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2010年4月

2010年4月24日 (土)

舛添新党には期待せず

私は、自分が、漠然とではあるが、「保守」だと思うので、ますぞえの『新党改革』には期待を寄せない。

大体、外国人参政権に賛成しているというのだから、益々である。

厚生労働大臣としては、頑張っていたという感じはしていた。しかし、厚生労働省というところは、ドMな省庁で、ドSな大臣を常に受け入れては、懐柔していくという感じがする。


民主党が割れずに、自民党が次々と割れていく。


これが小沢の戦略の結果なら、改めて凄いと思うが、そういうことでもあるいまい。


小党分立した場合の参議院選挙における比例議席配分がどうなるのかについて、誰かシュミレーションしてはくれまいか。

週刊現代のシュミレーションは面白かったが、あくまで昨年の衆議院選挙前後を前提としたものであって、この間の推移はどのように反映するのか、せめて、プラスなのか、マイナスなのか、知りたいところだ。


無党派層の民主、自民離れが著しいという各種の「世論調査」が公表されるが、それが果たしてどこまで信用出来るのか、さっぱりだ。


民主党政権が今のままではあまりにも危険であるということはいえるが、舛添の考え方だってどちらかといえば民主党のリベラル政権に近いように思える。


というか、自分の判断基準は、最低限のこととして、皇室のこと、靖国のことを踏まえていない時点でアウト。


安全保障・外交問題、教育問題、景気対策、社会保障問題がそれに続く。


民主党政権のやっていることは、あまりにもめちゃくちゃに過ぎて、唖然とせざるを得ない。

LOOPYなどと揶揄される首相を持ってしまったことは、あまりにも情けない。

普天間基地問題が紛糾している最中に、中国の艦隊が艦隊行動をして自衛隊を挑発した。ここでも抗議もしない首相。最高司令官がLOOPYだったら一体この国は守れるのか!


沖縄県民は、米軍を追い出して、中国を迎え入れるというのだろうか。


徳之島の島民は、米軍基地の移転反対を言うのはいいが、米軍基地さえ来なければ「平和」なんだと言うのは間違ってると思う。


国力は、政治力の乗数であらわされるとすると、いかに世界第二の経済大国だろうが、いかに自衛隊が世界有数の精強を誇ろうが、×0なら、国力はゼロになってしまうということになる。


恐るべきことだ。


たちあがれ日本!

創新日本!

と言いたい。

自民党もガンバれ!

看板だけでは分かりにくくて困るな。

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2010年4月18日 (日)

外国人参政権に反対する1万人武道館大会に参加しました!!!

 4月17日、上京してきました。

 このためだけで、とんぼ返り、高速バス車中2連泊でした。

 武道館の3階席まで一杯でした。自分はアリーナにいたので振り返って見上げると壮観でした。

 内容は誰かが報告すると思うので、印象のみ。

 亀井静香大臣の発言、確かに脱線気味だったが、現時点において、閣法として国会提出されることを阻止している功績は断然、亀井大臣のおかげである。そうでなければ、既に国会に提出されていた可能性は高い。

 その意味で、最大限の敬意を払ってしかるべきと思ったが、下品なヤジが飛んだことは誠に興ざめした。一体誰が体を張って取り組んでいるというのか。しかし、亀井大臣に対する拍手はやはり大きく、その功績の大きさを1万人のほとんどの方々が認識していることを示した。

 地方議員、首長、議長がこれほどまでに結集したというのは近年ないのではないだろうか。

 閣法として国会に提出された場合、成立を阻止するのは困難を極めることになる。公明党が必ず賛成に回ることが予想されるため、衆議院はもとより参議院でも可決される可能性が高い。仮に参議院で否決しても衆議院で3分の2再可決ということになる。

 鳩山内閣の支持率が7割台だった時なら間違いなくそうなっただろう。

 現在2割台に落ち込んでおり、強行すれば民主党の中で造反者が出易くなっていることは間違いない。

 集会でも、松原仁議員をはじめ、何名もの民主党議員が出席していた。

 民主党の支持母体である連合の最大労組であるゼンゼンUI同盟の副会長の石田一夫氏が、明確に反対表明したことも大きな意味があると思われる。

 しかし、それでもなお、意思が挫けたわけではない。

 衆議院選挙において、民主党は、民団の圧倒的な支援を受けているのである。その見返りとしての「外国人参政権」という構図は変わらない。

 民団の予算の七割は大韓民国政府から出ているという。外国人による選挙介入は、形を変えた侵略行為と言えなくもない。そもそも、韓国において外国人による選挙応援は法律によって禁止されている。自国で違法になる行為を外国でならばやって良いということなのであろうか。

