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2007年8月16日 (木)

「アーロン収容所」再読

 昨日午前、戦没者追悼集会に参列した後、午後は時間を持て余してしまった。

 ぎらつく太陽を尻目に、早めに帰宅して幾つかの遺稿集や靖国問題論文などをひもときながら、ふと、久しぶりに会田雄次氏の「アーロン収容所」を手にとって何気なく活字に目をやった。

 「やっぱり、とうとう書いてしまったのか。」

 こんな、書き出しで始まるこの捕虜体験記は、極めて優れた比較文明論にもなっており、また日本国民論にもなっている。そしてまた歴史の証言でもあり、何より追悼の書ともなっている。人間論として読んでも面白い。とにかく、色々な読み方が出来そうな本であるが、ともかくもそこを辿ってきた人にしか書けない、いや、辿ってきても文章化するには歴史家の才能が要るが、まさにその分野の若き俊秀でもあった著者がそこにいたということは、天の配剤とでも言おうか。

 一気に読んでしまった。

 読みながら、思わず、胸に迫る場面がいくつもある。

 「英国騎士道」という一節もその一つである。

 「・・・私たちの将校は、

「日本が戦争を起したのは申しわけないことであった。これからは仲よくしたい」

という意味のことを言った。どのように通じたのだろうか。英軍中尉は非常にきっとした態度をとって答えた。

「君は奴隷(スレイヴ)か。奴隷だったのか。」

楽天家らしい彼が、急にいずまいを正すような形をとったので、私はハッとした。この言葉はいまでもよく覚えている。もっともスレイヴというのはそのときすぐには聞きわけにくかった。奴隷という言葉がわかったときも、「貴様らは奴隷だから人並みに謝ったりするな」ということでおこったと思ったのだから、私の聞きとり能力も心細い話だ。しかし、つぎのような説明を聞いてやっと意味がわかった。

「われわれはわれわれの祖国の行動を正しいと思って戦った。君たちも自分の国を正しいと思って戦ったのだろう。負けたらすぐ悪かったと本当に思うほどその信念はたよりなかったのか。それともただ主人の命令だったから悪いと知りつつ戦ったのか。負けたらすぐ勝者のご機嫌をとるのか。そういう人は奴隷であってサムライではない。われわれは多くの戦友をこのビルマ戦線で失った。私はかれらが奴隷と戦って死んだとは思いたくない。私たちは日本のサムライたちと戦って勝ったことを誇りとしているのだ。そういう情けないことは言ってくれるな」

おぼつかない聞き方だが、ゆっくりと噛んでふくめるように言ってくれたのはこういう内容であった。相手を勇気づけようとする好意が溢れていて、頭がさがる思いであったが、その反面、勝者のご機嫌とりを察知されたことに対する屈辱感というものは何ともいえないものであった。」

 今、日本の政治家は、先の大戦について、口を開けば謝罪の言葉を吐いている。その謝罪は、サムライだった先人たちを貶める。”君たちはスレイヴだったのか”英軍中尉の声が、今も胸をえぐる。

 会田氏は続けてこのように書いている。

「私たちはもちろんまじめに戦った。ここまで踏み切った以上日本が負けたら大変だと思ったからである。かならずしも大東亜戦争が聖戦であると信じていたのでも、八紘一宇の理念を信奉していたためでもない。そういう立場もあって差し支えないと私は考えている。それを奴隷的心理だとも言えないだろう。

 だから敗戦と同時に、鬼畜米英が救世主や解放者になったのを帰還後知って非常につらかった。また戦争に抵抗もせず、軍部や政府から特別いじめられたということもなかった人々が、勝利者に対し「日本は軍国主義の鬼だった」「気ちがいだった」と言って廻ってくれたのには抵抗を感じた。いまでも感じる。私が素直でないのでもあろう。そう言って廻った人々は、日本の良心の代表者なのかもしれない。しかし、そういう人は実にたくさんいるのだが、そういう人たちのなかで、日本的な後悔の仕方であるはずの「申しわけないから死んでおわびする」という人も、「頭をまるめて隠遁と懺悔の生活を送る」という人も出なかったのは不思議なことである。」

