおこない、昨年は、逆に無視することで封じ込めようとしました。公民館にはチラシさえ置かせてもらえないという異常事態(極左団体の主催する行事のチラシは山と積まれていました!怒)

今年は、戦後の広島市長では、ほとんど初めての保守系の松井市長が誕生しました。

しかしながら、この66年のこびりついた垢は容易には取れそうもありません。

陰湿な妨害を試みる勢力が広島には潜んでいるのです。産経新聞広島版に次の記事が掲載されました。

田母神氏ら講演会ポスター、はがされる被害相次ぐ 広島市内


甚だレベルの低い人たちが存在すること自体、広島の恥だと思われますが、それほどに「ヒロシマ」の闇は深いわけです。


「ヒロシマの平和」とは、何か。異論を許さないこわばった言論空間そのものであるといえるでしょう。

これを打ち破らない限り、眞の平和は訪れないし、守れない!


レームダック化しながらも権力の座にしがみつき、思いつき?個人的発言?のようにみせかけながら、大きく国益を損なう発信をし続ける菅総理が、8月6日に一体何を言うのか。恐るべきものがありますが、ここにおいて86広島平和ミーティングの意義はいやがうえにも大きくなるでありましょう。


田母神俊雄氏と青山繁晴氏という二人のビックネームが、菅総理の発言に即座に反撃出来ることになります。


今年は全国各地(といっても長崎、東京、大阪、兵庫の4か所だが)においてインターネット中継で同時に視聴できる会場が設けられるということです。広島のメイン会場のみならず、全ての会場が貴重な場となるでしょうね。

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2011年7月30日 (土)

偏執狂

日本は唯一の被爆国だと、日頃から宣伝もし、教育もしているにしては、放射能についての科学的な教育がなされていない実態が浮かび上がった。

放射線が何かも知らないから、何か悪性の伝染病であるかのような騒ぎ方をする。

そしてそれを煽る人たちがいる。

そもそも「被爆」と「被曝」の違いも区別されていない。

徒に放射線を「悪魔化」して、原発糾弾の種にしているのだ。

ところが、「放射線」は悪魔ではないということが、医療界においてはむしろ広くしられかつ以下のように言われている。

ホルミシス効果について

低量放射線は健康に良い、というホルミシス効果は、既に臨床現場において活用されている。


ところが、今回の福島原発事故によってまかり通っている言説は、

「放射線はどんなに低量のものでも危険だ」

「放射線は蓄積されるから低量でも長時間曝されたトータルの線量が問題だ」

などである。


福島原発事故は、今や反原発運動のために利用され尽くしていると言って良い。


政府自ら風評被害をバラまき、拡大させるような動きと、反原発運動は、対立しているように見えながら補完関係にあるように見えてならない。


そして、その目標は、全ての原発の停止、ではなく、日本の弱体化であると見て良い。


総合的なエネルギー政策のビジョンもなく、エネルギー政策が国全体に及ぼす影響やバランスなども考慮に入れず、日本の足元を掘り崩そうとしているのが、今、菅がやっていることだ。


菅の背景に、北朝鮮が存在していることが明らかになってきたが、まさか文字通りの売国奴が首相になってしまうなどとは、国家の危機管理は機能していないのか。人体にたとえて言えば、脳髄をウイルスに侵されたようなものだ。それは死に至る病である。一刻も早く排除しなければならないことは当然。

よく、原発が爆発することを、原爆を抱えているのと一緒だという人がいる。

しかし如何にテロリストによって爆破されようが、原発が核爆発を起こすことは原理的に有り得ないということを知るだけで、その話が如何にまやかしに満ちたものかが知れる。

放射性物質の拡散の問題と、核爆発という巨大な破壊的エネルギーの解放とは区別されなければならない。


偏執狂のような反原発カルトの暴走は、国を危うくする。

その先頭を、首相の肩書を持った人間がしているのだから、夏の怪談と言っていい。もちろん、それではすまないのだが。


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2011年7月20日 (水)

