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2010年2月14日 (日)

石巻市の殺傷事件

 石巻市で、18歳の少年が、元交際相手の17歳の少女を連れ去り、その際に、姉とその場に居合わせた友人ら二人を殺傷した事件が起った。

 18歳の少年と、17歳の少女の間には、4ヶ月になる赤ん坊が生まれていた、という。

 同棲していたが、少年が暴力を振るうので、少年のもとから逃げて自宅に戻り、警察とも相談をしていた、という。


 当たり前のように、未成年の男女が同棲をし、子供をつくっていること、そのこと自体がこの事件の背後に広がる闇の深さを感じさせずに置かない。


 そして、家庭の機能不全。父親不在。けじめのなさ。

 一方的な加害・被害というような図式で割り切っても、何も見えてこない。


 少年の苛立ち、焦燥、そして直接行動、短絡的かつ独善的、未熟な行動。稚拙な犯行。


 少女側にしても、姉やその友人に頼って逃れようとする、その未熟さ。


 結果として、当事者の二人は生きていて、二人の人が死んだ。


 未成年の少年少女の同棲を許した社会のあり方が、先ずは問題とされなければおかしい。

 そして、少年少女ともに、家庭が機能していなかったのだろう。家族を守る意思が、余りにも希薄に見える。


 セックスが蔓延する社会の中で、このような悲惨事に至らなくても、様々な悲喜劇が日常茶飯に生起しているのだと思われる。


 性が、余りにも人間の本性に基づく欲求であるがために、そのコントロールは人類の歴史と共に課題であり続けてきたのだと思う。、


 本能的な欲求であるがために、それを単なる禁欲で押し留めることは出来ない。


 しかし、それをコントロールする道筋というものが、人類の文化の中で、生き方として、智恵として蓄積されてきている。文化の力が衰弱している。人間の生き方を問わない戦後の教育の中で蔓延した、暴走する性のなれの果てといっていいのだろう。


 食欲は、それなくして生命を維持できない、本質的な欲求であるが、その発現を、のべつ幕無しに満たすようなことは否定される。飽食が生命力を減退させることも当然のことである。一定の抑制があって、食欲を満たすルールというものは確実に存在しているだろう。

 性欲も、それと同様に、一定の抑制がなければならない。責任が生じる。


 性の放縦が言われて久しく、いまや、そんな警鐘自体が意味を成さないほどになっているといっていいのだろう。


 その中にあって、子供がまともに成長することのできるシステムが、確実に蝕まれていること。


 子供が子供を生んで、育てることが出来ない。そして、感情のコントロールが制御できず、身勝手な行動に、短絡的な行動に出る。全ての責任を他者に押し付け、自分だけはふてくされている。

 人間の成熟に不可欠な何かが、そこには欠けているのだ。

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