« 2007年12月 | トップページ | 2008年2月 »

2008年1月

2008年1月25日 (金)

曲者 佐藤優

 このギョロメの男は、メディアを最大限に利用して、自分を吹聴している。

 本を書き散らして、荒稼ぎをし、もっともらしいことをあれこれと言い募る。

 鬼面人を驚かすというべきか、インテリジェンスの世界のあれこれを、訳知り顔にしゃべりまくる。

 しかし、まゆつばである。

 何を目的としているのか、わからなかったが、ふとひっかかる言葉があった。

 彼は、日本人の「誠」という価値観を嘲弄する。「思想や価値がお留守で、プロセスしかない人種」と。

 さて、愛国者づらをしているが、その真意は如何。

 かのゾルゲ事件の日本側の首謀者であった尾崎秀実は実に派手な動きをした。当時のマスコミの寵児でもあった。それを足がかりに政治に影響を与えていったとされる。ゾルゲ事件が発覚したのは昭和16年10月、大東亜戦争直前である。日本がいかに情報戦に対し脆弱であるか、その教訓は全くといっていいほど生かされていないのであろう。情報リテラシーのなさがそれを明かしている。

 悪魔は、神の愛を説くことは出来る。それも完璧に。しかし、彼に出来ないのは、愛することである。

 スパイは、あらゆる正論を説くことは出来る。それも完璧に。しかし、彼がその正論を信ずることはない。

 しかし、まあ、曲者とは、面白い日本語で、百パーセント悪のイメージはない。

 柴田連三郎が、「曲者時代」という時代小説を書いていたが、彼が取り上げた「曲者」には、高山彦九郎などの人物もいたのである。曲者も、時代を映す鏡ではある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「人権擁護」の名の下の「特高」を生み出す人権擁護法

 にわかに浮上してきた危ない法案、「人権擁護法案」。

 元々自民党内の推進派だった古賀誠が、最後のチャンスと強引に推進している。

 しかし、平沼赳夫元経済産業大臣や、中川昭一元政調会長らは正面から反対姿勢を鮮明にしており、安倍前首相も明快な反対論者であることは周知の事実である。

 なぜなら「人権擁護」の「美名」の下に、いわば「人権特高」を設置するのが、この法案の最大眼目だからである。

 「特高」とは古臭い言葉を持ち出したものだが、治安維持法の下に設置された「特別高等警察」の略称である。

 元々、大逆事件を発端として、生まれたもの。大逆事件は、幸徳秋水らの社会主義者が、明治天皇の暗殺を企てたもので、当時の国民からすれば寝耳に水の大事件であり、そのような「大逆」を考えるような社会主義や共産主義というものへの警戒感が高まっていったのである。

 更に、ロシア革命で、ロシアの皇帝とその家族がボルシェヴィキ(共産党)に虐殺される事件や、尼港事件で邦人三千人がボルシャビキのゲリラによって惨殺されるという事件は、共産主義者への警戒感を決定的になるのである。

 治安維持法が制定されたのもこのような時代背景があってのことだ。共産党が今でも目の敵にするのは、標的にされたのだから当たり前といえば当たり前のことではあるが、六十年安保全学連を指導した清水幾太郎氏が後に述べているように、治安維持法で死刑になったものは只の一人もおらず、むしろ獄中における大量転向ということが起っているのである。そして、転向したものの中には偽装のものもいたかもしれないが、再転向したものは決して多くはなかった。

 いわば、「人権擁護法」は、「人権問題が存在する」ということを強調することによって、それを取り締まる機関を作るものである。

 「罪刑法定主義」は、近代国家の最低限の原則であり、また、「疑わしきは罰せず」も、文明国の裁判の原則でもある。

 ところが、人権擁護法に基づく人権委員会が設置されると、「罪刑」は、定義も曖昧な「人権」侵害となり、それを認定する「人権委員会」の裁量一つ、ということになる。これでは時代は封建時代に逆戻りである。

