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2011年1月

2011年1月25日 (火)

陛下の期待を裏切り続ける国会からの脱却を

通常国会開会式でのお言葉
2011.1.24

 24日の通常国会開会式での天皇陛下のお言葉は次の通り。

「本日、第177回国会の開会式に臨み、全国民を代表する皆さんと一堂に会することは、私の深く喜びとするところであります。

 国会が、永年にわたり、国民生活の安定と向上、世界の平和と繁栄のため、たゆみない努力を続けていることを、うれしく思います。

 ここに、国会が、当面する内外の諸課題に対処するに当たり、国権の最高機関として、その使命を十分に果たし、国民の信託に応えることを切に希望します。」

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民主党の岡田幹事長は、昨年、外務大臣の際に、国会開会の際の陛下のお言葉について、「陛下の思いが少しは入った言葉が頂けるような工夫を考えて欲しい。わざわざ国会に来て頂いているのだから、よく考えてもらいたい。」
と述べて物議を醸した。

宮内庁への苦言ということだったが、実は、内閣で原案を作成していることがわかり、まさに天に唾する結果となった。

その経緯はともかくも、陛下のお言葉に添うような国会になっているのか、そもそもそこことを考えてもらいたいものだ。

「全国民の代表」に相応しい見識と言動はどうか。

「国権の最高機関として、その使命を充分に果たし、国民の信託に応える」責任を果たしているのか。


 陛下の大御心を体して、国事に当たる政治家こそが今、日本には必要なのだと思う。

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2011年1月23日 (日)

「愛国消費~欲しいのは日本文化と日本への誇り~」という本

 「下流社会」という本がベストセラーになったことがあって、その著者が三浦展という人物だ、ということも、この本を読んで知る位、あまり興味の範疇に入らない人だった。


 この本を手に取ってみたのは、「愛国消費」の愛国の文字と「景気回復の鍵は「ニッポン」だ!」という帯にある「ニッポン」の文字だと言ってしまえば、何とまあ、単純なと言われても仕方がない。


 実は、表紙を見てというのが本当のところなのだが。笑顔の女性がベンチに座っていて、その頭の上に「欲しいのは日本文化と日本への誇り」とある。


 それで、読んでみた。


 さまざまなデータや統計を駆使しての分析から積み上げていく論考は面白い。


 「日本人としてのアイデンティティや誇り」が求められる時代を今迎えているということなのだが、その過程分析はなるほどとうなづかせられる。


 高度成長期のめざせ「経済大国」という「大きな物語」の時代が終わり、「経済大国」という現実の中で、いかに一人ひとりが生きていくのかという「自分らしさ」探しの時代に移行した1970年代(昭和45年~)。そこからけっきょく「自分らしさ」というものがわからずに、マニュアル化に走っていったのが80年代(昭和55年~)。ところがマニュアル通りに生きるのはしんどいので、本当の「自分さがし」が始まったのが90年代(平成2年~)、という時代の流れを描いてみせる。


 なるほど、と思う。

 面白いな、と思った指摘は「海外高級ブランドには日本人としての「誇り」は持てない」というものだ。

 自分らしさがわからず「海外高級ブランド」を身につけることでそれを担保しようとするのだが、いくら高級ブランドを買っても誰からも「感謝されない」という問題にぶつかる。

 そして、「人は、個性化、多様化と言いながら、他方では画一化、同質化を求めているのである。特に現在のように、不況が長期化し、先行きが不透明になると、人はより画一的な格好をして、不安を解消しようとするのではないだろうか。」個性的に画一化している「流行」の格好をする人々を見ているような感じがする。たしかにどこか不安な気配が漂っている。つづいて「では、多くの日本人が安心して同一化でき、かつ自分らしさも否定しないですむものは何か。それは「日本」なのだ。ここに、「自分さがし」が「日本志向」に反転する理由がある。」との指摘は成るほどと思わせられる。

 まとめて「近年の和風傾向、日本志向的な現象が、日本人が今「日本」という大きな物語を欲しているために生まれているということ、その「日本探し」の潮流が、過去40年ほどの間の「自分探し」との関わりで生まれているということ、そして、近年のグローバリゼーションによる日本の社会、企業の流動化が、日本人にふたたび「日本」という永続的な価値、誇り、正統性を求めさせていることを述べた」としている。


「手段的」「自己拡張的」日本志向から、「自己充足的」「自己肯定的」日本志向へ、という指摘もなるほどとうなづかせられる。


 「愛国」がトレンドになる。

 今やそうした時代を迎えている。

 しかし、それは単に旧態依然としたものの復活ではない。

 日本という大きな物語と、日本人であるというアイデンティティと、自分という個性が一つに貫かれて生きることの肯定ではないだろうか。

 しかし、どうもフワフワした印象が拭えない。それは、どこかに日本を語ることへの引け目があるように思えるのだ。


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尖閣諸島を守るための署名運動が進められています!

