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2008年6月

2008年6月26日 (木)

護衛艦さざなみ、中国広東省湛江に

 航空自衛隊機が、四川大地震の被災者への救援にかけつけようとして頓挫したのはついこの間のことだが、海上自衛隊の護衛艦ならばよいというわけでもあるまいに。

 昨年11月に、中国海軍のミサイル駆逐艦が日本に初入港したのを受けてのものだったという。

 本来、ずっと以前に四川大地震の被災者へ送られるはずだった、救援物資は、やっと届けることが出来たわけだ。しかし、なんとも腑に落ちない話しだ。

 防衛交流はいいが、軍拡に狂奔する中国の暴走にいかに歯止めをかけることが出来るのか。

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2008年6月24日 (火)

「自民議連の移民誘致プラン反対」クライン孝子氏の正論に感謝、と同時に・・・

 産経新聞の正論欄に、ドイツ在住のノンフィクション作家、クライン孝子さんが「自民議連の移民誘致プラン反対」の主張を書いてくれた。大変ありがたいと思った。

 移民政策を推進して、その後遺症に苦しんでいるヨーロッパ各国の実情を認識することは、最低限必要な、知的モラルである。自民議連が「1000万人移民」をぶち上げて、果たしてその責任を取れるのか。否である。

 ドイツの例は、丁度規模的に、自民議連が推進しようとしている1000万人構想に近いので、その実態を検証することは、大いに有益である。

 2005年のドイツ移民者の総計は1000万人余り、総人口の12~13%だという。うちわけは、当初はイタリア、スペインなどの南ヨーロッパ、またユーゴスラビアや旧東ドイツからの出稼ぎ労働者誘致だったが、1961年からはトルコからの出稼ぎという名の移民が次々とやってきた。その結果、ドイツは、アメリカ、ロシアに次ぐ世界第3位の移民大国となったわけである。(正論記事に基づく)

 トルコからの移民が深刻な問題を惹起していることは、既に何十年も前から指摘され、大きな社会問題になっていた。ネオナチの台頭も、トルコ移民の問題なくしてはありえなかっただろう。

 移民の多くはひたすらに独自の文化を持ち込むのに熱心で、ドイツのアイデンティティをかたくなに拒んだ。そればかりか、9・11テロの才、テロリストの一味はドイツを拠点にテロ活動の主導的役割を果たした。現在ドイツは、従来名寛大な無制限移民政策にブレーキをかけ、国籍取得条件を緩和(継続滞在8年)する代わりに、この9月1日からドイツ語やドイツ憲法に当たる「基本法」、歴史や誠司、社会の仕組み、文化などの基礎知識のテストを導入し義務付けるという。

 西尾幹二氏の「戦略的鎖国論」を思い出すが、ドイツ文学が専門だった西尾氏も外国人労働者問題に警鐘を鳴らしてきた。西尾氏にも是非健筆を振るっていただきたいところだ。

 さて、クライン孝子氏は、「何と日本は、こうしたドイツなど移民大国が抱える諸問題には目をつむり、時代に逆行するかのように遮二無二「移民立国」構想に邁進すると言う。彼らはそのリスクがいかに大なるものか、考えたことがあるのだろうか」と指摘しているが、私は、ドイツ以上に深刻な問題が日本には待ち構えているように思われてならないのである。

 第一は「外国人地方参政権付与」との連動の問題である。移民1000万が外国人参政権を付与されたらどうなるか。少なくとも地方自治体レベルでは、移民に自治体を乗っ取られる可能性さえ出てくる。一つや二つの地方の県など、長野での聖火リレーの時のような統制されいっせいに行動を起されたらひとたまりもないであろう。ましてや過疎地区の自治体を乗っ取るなどいとも簡単なことだ。今、地方で次々と制定されている「自治基本条例」に国籍条項」がないことも暗い影を落とす。地方参政権以前に、自治体を侵食することは現時点でも充分に可能なのである。

