« 「野菜」カレーを作って・・・ | トップページ | 「反戦思想を担った右翼学生」という書評 »

2008年8月10日 (日)

「日本主義と東京大学~昭和期学生思想運動の系譜~」を読んで


 本書は基礎研究の書であり、著書は真摯な学究である。きわめて真摯に、丁寧に、戦前戦中における、日本型保守主義の可能性を掘り下げたものであり、歴史の真実を詳しく知りたいと念願するものにとっても極めて有益であると思う。

 昭和史の解明は、現代日本を的確に把握するために不可欠の要件であると思われる。

 「日本主義的教養」という言葉の具体的な内容はそれほど明確に書かれているわけではないが、日本の歴史・伝統・文化についての具体的な教養は現代とは比較にならないほど豊富であったと思われる。

聖徳太子の讃仰研究と明治天皇御製拝誦を中心に、「悠久の祖国の生命」への確信を深めてきた、一高昭信会から日本学生協会、精神科学研究所の系譜に連なる学生青年運動が持っていた思想史的意義を解明していく本著は、「国体論」のあり方について考えさせられる。

大衆を支配するための道具としての「国体論」は、敗戦後その影響力を失い破棄されたと見てよいが、これはむしろ本来のあるべき「国体論」からすれば逸脱したものであったのではないか。本来の「国体論」は、「エリートが自己を拘束するための国体論」ではなかったろうか。それは国家エリートの倫理的基盤ともなり、国の進路に違った展開を与えていた可能性もあるのではないか。

その可能性が具体的に追求されていた。それが、日本学生協会そして精神科学研究所の運動だった。

もし、思想的に破綻したものでないのならば、現代的な再生は有り得るのではなかろうか。日本主義的教養に根ざした、日本型保守主義の構築は現代においても可能なのではないか、相当な飛躍のある思いではあるが、それを夢想させられる。いわゆる「軍国主義」と最後に対峙したのが、日本型保守主義者たる精神科学研究所であったという歴史事実が掘り起こされたことは戦前のイメージの転換を迫る問題提起でもあると思われる。

戦時体制とは、実はレーニンの「戦争から革命へ」のテーゼに近いものだったのではないか、それを同時代に指摘し、そのために弾圧された精神科学研究所の存在は時代を照らす光のように思われる。

悲惨な記憶で埋め尽くされている戦前戦中が、実は共産主義的な国家体制に近いものだったとすれば、現代までの共産党や社会主義政党の滑稽さ、あるいはペテンといったものが暴露されるということでもある。研究が進める真理の探求は、そのような真実を明らかにしつつあるようにも思われる。これは、希望による予断かもしれないが。

以下、目次を書き写す。
第一章  「右翼」は頭が悪かったのか―文部省データの統計的分析―
第二章  政治学講義と国体論の出会い―『矢部貞治日記』を中心に―
第三章  学風改革か自治破壊か―東大小田村事件の衝撃―
第四章  若き日本主義者たちの登場― 一高昭信会の系譜―
第五章  学生思想運動の全国展開―日本学生協会の設立―
第六章  逆風下の思想戦―精神科学研究所の設立―
第七章  「観念右翼」の逆説―戦時体制下の護憲運動―
第八章  昭和十六年の短期決戦論―違勅論と軍政批判―
第九章  「観念右翼」は狂信的だったのか―日本型保守主義の可能性―


|

« 「野菜」カレーを作って・・・ | トップページ | 「反戦思想を担った右翼学生」という書評 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/86795/42129580

この記事へのトラックバック一覧です: 「日本主義と東京大学~昭和期学生思想運動の系譜~」を読んで:

« 「野菜」カレーを作って・・・ | トップページ | 「反戦思想を担った右翼学生」という書評 »