 更に、「人権侵害」の疑いがあれば捜査令状もなく、出頭要請、関係先への立ち入り検査、捜索・押収。そしてそれに正当な理由なく拒否すれば30万以下の罰金が科せられるのである。

 また、人権委員会は、人権侵害を認定した場合、勧告・公表、提訴などの権限がある。「人権侵害」を認定されれば、勧告を受けた人物は、地位を失いかねない社会的制裁を受けることになる。

 人権委員会の裁量一つで、ターゲットにした人物を社会的に失脚させることが出来るのだから、これは大変な権力である。

 さらに「メディア規制」条項があることによって、取材の自由が脅かされるのであり、事実上、メディアは死ぬ。

 これだけの問題を抱えた法案を強引に推進する背景には、全体主義的な勢力が見え隠れしているのが特徴であり、社民党や部落解放同盟なども強硬な推進派であることから、この巨大な強権が何に使われるのかが分かろうものである。

 要するに、日本を北朝鮮のような国にしようというのが「人権擁護法案」推進派の意図である。

 首相は「我が国には子供や老人、女性に対する暴力や、差別、偏見など数々の人権問題が存在すると言わざるを得ない」と答弁しているのだそうだ。たしかに虐待問題から日々の異常な事件の続発は、国民の心を暗く沈めているが、それが、「人権」が「軽視」されているために起っていることであり、「人権擁護」がなされれば根絶させることが出来る、という認識は、まことに「おめでたい」の一言に尽きる。

 大体、「人権」という概念自体が、「権利のための闘争」というイェーリングのパンフレットがあるくらいで、「闘争」の原理であり、「対決」の原理なのである。むき出しの「権利」と「権利」が衝突すれば、「暴力」や「偏見」「虐待」などが続発するのは考えてみれば当たり前のことである。

 人間同士の関係が「権利関係」のみで規定されるとするなら、そんな社会は地獄であろう。

 親子関係は権利関係では立ち行かない。子供を育てる手間を、親が自分の権利の侵害だと思い込み、ストレスを溜め込んでは虐待に走る。その対抗手段として、子供に「育てられる権利」を「保障」する、というようなことをする必要が生まれる。

 親が子供を育てるのは、親がそのまた親から育ててもらった「恩」を返すことであり、その縦のつながりの絆が絶たれたら、人間は人間として存在することさえ出来なくなるのだ。

 「権利」思想など、フランス革命以来の高々数百年の政治イデオロギーに過ぎず、未熟な政治概念であるがゆえに、いまだに世界中の問題解決に役立っていない。「権利」概念の長所を生かすためには、更に重要な、歴史の中ではぐくまれてきた多くの関係性に着目しなければならないのであり、むしろ、「権利」は、そうしたものを「守る」ための道具として編み出されてきたのである。それが、今は自家中毒を起して、本来守るべきものを破壊する方向に働いているのだ。

 繰り返していうが「人権擁護法」が成立したら、日本は、「人権」独裁の収容所国家に成り果てる。自殺者の数は今の何十倍にもなるだろう。そこでは「自由」は圧殺されてしまうからである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月22日 (火)

鬱病について

 コメントを頂いたのですが、私は医者でも専門に勉強したものでもないので、好き勝手なことしか言うことは出来ないことを前提に、考えてみたいと思います。

 この間書いた記事では、「鬱病」は、精神的な病気ではなく、脳内の神経伝達物質が分泌されない、内分泌異常の病気だ、ということです。

 「内分泌異常」という言葉で思い出されたのが、糖尿病です。

 糖尿病も、細胞内にエネルギー源である糖を吸収するために必要なインシュリンを、膵臓が分泌しなくなる病気です。いわば内分泌異常ですね。

 あまった糖分が血管を傷めるなどする合併症はいわば副次的作用であって、実は、細胞内にエネルギーが供給されないということがこの病気の核心なのだろうと思われます。

 そして、別名「生活習慣病」と呼ばれるように、生活習慣によって生じるものなわけです。(先天的なものもありますが)

