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2007年8月31日 (金)

デューイの克服こそが必要

 デューイの教育思想の克服こそが必要なのだときいた。

 「なすことによって学ぶ」というのがそれだという。それは、学習指導要領にたくみに滑り込んだ思想であり、戦後教育の最後の拠所として、現場を混乱させてきたものだという。

 教育とは直接関係ないが、例えば推理小説。体験しなければ本当のことは判らない、というのであれば、殺人事件の推理小説を書くには、殺人事件を起さなければできないということになる。そんなばかなことはと誰もが一笑に付すだろう。

 しかし、教育の場では、誰もがまじめに同じ事を主張する。「経験させなければ身につかない」俗耳に入りやすいことであり、ある側面では真も含んでいるだろう。例えば、日の出を見せなければ、あの清清しさは分からない。花を育てて見なければ、美しいものを愛でる心も育たない。自然に触れる体験が必要だ。何れも尤もなことである。また、殴られてみなければ痛みは分からない、とも言えるだろう。

 しかし、何事も経験することはいい事だ、という履き違えを起すと、極端な放任主義になる。子供が何をしようが「子供の自主性に任せる」との逃げ口上を言う無責任が蔓延するとその病理は一層深刻になる。

 本当に親身になって叱ってくれる大人に接した体験をこそ、与えるべきであるだろう。大人の放任主義ほど子供への冷酷な仕打ちはないと思うのである。「児童中心主義」の過ち。その背後にある、人間性を打ち砕いてきた「共産主義」の酷薄。戦後教育の呪いとの戦いは、まだまだ続く。

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