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2010年5月13日 (木)

高橋尚子選手に感謝!

リンク: 「さすがQちゃん!」 出馬要請拒否に絶賛の声 - 速報:@niftyニュース.

分を知る、というか、自分の戦うフィールドを間違えないというか、そういうところの進退がきちんとできることが1流と2流を分けるのだなと思う。

比べるのは悪いが、谷亮子選手は、自ら「2流」であることを宣言したようなものだ。


何年か前に、ある大先輩の、お母さんのような人から、厳しい批判を聞いたことがある。

それは、別の人への批判だったのだが、間接的に自分への戒めだったようにも思えた。

それは、「わきまえ」という言葉についてであった。


「わきまえ」がない、というのがその批判だったのだが、まさに、谷亮子さんには「わきまえ」がなく、高橋尚子さんには「わきまえ」があった、ということだ。


谷さんは、悪気のある人ではない、と感じる。しかし、いい人が必ずしも進退をきちんとできるとは限らず、いい政治家になれるとは限らない。

今、民主党で小沢幹事長の口車にのって参議院選挙に出馬する。恐らくそうはいっても当選するだろう。民主党という枠組みの中にいれば20~30万票も取れば充分当選できるからだ。もちろん100万票オーダーを稼いで欲しいというのが小沢のねらいに決まっており、ギリギリなどという体たらくで当選した日には、それこそ陰湿ないじめが待っているだろう。

また、上位当選できたとして、選手としてのトレーニング、母としての子育て、その合間にちょちょっと政治の「お勉強」をして(学生じゃあるまいし)、本会議では、民主党の方針通りにボタンを押す。政治家というのは、小沢にとっては、自分の思うとおりにボタンを押す手駒に過ぎない。そんなことは、少なくともこの8ヶ月見ていれば分かりきったことだ。

それが、谷選手がなりたい「政治家」像なのだろうか。

もし、本当に「政治家」になりたいのなら、少なくとも選手生命にはピリオドを打つべきではないか。虻蜂取らずになるだろうことは、99.9999%目に見えているではないか。自分だけは違う、やれるんだ、というなら、何故この間は銅で終わったのか。自分だけは違う、というのは思い上がりに過ぎない。


高橋尚子さんの話を書こうとして、ついつい横にそれてしまった。

「政治は難しい世界ですし、その知識がないと片手間にはできません」

立派な見識である。

「(国民栄誉賞をもらった立場として)どこか一党の代表にはなれない」

これも見識だろう。

福田元首相の言葉で言えば「自分を客観的に見ている」ということになるだろうか。

冷静な判断が出来る、人生において中々難しいことだ。

福田首相の言葉を、マスコミはこぞって叩いたが、今となっては、自分を客観的に見ることが出来ない首相、つまりLOOPYな首相が、いかに害毒を振りまいていることか。個人として「いい人」だろうことまで否定するつもりはないが、政治家として、首相としては、史上最低の部類にその名を残すことはもう間違いないだろう。


高橋Qちゃんのような、自分の道をしっかりと踏みしめて歩きながら進んでいく人がまだまだこの国には多くいて、そういう人々のおかげで、この国は保っているのだと思われる。


産経新聞に桜井よし子さんが書いていたが、鳩山首相は戦後の国民教育の失敗を物語っているというが、実のところ、まさにあのような軽薄な人物をつくりだすことに眼目を置いてきたのが、戦後教育であって、その意味では、占領軍の置き土産が大成果を上げたということだろう。教育の過ちがいかに深い罪過を遺すのか、鳩山首相と谷選手の姿がダブって見えた。

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