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2007年10月

2007年10月29日 (月)

これでもインド洋の自衛隊活動を妨害するのか、民主党よ=日本のタンカー、海賊がソマリア沖で乗っ取る=

日本のタンカー、海賊がソマリア沖で乗っ取る(読売新聞) 【シンガポール=花田吉雄】国際海事局(IMB)海賊情報センター(クアラルンプール)によると、アフリカ東部ソマリア沖のアデン湾で日本時間28日午前11時16分、パナマ船籍で日本企業が所有するケミカルタンカー「ゴールデン・ノリ」(6253トン)から、「海賊に乗っ取られた」との救難信号が入った。

 乗組員は韓国人、フィリピン人、ミャンマー人の計23人で、日本人はいない。インド洋での海上阻止行動に参加しているパキスタン海軍の艦船が追跡したが、タンカーはソマリア領海に入ったといい、同センターは米海軍など周辺国に事件発生を連絡、協力を要請した。

 ソマリア近海では近年、組織化された海賊による船員の誘拐や人質事件が多発している。IMBによると、今年1月から9月末までの間に、未遂も含め26件の海賊事件が発生している。

[読売新聞社:2007年10月29日 20時46分]


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小沢民主党よ、これでもインド洋での自衛隊の活動に反対なのか?


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2007年10月21日 (日)

「子供を育むということ」 講演メモ

元校長先生の、藤原凡人先生の講演をお聴きしました。

以下、断片的なメモですが、気付きの参考のために。


人間 - 育つのは「自分自身」

”一生懸命”と”深刻”は違う

明るく、前向きに頑張るしかない!

よい先生とは・・・例外なく、明るい表情をしている。

 いい自分を出す、~手持ちの自分の中で~ これが理性的な人のやること

 人間には二面がある。隠れている、表に出していない、いやな自分があってもそれは人前に出さない。

言葉は、相手に伝わらないと意味がない。  「相手に手渡すつもりで・・・」

出していけないものは、出してはいけない。

いいものを出す。

子供は、活動が先で、後から考える。 活動→思考  (大人は、考えてから行動する)

だから、子供は危ないことやいけないことも平気でやる。

それに対して、悪いことに対しては悪い、良いことはよいと、「価値づけ、意味づけ」をしてやること。これが大人の仕事!

また、今すぐ、ということを求めないこと。

人は身近な人にわがままを言う傾向がある。

貫くときこそ、やわらかく、正しいときこそ、やわらかく。

「評言」 意味づけ、価値づけが出来る人が、育てることが出来る。

感性、尺度が背後にあって出来ること。

人間は、気持ちを受け止めて伸びることが出来る。

探究心

模範と模倣

影響力(ふるまいや言動)と指導力(技術)  影響力の方が強い。

自尊心とは、人生、誰も応援してくれない時に、自分で自分を励まして立ち上がる力。

自分のよいところを知ること。

→ノートに書き出す。自分のよいところを認める。

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2007年10月18日 (木)

行事案内「沖縄集団自決」問題と危機に立つ教科書検定制度

広島市で、表記の講演会が開催されます。

講師は、藤岡信勝氏です。

是非、ご参加を!


演 題 「沖縄集団自決」問題と危機に立つ教科書検定制度

日 時 平成19年11月10日(土) 18:30~20:00

場 所 広島市西区民文化センター大会議室(3F) JR横川駅南口から徒歩3分

講 師 藤岡信勝氏(新しい歴史教科書をつくる会 会長)

参加費 無料

主 催 新しい歴史教科書をつくる会広島支部

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警戒を要する、福山市と北京市の「教育交流」

広島県の福山市が北京市と「教育交流」に関する覚書を交わした。

 これは、市教委レベルでの交流提携であり、全国で始めてなのだそうである。

 中国は、猛毒食品など世界的に広まった汚名を挽回するため、あらゆる手段を使っているように思われる。その一番の足がかりにされるのは、例によって日本である。

 先般、臓器売買問題で、日本人の社長が逮捕された、とニュースがあった。とっさに思ったのは、カナダのNGOが明らかにした「政治犯」4万人の臓器売買の問題である。日本人がやったことだという印象操作をされているように思えてならない。

 今回は、教育交流という名目で、日本の地方都市を出汁にして、名誉回復を図り、「日中友好」という名の謀略のように思えるのである。

 福山市は、以前から「人権」に敏感な都市のはずである。ならば、この際、中国の人権状況の改善に対して、役割を果たしてはいかがなものか。世界でも稀に見る人権弾圧国家の一つである中国の首都である。是非とも中国政府、あるいは北京市に対して「人権」とは何か、「人権教育」を輸出してやればよい。