黙祷のたびに

なでしこジャパンが米チームを下して優勝した。

東日本大震災の被災者に勇気を与えたいと頑張ったやまとなでしこたちに、心からおめでとうを言いたい。


それにしても、あの大震災の日から、犠牲者の方々に黙祷を捧げる機会が何度もある。


そのたびに、大変強い霊力というのか、合掌をすれば指先に、また眉間の間に、電気の走るような感じを受けるのである。


戦後初めて万の単位で犠牲が出たこの大災害は、深いところで日本人の心を揺さぶっている。


犠牲になられた方々の御霊は、この国の有様をどのように見ておられるのだろうか。


日常があっという間に押し流されてしまう。ありうべき明日がもうない。このことを飲み下すことは、できない。


それでも、後ろを振り向いたら前に進めないと、今、とにかく前に進もうとしているのが、被災者の方々であるし、心を同じくする日本人である。


柳田国男が示した、この国における死者の魂の行方についてであるが、この国の死者は、この国にとどまって、草葉の陰から、子孫を見守っている。


亡くなった方々の御霊は、生き残った家族のもとに帰ってきて、見守っているのである。そしてそれは今の日本全体を見守っておられるのだと感じる。黙祷のたびに感じる強い霊的な磁場は、その証ではないのか。


この国に、何度でも生まれ変わってきたい。それが、この国人の切なる願いである。


古く長い民族の伝統。死者とともなる生。それを見失っていた時代が劇的に終わったのだと思う。

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どう見ても 政治災害

福島原電事故について

風評被害を拡大し、不安を煽り、福島県民から故郷を奪っているのは、どう見ても、現在政権を担当している菅総理その人であり、これは政治災害と言ってよい。

災害の源を根絶しなければ、この災害の復旧に立ちゆくはずもなく、この災害の源である菅総理を剪除することが何よりも重要な復興対策になる。

政治災害という言葉があるのか分からないが、これほど当てはまるケースはほかにない。

地震、津波の被害への対策も、政治レベルでは全然進まない。これも、無能な菅総理という政治災害である。

最低最悪といえる前首相に、更に輪をかけて最悪な総理を排出した民主党という存在。存在それ自体が害悪であり、政党政治がいかに機能しないかを如実に示している。

能力以前に人間性で云々される菅という存在。能力も最低だが、それを自覚していないところはさらに下の下。

こんな人間を政治家として許してきたこと自体が大きな間違いだった。

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2011年7月16日 (土)

BLOGに書くことと書かないこと

 リアルな個人情報を書くことは、まずない。


 他人から見ればいかにリアルに書いても他人事であり、絵空事とあまり変わりはないとはいえ。


 書いていることに、嘘はない。嘘というのは、思ってもいないこと、という意味だ。


 思っている事を書いている。

 

 それだけでいいだろう。

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名前に特許はない。

 このブログのコメント欄は許可制にしてある。

 だから、つまらないのか、ほとんどコメントが寄せられることはない。


 だが、ときどき、意味のあるコメントが寄せられる。姉妹ブログの「わが古典」には、紹介した和歌の作者の子孫の方が言葉を寄せて頂いたことが何度かある。


 これは本当にうれしいことだ。


 さて、この記事を書こうと思ったのは、もうかなり前になるが、コメントにこの「橘正史」という名前を使っているのがけしからんという意見が寄せられた。


 なんでも同僚の名前なのだそうで、その同僚は、それで甚だ迷惑しているのだそうだ。


 ここに書いていることは、別に同姓同名のその人物の責任ではない。同姓同名の人物など、世の中にはワンさといることだ。

 この名前はペンネームとして使っている。ある思いを込めているのだが、それはここで述べるつもりはない。


 この名前で生きてきた人がいるというのは、ある意味不思議な気持ちもする。

 ただ、残念なことに、名前に特許はない。たぶんない。その名を騙ってなりすましたというなら別だが、もともと、この名前でパーソナリティを作り上げてきたのであって、誰かになりすましたり、誰かを騙ったりしたことは一度もない。


 だから、同姓同名の人。迷惑だと思ったら、あれは自分とはまったく関係ない他人の事だと言ってやってください。

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再び問う。 福島原発事故において、放射線による死者はいるのか!