日本会議「尖閣を守れ!全国署名運動


協力していきたいです。


それにしても、尖閣諸島を巡る情勢は一体どうなってるのでしょう。

ひとつだけ言えることは、昨年9月7日に起こった中国漁船による日本の海保巡視艇への体当たり事件は、突発的な事件ではなかったということです。

そして、9月24日に処分保留で中国人船長を釈放してしまった那覇地検の「政治的」判断は、何重にも国益を害したということです。

中国は一時期、体当たりしてきたのは海保巡視艇だと非難し、世界に向けたアピールをしていました。ところが、海保職員によるビデオの公開によりその大ウソをつき続けることが出来なくなりました。


うそつきは泥棒のはじまりとは、日本の諺ですが、たしかに泥棒の始まりのようで、尖閣諸島を奪う気満々であります。今年は世界中の中国人が尖閣に舟を連ねて押し寄せようとアピールをしていますが、東シナ海の藻屑にならないことを祈るばかりであります。


いずれにせよ、日本は、備えなければなりません。そして時間は余りにも限られています。この通常国会で何らかの処置が取られる必要があります。

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2011年1月21日 (金)

平成の皇太子とモンゴル   知ってますか?「皇太子殿下~皇位継承者としてのご覚悟~」 その2

 日本の隣国といえば、ロシア、北朝鮮、韓国、中国と、色々な厳しい問題のある国々ばかりとという印象は否めない。

 しかし、直接境を接した隣国ではないが、近隣の国として、モンゴルがある。大相撲を通してモンゴル出身力士も少なくないが、そうした面だけでなく、日本にとって重要な国なのである。

 ロシアと中国という厄介な隣国との関係を持つ我が国としても、モンゴルとの関係は地政学的にも日本にとって大きな意味があると言えるだろう。

 先般、「クロッシング」という北朝鮮から脱出する人々を描いた映画を観たが、北朝鮮国境を越えて中国に入り、中国から北の草原を抜けてモンゴルを経由して脱出するというルートを描いていた。クロッシングの主人公の少年は、中国とモンゴルの国境の鉄条網をくぐりぬけてモンゴル側への脱出に成功したが、寒い草原の中で凍え死んでしまうという結末を描いていた。南北に分断された朝鮮半島を繋ぐ橋渡し役としてのモンゴルという国の存在に目を見開かされた映画ではあった。

「皇太子殿下モンゴル国ご訪問」という一文を書いたのは、野村一成東宮大夫である。

皇太子殿下の側近である野村大夫は、平成19年7月10日~17日、日本モンゴル外交関係樹立35周年に際しモンゴル国を訪問された皇太子殿下の首席随員として随行された。

様々な興味深い話が紹介されているので、詳しくは是非とも本文をご一読願いたいわけだが、心に残るエピソードが紹介されている。

「モンゴルは雨がとても少ないところで、年間降雨量が日本の一日分位しかありません。ですから、雨は非常に貴重で、大地に緑をもたらし、家畜を肥やし、民族が命をつなぐ源泉なのです。モンゴルでは、昔から「徳のある人は雨をもたらす」と言われ、客人が来た時に雨が降ると、恵みをもたらしてくれたといって感謝するそうです。」

「そして、殿下の地方ご訪問中、まさにそのようなことが繰り返しありました。殿下が行かれる場所では、その前に雨がザーッと降りまして、皆さん喜ばれるわけです。と同時に、雨が強く降っているときに殿下が来られたらどうしようという不安も起こる。ところが、いざ殿下をお迎えするときには、雨はすっかり上がっているわけです。地方の知事などの歓迎の言葉の中でも、そういったことについて触れられていましたが、そういう意味で、殿下は恵みの雨をもたらしてくれる、大変素晴らしいお客さんだということで、感謝されたということがございました。」


昭和天皇が、アメリカをご訪問になられた際に、どんなに天候が不順であっても、必ず晴れたということで「エンペラー・ウェザー」(天皇晴れ)と言われたというエピソードが思いだされる。

