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2007年8月19日 (日)

ケータイ短歌のラジオ番組を聴いて

ひるさがり しずかなへやに ひとりいて パソコン画面を 眺めキー打つ

猛暑日も やや衰へて 真夏日と なるといふとも 暑さは暑し

休日を もてあましつつ 事務所にて 本を積み上げ 昼寝せんかな

 昨夕、M市で会議があった帰途、カーラジオをつけていたら「ケータイ短歌」なるものをやっていた。

 俵万智の「サラダ記念日」以来、短歌の持つ伝統的リズムが現代風の軽やかな(あるいは軽薄な)感性を現す手段として使われるようになり、ここ近来、ケータイメールを使った短歌づくりが静かに広まっているようだ。

 5・7・5・7・7の31音のリズムで織り成す短歌の世界であるが、BGMにラップを流しながら読み上げる。それが面白いように合うのだ。

 「花火」をテーマに、色々な歌が寄せられていたが、10代、20代、30代と、若い世代の作が次々と詠まれていて、今の若い世代の姿が浮かんでくる、その意味での意外性はないのだが、よくとらえられていて面白いと思った。

 殆どが「恋愛」に関するものだというが、これも伝統的なテーマである。

 しかし、情熱が溢れるようなものは、聴いた範囲では殆どなく、稚拙な技巧めいているようで、真情ほとばしる、というには程遠い、末梢神経の痙攣のようなものを感じた。

 それでも、短歌という伝統的な日本の言葉のリズムが、若い世代の中で、歌い継がれているということは、何はともあれ、日本人の心のリズムが、古来一貫して変わっていないことを明かしているようで、嬉しい心持ちがした。

 それで、下手で退屈な歌を冒頭詠んでみたわけだ。

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