 日本においても政治資金規正法などで、外国人の選挙介入を禁止する条項がある。

 日本を多民族国家にするという発想は、新左翼が唱えていたのを見たことがある。その目的は、天皇制の廃止なのだ。

 あのロシアのロマノフ王朝でさえ、ボルシエヴィキが政権を奪取した後、虐殺するのに使用したのは外国人であった。ロシア人では王室を守ろうとする心理が働くと踏んだためだと言われる。

 日本が「単一民族国家」であるというと、キチガイのようになって激昂する姿を見たことがある。事実の問題ではなく、イデオロギーの問題なのだ。

 1000万人移民構想というとんでもない問題がある。実はこれを進めている元法務官僚は、既に日本への外国人の流入がしやすいように道筋をつけているのだ。そういう仕掛けがあって、平成以降、大量の外国人が日本に流入し、永住資格を得ているのである。

 「永住権」ではない。「永住資格」である。これは、国会の議を経ずに変更されているのだ。既成事実を積み重ねていこうということに違いない。先ずは、この流れを止めることが必要である。


 さて、終了後、有楽町駅・交通会館前において、街頭宣伝活動となり、そちらにも参加してきた。久しぶりに東京での活動だが、チラシの配布をしていると、頑張ってくださいと声をかけてくる人もちらほらいるが、例によって受け取ってくれる人は10人に1人居ればよい方だ。

 あるカップルと話しになった。「何故、外国人参政権に反対なんですか」と、女性の方から質問された。丁寧に答えた。国家の意思決定はその国に最終的に責任を持つ国民によるべきであり、最終的に日本に責任を持たない、また本国への忠誠義務を持つ外国人が、日本の国の意思決定に関与する参政権を与えるということは、国家として問題がある、という論理で説明した。
 男性の方は、かつて大学で政治学を学び、自民党や民主党の議員の選挙なども手伝ったことがあるということで勉強になりました、と言ってくれた。そこで、女性の方が外国人であることを知らされた。彼女は、論理としては理解してくれたようだったが、まったく別の角度から意見を言う。

「外国人排斥のように見える。それは日本にとってマイナスではないか。日本から外国資本がみな逃げてしまったら日本経済は沈没してしまうのではないか」と、経済の論理で反論してきたのだった。

 これに対してはその場では反論しなかったが、二つの事を思った。

 一つは、「外国人参政権付与反対」は、「外国人排斥」ではない、という点である。これは実際にそのような誤解を与え易いところに問題がある。

 問題は、日本という国家意思の決定についての問題であり、運命共同体である国家が、その構成員である国民にその権利がある、とい問題なのだ。「国民固有の権利」と憲法第15条に明記されているのはその意味である。

 明治以来、日本の国家の発展に寄与した外国人は枚挙にいとまがない。そのことは否定されるべきものでない。

 しかし、それと「参政権」は別である。基本的人権の中の「社会権」に属する「参政権」は、国家の存在を前提とするものであり、「生存権」などの自然権とは自ずから区別されるものである。そして、外国人とは、本国における「参政権」を持つ存在なのである。つまり、それは既に満たされていると見なければならない。もし本国において「参政権」が付与されていないとしても、それは日本の問題ではなく、本国の問題である。


 もうひとつは、経済の問題。外国人が皆逃げてしまったら日本の経済は沈没してしまう、というもの。これについては、あの人権無視の中国でさえ、外国資本を大量に呼び込んで経済発展を演出しているのである。経済は経済の論理で動くのであり、「外国人参政権」を導入して日本国家が不安定になったらそれこそ外国資本は逃げ出すだろう。国家の安定という要素は経済活動にとって大きな問題である。「外国人参政権反対」は、むしろ経済にマイナスに働くよりはプラスに働くという議論は当然成り立つ。また、経済を取って国家の自立を毀損するような行為は、あってはならないことであるともいえるだろう。

