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2007年8月

2007年8月31日 (金)

アフガンで拉致された韓国人が解放というニュースを聞いて

 キリスト教徒のおせっかいは、今に始まった事ではないとはいえ、いやはやである。

 日本からも、トレッキングのつもりだったのだろうか。学校の教員が男女連れ立ってアフガンに行き、殺害された事件があった。

 命懸けで行くならばよい。紛争地帯に行くのだからそれなりの覚悟が必要だろう。

 ジャングルの危険とはわけが違うのであり、そんなことは百も承知で行っていたのであろう。

 宗教の争いには分からないことが多いが、少なくともイスラム圏に、キリスト教徒が入っていくのだから慈善活動でも、宗教的政治的意味合いを持つだろうことは、素人でも分かりそうなものだ。

 今回の殺害事件は、「殉教」扱いになるのだろうか。

 隣国の人々に起こった悲しむべき事件ではあるが、どうも素直に悲しみを共有することが出来ない。残念ではあるが。

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デューイの克服こそが必要

 デューイの教育思想の克服こそが必要なのだときいた。

 「なすことによって学ぶ」というのがそれだという。それは、学習指導要領にたくみに滑り込んだ思想であり、戦後教育の最後の拠所として、現場を混乱させてきたものだという。

 教育とは直接関係ないが、例えば推理小説。体験しなければ本当のことは判らない、というのであれば、殺人事件の推理小説を書くには、殺人事件を起さなければできないということになる。そんなばかなことはと誰もが一笑に付すだろう。

 しかし、教育の場では、誰もがまじめに同じ事を主張する。「経験させなければ身につかない」俗耳に入りやすいことであり、ある側面では真も含んでいるだろう。例えば、日の出を見せなければ、あの清清しさは分からない。花を育てて見なければ、美しいものを愛でる心も育たない。自然に触れる体験が必要だ。何れも尤もなことである。また、殴られてみなければ痛みは分からない、とも言えるだろう。

 しかし、何事も経験することはいい事だ、という履き違えを起すと、極端な放任主義になる。子供が何をしようが「子供の自主性に任せる」との逃げ口上を言う無責任が蔓延するとその病理は一層深刻になる。

 本当に親身になって叱ってくれる大人に接した体験をこそ、与えるべきであるだろう。大人の放任主義ほど子供への冷酷な仕打ちはないと思うのである。「児童中心主義」の過ち。その背後にある、人間性を打ち砕いてきた「共産主義」の酷薄。戦後教育の呪いとの戦いは、まだまだ続く。

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2007年8月30日 (木)

夏に別れを~和歌を一首・・・

 あれほどの猛暑もようやく緩んできた。9月の声が聞こえる。

 朝、道を歩きながら、ふと浮かんできた一首。

   暑さ緩み 聴く蝉時雨 ゆく夏を 追い行くが如 虫の音もして

 暑かった日々もようやく緩み、聴こえてくる蝉時雨が、過ぎて行く夏を追いかけて行くように感じる。秋の訪れを告げる虫の音が、そこかしこに聞こえてくる。

 猛暑の原因のひとつに、雨が降らなかったことをラジオで話されていたことを思い出した。このところ雨も降る。

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読売新聞調査~道徳教育強化に92%賛成~

圧倒的な国民が、道徳教育の強化が必要と考えている。

マナー悪化、道徳教育強化に92%賛成…読売世論調査(読売新聞)

 読売新聞社が8月4、5日に実施した「公共マナー」に関する全国世論調査(面接方式)で、道徳教育の強化を検討している政府の方針について聞いたところ、「どちらかといえば」を含めて「賛成」が92%を占めた。「反対」は計6%だった。

 年代別で見ると、「賛成」は70歳以上が計95%で最も多く、20、50歳代を除くすべての年代で計90%を超えた。

 また、最近、日本人のマナーが悪くなったと感じることがある人は「よく」と「ときどき」を合わせて88%に達した。

 同じ質問をした2002年5月の調査に比べ2ポイント減少したが、1998年1月の調査と同数値だった。「よくある」は98年に比べて9ポイント増えた。

[読売新聞社:2007年08月30日 18時56分]