 「鬱病」も、内分泌異常ということで、それに対処するために、糖尿病におけるインスリンのような形での薬剤の投与をすることによって改善するということもあるということはなるほどと思われますが、しかし、だからといって生活習慣を改善しなくて良いということではないのではないかと思われるのです。

 心の持ち方の改善ということがとても大切なのだと思われますし、また、人間気分を変えるには環境を変えることが大切というようなことも大切だと思います。また人のために役立つことをして人様から喜ばれ、それが自分の歓びになるという体験を積み重ねることも大切なのだろうと思われます。

 まじめで否定的な性格の人は、ちょっとしたことでネチネチといつまでも愚痴を言い続けたり、くよくよしたりします。「性格は第二の習慣」という言葉もあるように、心の習慣を変えることによって性格も変えることが出来、それがいわば「生活習慣」を変えることになるのだろうと思います。

 心を変えるには、言葉を変えるのが一番の処方箋で、否定的な言葉を使わず、肯定的な言葉を使うこと、小さなことにこだわらず、おおらかに物事をとらえるような言葉を使うことによって改善できるのではないでしょうか。

 心が伴わなくても、言葉を変えることによって、徐々に心もついてきます。

 これは逆もまた真であると思われ、あまりにひどい世相も、それを報道するマスコミや、また表現の自由という葵の御紋を振りかざして、無道徳無秩序破廉恥没義道な作り話を垂れ流すメディア一般にその責任があると思われます。言葉の力をマイナスに使うことの恐ろしさを、現在はまざまざと見せ付けられている時代のような気がします。

 良い言葉を使いましょう。「ありがとう」「嬉しいよ」「感謝してるよ」「今日は気持ちいいなあ」

 そうそう、このブログを飽きずに見に来てくれている人には、本当に感謝しています!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月21日 (月)

英語サイトで竹島は日韓どちらの領土か投票が行われています!

嘘でも突き通せば通ると思っている中華文明圏の「優等生」、韓国の思い上がりに掣肘を加えたいところです。

英語のサイトで、竹島が日本と韓国どちらの領土だと思うか、という「投票」が行われています。

Dokdo-or-Takeshima?

竹島は、日本の敗戦後、ドサクサにまぎれて、李承晩政権が奪い取った純然たる固有の日本領土です。

漁民は日本国民ではないのでしょうか。竹島でも、北方領土に隣接する根室でも、漁民が韓国やロシアの武力によって殺されても傷つけられているのに。

せめて一票、日本国民としての意思を、世界に向けて表明しようではありませんか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月17日 (木)

平成20年の歌会始め 御製 御歌

◇平成20年歌会始お題「火」

御製(天皇陛下のお歌)

 炬火台に火は燃え盛り彼方なる林は秋の色を帯び初む

 (昨年の9月末,秋田県で開催された国民体育大会の開会式にご臨席になった折の情景を詠まれた御製。)

皇后陛下御歌

 灯火(ひ)を振れば彼方の明かり共に揺れ旅行(ゆ)くひと日夜(よる)に入りゆく

 (地方行幸啓で,夜分,地元有志の提灯奉迎をお受けになることがあり,その時の情景をお詠みになった御歌。夜の市街をあまり騒がせても,との両陛下のお考えから,近年万歳の回数は控え目にされており,この間,両陛下がお手の提灯を左右にゆっくりとお振りになると,自然と奉迎者の提灯もそれに合わせて振られ,お気持ちの通い合う中,旅の一日が暮れていくことの喜びをお詠みになりました。)

皇太子殿下お歌
 蒼(あを)き水たたふる阿蘇の火口より噴煙はのぼる身にひびきつつ

 (皇太子殿下には,昨年秋,熊本県行啓の際に阿蘇山にお立ち寄りになりました。
 このお歌は,青い水をたたえる火口から激しく吹き上げる噴煙を間近にご覧になり,阿蘇の雄大さに感動されてお詠みになったものです。 )