 第二は、中国と北朝鮮、そして韓国の問題である。日本を心底憎悪しているこの近隣諸国が、これを好機とばかりに一斉に移民戦略に乗り出したらどうなるのか。愛国教育という名の徹底した反日教育で洗脳されている中国人が大挙して日本に押し寄せたら一体どうなるのか。彼らは、日本人に対して犯罪行為に走ることへの抵抗感は著しく弱い。何らの罪悪感なしに、復讐意識で犯罪を重ねる可能性がある。

 事実、在日外国人の問題は、既に朝鮮人問題から、中国人問題に重点が変わったといわれている。膨大な不法滞留中国人が流入していると言われている。その数50万。在日朝鮮・韓国人を含め、ざっと150万人もの在日外国人が存在しているといわれている。増加する一方の外国人犯罪、またチャイナタウン、コリアタウン化する地区も出来つつある。

 中国が他国を併呑しようとするとき、必ず最初に行ったことは、人の移動である。「満州」は「中国東北部」にされてしまったが、本来は、満州民族の国であり、決して中国人の国ではなかった。清朝が健在の頃には、漢人は足を踏み入れることさえ極めて厳しく制限されていた。ところが辛亥革命後、何百万という漢人が流入し摩擦を起していった。そして第二次大戦後には、国共内戦のどさくさの中で、併呑されてしまうのである。その上、満州民族は大量に全く別の土地に移住させられ、満州から満州民族は、殆ど姿を消したといわれる。

 チベットや東トルキスタン(ウイグル)で現在進行形で行われている漢人移入政策も露骨なもので、既に、チベットや東トルキスタンでは、人口は逆転しつつ在るといわれている。

 この恐るべき民族抹消政策を伝統的に持つ中国という少数民族も含めて13億という人口を抱える異様な国が、この移民政策に目をつけないはずがない。事実、人民日報が、この移民政策を注目している。

 13億の内のたった1000万人の移民を送り出すことは、中国にとって雑作もないことである。そして、その中には、あの反日映画をつくった李何某のような反日工作を推進するものも無数に入ってくる。

 沖縄は、独立、続いて中国への併合を決議するだろう。対馬は韓国に取られるだろう。そして、各地で地方主権、ひいては独立、そして中国への併合という流れとなり、最終的に、日本の独立は失われるのみならず、日本民族を抹消する政策が行われるだろう。移民を守るという名目で、人民解放軍が日本に上陸し、各地を制圧するだろう。シーレーンは原潜に押えられ、飢餓が襲い、日本民族は奴隷への道を歩むことになるのだ。

 決して荒唐無稽な絵空事ではない。

 チベットにおけるアボのような、民族の裏切り者も続々と出るだろう。

 無気力で目先のことしか考えないひ弱で青臭い連中は、右往左往するばかりだろう。

 「民族差別禁止法」によって、外国人の日本人に対する犯罪は野放しにされる一方、日本人が外国人を少しでも批判しようものなら、「差別」のレッテルによって、弾圧されることになる。

 近未来の最暗黒の構図は、こうしたものとなる。

 日本民族は、最下層民として生き延びるかもしれないが、歴史も文化もずたずたにされ、伝統は断ち切られ、鎮守の森など一つもなくなる。はげやまばかりで美しい景観も消滅するだろう。

 これは、日本民族の滅亡である。 


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2008年6月16日 (月)

言葉のまやかし

 聖書ヨハネ伝は、「はじめに言葉あり、言葉は神なりき、よろずのものこれによりてなり、これによらでならざるはなし」という文句から始まっています。

 ゲーテは、「ファウスト」の中で、この「言葉」というところを、色々に思い巡らすファウスト博士の姿が描かれていますが、それはさておき、ここで私が強調したいのは、「き」の一言です。

 日本語訳の聖書は、やはり文語体のものが一番リズムもあってよいと思われます。翻訳につきものの正確であるか否かという面はありますが、旧約聖書はヘブライ語、新約聖書は古代ギリシャ語がカノンだと言われているわけであり、ラテン語だろうが、ドイツ語だろうが、フランス語だろうが、英語だろうが、翻訳であることに変りはありません。勿論、語族の上では先祖と子孫のような関係にあるのでしょうが、宗教改革が、聖書の各国語訳から始まったことを考えれば、日本語訳が、日本語として格調の高い言葉で綴られることが最重要課題であることは間違いないでしょう。

