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2009年4月

2009年4月29日 (水)

NHK 反日偏向番組「ジャパンデビュー」・悪魔的発想のおぞましい問題点

 この大じかけな、大上段に振りかぶった番組の予告を見て、見てみたいと思って、実際に見た。

 いろいろな問題点が指摘されているが、全体を通底する、計り知れない「悪意」の存在に、吐き気を催した。

 すべてを論じるヒマはないが、最もおぞましいと感じたひとつのことだけを指摘しておきたい。


 明治初年、ロンドンで開催された万国博覧会に日本が初めて参加したエピソードが紹介された。

 その中で、「人間動物園」というキャプションが躍った。

 そのネーミング事態がショッキングなもので、一瞬、目を疑った。

 その続きで、日本が、台湾の人々を、万国博覧会で見世物として「出品」したことが解説され、それは、イギリスがインド人を同じように「出品」したのに対抗し、「一等国」に張り合うためにそうした、と言わんばかりの取り上げ方だった。

 
 まず、「人間動物園」というネーミングは、当時のものではあるまい。植民地の原住民を見世物にすることは、腹立たしいことであり、今の感覚からして決して許されるものではないことは当然である。しかし、当時の世界にあって、それが当然のごとく行われていたことを考慮しなければ、きわめておかしいことになる。

 150年前の世界に、現在の常識をあてはめて断罪することに、何の意味があるのか。

 これは、「進歩史観」の最悪の適用であり、この色眼鏡によって「歴史の真実」は覆い隠されるしかない。単なる「偏向」よりもはるかにたちの悪い「悪意」である。

 それは、「Human Zoo」などという、下品な物言い、何となく、「1984」の世界を彷彿とさせるようなネーミングにはっきりと見てとることができる。


 ここまでならば、不愉快ではあるが、当時はそういう一面もあったのか、ということで済ませることもできる。


 ところが、NHKは、致命的ともいえる、人権侵害を行っている。それも気づかずに。

 この、「人間動物園」の写真に写った台湾の人の、子孫をわざわざ見つけてきて、この写真をつきつけ、あなたのお爺さんは、このような目にあわされたのだが、どう思うか、とカメラを向けて、問いただしたのである。


 もちろん、その台湾の方は、そんなことは初めて聞いたことで、絶句して声も出ず、ひどいことを、とお爺さんは何も言っていなかった、と目に涙をためて、深いショックを受けている様子だった。


 NHKは、「あなたの祖先は、日本によって動物扱いされていたんだ。それをどう思うか」と、突きつけたのである。この台湾の方に、日本への憎悪をかきたて、視聴する人々に対しても、「人道的義憤」を催させる仕掛けのつもりなのであろう。

 しかし、このようなことをやる資格が、NHKにあるのか。

 祖先を敬う心を持つ人々が、お前の祖先は、動物扱いされたんだ、と、恥部をさらけだされたのである。

 NHKのみならず、およそ人間であるならば、やってはならない所業である。


 150年前の日本がやったことも、褒められたことではなかったかもしれない。しかしそれは当時の世界の中で当たり前とされたことに則ってなされたことにすぎない。そこに、悪意が介在する余地はない。


 ところが、150年後のNHKが行った番組制作は、今の世界の常識に照らして、人道の基準に照らして、人権状況に照らして、明らかに悪意に満ちており、重大な人権侵害事件として見ることができる。


 他にも色々と指摘すべき点は多いが、このような「悪意」に貫かれた番組は、ほとんど暴力に近い。

 悪魔の所業といって過言でない。


 番組制作の意図は、日本の台湾統治を断罪し、否定することによって、大東亜戦争下に行われた民族独立工作とその成果にケチをつけることにあるように思われた。


 さらに言えば、親日的と言われる台湾と日本を乖離させ、ディバイド・アンド・コントロールしやすいようにする、中国の思惑が働いているようにも思われる。


 中国のやりくちのあくどさには恐るべきものがあるが、日本のメディアがどこまで冒されているのかを、厳しくチェックする必要があるのではないか。

 NHKは、今だにBBCが作成した「死のシルクロード」の放映さえ、していないのである。

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新型インフルエンザに負けるな

警戒されていた鳥インフルエンザではなく、豚インフルエンザにより、パンデミック・フルーが懸念されている。

フェーズ4の警戒段階が発されたが、まだ爆発的な感染ではない。

さて、素人に何ができるのだろう。ひとごみになるべく行かないこと、メキシコに行かないこと(いけないのでこれは安心>自分にとっては)、うがいをすること、マスクをすることなどなど、当り前のことしかない。

ある医者が言われていたが、体力のある若い人の方がむしろひどくなる危険もあるという。過信は禁物、ということだろう。

第一次世界大戦を終わらせたのが、スペイン風邪の流行だったという説があるくらい、ある意味戦争よりもひどいことになりかねないのが、感染症の恐ろしさでもある。

言ってしまえば、人類の人口調整ということなのだが、当人また係わりのある人間にとって生きるか死ぬかということは重大な問題だ。

適者生存の論理で割り切ることはできないが、先天的にかからない、またかかりにくい人々がいることも事実なのだそうだ。

今、自分が生きてあるということは、これまで祖先から続いて色々な山を越えてきた証拠なのだから、堂々としていればよいのだとも思える。

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いやはやまいりました

 久し振りに、仕事も手に付かなくなるほど、恋の病にかかってしまいました。

 (こんなことを書くためのブログではないので恐縮ですが・・・)