 この記事では、「道徳教育」の目標が、あたかもマナー向上にあるように見受けられる。

 しかし、「道徳」=「マナー」なのか。

 「マナー」は、「作法」であり、「道徳」とはそもそも意味が違う。

 「マナー」を強調することは、外面を取り繕えばよいという考え方につながるのではないか。もちろん、時と場所に応じた「マナー」は重要であり、TPOを弁えられない人は、一人前の社会人とは言い難い。

 しかし、「道徳」とは、そのような、外面的なものばかりを指す言葉ではない。

 「道」も「徳」も、内面に関る、深い意味内容を持つ言葉であり、価値観を含む言葉である。人間としての生きる道の学びである。

 新しい教育基本法には、実は、第2条(教育の目標)に「豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養う」と明記されている。

 「道徳心を培う」教育は、教育基本法に記されたのである。このことは国民の意識を反映したものとも言えるが、具体化への道はまだまだ曲折があるように思われる。

 現在、小・中学校で行われている「道徳」の授業内容の大部分は「人権」教育なのだそうである。または「同和教育」「性教育」「環境教育」などがそれに続く。

 いわゆる「道徳」という言葉のイメージと、実際に行われている授業の内容とは大変な乖離がある。

 伊吹文部科学大臣は、国会での答弁の中で、占領下に作られた旧教育基本法の歪みを正したことを明言している。占領下に行われた、「歴史」「地理」「修身」の停止は、独立回復後も継承され、日本の伝統的価値観や道徳は、戦後教育の中で、「封建的」「軍国主義的」として排除されてきた。

 「道徳」が「マナー」に矮小化されて議論される背景には、この戦後教育の刷り込みがマスコミに浸透している証左だと思われる。

 マスコミは「道徳」の復権を喜ばない。なぜなら、それは戦後教育で築き上げてきた「個人至上主義」とそれに依拠して甘い汁を吸い続けてきた牙城が突き崩される恐れがあるからである。

 「戦後教育」の毒は、いわゆる左翼ばかりのものではない。彼らはむしろ毒を発している存在であるから悪影響を受けにくい体質と見てよい。問題は、その毒を刷り込まれてきた多くの国民にある。無自覚の「サヨク」こそが、この国を堕落させ続けていると言ってもよい。

 「道徳教育」への期待感が高まりつつあることは喜ばしいことではあるが、自分の「道徳力」を高めなければならないと思っている国民は一体どれほどいるのか。「道徳」は、他人の前に先ず自分から、ではなかろうか。

 「修身」は、朱子学の「修身、斉家、治国、平天下」から取られた言葉である。

 子供に「修身」を求めるのなら、親としては「斉家」、社会人としては「治国」、政治家としては「平天下」を志向してこそ終始一貫するというものであろう。

 自分を置いて他に求めても何にもならないと思うのである。

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2007年8月22日 (水)

殴られないことの不幸

 「体罰」の禁止は、日本は先進国なのだそうである。

 明治の頃から、「体罰」は禁止されていたということを聞いた。

 しかし、今の「体罰」禁止というのは、「宿題を忘れた?!廊下に立っとれ!!」というのも体罰になる。

 身体に触れるれば、即体罰かセクハラなのだそうだ。

 最近の「クソガキ」は、そういえば教師がビビるのを心得ていて、おまじないの呪文よろしく「タイバツ・セクハラ」を連発するのだそうだ。「クソガキ」は昔からいたのだろうが、それでビビって指導も何もできない教師が情けない。

 ところが、最近は、そんな「クソガキ」の言い分を真に受けて教師を処分する「教育委員会」もあるのだという。ひところ、「同和」問題で理不尽なことが行われていたが、それが拡散したような形である。思えば、罪な文化を広めたものだ。