 まさか、中国の「愛国教育」を輸入して、徹底した「反日教育」のカモフラージュにしようというのではあるまい。中国は、人民の餓えるのも関係なく、反日戦争記念館を全国各地につくっているが、まさかそこへの修学旅行を大々的に行おうというのではあるまい。しかし、そのまさかがありうるのが、かつての広島である。監視の目を緩めてはならない所以である。

 ちなみに、解放同盟の「糾弾会」の手法は、中国の文化大革命で行われた、人民裁判に学んだものだという話がある。広島県東部と中国の暗合は、恐るべきものがあるといわねばならない。悪夢が再びやってこないと、誰が確言できよう。

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沖縄集団自決冤罪訴訟への支援を!

沖縄戦集団自決について、教科書から「軍命令」という文言が消えた。

それは、地道な学問的調査の努力もさることながら、

今、大阪地方裁判所で行われている裁判において、事実が明らかになってきたことも大きな影響を与えているだろう。

詳しくは、同裁判を支援する会のHPをご覧頂きたいが、ここでは、この裁判への支援を呼びかけたい。

歴史を正す戦いは、地道な努力と冷静な判断力を持った優秀な頭脳の方々にお願いするしかないが、それを支えることは誰もが出来ることだ。

たとえ500円でも1,000円でも、身の丈に応じて支援をお願いいたします。

『沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会』

郵便振替口座
00900-6-316826

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2007年10月15日 (月)

琉球新報の見開き全面写真で確認された「本当の人数」

 数えたら13037名だったということです。仮に途中で帰った人や、遅れてきた人がいたとして倍としても2万6千名。その5倍など、ありえない人数ですね。白髪三千丈とはこうしたことを言うのでしょう。

 さて、曽野綾子さんの「ある神話の背景 沖縄・渡嘉敷島集団自決」を読み返しておりますが、改めて軍命令によって強制された集団自決、というものが「戦後神話」に過ぎないことがわかります。

 大体、最も重要な事実検証が全くなされないまま、話だけが一人歩きしていっていたのです。曽野さんがこの貴重なレポートを書いたのが昭和48年です。

 その後、昭和史研究所の貴重な努力により、なぜありもしなかった軍命令があったことにされたのかについての経緯が明らかになったわけです。

 こうした「戦後神話」こそが、「戦後体制」を支えてきたものであり、次々とほころびていく作り話の連鎖が断ち切られそうになったことに危機感を抱いた左翼勢力が、巻き返しを図ったというのが今回の騒動の構図であろうと思われます。数字の圧倒的水増しも、彼等のあせりと妄想から生まれたものであり、「戦後神話」の崩壊は、彼等の信奉する「戦後体制」の瓦解をもたらさずにはいないだろうと思われます。

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2007年10月13日 (土)

南京陥落当時の映像記録

 支那事変における南京攻略戦後の映像で、平和回復の様子がよくわかる。

 平和回復した南京において、早速、破壊された市街の整備に取りかかる我が帝国陸軍の将兵の姿はほほえましい。

 また、赤ちゃんを抱く若い母親の姿や、子供たちの姿には心和むものがある。こうした南京市民はじめ中国の人々のために戦っているのだ、というナレーションが入っているが、恐らくこれは当時の将兵の実感であっただろう。

 負傷した兵隊さんたちが、白衣の天使のやまとなでしこにやさしく介護されているシーンもある。

 兵隊さんたちは、一日も早い原隊復帰を願っている、ナレーションが入る。

 原隊に復帰する兵隊さんたちを見送るシーンがあるが、白衣の看護婦さんたちも大勢で、万歳で見送っていた。「天に代わりて不義を討つ、忠勇無双の我が兵は、歓呼の声に送られて~」という軍歌を皆で合唱して送り出していた。

 難民区の様子も映し出され、電線を張る作業がとらえられていた。

 南京の城壁は何十メートルもあるが、友軍に扉を閉ざされた中国兵は、何でも結べるものを結んで、壁をよじ登り、城壁の外では、軍服から銃器からすべてを捨て散らかして、一般市民に化けて逃げていた。その一面の捨てられた軍服が印象的だった。

 捕虜収容所の場面であり、武装解除をして身体検査がなされているシーンがあった。押収した機関銃なども映されていた。

 当時の朝日新聞は、「平和回復する南京」という特集を組んだそうだが、それと軌を一にする記録フィルムである。

 日中戦争(という言い方は歴史的に不正確であって使うのはためらわれるのだが)の側面を知りたい方にはぜひとも見ていただきたいものだ。また、中学生・高校生には、こうした昔の映像をよく見て欲しいものだ。