興味深いのは、その地において最も良いとされる天候がおとずれるということではなかろうか。晴れなら晴れ、雨なら雨、のような硬直した変化ではなく、その土地の人々が最もそうあれかしと願うことを実現されるということ。

日本の各地における行幸啓の際にもこうしたお天気の事は伺われる。

印象深く思いだされることとしては、今上陛下が皇太子殿下時代に、沖縄を訪問された際、台風が近づいて90%の確率で雨という天気予報にもかかわらず、殿下がご到着になる直前には雨が止み、お日様の光がさし、お立ち去りになるとまたどっと雨が降る、といった場面が何度もあった。


平成の皇太子殿下は、モンゴルにおいて、その御徳を十二分に発揮されたと言えるかも知れない。


更にこの一文では、ノモンハン事件のこと、抑留者の墓地への参拝、蒙古襲来とは別に両国の交流に関するお言葉など、本当に両国関係の奥の奥にまで手の届く交流活動の様子が知られる。


殿下のライフワークの水問題のお取り組みが生きる国でもある。


「新しいご公務」ということを巡りご発言をなされたことがあるが、皇太子殿下は、そのご行動によって具体的に新しい地平を拓いてこられているのだと感じられた。

それは、世界人類共通の水問題を通じて、世界の進運に寄与し、その一筋のテーマを応用しつつご公務を総べられていかれるというお姿である。これはまさに今上陛下が切り拓いたグローバリズムの時代における日本の皇室の在り方をさらに一歩発展させたお取り組みではないかと拝察される。


この素晴らしい皇太子殿下をいただくこの日本の国に生まれたことを喜べないのでは、バチがあたるな、と感じた。


第二部は、若手の記者によるエピソードだが、知られていない、だが本当に目開かされ心洗われる事実に満ちている。これは、読んで頂くより仕方がない。

皇太子殿下、万歳!

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知っていますか? 『皇太子殿下~皇位継承者としてのご覚悟~』 その1

『皇太子殿下~皇位継承者としてのご覚悟~』

明成社有志ブログより 週刊朝日の誹謗記事について


 皇太子殿下について、今の日本人はどれほどのことを知っているのだろうか。


 勿論、そんな偉そうなことを言えるほどの立場でも何でもないことは充分弁えつつも、本当にもったいない事だと思うのである。


 この本は、数少ない、皇太子殿下のお姿を伝える、希有な一冊ではなかろうか。

 第一部では、3人の方々がまとめておられる。

 一人目は、ジャーナリストの打越和子さんである。

 この方は、皇太子殿下がご成婚された際に、皇太子殿下の歩みをまとめた冊子を出されたことがあり、大いに学ばされることがあった。

 「皇太子殿下~皇位継承者としてのご決意」との一文は、皇室の伝統を正に御身に体現されておられる皇太子殿下のお姿を、様々なお言葉から紹介している一文である。


 「皇位継承者」という立場は、皇太子殿下特有のものであることは、言うまでもないことだが、そのことの重みを同時代を生きるものとして推し量ることは決して当たり前ではない。

 花園天皇の「誡太子書」を取り上げられ、

「この中で花園天皇は、まず徳を積むことの必要性、その徳を積むためには学問をしなければならないということを説いておられるわけです。その言葉にも非常に深い感銘を覚えます。」

と述べられている。そして、

「花園天皇の言われる「学問」とは、単に博学になるということだけではなくて、人間として学ぶべき道義や礼儀をも含めての意味で使われた言葉です。私も五十歳になって改めて学ぶことの大切さを認識しています。」

と続けられている。

この一文は決して長文ではないが、皇室とは何か、皇太子殿下のご覚悟とはどのようなものであるのか、拝察申し上げることのできる文章である。


2つ目の「皇太子殿下と世界の水問題」というテーマで 国連水と衛生に関する諮問委員会員の尾田栄章氏の文章は、水問題という世界的な課題を協議する「世界水フォーラム」という場において、国連「水と衛生に関する諮問委員会」の名誉顧問をお務めになられている皇太子殿下が、いかなるご活躍をされているか、という具体的な話しである。

ご活躍、といっても、何も殿下がスタンドプレーをして目立って何かをしている、という訳ではない。

こんなエピソードが紹介されている。

第一回アジア・太平洋水サミットに関して、その設立に向けて東京で開催された準備会合の折り、殿下にご接見を賜った委員の人々は、東宮御所からの帰路に「我々はもっともっと頑張らねばならない」と大変盛り上がったという。