皇太子妃殿下お歌
 ともさるる燭の火六つ願ひこめ吹きて幼なの笑みひろがれり

 (愛子内親王殿下は,昨年12月に6才のお誕生日をお迎えになられることを大変楽しみになさっていらっしゃいました。このお歌は,お誕生日のお祝いの折り,ケーキに立てられた6本のろうそくの火を吹き消された内親王殿下のお顔に喜びの笑みがひろがっていく様子をお詠みになられたものです。)
 皇太子妃殿下は,お誕生日を心待ちにしておられた内親王殿下のご成長を嬉しくお思いになられこのお歌をお詠みになりました。

文仁親王殿下お歌
 囲炉裏の火見つつ話を聞くときに心ときめく古老らの智に

 (古老たちがもっている生き物についての知識には,本に書かれていないことや,いままで聞いたことのない話がたくさん出てくることがあります。そのなかには,自然環境の保全や生物種の資源保護に役立つ知識や知恵が含まれています。
 このお歌は,秋篠宮殿下が生き物の民俗に関する調査をなされた際に,そのような豊富な「智」をもった人たちとの語らいの様子をお詠みになったものです。 )

文仁親王妃紀子殿下お歌
 夕闇にかがり火あかくてらしたる鵜匠は手縄かろらかにひく

 (秋篠宮同妃両殿下は,平成17年5月12日から13日にかけて「平成17年度ジャパンフラワーフェスティバル2005ぎふ」開会式ご臨席のため岐阜県にお成りになりました。その折,秋篠宮妃殿下は長良川で鵜飼をご視察になり,夜の川面で篝火に照らされながら巧みに鵜を操る「鵜匠」の見事な技をご覧になりました。
 このお歌はその時の様子をお詠みになったものです。 )

正仁親王殿下お歌
 新嘗の篝火の火は赤や黄となりてとびちり闇を照らしぬ

正仁親王妃華子殿下お歌
 しづもれる宮居の杜の夕つ方かがり火たきて御(み)祭をまつ

 (御神楽の儀の様子をお詠みになったものです。 )

崇仁親王妃百合子殿下お歌
  萌えいづるものをたのみて山やきの火はたちまちにひろごりてゆく

 方々である山焼きをお詠みになったものです。

憲仁親王妃久子殿下お歌
 暮れそめし賢所(かしこどころ)の大前に衛士の焚く火の清らかに燃ゆ

 (両殿下のご結婚の儀は12月6日に行われ,最初にご参列になられたお祭りが御神楽でありました。その際に高円宮殿下が仰られたとおり,実に心を動かされるもので,以来,毎年その静寂で神秘的な空間にご自身がおられることを幸せに思って来られたと伺っております。
 このお歌はその時の様子を思い起こしてお詠みになったものです。 )


 宮内庁のホームページから引用させて頂きました。

 和歌の持つ力は計り知れないものがあるように思われます。

 天皇陛下の大御歌を拝誦し奉ると自ずと胸内に熱きものがこみあげ、目頭が熱くなるのを覚える。

 天皇陛下万歳。 天皇陛下万歳。 天皇陛下万歳。

 
  「火」の御題には、詠進することが出来なかった。本当に残念だ。

 平成21年の御題は「生」。今年こそ、精一杯の誠を尽くして、詠進奉りたい。 

  すめくにに 息づくことの 嬉しさよ 草莽の我 数ならぬ身も


  万葉の歌を思い出す

  御民我れ 生けるしるしあり 天地の 栄ゆるときに あへらく思へば

  天皇のしろしめす国に生を受けたものの歓びを歌い上げた古今の絶唱である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月14日 (月)

韓国、台湾、北朝鮮、中国、ロシア・・・新型インフルエンザ・・・

 韓国の大統領選、台湾の選挙と日本にとっても関心を抱かざるを得ない近隣諸国の動きが続いて入ってきている。

 韓国についていえば、ここにきてやっと対北朝鮮宥和派ともいえる左翼政権が倒れ、日米との同盟関係を重視する保守派が勝利したことは朗報といえるだろう。史上最低と言える前大統領の北朝鮮政策は、韓国の歴史を裏切るもの以外のなにものでもなかった。朝鮮半島の不幸は、元々が郷党意識が強すぎることにより国家より郷党意識が優先することにあり、それに加えてイデオロギーに凝り固まった北朝鮮が同民族に襲い掛かり朝鮮戦争が戦われた。冷戦下の代理戦争的要素があったにしても、回廊国家の悲惨を絵に描いたような朝鮮半島のあゆみである。