 会田氏の戦争への処し方は、恐らくは多くの当時の日本人が処した処し方だったろうと思う。”ここまで踏み切った以上、日本が負けたら大変だと思った”との言葉は、一個の男子として庶民として極めて真っ当な言葉であり、覚悟ではなかったろうか。そうして戦争に処していった方々が、次々と命を落としていったのである。家族を思い、国を思いながら。

 ”日本の良心を代表する人々”は、今でも薄められてどこにでもいる。しかし、「黙って処した」人々の心を説得することも出来なければ、敵であった相手にも尊敬されることもない。”スレイヴ”の喚きでしかないのだ。

 会田氏は「プルターク英雄伝」の話をひきながら、ヨーロッパ人の人生の処し方について一言する。

「ある子供が、ひとの畑から、ブドウを盗んだ。畑の持ち主がそれを見つけてとがめると、子供はブドウをふところにかくして盗まないと言いはった。だがそのブドウのなかに蛇がいて子供の腹を喰いやぶり、腸を喰いちぎった。言語に絶した苦痛のなかでも、子供はなおブドウを出さず強情を張ったので、とうとう死んでしまった―。

 これはバカな子供にもっとうまく盗めと教える話ではもちろんない。正直にしましょうという教えでもない。正直にしないと神が罰をあたえるというたとえではさらさらない。いったん言いだしたことは断固としてつらぬくスパルタ的精神を讃えたものなのである。

 こういう考え方にはもちろん問題がある。個人が悪行をつらぬいても、誤ちをあらためなくとも、社会はそれを是正するだろうし悪い影響はうけないはずだという、社会に対する信頼がないと成立しない論理ではある。しかし、そういう考え方がヨーロッパには広く存在し、安易な反省や回心には不信をいだくものだということは知っておく必要はあるだろう。」

 今の日本には、安易に反省し、回心する人々が多すぎる。それはまた、そうしなければ更に袋叩きにあって社会的に抹殺されてしまうという恐怖も伏在しているだろう。

 しかし、そうして謝らせておいて、社会は何を得て、何を失っているのだろう。ほとんど人民裁判的な狂気にまで膨らむ他者糾弾の心理は、対象となる人物の”人間としての尊厳”まで徹底的に貶めるのである。既に、対象は何でもよい、ちょっとでもすきを見せたものを袋叩きにするために、舌なめずりをして、虎視眈々と狙っている、欲求不満の野獣どもが徘徊する社会になりつつある。かつてあった「惻隠の情」「武士の情け」は地を払ってしまった。おそるべき退廃といわねばならないだろう。

 さて、最後「帰還」という一節は、次のように書き始められている。

「望郷という言葉では生ぬるい。兵隊たちは狂乱したように故国を想っていた。」

「内地が戦火に焼かれ、人びとが餓えに悩んでいることは、いろいろの情報でわかってきた。しかし、実感として兵隊たちの目に浮かぶのは、やはり私たちが日本をたったころの、空襲も知らず物資の不足もまだそれほどではない、秩序ある街や村や家庭の姿であった。いや戦争が終わったという実感は、兵隊たちの想いを戦前の日本の姿に変えていた。」

 国への想いとは、遠く異郷の地にいて苦労をしてみないと本当にはわからないものなのかも知れない、と思わされる。また、帰りたくとも戦死した方々は帰ることが出来ないで異郷の土となってしまっているのだ。故国を思う思いはきっと同じであったろう。

 こんな一節もある。

「看護婦さんたちが船橋から手を振っている。驚くほど色が白いのが目にしみる。行軍中死んでいった日赤の看護婦さんたちを急に思い出しどきっとした。あとで帰還した小隊長の話では、久しぶりで見た内地の看護婦さんは神様のように美しかったという。私は神様としてはずっと下品で、色の白さと、身体がたくましくてお尻が大きいのに驚き、はじめて本当の女性を見たような気がした。ビルマの女は腰まわりが男と同じように細い。百済観音そっくりである。「あれで子供が生めるのやろか」と兵隊たちはいつも噂していた。とにかく真っ黒でもあり、さっぱり魅力がないのがふつうである。だから日本女性をこんなところで見ることができたのは嬉しかった。しかも大変元気そうである。日本は大丈夫だと一度に安心してしまった。」

 その場面を彷彿とさせるだけでなく、心持ちまでもひしひしと伝わってくる。

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