「勿論、殿下からあれをやろう、これをやろうと言われるわけでは全くないのですが、殿下とお話しをさせていただく仲で、皆の胸中にある意欲や想いがかき立てられていくという感じなのです。」

「殿下のご接見に陪席していて感じるのは、ごく自然な対話の仲で、話している人間の問題意識のようなものが次第に明確になっていくように見受けられます。」

このことは、実は日本人の委員だけのものではないことが最後に語られている。

「世界の人たちは、皇太子殿下以外の方では務まらない役割を殿下にお務め頂いていると感じているようです。ご自身が積極的に周りを動かされるのではなく、そこに居られることによって周りが自然に活性化されて動いていく。」

「皇太子殿下は世界の調和ある発展を水問題の解決を通じて実現するという目標に向かって、まさに余人をもっては代えられない役割を担っておられます。ある意味では日本を超えた大きな位置にお立ちのようにお見受けします。そのことに一番気付いていないのは日本人かもしれません。」

「世界の人たちはすでに水問題は殿下の立派なご公務だと受け止めているようです。そこまでに殿下が努力なさっていることを、私たち日本人もしっかりと心に留めたいものです。」

(続く)

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『僕と妻の1778の物語』を見た

 TOHO CINEMASに何気なくゆく。

 見ようと思っていた映画が見られなくて、何の気なしにその場で決めて観た。

 「牧村朔太郎、節子」夫婦のものがたりだが、「眉村卓、悦子」夫婦のもじりで、読んでみると音が良く似ている。


  「1778の物語」とは、大腸がんになった妻節子に、自分には何が出来るのかを思い、物語を書くことだと思い定めて、1日一作、原稿用紙3枚、笑いがこみ上げてくるようなもの、として取り組んだ「朔太郎」の書いた物語だ。

 医者が言った笑うと免疫力があがるという話しもある、という言葉をきっかけとして妻のために毎日書いてゆく。

 ところが、節子は、自分の病気が不治の病であると、その物語を書くと言った朔太郎の言葉で気付いてしまう。

 それでも、毎日その原稿を読むのである。


 2回、夫婦が激しい喧嘩をするシーンがある。


 1つめは、朔太郎が、自分の意に沿わない「恋愛もの」の小説の仕事を引き受けたことを、節子が知った時である。保険のきかない高額の抗がん剤のためと、薬の領収証から知る。

 あなたが意に沿わない仕事までしなければならないなら、自分はそうまでして生きていたくない、と節子が言う。

 二度とそんなことを言うな、と朔太郎が大声を上げる。

 朔太郎が部屋にこもってふと気付くと節子がいない。どこにいったのかわからない。

 夕方になって節子が帰ってくる。

 節子が「あなたの書いた恋愛ものの小説を読みたい」という。

 目を通して、今までで一番つまらないね、という。すると朔太郎は、「僕もそう思ってた」という。

 この仕事をしなくても、他の仕事があるからやっていけるから、と言って仲直りをする。


 2度目は、抗がん剤治療でがんの進行が止まったという医者の言葉を信じて、かねて二人で行ってみたいと語りあっていた、北海道の草原に旅行に行く。新婚旅行も行けなかったふたりの唯一の旅行なのだ。はじめてツーショットの写真も取れた。

 しかし、がんの進行が止まったというのは、節子が医者に頼んだ嘘だった。強い抗がん剤で抑えてもらったに過ぎなかったのだ。まだ動けるうちに二人で行きたいところがある、という願いを汲んでのことだった。

 病室で、何で、と迫る。

 もう治らないんでしょう。節子は言う。

 「治らないなんていうな」と朔太郎は叫ぶ。

 朔太郎が、一日一つの物語を書くと言った時、自分の病気が治らないものだと分かったと、明かす。


 本当に、胸を打つ夫婦愛の物語である。


 そして、「最終回」1778話。

 妻、節子にしか読むことのできない、物語。


 この話が、実話に基づくものだと知って驚いた。この世は捨てたもんじゃない。そう感じさせてくれる映画だった。

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2011年1月16日 (日)