 日本のキリスト教徒が、口語訳では相当に分かりにくい、調子も悪い言葉で翻訳してくれているので、これ以上、キリスト教が広まらないのは、私から言わせれば「幸いなるかな」であります。

 それはさておき、なぜ、「き」なのかといえば、過去形であるということです。

 つまり、言葉が神であったのは、過去のことだということです。

 現代は、偽りの言葉が支配する時代であり、言葉にはまやかしがあるということです。

 マルキシズムが、正に言語魔術をよく使っていました。彼らがいった「民主主義」とは、「民主集中制」のことで、「人民独裁」のことでした。「人民」とは抽象概念であり、結局は、共産党の権力者の独裁であったわけです。

 「独裁」といえば、今の共産党政府支配下の中国も独裁国家です。三権分立を正面から否定している国連安保理常任理事国は、シナ共産党政府だけでしょう。

 「多文化共生国家」「日本型移民国家」などという、言葉で語られた「1000万移民構想」は、言葉のまやかしに満ちています。

 世界中の国が、移民問題で苦悩しているのは周知のことであり、アフリカのルワンダでは、フツ族とツチ族で血で血を洗う抗争を続けていることはよく知られています。中国における東トルキスタン、チベット問題はどうなのか。今回の地震でも、少数民族は切捨てられているのではないのか。ボスニア・ヘルツェゴヴィナはどうなのか。ヨーロッパ各国は、移民政策を推進した結果どうなったのか。アメリカでさえ、ヒスパニックの流入に苦しんでいる。

 アジアでは、マレーシアが、植民地支配下にイギリスによって進められた移民政策によって、人口の3割が中国系、1割がインド系、もともとのマレー人は6割だが、経済も教育も圧倒的に中国系が強い。民族間の衝突は常にくすぶっている。インドネシアでは、人口の3%の華僑が経済の7割を握っているといわれている。
 
 提言には、ご丁寧にも「人種差別撤廃条約」の趣旨を生かした民族差別禁止法を制定して対応するらしい。

 つまり、これは、日本土人よ、移民様に文句をつけたら、罰するぞ、というものである。

 長野で、たった4000名の中国人留学生が動員されただけで、長野市は占拠状態になり、警察も彼等の暴行を見て見ぬふりをするしかなかった。

 留学生30万人計画などという形で、既に動き出しているわけであり、不法就労者はうなぎのぼりだ。

 一方において、「ゆとり教育」世代は、自分が置かれている立場に気付かず、刹那主義的に、ニートだフリーターだと甘え放題。このまま行けば、彼らは、間違いなく、日本国内において最下層民化することになる。

 親のすねかじりをしていられるのは、あと数十年の間だけで、その間に、働き口も何もかも、移民たちの手に落ちてしまうのだ。

 今朝、公園のベンチでねっころがっている7~8名の10代後半から20代前半位の男女の若いのがいた。どこでなにをしていたのか知らないが、今はまだ帰るところがあっても、これからはそうはいかなくなるのだ。そして、犯罪者予備軍となっていく。基本的に「豊かな」社会で、「人権」だ何だと甘やかされてきた彼らは、修羅場をくぐってきた移民たちに太刀打ちできるわけがない。

 イヤになれば逃げる。叱られたら辞める。そんなことを続けていて、気付いたら、最早誰からも相手にされなくなり、野垂れ死にするしかない。それもこれも、みんな社会が悪いのだと、ほざくのが落ちだ。

 真っ当な日本人も、こうしたお荷物を背負っていかなければならないのだから、大変である。


 経済界というのは、金勘定の論理だけで、女性を家庭から引きずり出して、家庭崩壊を進めた。そして少子化が進む原因を作っておいて、今度は少子化で、人口減少社会に転じたからといって、移民を進めようとする。

 場当たり的というか、目先のことしか考えていないというか、そういう意味では、刹那主義的な生き方しか出来ない若い連中と、根は一緒だということなのだろう。こんな日本に、誰がしたのか。