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2007年10月12日 (金)

韓国人から教えられた日本人の素晴らしさ

 韓国から研究調査で日本に滞在しているある韓国人女性と話しをしていて教えられた日本人の良さについて一言書いておきたい。

 私は、世間一般から見れば恐らく大変偏った考え方の持ち主であり、今の日本及び日本人に対しての偏見は相当なものである。

 ところが、それを韓国人の女性からたしなめられた。

 彼女は、地域を再生するためには何が出来るのかを研究課題として、日本の地域をフィールドワークのために歩いている。

 その中で見た日本人の姿を、彼女はこう表現した。

 日本人は、他人や、地域社会のために役立つことを誇りに思い一生懸命に働きます。自分のことだけを考える人は少ないです。あちこちでそうした人たちがいて日本を支えています。だから日本は大丈夫ですよ。

 日本語を勉強し始めてまだ一年足らずの彼女の言葉だ。本当に嬉しかった。

 彼女に、日本の神話や伝承の話をする。とても興味深く聞いてくれる。

 韓国のことが心配だと、彼女はいう。根っからの愛国者なのだ。

 今の日本人は、日本の歴史や伝統についてどれほどの「知識」があるかは、甚だ心許無いとは思う。

 しかし、日本人の「心」は、充分生きている。そして、今、日本人として生きているのだ。

 そう思って嬉しかった。日本人は、自分だけが得をし、自分だけが楽をしても、ちっとも嬉しくない民族なのだ。

 人のために役に立つ、人に喜ばれることが何よりも嬉しいのだ。そうすれば自分に帰ってくることも知っているのだ。

 「情けは人のためならず」

 人に情けをかけるのは、他人のためのようでいて、実は巡り巡って自分に帰ってくるものだ、という感性。これは決して自分の「得」を当て込んでするものではない。真心は響きあうということを言っているのだ。

 それは、聖書で、イエスが5つのパンを5千人に分かち与えた奇跡に通じる心性なのだと思う。

 韓国では、キリスト教が蔓延している。かつて戦国末期から徳川所期にかけて起ったキリシタンの他宗教の排撃を、彼らはやっているらしい。特に韓国における祖先崇拝が攻撃に晒されているのだという。韓国において、祖先崇拝は日本におけるのと同等かそれ以上の意味を持つものであるだろう。韓国人は一体どうなってしまうのか。

 しかし、彼女を通して見る韓国は、現代の苦しみの中にあっても決してくじけない国のように見える。

 彼女に恥じないように、日本を素晴らしい国にしたい。そう思った。

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2007年10月 9日 (火)

琉球新報9月30日朝刊に見る「軍強制」の虚構

 沖縄の地元紙は、沖縄タイムスと琉球新報の2紙。その他の新聞にお目にかかる機会はあまりない。琉球新報には見開き大で「検定撤回県民大会」の全貌写真が掲載された。

 11万6千人という題字が踊っている。

 ただ、残念ながら、会場になった宜野湾海浜公園の収容人員は多くて4万程度である。もし11万人も詰め込んだらすし詰め状態になり極めて危険だったに違いない。写真で見ても地面があちこちに見られ、充分に余裕をもってあつまっていることがわかる。

 「復帰後で最大」と銘打っている。

 しかし、「軍命令があったはず」という証言はあっても、直接、自決せよとの軍命令があったという証言は見当たらない。

 また、「集団自決」自体の記述がなくなると勘違いしている人も結構いるようだ。沖縄戦自体の記述がなくなると思い込んでいる人も。

 私自身、沖縄戦についてはもっともっと知られなければいけないと思っている。硫黄島を除けば唯一の本土決戦が戦われた地なのである。島民の3分の1が命を落とされたのである。ほぼ同数の全国から沖縄防衛・本土防衛のために配備された陸海軍の将兵が戦死されたのである。この悲劇は国民の歴史として肝に銘じる必要がある。

 しかし、それとこれとは別なのだ。

 大きな見出しには「軍強制記述回復」を決議、とある。

 ところが、「大会決議文」には、一言も「軍強制記述」回復を求める文言はない。

 「沖縄戦における「集団自決」が、日本軍による関与なしに起こり得なかったことは紛れも内事実であり」としているのみである。

 「日本軍による関与」と「軍強制」では意味内容が全く違う。

 「日本軍による関与」とは、きわめて曖昧な、ある意味どうにでも取れる言葉である。

 「日本軍による関与」とは何か。「軍命令があった」という証言はない、「あったに違いない」というものならばある。「もし敵に辱められるくらいなら」潔く自決しよう、という心理状態。悲劇としかいいようのないものである。だから、検定後の教科書記述にも「集団自決」の記述自体はきちんとあるのである。