平成23年 御歌会始  皇太子妃殿下の御歌

吹く風に 舞ふいちやうの葉 秋の日を 表に裏に 浴びてかがやく

 昨年十一月終わり頃、愛子内親王殿下の御通学になる学習院初等科にいらっしゃった折に、校庭に立つ一本のいちょうの木をご覧になって詠まれた御歌とのことである。


 文芸春秋新年号に、ジャーナリストの友納尚子さんの「雅子妃は愛子さまを甘やかしているのかー皇太子一家をめぐる「誤解」と「曲解」と「無理解」の淵源ー」という一文が掲載された。

「ほとんどの問題が杞憂か誤解、あるいは「心の病」に対する周辺の無理解によるものではないかと確信している」という友納さんの言葉に、ああ、この方は、ジャーナリストとして本当の良心を持った方であるなと思い、丁寧に読ませていただいた。

 愛子内親王殿下がお元気でご成長されることを祈る国民の一人として、昨年は心の痛むことが次々と起こった。妃殿下の「適応障害」の御病のことについても、本当にご回復の一日も早からんことを祈る中で更に起こった学習院初等科における「学級崩壊」の事件である。


 それにしても、 皇太子殿下というお方は、本当に素晴らしいお方だとつくづく思う。何という強い方なのだろう。


 天皇陛下の事を学ぶ時、敬意を忘れてはならないことは勿論だが、一方で、同じ人間としての側面からも学ばねばならないとは、故小田村寅二郎先生の教えてくださったことである。(言葉がその通りではないかもしれないが)

 同じように、皇太子殿下の御姿勢を拝察した場合、以下のようになろうか。

 奥さんが心の病で、娘が学校でいじめにあい不登校になってしまい、仕事の責任は重くのしかかる中、それらを全て毅然として引き受けて尚動じずに、人々の前に立って心を砕き、精励する。

 男として、これは大変な強さではなかろうか。


 さて、昨年のこと。

 「昨年は、天皇陛下御在位二十年と御成婚五十年にあたり、記念式典や東宮御所での御内宴など重要行事が続いた。年明けも、新年一般参賀のお出ましがあり、一月十七日の阪神・淡路大震災十五周年追悼式典に出席された宿泊公務は、二年ぶりのことだった。」

 「同月、三日間連続で東宮御所内においてご進講を受けられた。翌月もご進講やご接見に連日出られたのだった。「このままご接見やご進講が続いてご体調が良ければ、更に年内に泊り掛け公務ができそうだと大きな期待が寄せられていました」(宮内記者)」

 この数日後に、愛子様のことが分かるのである。

 「風邪をひかれた愛子さまを侍医が診ている時のことだった。「もう学校に行けますね」という問いに愛子さまは「学校に行くと食欲が無くて求職が食べられないから今日はお休みするの」と、ぽつりと漏らされたのだ。いつもと違うご様子に異変を感じた侍医が、愛子さまにやさしく尋ねると、学校に乱暴な男子児童がいて、大変に怖い思いをされたことなどを明かされたのだった。実は、愛子さまはご静養中の雅子妃に気を使われて、「あんまりお母さまに心配をかけたくないの。だって、ご病気でしょう。可愛そうになってしまうから」とけなげに話されていたそうだ。「わずか八歳のお子さまが雅子妃のご病気を理解し、心配を掛けまいとずっと我慢していたのかと思うと心が痛みました」(宮内庁関係者)その日のうちに愛子さまのご様子は両殿下に伝えられた。」

 長い引用になったが、この中で、「わずか八歳のお子さまが雅子妃のご病気を理解し、心配を掛けまいとずっと我慢をしていたのかと思うと心が痛みました」という宮内庁関係者の言葉が心に残った。

 愛子内親王殿下が、このような心遣いの出来る八歳の子供に育っておられるということは、胸が痛むと同時に嬉しいことでもある。 


 この文章はぜひとも多くの方々に目を通して頂きたいものだが、かいつまんで、もう少し引用して、皇太子殿下、そして妃殿下のご姿勢を紹介したい。

 「両殿下は、学習院の対応に慎重になりながらも学校に行きたいけれども行けない愛子さまの背中を押し続けたそうです。前日に登校する約束をしても当日になると恐怖から首を縦に振られない。東宮職は、学習院側がこのまま安全な環境を作る気持ちが無いなら学校に行かない選択もあるのではないかと考えていたようです。ただし、報道されたような留学や転校といった案はまったくありませんでしたが、東宮御所に家庭教師を迎えることも検討されたようです。」(宮内庁関係者)