 今、国籍が狙われている。国籍のたががはずされて、希望すれば誰もが「日本人」を名乗れるようになる。

 すると、「日本国憲法」が適用され、「文化的最低限の生活」が保障される。食うや食わずで日本に来ても、移民申請が通り、「日本人」となれば、「生活保護」の対象となるだろう。

 「日本型」移民国家、などという言葉で騙されてはいけない。ありえない話しなのだ。日本は、移民国家ではないのだから、「日本型」というのは、これから政策を考える連中が頭の中で作り出すへ理屈に過ぎないのだ。

 日本解体のための移民国家政策、というなら、わかるし、それが実態だが、そうは言わない。だから、「言語魔術」であり、まやかしだというのだ。

 なぜ、差別がいけない、人権尊重などということが、ひたすら強調され、刷り込まれてきたのか。

 それは、この「移民」政策が実施されたときに、皮膚感覚でおかしいと感じても、それは「差別」感情ではないか、「人権」侵害ではないか、と自己規制させるためであったのだ。

 それは、いわば「精神的武装解除」といってよいだろう。

 その逆は、恐らく野放しににされるのだ。日本人がどんどん追い込まれ、虐待されることになる。

 その犠牲の上に、ごく一握りの連中が、あぶく銭を稼ぎ、世界のどこにも在る、貧困と差別と特権階級のうごめく国となるのだ。

 その頃には、もう、日本の「国体」など、完全に解体されていることだろう。

 そんな日を迎えさせることは、断じてあってはならない。

 人権擁護法案も、外国人参政権も、この移民1000万計画によって完成する、日本解体のための一里塚なのである。

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2008年6月12日 (木)

1000万人移民計画に思ふ~日本は日本人の国だ~

 一瞬、耳を疑つた。

 今後50年間で、1000万人の移民を促進する。そのため移民庁をつくる。移民に言葉や就労の為の訓練のサービスを行ふ。

 政権与党の議員連盟が出した政策案だ。

 ネットで調べたら、2003年に、民主党の議員有志が、同じような提案をまとめてVOICEで対談してゐた。

 狂気の沙汰である。

 人口が減つたら、活力が落ちる、経済力が落ちる、だから、移民を入れて、人口を維持する、だと。

 人間を、頭数でしか考へることの出来ない、恐るべき野蛮。

 よしんば、経済力を維持できたとしやう。それを享受するのは一体誰なのか。

 100年後には4000万人人口が減るといふ試算をしているのだそうだ。

 では、50年後までに移入された1000万人は、100年後にはどれだけになるといふのだ。

 一億人の人口を維持するといふのだから、3000万人といふことか。

 やがて、純粋な日本人は少数民族となるだらう。

 そして、ネパールと同じやうに、日本人民党毛沢東主義派が、第一党となり、天皇制廃止を打ち出すのだ。

 神社などは過去の遺物として、鎮守の森は全て切り倒されるだらう。

 日本語は、劣等言語として差別され、中国語が公用語にされるのだ。

 日本女性は、中国人男性との結婚のみ許され、日本男児と中国人女性の結婚は禁止である。

 厳密な一人っ子政策が採られ、日本民族絶滅政策はかくて完遂されるのだ。

 これが、1000万人移民計画に隠れた、本当の意思である。そう断言してよい。

 裏に、中国や北朝鮮、また、解放同盟の陰がちらついている。

 なるほど、これが彼等の切り札か。全ての反日運動が、ここに収斂されているのだ。

 国籍取得要件を緩和させ、日本人の枠組みを曖昧にする。

 人権擁護法を通し、こうした動きに反対する国民の声を全て圧殺する。

 日本人愚民化政策たる、教育政策を推進する。

 日本人のアイデンティティを解体するため、歴史への攻撃、皇室への攻撃を徹底する。

 性モラルを崩壊させ、人間性崩壊を促進する。

 こうした徹底した日本民族劣化・絶滅計画をすすめるのだ。

 これが、自民党、民主党の一部議員が推進しようとしている1000万人移民計画の、本当の意図である、と直感する。

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2008年6月 7日 (土)