 「父にもぶたれたことないのに」というカマトトは、かつては冷笑の対象だったが、今では殆どがそんな奴らばかりになっているのだろうか。

 特に男は、ぶん殴られてナンボではないかと思われる。鉄は熱い内に打てではないが、ぜんぜんしかられることもなく、わがまま気ままに育てられるほど不幸なことはない。

 それも、中学に上がるまでが勝負なのだろうと思われる。

 自分のためを思えばこそ、厳しい意見も言ってくれる祖父の命を奪う。カッとなってやってしまったのかもしれないが、自分のためを思ってくれる存在が、世の中にどれだけあるか。馬鹿なことをしたものだ。どこに逃げるつもりだったのか。つかまったのは不幸中の幸いだろう。世の中、どれほど怖い落とし穴があるか知れない。尊属殺はかつては通常の殺人よりも重い刑罰があった。しかし、刑法のその条文は既に死文と化している。それが、戦後は「進歩的」だと持て囃されたのだが、今になって考えてみれば、人間性の後退、あるいは文明の退歩とでも言うほかはない。

 頭を抑えられたことの内人間は不幸である。本当の意味で自立することが出来ない。

 戦後教育は、不幸な子供たちを大量生産し、そしてその子たちが親になり更に不幸な子供を生み出している。負の連鎖は果てし無く続くのだろうか。

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2007年8月20日 (月)

「米ソのアジア戦略と大東亜戦争」の読後感

この本は、新奇を追うのではなく、むしろ敗戦後多く付け加えられた夾雑物を除去し、隠蔽されてきたもの、それは当時の日本人、つまり父祖のたちが何を体験し、何を思い、何に憤り、あの戦争へと至ったのかについて、慎重に、公正を期して再現した労作である。

 その試みに成功したことの証しが、三十年もの間ルバング島で戦争を継続してきた小野田寛郎氏の推薦文である。小野田氏は、「本書では、巷間騒がしい日本の戦争目的について明らかにされていますが、私は椛島氏に全く同感であり、讃辞を呈したい」と述べ、この本の価値がどこにあるかを直裁に明らかにしている。

 もとより著者である椛島氏は、日本会議という保守系の国民運動団体の事務総長という立場にある人物であり、研究者ではない。専門家でないが故の小さな瑕疵は皆無とは言えないかもしれない。しかし、あとがきに書かれている執筆動機とその探求の跡を見るとき、他に類例を見出すことの出来ない著者畢生の論文であることが分かるのである。

 昭和63年、昭和天皇のご不例という事態の中、当時、長崎市長だった本島等氏が、昭和天皇は侵略戦争の責任があると議会で発言して物議を醸した。本島氏は後に右翼団体構成員に銃撃され、むしろそのことで記憶されているが、後に広島の原爆投下についても、日本が侵略戦争をしたから原爆が落とされたのだ、広島よ、おごるなかれ、と言ってのけた人物であることを考えると、その歴史認識が如何に歪んだものであるかが分かる。

 著者は長崎大学で学園紛争に直面し、学園正常化運動に取り組み、三派全学連と対峙して自治会を奪権、佐世保エンタープライズ闘争で三派全学連が大学に押し寄せた時に、一歩も大学に踏み込ませなかった人物である。日本人同士が醜い争いをしなければならない戦後と言う時代に深い悲しみを抱きつつ国民運動への道を歩んだ。本島事件など一連の歴史認識が政治問題化する中で、真実の探求への思いから国民運動をリードしながら30年近くもの時間をかけて醸成されたものが本書なのである。
 たとえ一介の素人であろうとも、一つのテーマを三十年追求すれば、生半な専門家など及びもつかない一つの到達点を得ることができるのではなかろうか。それが本書なのである。

 あとがきの中で印象に残った言葉があった。戦後日本人が見失ったものは、「敵」の存在なのである。往時の父祖たちは何を見ていたのか、とは、どのような「敵」の存在が感得されていたのか、という問いである。それを丹念に再現したのが本書である。それをどのように受け止めるかは当然読むものに任されている。