 このような状況に対して、皇太子殿下が取った態度は以下のようなものであられた。

 「だが、皇太子は反対されたという。「まだ愛子さまが学習院に行きたいと思っていること」や「大切なお友だちとの関係」「集団生活から得る教育環境」を失うことは考えられなかった、といわれている。


 毅然たる態度であり、かつ本当の意味での愛のある態度であると思われる。


 「皇太子ご夫妻は、愛子さまに普通の子と同じように接するという方針で子育てをされてきた。そこで、東宮御所の近くの公園にお出掛けになったり、電車や路線バスに乗車体験をされたりもした。小学生になって、やっと手が離れたと思った時期に学校の送迎を再開するのは体力的に疲れるものだ。ましてや雅子妃はご静養中の身である。愛子さまを学校から守るだけではなく皇族として立派に育てなくてはならないという信念があったのかもしれない。」


 この指摘に、妃殿下のご姿勢もまた毅然たる愛に満ちたものであることを伺える。


 更に次の指摘には胸を打たれる。

 色々な誹謗がなされる中で、

「それでも、雅子妃の送迎は続いた。授業中はクラスの後ろや廊下に立っておられた。公務より子供の送迎なのか、という議論は筋違いに思える。我が子がきちんと学校に通う。そのために努力するのが、まず国民の範たる皇室の果たすことではないか、両殿下はそう思われたにちがいない。」


 子供がいじめを受けた場合に、親はどうすればよいか、ということについて、ある方の指摘を思い出した。

 それは、学校に行って見守ってやって下さい、世界中の誰もが敵になってもお母さんだけは味方だと、守ってあげるということを伝えて下さい。その方の指摘はもっともだと思ったが、妃殿下のなされていることは正にこの通りであると思った。

 さて、御歌のことに戻ろう。

 本当に落ち着いたまなざしである。

 学習院初等科の校庭に立つ一本の銀杏の木。その落葉が舞い落ちてくる。くるくると廻って落ちてくるのが銀杏の葉の特徴だろう。それを、「表に裏に」と表現される。理知的で聡明な眼差し、妃殿下の御病は、本当に快方に向かわれているのだな、と感じた。

 本当に嬉しいことだ。

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平成23年 御歌会始  皇太子殿下の御歌

モミジ   ミヤマ                           ト
紅葉する 深山に入りて たたずめば 木々の葉ゆらす 風の音聞こゆ


 以前、妹宮の清子内親王殿下が、耳を澄まして聴き入るような御歌をつくられるお方であるということを聞いたことを思い出した。

 東京近郊の山にお登りになられた折の御歌だという。

 高雄山を散策した時のことを思い出した。

 秋の深山の紅葉は、それは鮮やかな彩りで目を楽しませるものであられたと思われる。

 しかし、殿下は、それを耳でお聴きになる。

 木々の葉を揺らす風の音。

 深い山の中に佇まれる殿下は、その木々の葉を揺らす風の音に、何をお聴き取りになっておられたのだろうか。

 哲学者のような、深い深い殿下の思いを垣間見るような御歌だ。

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平成23年 御歌会始  皇后陛下の御歌

おほかたの 枯葉は枝に 残りつつ 今日まんさくの 花ひとつ咲く

 「まんさく」の花、を知らなかった。

 調べて見ると、

「春に他の花に先駆けて咲くので
”まず咲く花”ということでだんだんと
”まんさく”になっていったらしい。
また、花がたくさんつくので
「豊年満作」から命名されたとも。
欧米でも人気があり、
「魔女の榛(はしばみ)」
という名前もついている。
・「万作」とも書く。 」

ということだ。

満作」より

花言葉は「幸福の再来」なのだという。


 いつもいつも感じるのだが、皇后陛下の御歌には、常に深い「祈り」が込められているように思う。


 万花に先駆けて咲くという「万作」の花。その最初の一つが咲いたと。

 たくさんの枯葉が枝に残っている。古い時代のしがらみが残っている中に、新しい時代の希望が、幸福が、豊かな実りが、やってくるのだと、春の再来への祈りが込められているように感じるのである。

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戯言 徳島県北部・震源地下50キロ・マグニチュード4.4

仙石由人・民主党代表代行の地元での地震。

戯言に過ぎないが、天地の怒りが、これ以上大きくならないことを願うばかり。

そのためには、一刻も早く、亡国政権は退陣し、解散総選挙を行うべきだ。

今度は、国民も、もう少しましな選択が、出来るかもしれない。

***********************

1月16日、書きかけのものだったが、戯言が実際になってしまったようである。

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2011年1月 4日 (火)