DVD批評「フレンズ」を見て

「フレンズ ポールとミシェル」 

 自分のブログだから、何を書こうが、自由だ、と開き直って、ふと見た毎日JPの記事に触発されて、書いてみる。

 なぜ、どこで、あの映画を見たのか、よく思い出せない。映画館で見たような気もするし、テレビだったような気もする。

 映画が最初で、後から、原作の翻訳「フレンズ」を文庫で読んだ。

 今覚えている台詞の一コマ一コマは、どちらかといえばそちらの方の印象だと思う。

 動物園での出会い。カマルグでの生活。大人でないために仕事も得られない中、健気に生きていこうとする二人。接触感から、一体感を得た夜。そして、ミシェルの妊娠。その子が生まれたら、どんな名前をつけるか話しをする二人。ミシェルが、「シルヴィ~~ミシェル・ポーリン」よ、という。「何それ」とポールが言うと、「あんたとあたしよ」とミシェルが答える。そんなやり取りを、不思議と覚えている。
 そして、ラストシーン。いつものようにポールが仕事に出かける朝、見送るミシェル。そして仕事先には、ポールを待ち構える父親の影。

 フランスの田舎の湿原地帯であるというカマルグという地名も、今でもよく覚えている。純粋な形で、ままごとのような愛情を育てたポールとミシェルの物語である。

 その後に、「続フレンズ」が出来て、それを見た。それは、大人へと成長した、二人の再会の歓びと、辛い現実の話しでもあったように記憶する。

 少なくとも、1人の女性を愛することへの憧憬を抱く、きっかけとはなった映画である。

 ただし、見返したことはない。30年近くも前の記憶によるだけの話だ。

 すっかり忘れていたが、たまたま記事を見て、思い出した。思い出したら、これだけのことが出てきた。忘れてはいなかったんだな。

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人権ファッショ化の危機、押し返しか

 産経新聞6月7日5面から

 今国会提出を断念  人権擁護法案

 自民党人権問題調査会(会長・太田誠一元総務庁長官)は6日、人権擁護法案の今国会への提出を断念した。ただ、調査会は人権委員会の権限を大幅に縮小した修正案(太田私案)の次期国会提出を目指し、協議を継続していく構え。反対派は協議打ち切りを強く求めており、党内の軋轢は今後も続きそうだ。

 調査会では修正案にも反対派の納得が得られない上、党法務部会(倉田雅年部会長)が慎重姿勢に転じたため、会期中に党内の法案了承手続きを取ることは不可能だと判断した。調査会は6日朝、自民党穂運部で14回目の会合を開いたが「人の心や道徳まで法律で管理するのか」(衛藤晟一参院議員)など批判が続出。中川昭一元政調会長は「議論を聞いて、これ以上前に進めることはできないと思うので、ぜひご判断をお願いしたい」と太田氏に議論打ち切りを迫る場面もあった。

(引用以上)

 この太田誠一会長は、3月3日に同和団体の全国大会に来賓として出席し、「(調査会には)罵詈雑言の嵐だが、最後にはきちんと法律にしたい」と挨拶したという。同団体等が5月22日に参議院議員会館で開催した集会にも出席し、「人権擁護法」の制定の決意を述べたという。

 ところが、上記の6月6日の会合の冒頭では、「我々には何の関係もない」と食言。

 ここまで必死になって、同法案を通そうという執念は一体どこから来るのか。色々な説があるが、福岡県のかつて、さる同和団体の指導者だった松本何某氏を尊敬しているのだということを聞いた。

 「貴あれば賤あり」という言葉の発明で有名な人物だが、これは共産党がかつてでっち上げたスローガン「朕ハタラフク食ッテルゾ、汝臣民飢エテ死ネ」というのと同類の悪質な宣伝文句だと言ってよい。なるほど、筋金入りの信奉者なのだということが分かるではないか。

 如何なる形でも、この法案を通すことは罷りならない、ということを改めて痛感する。

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