 大会決議文は、あたかも「集団自決」の記述そのものが削除されたかのように読める文面になっている。「(文部科学省は)検定意見の撤回と「集団自決」に関する記述の回復を拒否し続けている。」としているが、事実誤認のはずはないので、この大会決議文自体が「意図的な歪曲」を敢えてしているといえよう。

 同時に発表された「県民へのアピール」の中には、「自決せよと強いられ伸でいった沖縄人の魂は~」と書いている。こちらでは明確に「軍命令」のことを書いているのである。ただし、ここにも逃げがあって、主語であるはずの「軍」の文言はない。突っ込まれても逃げを打てるようになっているのだ。

 この二つの大会実行委員会が出した文書を見ても、この実行委員会自体が「軍命令があった」と言い切ることは出来ないことを明確に自覚しているのである。

 その上で、このようなお祭騒ぎを敢えてする。マスコミの先走り報道を利用して、自分たちの意図を通そうとする。沖縄県民の心情を利用して、虚構を事実にすりかえようとする。まことに性質の悪いやりくちである。

 先の戦争へ突入していく過程において、それに反対できない「空気」が醸成されていたことは、山本七平氏の「空気の研究」などによって論じられているが、それと同質の「空気」が醸成されようとしているのである。今度は「戦争」よりも遥かに恐ろしい「亡国」に突入しようとしているように見えるのである。

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2007年10月 4日 (木)

「鉄の暴風」ならぬ「デマの暴風」

 沖縄戦の最中に起きた集団自決は、戦時中とはいえあまりにも痛ましい事件であり、思うたびに胸が痛む。

 沖縄戦のことを、日本人は決して忘れてはならない。その思いはそんじょそこらの左翼には負けないつもりだ。

 しかし、集団自決は「日本軍の強制だった」ではなかったことが明らかになり、現在、名誉回復の裁判が行われているところだが、教科書検定にも、きちんとした歴史の研究成果を踏まえて検定意見がつけられ、教科書各社もそれに従って、「日本軍の強制」という言葉はなくなった。これは歪曲されていた歴史を正したという意味で画期的なことである。集団自決という悲劇があったことを削除したのではない。

 この間、沖縄で行われたという集会に参加した人のレポートを読んだ。

 公称11万としているが、会場一杯に入っても4万がせいぜいで、大変な水増しをしていることはちょっと計算すればすぐわかることだ。マスコミは、少女強姦殺害事件の時に行われた抗議集会よりも沢山あつまった、と吹聴するが、要するに、その事件よりも今回の方が更に沖縄県民は怒っているゾ、というメッセージを間接的に伝えたい印象操作に過ぎない。参加した方のレポートによれば、労組や公明党などが中心で、盛り上がりにも欠けていて、1万からせいぜい2万弱程度だったということである。

 沖縄タイムスという沖縄の新聞社が、連日大々的に報道し、呼びかけをし、無料バス券まで出す始末。日教組は全国動員をかけ沖縄教組はどうも学校の児童生徒まで刈り出したらしい。

 日教組は、これまで自分たちが教えてきた嘘の一角が崩れるのが悔しくてならないのである。

 当の集団自決があった島からの参加者は皆無に等しかったとのこと。

 よくある左翼運動の典型の例がひとつ増えたに過ぎない。名の通った過激派も散見されたという。沖縄独立を訴える旗もあり、絶叫調のアジ演説が延々と続くだけのものだったらしい。

 さもありなん。目に浮かぶようである。

 かつて、沖縄を訪れた際、一般の沖縄県民の方々が、本土から渡った左翼運動家を毛嫌いしていたことを思い出した。「反戦平和の砦」を演出し、革命の拠点とするためだけに沖縄戦の悲劇を利用してきたのである。ハイエナの如き本性である。

 左翼運動は常に弱者を食いものにし、散々もてあそんだ挙句に捨て去るのを常としてきた。

 安倍首相が脱却しなければならないとした「戦後レジーム」とは、正にそうしたことがまかり通る社会のことだったのだと思う。

 今、安倍首相が身体を張って頑張ってきたことの反動が来ているかもしれないが、大きな方向性としては必ず「戦後レジーム」からの脱却に向かうことは歴史の必然だろうと思う。

 表面的なことで一喜一憂するのではなく、大臣たるものデンと構えて着実に仕事をしていただきたいものだ。

 文部科学大臣にもしっかりして頂きたい。

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