やはり、という流れになっている。

日本人というのは、とても分かりやすい人々だ。


福島原発「事故」で、管首相が「脱原発」を今後の方向性として打ち出した。

初動での対応を妨害し、「事故」を深刻化させた張本人。


東電をスケープゴートにし、自らの無策にはほほかむりを決め込み、パフォーマンスで浜岡原発をとめた。

明らかな越権行為であっても、非難されないと踏んでのパフォーマンス。

これは、まさに「独裁者」のふるまいである。


各地で「反原発」の運動が頭をもたげている。


一般市民が加わっているが、その中核となっていると思しき人々の姿は、YOUTUBEなどで見るにあまりにも異様な人々だ。カルトという言葉が一番よく似合う。この機会に、そういう連中が、これまで中々巻き込めなかった一般人を取り込もうという戦略なのだと、誰かが言っていた。さもありなん。哀れなのは、善良なる人々か。

福島原発「事故」の犠牲者、確かに命を落とされた方々のことが報道され、本当に痛ましいと思う。


しかし、そのいずれもが、強制退去命令に絡んでの事である。つまり、政府の、いや管首相の未必の故意による殺人と言えるのではなかろうか。

繰り返して言う。福島原発「事故」において放射線による死者はいるのか!

影響は10年後、20年後に出てくる。そういう答えが必ず帰ってくる。

だから、今どうなんだ。

答えはない。そう、いないからだ。

放射性物質をそのままにしておいていいとは言わない。

しかし、東京オリンピックの当時、現在の一万倍の放射線を浴びていた人々は、今どうしているのか?

核実験が繰り返されていた時代(今も完全に終わったわけではもちろんない)は、今と比べ物にならない放射性物質を浴びていた。それと比較して、今、どうなの?

影響がない、とは言わない。というかそんなことは分からない。


しかし、今、生き延びなければ、10年後も20年後もないことだけは事実だ。


10年後、20年後の確率的な健康維持のために、今の全てを犠牲にする。


史上空前の、政治的害悪。管。絶後にしなければならない。

原発を止める。いいだろう。代替エネルギーの研究開発、当然だ。


しかし、火力発電の100%稼働と、水力発電の50%の稼働で、原発がなくても賄えるという、おおざっぱな計算をを聞いたが、火力発電はメンテナンス、必要ないんですか?火力発電は、トラブル、ないんですか?

エネルギー、そんなに簡単に入手できるもんなの?


絵空事がまことしやかに見えてくる。

電力は国家の柱だと、戦後、故郷を水没させ、ダムをつくってきた。


故郷を返せ。


それで、火力発電。CO2削減しなくてどうする。


じゃあ、原電(こういうのが正しい!)。いいじゃないか。

としてきたわけだ。

絶対の安全などこの世界に存在しない。

絶対の危険もどうようだ。


いかにしてリスクを抑えるのか、許容範囲をどう設定するのか。

リスクを取らないで生きることなど、出来はしない。生きること自体がリスクである。

絶対安全、絶対平和。

まことにカルティックな響きがする。


原電を止めても、節電すればいい。そして、産業は海外に拠点を移せばいい。失業者が出ても関係ない。


この小さな国土で、一億の国民が生きていくために必要な経済力。そんなものは必要ない。江戸時代に戻って3000万人程度にまで縮小して、あとの8000万人は生きていく道を断たれようが、四散しようが、構うこっちゃない。


そのあとに、中国人がぞろぞろ入ってきて、この美しい国土を蹂躙しようが、そんなことは知らない。


原発ラッシュの中国に、技術者がみな流れていく。日本は技術も失って、立ち枯れていく。

そんな未来予想図を、管は描きながら、今、着実な一手を打っているのだ。稀代のペテン師、革命家。

彼は墓も残らない末路を辿ることになるだろう。との未来予想図を、自分などは描いて見るのだが。

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2011年7月14日 (木)

紹介 中国の核実験と周辺住民の被爆 論文

中国の核実験と周辺住民の被爆


素粒子論研究論文


学術論文として、高田先生の「中国の核実験災害」に続く成果ではないかと思います。


ご参考まで。

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