« 「鉄の暴風」ならぬ「デマの暴風」 | トップページ | 韓国人から教えられた日本人の素晴らしさ »

2007年10月 9日 (火)

琉球新報9月30日朝刊に見る「軍強制」の虚構

 沖縄の地元紙は、沖縄タイムスと琉球新報の2紙。その他の新聞にお目にかかる機会はあまりない。琉球新報には見開き大で「検定撤回県民大会」の全貌写真が掲載された。

 11万6千人という題字が踊っている。

 ただ、残念ながら、会場になった宜野湾海浜公園の収容人員は多くて4万程度である。もし11万人も詰め込んだらすし詰め状態になり極めて危険だったに違いない。写真で見ても地面があちこちに見られ、充分に余裕をもってあつまっていることがわかる。

 「復帰後で最大」と銘打っている。

 しかし、「軍命令があったはず」という証言はあっても、直接、自決せよとの軍命令があったという証言は見当たらない。

 また、「集団自決」自体の記述がなくなると勘違いしている人も結構いるようだ。沖縄戦自体の記述がなくなると思い込んでいる人も。

 私自身、沖縄戦についてはもっともっと知られなければいけないと思っている。硫黄島を除けば唯一の本土決戦が戦われた地なのである。島民の3分の1が命を落とされたのである。ほぼ同数の全国から沖縄防衛・本土防衛のために配備された陸海軍の将兵が戦死されたのである。この悲劇は国民の歴史として肝に銘じる必要がある。

 しかし、それとこれとは別なのだ。

 大きな見出しには「軍強制記述回復」を決議、とある。

 ところが、「大会決議文」には、一言も「軍強制記述」回復を求める文言はない。

 「沖縄戦における「集団自決」が、日本軍による関与なしに起こり得なかったことは紛れも内事実であり」としているのみである。

 「日本軍による関与」と「軍強制」では意味内容が全く違う。

 「日本軍による関与」とは、きわめて曖昧な、ある意味どうにでも取れる言葉である。

 「日本軍による関与」とは何か。「軍命令があった」という証言はない、「あったに違いない」というものならばある。「もし敵に辱められるくらいなら」潔く自決しよう、という心理状態。悲劇としかいいようのないものである。だから、検定後の教科書記述にも「集団自決」の記述自体はきちんとあるのである。

 大会決議文は、あたかも「集団自決」の記述そのものが削除されたかのように読める文面になっている。「(文部科学省は)検定意見の撤回と「集団自決」に関する記述の回復を拒否し続けている。」としているが、事実誤認のはずはないので、この大会決議文自体が「意図的な歪曲」を敢えてしているといえよう。

 同時に発表された「県民へのアピール」の中には、「自決せよと強いられ伸でいった沖縄人の魂は~」と書いている。こちらでは明確に「軍命令」のことを書いているのである。ただし、ここにも逃げがあって、主語であるはずの「軍」の文言はない。突っ込まれても逃げを打てるようになっているのだ。

 この二つの大会実行委員会が出した文書を見ても、この実行委員会自体が「軍命令があった」と言い切ることは出来ないことを明確に自覚しているのである。

 その上で、このようなお祭騒ぎを敢えてする。マスコミの先走り報道を利用して、自分たちの意図を通そうとする。沖縄県民の心情を利用して、虚構を事実にすりかえようとする。まことに性質の悪いやりくちである。

 先の戦争へ突入していく過程において、それに反対できない「空気」が醸成されていたことは、山本七平氏の「空気の研究」などによって論じられているが、それと同質の「空気」が醸成されようとしているのである。今度は「戦争」よりも遥かに恐ろしい「亡国」に突入しようとしているように見えるのである。

|

« 「鉄の暴風」ならぬ「デマの暴風」 | トップページ | 韓国人から教えられた日本人の素晴らしさ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/86795/16714608

この記事へのトラックバック一覧です: 琉球新報9月30日朝刊に見る「軍強制」の虚構:

« 「鉄の暴風」ならぬ「デマの暴風」 | トップページ | 韓国人から教えられた日本人の素晴らしさ »