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2008年11月 5日 (水)

政治が歴史を決める恐ろしさ

 シナのエピソードに、ある史官が、時の皇帝が行った悪行について記録した。

 それを知った皇帝は、その史官を死刑にした。

 次に着任した史官も同じように悪行を記録した。

 皇帝はその史官を死刑にした。

 またその次に着任した史官も、同じように悪行を記録した。

 皇帝はようやく折れて、その史官は咎められなかった。

 ざっとこんな話しだが、それほど歴史は大切だ、という教訓なのだが、実際のシナの歴史は、歴史に対する政治の優位の歴史である。

 政治が、歴史を決定する、それを繰り返して、きたのだ。

 政治が歴史をゆがめるどころではない。

 その伝統を、今の共産中国も引いているのである。だから、日本は侵略国である、というのは政治が決めた歴史なのであり、それに反する歴史事実は、全て否定されなければならない、ということなのである。

 このことをよくよく認識しておかないと、中国の異常さがよくわからなくなるのである。

 あるときは、「好、好」と、過去は関係ない、見たいなことをいい、ある日突然、侵略だ、許せん、と言い出す。言葉の表面は何の意味もない。時の政治情勢の都合に過ぎないのだ。

 譲歩すれば付け入られるだけであり、村山談話は、正に中国に対して、日本を売り渡した売国の言葉なのである。

 時の首相の見解に過ぎない談話のはずだ、と国民は思う。

 ところが、政治が歴史を決める国に対しての、「約束」と言う言い方をしてしまっているのだ。相手の政治の都合で、いくらでも引き出せる、ブラック・カードを渡したようなものである。

 
 民主主義の国では、政治は、歴史に介入してはならない。歴史は、政治を抑制する、高い次元の問題なのである。政治の都合で書き換えられるような歴史は、また、歴史とはそのようなものであるという認識は、政治の堕落を生み出し、結果として、国民の不幸を招く。


 今の日本政府が、歴史認識を決める権能を、付与されていると思うのは決定的な誤りである。

 政治が歴史を決める国との、理不尽な交渉の中で、日本の体質と全く違う刷り込みを、日本の政府がなされてしまっているとすれば、これは、深刻な問題である。

 政治が歴史を決定する文明に、歴史の真実はない。歴史の自由もない。ということは、精神の自由もなく、進歩も発展もないのだ。ただ、砂の城を作っては壊し、壊してはまた作る不毛の荒野に閉じ込められてしまうことを意味する。

 そんな(中国のような)国に、日本をしてはならない。

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