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2010年2月 6日 (土)

「ローマ人の物語」の中で、一番不気味で、心に残った言葉

 最近、思い当たることだらけなのだが、塩野七生氏の大著「ローマ人の物語」の中で、一番不気味で、心に残った言葉は、初代皇帝アウグストゥスを評した言葉だ。

●一つ一つは完全に合法でも、それを積み重ねていくと、共和制ローマからは、違法としか言いようのない、帝政となる

というものである。

 ローマ史というのは、以後の世界の歴史の中で、様々な素材を提供した歴史であるが、共和制から帝政への移行がいかになされたか、ということについても、興味深い史実を提供してくれるといえるだろう。

●人は、見たいと思う現実しか見ないもの

という言葉も、至言であろう。


さて、外国人地方参政権付与法案の問題であるが、現状のままでいけば、成立してしまう可能性は高い。

何と言っても、衆議院において多数を占める政権与党の民主党の幹部が口をそろえて、今国会での提出と成立に言及しているのである。

共産党、公明党、社民党、そして自民党の一部までもが、この法案の大まかな方向性では賛成しているのであるから、もはや国会に提出されれば成立するしかないというのが数の論理であろう。

しかし、法の論理からすれば、憲法第15条違反であることは明白で、参政権という国の政治に参与する権利が、国民固有の権利であることを、真っ向から踏みにじるものであり、到底容認されるものではない。

既に、憲法学者の間において、憲法違反との認識は共通となっている。


自衛隊については、憲法9条を巡る解釈論議のタネは尽きることがないが、憲法15条については議論の余地はもはやない。


外国人地方参政権。それに、「地域主権」という言葉が加わるとどうなるか。「主権」を持った「地域」の「参政権」により、「独立」なり「日本国からの離脱」が決議されたら、一体どうなるか。


ある民主党の国会議員と、この問題について議論したとき、2つの点を主張していた。

1、地方議会の選挙は、国政とは全く関係がなく、国政への影響はない。

2、「外国人地方参政権」の問題は、日本人の「寛容」が試されている問題だ。

その人物を決して買っていないわけではなかったので、大きな失望を味わったわけだが、何れも全くの詭弁である。

地方選挙が国政選挙と全く関係ないなど、どの口が言わせるのであろうか。

本当にそう思うなら、地方選挙の応援などすべきでないし、また地方議員からの応援など絶対に受けてはならないだろう。しかし、実際にはそのどちらも当たり前になされているではないか。そしてそれは当然のことである。

「寛容」という言葉の意味を履き違えているとしか思えない。

人の失敗や我儘に対して、多少のことは大目に見る、というのは「寛容」といってよいだろう。

しかし、自分の家のことについて、あれこれと干渉する権利を与えることを「寛容」の一言で許せるとでも言うのだろうか。自分の女房を寝取られて「寛容」でいられるのだろうか。自分の家の財産を掠め取られて「寛容」で居られるというのだろうか。それはもはや「寛容」とは言わない。

国家というものに対する意識が、政治家の中にあまりにも低すぎるのではないか。


政治家だけではない、国民のなかにも、国家という意識は低い。そのつけが、「外国人参政権」という売国法案なのだが、国民の中には、皮膚感覚で、とんでもないことだという意見は根強くある。


政治家となる人間たちの資質が、余りにも利権に走りすぎていたのではないか。うんざりなのだが、それで政治離れなどということになると、もっととんでもないことになる。


庇を貸せば、母屋を乗っ取られる。


一つ一つが完全に合法であっても、それを積み重ねていくことで、非合法としかいいようの無い実態をつくりだすことが出来る。


気がついたら、日本という国が、似ても似つかない国になってしまっていた、ということになりかねない。


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