 朝鮮戦争で北朝鮮がプサンに迫った頃には日本国内でも日和見的進歩的文化人なる人種が、しきりに革命礼賛、北朝鮮礼賛をやっていたらしい。今となってはお笑いぐさだが、知識人の信用なら無いことは今に始まったことではないのである。

 さて、一方台湾では、立法院議員選挙で、野党の国民党が圧勝し3分の2の議席を獲得した。3月に控える総統選挙の行方にも大きな影響を与えずにはおかないこの結果であるが、中国の圧力が功を奏したのか、国民党が時代錯誤の「国共合作」に向かわねば良いが予断を許さない。

 北京オリンピック開催を控え、中国で鳥インフルエンザの人から人への感染が確認された。猛毒性を持つといわれるこの新型インフルエンザは、爆発的に広まる可能性がある。サーズは水際阻止が出来たがそれはサーズが発症してから数日して感染が始まるという性質のものだったからで、インフルエンザは本人の自覚症状が出ないうちから感染が始まる。つまり水際阻止が極めて難しいのである。日本に上陸した場合には60万人もの死者が出る可能性も指摘されている。

 戦争よりも恐ろしく、人間の力で防止できるものでもない、というのが感染症の恐ろしさであるという。

 北朝鮮の核兵器開発も停止するといっているが決して本心からのものではないだろう。史上最悪の軍事独裁国家であるが、日本のいわゆる「人権」派や左翼は思想的にこの北朝鮮の同類なのだから恐ろしい。

 ロシアの北方海域での活動も活発になり、北方領土の返還への道はまだまだ嶮しい。

 日本を取り巻く国際情勢の厳しさは格段に増しているといえるだろう。

 安倍政権崩壊後、日本の政治の迷走ぶりには愛想が尽きる思いだが、それでもやっと新対テロ特別措置法を衆議院で再可決し成立させた。

 国家存亡の岐路に立つ年となる、そんな気がする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月10日 (木)

小学生高学年から中学生にかけての読書は人生の基礎をつくる、と思う

 産経新聞の正論で、曽野綾子さんが「何より怖いのは、子供たちが本を読まないことだ」と指摘している。

 この「怖い」という感覚は鋭い、と思う。

 自分自身、憑かれたように本を読んだ時期というのは、実は小学生から中学生にかけての時期だった。勿論他愛もないものもあったが、今読み返そうと思っても中々難しいような科学書まであった。

 司馬遼太郎が大阪のある図書館にある本を全部読んだという話がある。勿論、「話」ではあろうが、あらゆる本の背表紙を眺め、大部分の本を引っ張り出してパラパラと眺めたことがある、とするなら、自分にも体験があるとはいえる。

 知的好奇心というのか、活字の面白さというのか、自分の活字中毒の始まりは存外に早かった。

 父から何度か読書についてコメントをもらったことがある。断片的な言葉なのだが忘れられないものである。高校に入ってすぐの頃だったか、父が好きな本を買ってよいと言われたので書店で何冊も物色したが、2冊、と限定されたので、「本居宣長補記」と「孫子・呉氏・六韜・三略」の2冊にした。「本居宣長補記」は、小林秀雄という人物を知っていたための選択ではなく、とにかく昔、国学とやらをまとめあげた大変な学者に本居宣長という人がいるそうな、少し知ってみたいものだ、という程度の思いだったのだが、「本居宣長」はなく、「補記」があったのでそれにした、というまあいい加減なものだ。そのため、小林秀雄の本居宣長を読むのはかなりあとのことになった。その少し後に、山本七平氏の「小林秀雄の流儀」だっただろうか、本居宣長は補記の方が面白い、などとコメントしていたのをかじって、その面白い方なんだな、と思ったりした。いきなり、本居宣長とソクラテスの比較から入るのだが、学校では絶対にお目にかかれない取り合わせにワクワクしたものだ。