 強調したいのは、当時の「敵」の姿を明らかにしたということの意味である。それは現代の日本にとっての「敵」が何であるのかについて考えさせられることにもつながる。今の憲法には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と書かれている。ものごとありのままに見る目は、現代と当時といづれが曇っているのか、考えさせられることにもなる。
 現代の鑑としての歴史が本書であると思うのである。

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この一文は、アマゾンの書評欄に投稿したものである。
但し、800字という制限があるため、多少削らなければならなかった。

そこで、削る前のものをこちらにアップすることにした。

今の歴史教科書では、コミンテルンが行った所業について記したものはない。共産主義者が、マルクスの予言を成就するために行った様々な暗躍。それは、戦争を誘発し、講和を阻害したものである。

レーニンが平和主義者を指弾したように、共産主義者が平和主義者であるというのは誤解の最もはなはだしいものである。銃口から革命を志向したのが、共産主義運動であり、世界を戦乱の巷にするためにあらゆる努力を払った。

コミンテルンの暗躍が、中国、アメリカ、日本においてどれだけ浸透し、その進路を捻じ曲げていったか。しかし、それを的確に証明して分かりやすく解き明かすものは殆どない。その意味で、「米ソのアジア戦略と大東亜戦争」は稀有の書なのである。

ソ連邦は倒れても、革命の遺児たちの暗躍は止まない。この本の現代的意味もこの「敵」を明らかにするに役立つだろうと思われる。

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2007年8月19日 (日)

ありのままに見てみれば

 「アーロン収容所」を久々に読み返したことを書いたが、この本の読後感は要領よくまとめることが出来ない。

 会田雄次氏は、文字通り一兵卒として、大東亜戦争後期、つまり負け戦の只中に投げ込まれた。

 ”ジャワは天国、ビルマは地獄、生きて帰れぬニューギニア”

 こんな言葉があるが、この地獄と言われたビルマ戦線に送られたのである。

 インパール作戦は、史上稀に見る悲惨な犠牲を出した作戦として記憶されている。その一端は、著者も書いている通りである。川を、毎日何百となく流れてくる日本兵、日赤の従軍看護婦らの死体のことを書いている。

 氏の部隊でも、渡河の途中で流されて死んでいった戦友のことが書かれてあった。

 こんな記述が目を引いた。

 インド人は、日本兵を神のように尊敬していた。

 ビルマ人の好意は終始変わることがなかった。

 イギリス人は、ごく自然に、アジアの有色人種を、家畜と同列の動物として扱っていた。当初日本兵に与えられた食料は、砂利の混じった雑穀で、日本側の抗議に対して、ごくまじめにそれは家畜の餌として与えられているが全く問題がない、と不思議そうに言った英軍士官のことなど、イギリスの植民地支配がどのようなものであったか、ありのままに実感出来る。

 日本が、大東亜戦争の大義名分として掲げた「東亜の解放」とは、欧米の植民地支配の打破であり、「アジア人のためのアジア」、3A運動など、アジアナショナリズムを鼓舞した宣伝工作は、大義として決して間違っていなかったのではないか。

 それは、単純にスローガンなどに騙されない著者も肯定的にとらえている。

 ビルマ方面軍の首脳部の腐敗堕落振りも決して見逃してはいないが、アジア解放の理想を掲げて殉じていった多くの士官たちの存在に対して尊敬の念も隠していない。

 この著書は、テーマに区分けすれば様々に細分され、それぞれの展開が見込まれる原点のようなものである。

 肝心なことは、一個人の体験の中には、このような多くのテーマにつながる事物が、渾然となって渦巻いているのであって、ありのままに生きている人間には、それらが錯綜しながらも渾然とひとつに融和しているということではないだろうか。

 人間は、そうして生きているのであって、ある側面だけを切り出して裁断するというのは間違いである。人間の行為の集積である巨大な戦争という体験について、全体を正邪善悪で裁断することは出来ないのだと思う。

