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2009年5月

2009年5月12日 (火)

小沢辞任!

 昨日午後、民主党代表だった小沢一郎氏が代表を辞任した。

 「政権交代」のため、というが、ならもっと早く辞任すべきであったろう。

 自民党内の左派の問題も深刻であり、国益を損なうという意味では最も危険な因子は、自民党内左派にあるといってよいのだが、民主党政権が実現したとなれば、同様の構図が更に深刻な形で露骨に出てくることは明白だ。

 外国人参政権を実現するために、「涙を呑んで」帰化し、元在日の民主党議員がいる。合法とはいえ、これは有る意味脱法的な存在といえるだろう。そのような例がゴマンとあるのが民主党であり、恐ろしくてとても政権交代など実現してもらっては困る。

 確かに自民党内に、腐敗堕落はあるだろう。しかし、同じ体質を民主党が持っていることを露呈したのが小沢代表の今回の事件である。考えてみれば自民党の金満体質をつくりあげた田中ー金丸のラインの上に政治家として歩んできた小沢氏なら、気付かないほうがどうかしているのだが。

 現代日本の不幸は、真に日本の国益を中枢に据えて行動する真の保守政党が不在であることだ。自民党内と民主党内の一部、そして無所属の議員の中にそれぞればらばらに存在しており、真の保守政治の大きな流れを作り出せていないところに深刻な問題がある。

 政党は「政治理念」よりも、「票」と「金」で動く、と見られても仕方がない。現にそのような構図になっている。

 皮肉なことに、「政治理念」を明確に掲げるのは、たとえそれが欺瞞の塊であろうとも共産党くらいなものなのだ。社民党はとっくの昔に責任政党として破綻しているので敢えて無視する。自国に向けられたミサイルを擁護するのでは最早日本の政党ではない。北朝鮮労働党日本支部と看板を架け替えるのがよいだろう。もとより共産党は「日本」の政党ではない。革命を旨とする政党である。

 自民党が官僚の骨がらみになってしまっており、「官僚内閣制」といわれるような状況の下にあることは事実だろう。しかし、それを打破しようとした安倍内閣を徹底して叩き潰したのはマスコミであり、それに乗せられた一般国民であった。

 年金問題においては、泥棒が、泥棒を捕まえられなかった警察を糾弾するというようなおかしな構図になったことは記憶に新しい。事ほど作用に、政治の汚らしい側面というには余りにも没義道なことを平気でするのだから何をかいわんや。恐るべき人間性の退廃というべきだろう。

 民主党がいかなる「顔」を選ぶのかについては、真剣に見定めなければならないが、この民主党の亡国没義道体質を変革する意志を個々の民主党議員が持つかどうか。そのためには裏方に忍び込んでいる、隠れ共産党員や、過激派を一掃することからはじめてはどうかと思われる。そんな時代錯誤な、と思う向きもあるかもしれない。しかし、政治の裏面など、人間性の醜い一面など、そう変わるものではないと同時に、現代は、その醜い一面を極限まで推し進めてしまった時代という一面が確かにあることは肝に銘じておくべきなのだ。

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2009年5月 8日 (金)

なぜ謝る!? 麻生首相! 子供二人、義務果たした、と言って何が悪い!!

【麻生首相ぶら下がり詳報】「子供2人で義務」発言は「不適切で撤回しておわびする」(7日夜)
2009.5.7 20:22

衆院予算委員会で菅直人・民主党代表代行の質問に答える麻生太郎首相=7日午後、国会・衆院第一委員室

 【衆院予算委の撤回答弁】

 --今日の衆院予算委員会で、子育て問題について、首相は「私はちゃんと子供が2人いましたから、一応最低限の義務は果たしたことになるのかもしれません」と言った…。
 「(予算委で発言したのは正しくは)『2人産みましたからね』。うん。あの、それは発言が適切じゃないと思って、その場で撤回したと思います」
 --あっ…
 「それで、不愉快なご迷惑をかけた方がいらっしゃるなら、と言って、おわびしたと思いますが」

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確かに不妊症の女性もおられるだろう。独身で通してる人もいるだろう。DINKSを謳歌してきた人もいるのだろう。


多様化というもっともらしい理屈がつけられるが、狭い了見でしかない。

50年100年単位で物事を考えるならば、成り立たない考え方であり理屈である。

次の世代を育てる責任が、最低限人間にはある。

「産めない人もいるから」というのは理由にならない。その人のことを言っているのではないからだ。


およそ、マクロの考え方と、ミクロの考え方は、全く違うことが多い。

インフルエンザの大流行でたくさんの方々が死ぬかもしれない。個々の人の死は、それに関わる人々の悲しみを誘発するもので、避けるための最大限の努力がはらわれるのは当然のことである。しかし、これを自然の摂理としてとらえることも可能なのだ。それによって人口調整が行われ、全体としては人類の永続に貢献している、との見方は決して暴論でもなんでもない。

ことほど左様に、マクロ的なものの見方とミクロ的なものの見方はすれ違うのである。

それを無理にいっしょくたにする議論が、こわばった言論空間を作り上げる。基本的に、頭の悪い人の考えであり、いっしょくたにしてはならない事柄を、あえていっしょくたにして、くそみそ一緒にしているのだ。

おそらくはわざとなのだ。こうしたことを繰り返すと、知能レベルの低下を招く。

論理的な考え方が不可能になるからである。

およそ没論理な感情論で、論理を蹂躙するのだから、ものを正しく考えるなど、できるはずもない。


男女二人が次の世代を育てる責任を自覚するなら、同数の二人を育てるというのは、あまりにもシンプルなごくあたりまえの、時代を超えて変わらない真実ではないのか。


頭の悪い人の、くそみそいっしょの屁理屈につきあう必要などないのだ。

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