 御多分に漏れず、高校の数学で躓いて、理系の道はなくなったのだが、思春期の読書がブルーブックスなどの科学書に偏っていたせいもあって馴染みは深いものがある。

 日本史は高校までまともに勉強しなかった。大学受験は世界史だった。世界史をやると、何でせせこましく日本史などやれるか、という気にもなる。それで日本史を勉強したのは大学に入ってからしかも殆ど独学に近かった。今では日本史の素晴らしさが分かるようになったが、もう少し早い時期から勉強しておきたかった、とは思う。

 平泉澄博士の「少年日本史」が、講談社学術文庫で「物語日本史」上中下で出ているが、それが通史としての国史を実感する上で最上の手引きとなった。小林秀雄氏が、通史を書くには大歴史家の手腕が要る、という意味のことを言っていたのを思い出すが、下手なやつではどうにもならないものにしかならないのだろう。

 話があちこちしているが、読書という体験がなければ、今の自分は間違いなく存在しない。それは断言できる。

 様々なメディアは、読書の代替には決してならない。人間は「言葉」によって生きるのであり、「言葉」なくして人間足り得ない、というのが自分の持論であるが、活字離れの怖さは、人非人の増加への恐怖でもある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

鬱病  正しく診断、適切な治療を、という記事より

 鬱病は、「心」の病ではなく、脳の神経伝達物質の不足が原因、という記事が目にとまった。

 それは、たしかに説得力のある内容だ。

 腹痛、偏頭痛、耳鳴り、腕のしびれなども「鬱病」の身体的症状の可能性があるという。

 脳の神経伝達物質をコントロールする薬は数種類あり、鬱病と診断されれば治療することが出来るという。

 放置が一番良くないことは、他の問題と変らない。

 鬱病の症状としては、睡眠障害、疲れやすい、食欲不振、頭痛、便秘、肩こり、めまい、吐き気、腹痛、下痢、しびれ、呼吸困難など多彩。

 また、鬱病患者には、自分の体の状況について正しい認識が出来なくなる「認知障害」があるのだそうだ。

 取材を受けた大塚院長が作られたチェック表は、役に立つかもしれないので、転記してみる。

 私の体調不良も、これが原因なのかな、と思われないでもない。

●鬱病のチェック診断表「脳ナビ」
1、寝つきが悪い
2、眠りが浅くて、目が覚めやすい
3、よく夢を見る
4、朝早く目が覚める
5、疲れやすい
6、頭痛や頭重がある
7、肩や首すじがこったり痛んだりする
8、食欲がなく、物を食べても砂をかむようだ
9、吐き気や嘔吐がある
10、口がかわく
11、最近やせた
12、胃や腸の調子が悪い
13、便秘(下痢)しがちである
14、前胸部に圧迫感がある。
15、動悸がする。
16、体のどこかにしびれや感じのにぶいところがある
17、体のあちこちが痛む
18、尿の回数が多い。
19、月経が不順である。
20、性欲が低下した。
21、目が疲れやすい。
22、めまいや耳鳴りがする。
23、憂鬱で、気持ちが沈みがちである。
24、希望がなく、この世からのがれたい
25、何をするのもおっくうで、根気がない。
26、頭の回転がおそくなった
27、記憶力が低下した。
28、注意の集中ができない。
29、いつも不安である。
30、体のことが気になる。
31、くよくよ心配ばかりしている。
32、人中に出るのがいやだ。
33、人並みでなく、気おくれがする。
34、朝目が覚めたとき気分がすっきりしない。
35、朝の方が体の調子が悪く、むしろ午後のほうがよい。
36、いらいらする。
37、何にも急臣がない。
38、決断力が低下している。
39、自殺しようと思ったことがある。
40、くり返しこんな状態になる。

※15箇所以上に「はい」があり、1~4と34、35のいずれかに「はい」があれば、鬱病の可能性が高い。
『その痛みは「うつ病」かもしれません』(草思社)より

(以上)

