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2007年8月19日 (日)

ありのままに見てみれば

 「アーロン収容所」を久々に読み返したことを書いたが、この本の読後感は要領よくまとめることが出来ない。

 会田雄次氏は、文字通り一兵卒として、大東亜戦争後期、つまり負け戦の只中に投げ込まれた。

 ”ジャワは天国、ビルマは地獄、生きて帰れぬニューギニア”

 こんな言葉があるが、この地獄と言われたビルマ戦線に送られたのである。

 インパール作戦は、史上稀に見る悲惨な犠牲を出した作戦として記憶されている。その一端は、著者も書いている通りである。川を、毎日何百となく流れてくる日本兵、日赤の従軍看護婦らの死体のことを書いている。

 氏の部隊でも、渡河の途中で流されて死んでいった戦友のことが書かれてあった。

 こんな記述が目を引いた。

 インド人は、日本兵を神のように尊敬していた。

 ビルマ人の好意は終始変わることがなかった。

 イギリス人は、ごく自然に、アジアの有色人種を、家畜と同列の動物として扱っていた。当初日本兵に与えられた食料は、砂利の混じった雑穀で、日本側の抗議に対して、ごくまじめにそれは家畜の餌として与えられているが全く問題がない、と不思議そうに言った英軍士官のことなど、イギリスの植民地支配がどのようなものであったか、ありのままに実感出来る。

 日本が、大東亜戦争の大義名分として掲げた「東亜の解放」とは、欧米の植民地支配の打破であり、「アジア人のためのアジア」、3A運動など、アジアナショナリズムを鼓舞した宣伝工作は、大義として決して間違っていなかったのではないか。

 それは、単純にスローガンなどに騙されない著者も肯定的にとらえている。

 ビルマ方面軍の首脳部の腐敗堕落振りも決して見逃してはいないが、アジア解放の理想を掲げて殉じていった多くの士官たちの存在に対して尊敬の念も隠していない。

 この著書は、テーマに区分けすれば様々に細分され、それぞれの展開が見込まれる原点のようなものである。

 肝心なことは、一個人の体験の中には、このような多くのテーマにつながる事物が、渾然となって渦巻いているのであって、ありのままに生きている人間には、それらが錯綜しながらも渾然とひとつに融和しているということではないだろうか。

 人間は、そうして生きているのであって、ある側面だけを切り出して裁断するというのは間違いである。人間の行為の集積である巨大な戦争という体験について、全体を正邪善悪で裁断することは出来ないのだと思う。

 ところが、今の日本では、その出来ないことがやられている。日本が悪かったと言えばそれで済むかのような風潮が、未だにしみこんでいるのだ。ありのままに見る目が失われていることが、このような事態をもたらした。

 それは、とても危険なことである。

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