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2011年4月15日 (金)

理系と文系について

 よく理系の人が文系をバカにするという場面に出くわす。

 面白いことに、文系は理系をバカにしない。というかあまり気にしていない。

 日本の政治が悪くなった原因を、首相が文系ばかりだったからだ、ということをいう医学専攻者たちがいた。

 理系の首相が2代続いたが、未曾有の政治的貧困と災害をもたらしつつある現在、彼等の意見をもう一度伺いたいものだと最近思う。

 文系は、理系をバカにしない。その精緻な頭脳を尊敬するからでもあるが、そもそも文系と理系などと分けること自体、余り意味がないのではなかろうか。


 鳩山首相も、菅首相も、理系だったから愚かなのではなく、単に愚かな人々だったというに過ぎない。

 自分は理系で頭がよいから指導力も政治的判断力もあると、自分自身を勘違いしていたわけだ。

 学問には様々な分野がある。理系とか文系とかいう前に、問題となるのは、学問に志す初志にあると言える。

 河村幹雄博士は、地学を先攻していた。しかし、国民精神の崩壊を憂い、精神的な作興をめざしての言論・教育活動に力を入れられた。その苦闘の跡は遺稿集「名も無き民の心」に記されている。


 初志こそが大切なのだ。


 それなくして、専門に進むのは、きちがいに刃物を与えるよりも尚悪い。

 政治家にしてもそうなのだ。初志の確立なくして政治家を目指すのは害悪であろう。

 権力獲得だけをめざしてきた菅総理は、ここにきて、権力は何のために使うのか、思い知っていることだろう。

 自分のために権力を振るう人間は、災厄である。

 政治家に求められる最低限の資質が、無私の精神であることを思わざるを得ない。


 今、福島原発事故に立ち向かっている人々は、文系とか理系とか関係なく、無私の精神を発揚している。

 日本人は、現実に直面したとき、自らの役割に全てをかける傾向がある。

 問題は、現実に直面しない人々、つまりは高級指導者層にあって、自らの役割を自覚せず、無私の精神を発揚できない人々が多いということである。これは、日本人の欠点であると思われる。

 唯一、 天皇陛下だけは、無私の精神に立ち、この未曾有の災害に対処されているのである。

 昔、天皇陛下の大御心を体していたことが、政治家・軍人ら指導者層の精神を引き上げていた。だから立派な人々も多かった。

 今、天皇を棚上げにした戦後の中で、指導者層の堕落振りは著しい。無私の精神を体している指導層の寥寥たる状況が、当に戦後の結果であり、戦後日本の悲劇であると思われるのである。

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