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2008年1月 9日 (水)

平成20年・皇紀2668年

 松の内も過ぎて、七草粥を食べそびれ、正月気分から抜け出しつつあるところである。

 年末年始は田舎に帰ったが、荒れ模様といわれていたにしては快晴の正月で、2日には、皇居一般参賀にも出かけた。大変な人出で後からニュースでは8万人で昨年より一万人多いと伝えていた。日の丸の小旗を配布するボランティアの方々に「おつかれさまです」と声をかけながら歩く。今はどのようにしているのだろうか、以前には恒例行事として参加していたものだが。

 小旗配布のボランティアほど心嬉しいものはない。殆どの方が日の丸を見るとにこやかに受けとってくださる。小さい子供は駆け寄ってきて「ちょうだい」と言う。日の丸を見ると何となく嬉しくなる、というのが日本人なのだと実感するのである。

 日の丸の 小旗を振りつつ 二重橋 母と連れ立ち 参る嬉しさ

 童心に還るひとときだった。

 天皇陛下から賜った念頭のお言葉、「世界の平安を祈ります」と「平安」という言葉が心に深く響いてきた。「平和」ではなく「平安」と仰せられた中に、深い深い大御心を感じたのだった。世界中どこを見ても諍いの絶えない時代である。日常茶飯事になった自爆テロ。世界中が大合唱している地球温暖化問題。環境破壊問題。エネルギー、食糧、そして水。文明社会に生きる人間が生きていくために確保しなければならない資源の絶対量の不足。

 人ごころ くだちゆく世の かなしみを 吹き払ひ給ぶ しなとべの神

 天地の 神の心に 皆人の 通ふ世をこそ 祈りゆくなり

 我が国の生んだ第一級の科学者である西澤潤一先生の講演を昨年拝聴する機会を得た。先生は画期的なエネルギー問題解消の具体策を語られた。世の中を変えるのは、民主主義ではない。1人の天才の叡智こそが世界を変えるのだ。その感を深くする講演だった。エネルギー問題の根本的な解決が図られること。それは、産業革命以来暴走に暴走を重ねてきて崖っぷちに到っている人類が、起死回生のコンバーションを迎えることが出来ることだ。科学技術が進歩すれば進歩するほど、人間の思想哲学の一層の発展が必要となってくる。

 一万年前から、細胞レベルで人間は全く変っていないのだそうだ。

 人間に必要とされているものは全く変っていない。

 では、人間が真に人間として生きる本来の理想はどこに求めればよいのであろうか。

 ある素粒子物理学者は、無生物の物質の根源である素粒子を突き詰めて研究していった結果、生命現象は物質の結果ではない、と思うに到ったという。

 一方で、コンピュータープログラマーやロボット工学などを専門とする人々は、究極的には、生命体と全く同じ動きをするものを作り出すことは不可能ではなく、それは生命体と変りはない、という哲学に到るようだ。

 生命とは何か。この謎を解き明かすことは、現段階の科学者たちにとってもまだまだ難しいのである。

 生命現象が物質の化学的な反応の結果でありそれがすべてであると仮に証明されたとする。その瞬間から、あらゆる善悪の箍は消えてなくなる。物質の化学的反応の結果が生命現象であるなら、今生きているこのこと自体に何の意味もありはしない。生命とは物質の別の名であるか。唯物論とはこうしたものである。

 生命現象とは何であるか。究極の素粒子クォーク。全くの無から生じ、無に還っていく存在。ところが、その無から生まれた素粒子が組み合わさって原子をつくり、分子となり、物質を作り上げていくのである。

 物質は生命が生命を表現するための素材に過ぎない。それは大変緻密な素材ではあるが、それを駆使する生命はそれを遥かに超えたもものである。

 この世界は不思議に満ち満ちている。その不思議さを感じることが出来るのも、人間の不思議さである。

 平成20年。皇紀2668年。この年を、本当に良い年にしていきたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年12月 | トップページ | 2008年2月 »