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2007年8月20日 (月)

「米ソのアジア戦略と大東亜戦争」の読後感

この本は、新奇を追うのではなく、むしろ敗戦後多く付け加えられた夾雑物を除去し、隠蔽されてきたもの、それは当時の日本人、つまり父祖のたちが何を体験し、何を思い、何に憤り、あの戦争へと至ったのかについて、慎重に、公正を期して再現した労作である。

 その試みに成功したことの証しが、三十年もの間ルバング島で戦争を継続してきた小野田寛郎氏の推薦文である。小野田氏は、「本書では、巷間騒がしい日本の戦争目的について明らかにされていますが、私は椛島氏に全く同感であり、讃辞を呈したい」と述べ、この本の価値がどこにあるかを直裁に明らかにしている。

 もとより著者である椛島氏は、日本会議という保守系の国民運動団体の事務総長という立場にある人物であり、研究者ではない。専門家でないが故の小さな瑕疵は皆無とは言えないかもしれない。しかし、あとがきに書かれている執筆動機とその探求の跡を見るとき、他に類例を見出すことの出来ない著者畢生の論文であることが分かるのである。

 昭和63年、昭和天皇のご不例という事態の中、当時、長崎市長だった本島等氏が、昭和天皇は侵略戦争の責任があると議会で発言して物議を醸した。本島氏は後に右翼団体構成員に銃撃され、むしろそのことで記憶されているが、後に広島の原爆投下についても、日本が侵略戦争をしたから原爆が落とされたのだ、広島よ、おごるなかれ、と言ってのけた人物であることを考えると、その歴史認識が如何に歪んだものであるかが分かる。

 著者は長崎大学で学園紛争に直面し、学園正常化運動に取り組み、三派全学連と対峙して自治会を奪権、佐世保エンタープライズ闘争で三派全学連が大学に押し寄せた時に、一歩も大学に踏み込ませなかった人物である。日本人同士が醜い争いをしなければならない戦後と言う時代に深い悲しみを抱きつつ国民運動への道を歩んだ。本島事件など一連の歴史認識が政治問題化する中で、真実の探求への思いから国民運動をリードしながら30年近くもの時間をかけて醸成されたものが本書なのである。
 たとえ一介の素人であろうとも、一つのテーマを三十年追求すれば、生半な専門家など及びもつかない一つの到達点を得ることができるのではなかろうか。それが本書なのである。

 あとがきの中で印象に残った言葉があった。戦後日本人が見失ったものは、「敵」の存在なのである。往時の父祖たちは何を見ていたのか、とは、どのような「敵」の存在が感得されていたのか、という問いである。それを丹念に再現したのが本書である。それをどのように受け止めるかは当然読むものに任されている。

 強調したいのは、当時の「敵」の姿を明らかにしたということの意味である。それは現代の日本にとっての「敵」が何であるのかについて考えさせられることにもつながる。今の憲法には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と書かれている。ものごとありのままに見る目は、現代と当時といづれが曇っているのか、考えさせられることにもなる。
 現代の鑑としての歴史が本書であると思うのである。

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この一文は、アマゾンの書評欄に投稿したものである。
但し、800字という制限があるため、多少削らなければならなかった。

そこで、削る前のものをこちらにアップすることにした。

今の歴史教科書では、コミンテルンが行った所業について記したものはない。共産主義者が、マルクスの予言を成就するために行った様々な暗躍。それは、戦争を誘発し、講和を阻害したものである。

レーニンが平和主義者を指弾したように、共産主義者が平和主義者であるというのは誤解の最もはなはだしいものである。銃口から革命を志向したのが、共産主義運動であり、世界を戦乱の巷にするためにあらゆる努力を払った。

コミンテルンの暗躍が、中国、アメリカ、日本においてどれだけ浸透し、その進路を捻じ曲げていったか。しかし、それを的確に証明して分かりやすく解き明かすものは殆どない。その意味で、「米ソのアジア戦略と大東亜戦争」は稀有の書なのである。

ソ連邦は倒れても、革命の遺児たちの暗躍は止まない。この本の現代的意味もこの「敵」を明らかにするに役立つだろうと思われる。

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