 ところが、今の日本では、その出来ないことがやられている。日本が悪かったと言えばそれで済むかのような風潮が、未だにしみこんでいるのだ。ありのままに見る目が失われていることが、このような事態をもたらした。

 それは、とても危険なことである。

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ケータイ短歌のラジオ番組を聴いて

ひるさがり しずかなへやに ひとりいて パソコン画面を 眺めキー打つ

猛暑日も やや衰へて 真夏日と なるといふとも 暑さは暑し

休日を もてあましつつ 事務所にて 本を積み上げ 昼寝せんかな

 昨夕、M市で会議があった帰途、カーラジオをつけていたら「ケータイ短歌」なるものをやっていた。

 俵万智の「サラダ記念日」以来、短歌の持つ伝統的リズムが現代風の軽やかな(あるいは軽薄な)感性を現す手段として使われるようになり、ここ近来、ケータイメールを使った短歌づくりが静かに広まっているようだ。

 5・7・5・7・7の31音のリズムで織り成す短歌の世界であるが、BGMにラップを流しながら読み上げる。それが面白いように合うのだ。

 「花火」をテーマに、色々な歌が寄せられていたが、10代、20代、30代と、若い世代の作が次々と詠まれていて、今の若い世代の姿が浮かんでくる、その意味での意外性はないのだが、よくとらえられていて面白いと思った。

 殆どが「恋愛」に関するものだというが、これも伝統的なテーマである。

 しかし、情熱が溢れるようなものは、聴いた範囲では殆どなく、稚拙な技巧めいているようで、真情ほとばしる、というには程遠い、末梢神経の痙攣のようなものを感じた。

 それでも、短歌という伝統的な日本の言葉のリズムが、若い世代の中で、歌い継がれているということは、何はともあれ、日本人の心のリズムが、古来一貫して変わっていないことを明かしているようで、嬉しい心持ちがした。

 それで、下手で退屈な歌を冒頭詠んでみたわけだ。

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2007年8月16日 (木)

「アーロン収容所」再読

 昨日午前、戦没者追悼集会に参列した後、午後は時間を持て余してしまった。

 ぎらつく太陽を尻目に、早めに帰宅して幾つかの遺稿集や靖国問題論文などをひもときながら、ふと、久しぶりに会田雄次氏の「アーロン収容所」を手にとって何気なく活字に目をやった。

 「やっぱり、とうとう書いてしまったのか。」

 こんな、書き出しで始まるこの捕虜体験記は、極めて優れた比較文明論にもなっており、また日本国民論にもなっている。そしてまた歴史の証言でもあり、何より追悼の書ともなっている。人間論として読んでも面白い。とにかく、色々な読み方が出来そうな本であるが、ともかくもそこを辿ってきた人にしか書けない、いや、辿ってきても文章化するには歴史家の才能が要るが、まさにその分野の若き俊秀でもあった著者がそこにいたということは、天の配剤とでも言おうか。

 一気に読んでしまった。

 読みながら、思わず、胸に迫る場面がいくつもある。

 「英国騎士道」という一節もその一つである。

 「・・・私たちの将校は、

「日本が戦争を起したのは申しわけないことであった。これからは仲よくしたい」

という意味のことを言った。どのように通じたのだろうか。英軍中尉は非常にきっとした態度をとって答えた。

「君は奴隷(スレイヴ)か。奴隷だったのか。」

楽天家らしい彼が、急にいずまいを正すような形をとったので、私はハッとした。この言葉はいまでもよく覚えている。もっともスレイヴというのはそのときすぐには聞きわけにくかった。奴隷という言葉がわかったときも、「貴様らは奴隷だから人並みに謝ったりするな」ということでおこったと思ったのだから、私の聞きとり能力も心細い話だ。しかし、つぎのような説明を聞いてやっと意味がわかった。