 もう5年以上も前に知り合った人であり、今さら何をといわれてしまいそうな相手なのですが、なぜか一気に心に深く入ってしまいました。

 一度かかると、この病はなかなか治りません。それが非常に困りものです。

 病状は一進一退で、あ、もう大丈夫と思った次の瞬間に、また吹き上げてくるのですからどうにもなりません。

 自分にまだ、こんな情熱が残っていたのかと、驚いています。

  写真(うつしゑ)の君の笑(え)まひをつくづくもながめつつ思ふ君の心を

  とりつかれし如くなりけりますらをも恋の奴となりはてにけり

 索漠たる虚脱の中にいるよりも、混沌とはしていてもエネルギーに溢れる今の状態の方がよい。

 恋というものを、稔らせたことがないという前科持ちでありますが、今度こそはと心に期しています。

 

 

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2009年4月21日 (火)

葉隠れの 忍ぶ恋をば 仰げども

葉隠れの 忍ぶ恋をば 仰げども 焦がれる心 耐へ難きかな


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2009年4月19日 (日)

久々に書いてみる

4月18日、土曜日、晴れ。

二ヶ月も放置しておいたので、さすがに書きにくくなってしまった。

麻生首相が健在なのは実に面白いし、北朝鮮のミサイル発射も現実のものとなってしまった。

小沢がココまで押し戻されるとは思わなかったし、世の中の動きは予断を許さないものだ。

一寸先が一体どうなるものか、誰にも分からないからこそ、この世の中は面白い、生きていけるというものだろう。


それでもどうでも、9月には衆議院任期満了がやってくる。どんなに遅くとも9月には総選挙なのだ。

米ロの核兵器廃絶への合意など、核超大国が2国揃ってリップサービスをしても、中国はどうするのか、イスラエルやイラン、北朝鮮はどうするのか、という単純な疑問が沸き起こる。

単純に喜べる話しでもない。中国が世界第一の核大国になる、(そんな状況をアメリカやロシアが許すはずもないが)日本にとっても、世界にとっても悪夢といってよいだろう。平気で核の恫喝を行う国、恐らく必要と認めたらためらわずに核使用を行う国。

どうやら、中国の核は、実際に民族浄化に使われたらしい。ウイグル人の頭上で、何十発も爆発させているのだ。100万を超える被爆者を生み出しているのにも係らず、未だに、「世界唯一の被爆国」と、世界に吹聴したい人たちがいるのだ。あるいは、その「特権」を手放したくないために、中国の核について甘い、というより目を覆うのだろうか。

正確に「世界最初の被爆国」と言わなければ虚言になるというのに。


核武装論が非現実的なのだろうか、核廃絶論が非現実的なのだろうか。


現実は、核抑止論の上に危うい均衡を保っている。如何なる国も核攻撃には耐えられない、だから、北朝鮮が一発の核ミサイルを保持したときが、アメリカが北朝鮮が均衡せざる得ないときなのだと。その時、その間にある日本は、政治的・軍事的には最早沈没してしまうしかないのだということを。


広島の市長は、核兵器に対抗する手段は、唯一核廃絶だけだ、という理屈で、現実的な努力の全てを冷笑する高みを保持しているらしい。国民防護法で義務付けられた国民防護計画に歌いこんでいるのだそうだ。広島市民は、徒手空拳で、つまりは竹やりで、原爆に立ち向かわなければならない、ということなのだろう。戦後60余年。大変な「進歩」をしたものだ。


村山内閣の時に、自衛隊は大軍縮の嵐に晒された。人員も装備も大幅に縮小され、福田内閣の時には、世界有数の長い海岸線を持つ国として必要不可欠な防衛的軍備であるクラスター爆弾の保持も放棄してしまった。


MDも発動されることはなく、領空をどれほどミサイルが飛ぼうとも、最早指をくわえてみているだけ、ということが明らかになった。配備したミサイルはテレビでその姿を晒されていた。もし仮に発射していたら、その画面が配信されていたことだろう。


「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我が国の生存と安全を保持しようと決意した」と堂々とうたいあげた「日本国憲法」に守られているから、日本は大丈夫なのだ。迎撃するなどとんでもない、ミサイルさまにはどうぞお通り下さいと、頭の一つでも下げればよいのだ、それが、大上段に政府を(北朝鮮を、ではない!)批判した、社民党や共産党の合理的思考なのだ。


農地の荒れ方もひどい。新幹線のまどから、一面の荒れた元田圃を見た。もはやあの田園風景が見られる地域は限られてきたのだろ。

水田耕作の広がりは、日本の歴史の歩みでもあった。恐らく、これほどまでに急速に農地を、特に水田を破壊した歴史は、日本の歴史上未曾有のことであろう。それでも、減反政策は続くのだ。食生活が変わってきたのだそうだ。余剰米がでるのだそうだ。ばかばかしくて話しにならない。米を食うとバカになる、米を食っていたから戦争に負けたのだ、といって、農薬のたっぷりつかった輸入小麦で作ったパンで給食を出し子供たちに餌付けしていったのはどこのどいつだってんだ。世界一の健康食と、今では言われる日本の食生活を破壊したのは一体どこのどいつだ。スローガンに掲げられたものというのは、どうもロクな結果をもたらさない。

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