 「参政権」を軽々しく考えるということは、実は国民であること、「国籍」を軽々しく考えるのと同じことだ。メリーランド大学講師のエドワーズ博美さんが、指摘していたのはそのことだった。

 アメリカにおいて国籍を得るということは、先ず本国への忠誠義務を放棄し、いざという時にはアメリカを守るために銃を取って戦う、と宣誓することなのだ。

 日本では、実は「国防の義務」は憲法に明記されていない。いないけれども、国民国家の前提として、国民に国家防護の義務があることは当然のことと言わなければならない。この問題は、はっきり議論をする必要があると思われる。

 国籍を取るということは、「国家防護の義務」を潜在的にであっても負うことである。それが国家という運命共同体を構成する一員であるということである。それが「参政権」と表裏一体のものであることは、ギリシャ・ローマの昔から一貫していると言ってよい。

 もう一人、少し嫌な体験をした。4人連れの一行で、二人は明らかに西洋人で、もう二人は日本人の男女だった。西洋人の男がチラシを受け取った。そこに日本人の男が何か説明をしたところ、そのチラシをくしゃくしゃに丸めてしまったのである。どういうことかと質したところ、「外国人に出ていけというものだからだ」と言った。つまり、デタラメを説明しているのだ。この男は確信犯的な詐欺師である。。「そんなことは言っていない」と言ったがせせら笑っていた。とっさに、「HE IS LAYER」とでも言ってやればよかった、と後で思った

 日本人にも色々居る。無関心な人達も多い。しかし、その無関心な人達の身近に切迫して危険が及ぶようになった時にはもう遅いのだ。

 チラシを受け取らない人たちのためでもあるとも思いながら、4月の東京には珍しい寒さの街頭で道行く人にチラシを手渡していった。

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2010年4月13日 (火)

平沼新党「たちあがれ日本」、山田区長らの「日本志民会議」-首長新党

 保守系新党が続々、という感じだ。

 新しい胎動を感じますね。

 ”一度民主党にやらせた方がいい”といっていた人たちに対して、なんちゅう無責任な!と怒っていましたが、日本再生のためには、一度落ちるところまで叩き落とす必要があったのかも知れません。

 ただ、政治はゲームではないので、失敗は多大な犠牲を伴うことを考えると、出来ればこのような際どい事はやらないに越したことはなかったのではないかと思います。

 民主党がどこまで日本を壊してくれるか分かりませんが、取り返しのつかないところまでいかないうちに葬り去りたいものです。


 じゃあ自公政権でよかったのか、と言った人がいました。

 いいはずはありません。

 どちらを向いても売国・亡国政党しかなかったところに悲劇があったわけです。


 民主党の支持が下がりに下がり、自民党の支持は回復しない。

 つまり、この二つの政党に対する不信任なわけです。

 第3局という言い方はあまり好きではありませんが、国民のやり場のない怒りを吸収して、中国でもアメリカでもない、日本に立脚した政党が、誕生したということは、大きな意義があると思います。

 現在の政治の閉塞状況を打破するには、民主党の中の良識派が(いればの話ですが)出てこなければならないでしょう。


 ある民主党議員のはなしですが、民主党政権は10年は続く、と言っていました。政権与党にあるということの強みを踏まえての話しです。10年小沢独裁が続いたら、確実に日本は滅びます。


 参議院選挙で、民主党の大勝は今のところ考えられないでしょう。

 しかし、惜敗位、つまり単独過半数に届かない、という状況は十分考えられます。その時、民主党は、公明党を抱きこもうとするでしょう。

 民主・公明政権です。もしそのようなことになった時には、自公でいいのか、と言っていた人の顔を見にいこうと思っています。いや、そんなつまらないことは無駄なので、自民党が公明党とくっついたので自民党から離れ、民主党の支持基盤になっている団体などに、それでいいのかと言いに行きましょう。

 保守系新党が続々登場してくること。これらの動きは必ずどこかの時点で本格保守政権を生み出すために、自民党内に残っている保守派、民主党内にくすぶっている保守派を巻き込んだ救国政権の樹立に向けて収斂していくはずです。そうなって欲しいと願います。