「われわれはわれわれの祖国の行動を正しいと思って戦った。君たちも自分の国を正しいと思って戦ったのだろう。負けたらすぐ悪かったと本当に思うほどその信念はたよりなかったのか。それともただ主人の命令だったから悪いと知りつつ戦ったのか。負けたらすぐ勝者のご機嫌をとるのか。そういう人は奴隷であってサムライではない。われわれは多くの戦友をこのビルマ戦線で失った。私はかれらが奴隷と戦って死んだとは思いたくない。私たちは日本のサムライたちと戦って勝ったことを誇りとしているのだ。そういう情けないことは言ってくれるな」

おぼつかない聞き方だが、ゆっくりと噛んでふくめるように言ってくれたのはこういう内容であった。相手を勇気づけようとする好意が溢れていて、頭がさがる思いであったが、その反面、勝者のご機嫌とりを察知されたことに対する屈辱感というものは何ともいえないものであった。」

 今、日本の政治家は、先の大戦について、口を開けば謝罪の言葉を吐いている。その謝罪は、サムライだった先人たちを貶める。”君たちはスレイヴだったのか”英軍中尉の声が、今も胸をえぐる。

 会田氏は続けてこのように書いている。

「私たちはもちろんまじめに戦った。ここまで踏み切った以上日本が負けたら大変だと思ったからである。かならずしも大東亜戦争が聖戦であると信じていたのでも、八紘一宇の理念を信奉していたためでもない。そういう立場もあって差し支えないと私は考えている。それを奴隷的心理だとも言えないだろう。

 だから敗戦と同時に、鬼畜米英が救世主や解放者になったのを帰還後知って非常につらかった。また戦争に抵抗もせず、軍部や政府から特別いじめられたということもなかった人々が、勝利者に対し「日本は軍国主義の鬼だった」「気ちがいだった」と言って廻ってくれたのには抵抗を感じた。いまでも感じる。私が素直でないのでもあろう。そう言って廻った人々は、日本の良心の代表者なのかもしれない。しかし、そういう人は実にたくさんいるのだが、そういう人たちのなかで、日本的な後悔の仕方であるはずの「申しわけないから死んでおわびする」という人も、「頭をまるめて隠遁と懺悔の生活を送る」という人も出なかったのは不思議なことである。」

 会田氏の戦争への処し方は、恐らくは多くの当時の日本人が処した処し方だったろうと思う。”ここまで踏み切った以上、日本が負けたら大変だと思った”との言葉は、一個の男子として庶民として極めて真っ当な言葉であり、覚悟ではなかったろうか。そうして戦争に処していった方々が、次々と命を落としていったのである。家族を思い、国を思いながら。

 ”日本の良心を代表する人々”は、今でも薄められてどこにでもいる。しかし、「黙って処した」人々の心を説得することも出来なければ、敵であった相手にも尊敬されることもない。”スレイヴ”の喚きでしかないのだ。

 会田氏は「プルターク英雄伝」の話をひきながら、ヨーロッパ人の人生の処し方について一言する。

「ある子供が、ひとの畑から、ブドウを盗んだ。畑の持ち主がそれを見つけてとがめると、子供はブドウをふところにかくして盗まないと言いはった。だがそのブドウのなかに蛇がいて子供の腹を喰いやぶり、腸を喰いちぎった。言語に絶した苦痛のなかでも、子供はなおブドウを出さず強情を張ったので、とうとう死んでしまった―。

 これはバカな子供にもっとうまく盗めと教える話ではもちろんない。正直にしましょうという教えでもない。正直にしないと神が罰をあたえるというたとえではさらさらない。いったん言いだしたことは断固としてつらぬくスパルタ的精神を讃えたものなのである。

 こういう考え方にはもちろん問題がある。個人が悪行をつらぬいても、誤ちをあらためなくとも、社会はそれを是正するだろうし悪い影響はうけないはずだという、社会に対する信頼がないと成立しない論理ではある。しかし、そういう考え方がヨーロッパには広く存在し、安易な反省や回心には不信をいだくものだということは知っておく必要はあるだろう。」