3が日を過ぎて

あけましておめでとうございます。

元日から3日まで、お正月もあっという間に過ぎて行きます。

慌ただしい日常が帰って来ますが、ほっと一息つけたことは、これからの多難が予想される一年を迎えるに当たってせめてもの慰めであったかもしれません。


1月2日の一般参賀において、 天皇陛下におかせられては「今年がみなさん一人一人にとり、少しでもよい年となるよう願っています。年頭に当たり、世界の平安と人々の幸せを祈ります」と述べられました。


テレビで最初のお出ましの際の中継を拝して、胸が熱くなった。

陛下のお言葉の、「少しでも」という単語が心にかかった。今の状況の厳しさに思いを致され、本当に「少しでも」よい年になるようにとの、切実な思いを述べられたものと拝察された。

そして、もう一つ、世界の「平安」と述べられたことである。「平和」と意味としてはほとんど変わらない単語かもしれないが、「平安」という言葉には、「平和」という言葉よりもさらに深い祈りが感じられる。そしてまた、「世界平和」という余りにも汚い手垢にまみれてしまった言葉を避けられたのでは、という感じを抱いた。

また、「国民」という言葉を使はれずに、「みなさん一人一人」と目線を下げての言葉とされ、「人々の」という言葉には、世界中すべての人々との含意をくみ取ることが出来た。

まことに、今上陛下の深い祈りを感得出来るお言葉だった。

そんな事々しい受け取り方をしなくても、陛下の温容とお声の響きに、すべてが現れているというものではある。

政治の世界では、すでにさや当てが始まっている。

民主党にも、自民党にも、その他の政党にも、大した興味を抱くことが出来ない。

政治への関心は高くても、政党や個々の政治家への信頼は地に落ちたといっても過言ではない。

単純に、民主党批判をして溜飲を下げるだけでは無責任という点において民主党と何ら変わらない。

余りにも政治家一人一人が小粒になりすぎ、周辺諸国はもとより政治の世界において、日本の政治家はほとんど子供ではないかと思われる為体である。政界に人物が払底している。

しかし、それでも政治が機能しなければ日本の国家自体が早晩とんでもない危機に見舞われかねない危険水域に立ち至っている。それは誰もがわかっていながら、現在、手を拱いて見ていなければならないという現実はほとんど絶望という言葉そのままである。


危機感に立ち上がる人々もいるにはいるが、小粒であることに何ら変わりはなさそうな気配である。


新年早々、こんな悲観的な言葉ばかり書き連ねて、おまえはどうなのかと言われそうなのだが、希望的観測を排除して、国家生き残りのために国家としていかなる戦略が必要かを見極め、その中で自分が具体的に着手出来ることとをいかに結びつけるかが、当面の自分の課題であると思われる。


そんな大げさなことを、そんな特別な人間でもないものが何を言っているのかと、言われそうだが国を思う心に立場は関係ない。自分の今ある立場から切実に国を思い、自分が国家のために何が出来るのかを考えることは、大げさなことでも、特別なことでもない、国民として当たり前の心構えではないだろうか。

小さなことしか、いや、小さなことすらも出来ないかもしれない。特別な能力も識見もない力もない自分がどうにも出来ないことが時代の大きな流れかもしれない。しかし、たとえそうであっても、精一杯の真心を国家に捧げることは、何の意味がないと言われても、一人の人間として日本人として出来ることではないか。


今年は、本当に国家の浮沈に関わる事件が次々に起こると予想される。

国家として対処する機能が麻痺してしまうかもしれない。そのとき、一人一人の国民の思いが一つの綱として寄り合わせることによって、国家を引っ張る大綱としなければならない。

挙国一致という言葉への拒否感からはもはや卒業しなければならない。


漠然と日本人といって通じる時代から、これからは文字通り国籍を持っていても日本人とはとても言えない人々が激増することだろう。流入する外国人の土着化が進むことになるのかもしれない。日本に住んでいるというだけで日本人とは言えない、国籍を持っているということだけでは原住民としか認識されなくなる時代がやってくる。

そのとき、日本人であること、がいかなる変容を遂げてしまうのか。

独立を保つことが何よりも重要である。卵の殻が砕ければ中身は流れ出てしまう。もちろん、殻だけで中が空っぽでは意味はないわけだが。

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