 しかし、それまでに切磋琢磨が必要でしょう。民主党が繰り返してきた上っ面の頭でっかちの口先だけの政策論議などではなく、地に足のついた真に国民の願いに根ざし、国家百年の大計を樹立する政略をこそ磨きあげていく必要があります。

 しがらみや私利私欲にまみれた、旧い政治にはさようならをして、日本の政治を一ランクアップする、そうした政界再編劇を見たいものです。

 そのために一身をなげうって仕事をする政治家を求めたいですし、それを支える一人でありたいと思います。

 一国の政治は、その国民のレベル以上には成り得ません。明治維新が成功したのは、江戸時代の庶民のレベルが極めて高かったからに他なりません。

 問われているのは、常に国民一人ひとりなのだという自覚こそが、この国を救うのだと思います。


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2010年4月 6日 (火)

中国にて日本人死刑執行~これから中国に渡る際は、麻薬で殺される可能性がある、ということだな~

 中華人民共和国で、麻薬密輸犯として死刑判決を言い渡されていた日本人が死刑執行された。

 国交樹立から初めてだということだ。


 麻薬を外国から持ち込んだ、というのではない。その逆である。


 麻薬を生産し、世界にばらまいている拠点はどこなのか。


 そして、これは何を意味するか。


 中国に旅行に行く。

 知らない間に、バッグに麻薬の包みが入れ込まれていた。

 それを公安に抑えられ、麻薬密輸現行犯で逮捕される。

 言葉がうまく通じないことから、有罪判決・死刑判決がなされる。

 死刑が執行される。


 こうしたことが現実に起こりうる、ということだ。


 つまり、中国が抹殺したい日本人に対する工作を、堂々と遂行することが出来るようになったということだ。


 これは恐るべきことだ。

 オーストラリアで似たような事件があり、日本人が十年以上にもわたって拘禁されるという事件があった。これも、言葉がうまく通じないところから起こったことだったという。

 命があっただけましかもしれないが、そんなことが起こり得るということだ。

 こうした時に、国は威信をかけて国民を守らねばならない。

 中国については、こんな話をきいた。


 中国のある都市に留学した娘に送金していたが、通り一遍の手紙が送られてくるだけでそれ以外の音沙汰がない。おかしいと思って送金を止めた。するとその手紙さえ来なくなった。中国のその住所のところに言ってみたが、勿論誰も住んでいなかった。

 送金していた金は誰が受け取っていたのか。

 娘はどこにいってしまったのか。

 この点についての結末は聞いていないが、おそらくは結末は付いていないのだろう。

 行方不明のまま、家族は不安と心配の中で、何の手だてもなく、過ごすしかないのだ。


 危険に対する感性が、極めて乏しい日本人は、海外、特に、まったく政治体制が違い、国民性が違う場所にいくときにどのような危険が待ち構えているのかについて、無頓着なのではなかろうか。

 確かに、人の善意をあてにすることは、良い時もある。しかし、お人よしでは生きていけないのが国際社会の現実でもある。

 したたかにならなければ、生きてはいけないのである。

 日本人の美徳をなくしてはならないが、かといってお人よしのままでよいはずもない。


 これから、中国に渡る時には気をつけなければならない。ある日突然、公安が踏み込んできてかばんを調べられ、まったく身に覚えのない麻薬の包みが出てきて、即刻裁判にかけられ死刑判決を下され、執行される。


 邪魔な日本人は、こうやって消して行けばよい。


 それが、出来るようになった、ということだ。


 中国当局は、今回の死刑に対する日本人の反応を見ているはずだ。

 おとなしい日本人の反応を見極め、この方法で、煙たい日本人を一層し、イエスマンだけを受け入れるというシステムをつくりだすことは、おそらく間違いないであろう。


 これからの中国報道から、悪いことは影をひそめて行くのではなかろうか。それはとりもなおさず、陰で葬られてゆく人が増えて行くということなのだ。

 ちなみに、外国人参政権が通れば、日本国内にあっても一歩、そのような中国国内の状況に近づくことはまず確実だ。


 全ての事はばらばらではなく、大きな絵の中のピースとして存在している。その像がおぼろげながら見えてきた時には、もはや遅いのかも知れない。

 一つのピースを観て全体を知り、その阻止のために、行動する先覚者が次々と出てこなければならない。そして、国家はそのようにして存立を守らねばならないのだ。

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