 今の日本には、安易に反省し、回心する人々が多すぎる。それはまた、そうしなければ更に袋叩きにあって社会的に抹殺されてしまうという恐怖も伏在しているだろう。

 しかし、そうして謝らせておいて、社会は何を得て、何を失っているのだろう。ほとんど人民裁判的な狂気にまで膨らむ他者糾弾の心理は、対象となる人物の”人間としての尊厳”まで徹底的に貶めるのである。既に、対象は何でもよい、ちょっとでもすきを見せたものを袋叩きにするために、舌なめずりをして、虎視眈々と狙っている、欲求不満の野獣どもが徘徊する社会になりつつある。かつてあった「惻隠の情」「武士の情け」は地を払ってしまった。おそるべき退廃といわねばならないだろう。

 さて、最後「帰還」という一節は、次のように書き始められている。

「望郷という言葉では生ぬるい。兵隊たちは狂乱したように故国を想っていた。」

「内地が戦火に焼かれ、人びとが餓えに悩んでいることは、いろいろの情報でわかってきた。しかし、実感として兵隊たちの目に浮かぶのは、やはり私たちが日本をたったころの、空襲も知らず物資の不足もまだそれほどではない、秩序ある街や村や家庭の姿であった。いや戦争が終わったという実感は、兵隊たちの想いを戦前の日本の姿に変えていた。」

 国への想いとは、遠く異郷の地にいて苦労をしてみないと本当にはわからないものなのかも知れない、と思わされる。また、帰りたくとも戦死した方々は帰ることが出来ないで異郷の土となってしまっているのだ。故国を思う思いはきっと同じであったろう。

 こんな一節もある。

「看護婦さんたちが船橋から手を振っている。驚くほど色が白いのが目にしみる。行軍中死んでいった日赤の看護婦さんたちを急に思い出しどきっとした。あとで帰還した小隊長の話では、久しぶりで見た内地の看護婦さんは神様のように美しかったという。私は神様としてはずっと下品で、色の白さと、身体がたくましくてお尻が大きいのに驚き、はじめて本当の女性を見たような気がした。ビルマの女は腰まわりが男と同じように細い。百済観音そっくりである。「あれで子供が生めるのやろか」と兵隊たちはいつも噂していた。とにかく真っ黒でもあり、さっぱり魅力がないのがふつうである。だから日本女性をこんなところで見ることができたのは嬉しかった。しかも大変元気そうである。日本は大丈夫だと一度に安心してしまった。」

 その場面を彷彿とさせるだけでなく、心持ちまでもひしひしと伝わってくる。

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2007年8月15日 (水)

高市大臣の靖国参拝に心から敬意と感謝

 終戦から62年目の今年、8月15日。安倍首相の参拝は見送られた。千鳥が淵戦没者墓苑へ献花をされたにも拘らず、目と鼻の先にある靖国神社には参拝しなかったのである。極めて残念なことである。参議院選の大敗を受けて政治的にリスクのある参拝は避ける、ということであったのか。しかし、政治情勢とは関りなく、日本の首相として、国のために命を捧げられた戦没者の方々に追悼と慰霊の誠を捧げる、最も相応しい中心施設である靖国神社に、お参りしていただきたかった。政治的に安全だから行く、リスクがあるから行かないというようなご都合主義的な姿勢には、国民はいささか飽き飽きしているのだ。右顧左眄することはない。

 国務大臣で政治信念として参拝しない、と嘯いた人物があるらしい。さっさと印綬を返上すべきである。何が政治信条か。その一事で大臣の資格はない。

 こうした中で、高市早苗大臣が、今日、靖国神社に参拝し、英霊への追悼と感謝の誠を捧げられた。何十年ぶりで只の1人の閣僚も参拝しないという事態が予想されていたが、その最悪の事態は回避されたというべきか。高市大臣には、本当にありがたいことと思われた。

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2007年8月 8日 (水)

安倍首相は、8・15、靖国神社に参拝すべし

 参議院で自民党が大敗したことと、安倍首相が靖国神社参拝を見送るとの観測記事が出たことととはどうつながるのであろうか。

 靖国神社参拝には、政治的リスクが大きい、と踏んだのか。

 曖昧路線が試されるときがきた。8・15、参拝するにしろ、しないにしろ、いずれにせよ曖昧では済まされないからである。

 小泉首相は、その動機はともあれ、首相就任以来毎年参拝をし、最後には紋付袴の正装で8月15日、堂々と参拝をした。色々批判されるが、この一点だけは評価されてよいことだと思っている。

 中国が、対日懐柔路線を取り、靖国にさえ行かなければ、日中友好で仲良くやれますよ、と微笑外交に転じている。靖国参拝は必ず中国との軋轢を生み出し、その責めは全て日本が背負わねばならない、ということを恐れているのだろうか。

 はたまたアメリカが「従軍」慰安婦決議を上げたことで及び腰になっているのだろうか。

 外国に右顧左眄して参拝しないというのであれば、安倍首相への評価はがた落ちになる。

 国内の「反対」勢力に配慮するというのであれば、安倍首相の支持勢力を裏切ることになる。

 民主党は、靖国問題について、決して一枚板ではない。もちろん、戦略的に反対で党の締め付けを行う可能性もあるが、民主党の中にも靖国参拝については積極的に考えている議員も少なくはない。

 自民党の中の反対勢力、心底言っているのは、数名に過ぎない。あとは、上記のようなことを恐れての右顧左眄勢力が多く、安倍首相を支え、期待している多くは、現在のところ沈黙を守っているように見える。

 貧すれば鈍す、という。自民党は大敗して、負け犬根性丸出しの内紛を始めようとしている。そんなことだから民主党にナメられるのだ、という意識はない。

 安倍首相には、8月15日に堂々と靖国神社にお参りし、国民を代表して護国の英霊に感謝と追悼の誠を捧げ、国のために身命を捧げる覚悟を改めて内外に示すことが最良の選択だと思う。

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2007年8月 6日 (月)

救いようのない

 書き始めたら腹が立つので、腹いせにもう少し書く。

 自民党が大敗した。

 民主党に一度政権を譲ればいい。どうせまとまらないでまた直ぐ自民党に戻ってくるに決まっている。

 こんなことを言う人がいる。

 言葉は汚いが、「ばかか」といいたい。

 ローマ人ではないが、「勝って譲る」ならまだしも、大敗しているということが頭にない。相手の混乱をあてにする。相手を見くびるのもいい加減にした方がよい。

 安倍首相が取るべき道は、これまで以上に、政治理念を推し進めることだ。民主党がそう簡単に内部で議論がまとまらないような、国家の基本原則について押すべきだ。

 これには、民主党が、政権を担うことが出来るのかの試金石にもなる。

 もし、ずるずると政権を明け渡すようなことがあれば、もはや二度と自民党に政権は戻ってこない。野党に落ちた時のなりふりかまわぬ狼狽を忘れたわけではあるまい。どのような手を使っても、もはや政権を握ることは不可能なほど、あの落ちぶれはてた社民党のようになるのが落ちだ。

 今が肝心であり、自民党が次の時代も責任政党として、少なくともその一つとして存続して国家への貢献を継続して行きたいというのであれば、政権選択を問うものでない参議院選挙で負けた位で政権を渡すべきでないことは余りにも自明のことである。

 安倍首相が政権を投げ出したとして、一体誰が自民党をまとめるのか。参議院の逆転状況は誰がやっても変わらない。混乱が続くだけだ。

 安倍首相は、続投することで、正面突破して道を切り開く以外にないのだし、それは自民党自体がそうなのだ。

 戦う政治家と自認する安倍首相は、さすがに逃げは打たない。

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自公連立への愛想尽かしという側面

 自民党の支持率が17%(毎日新聞)にと出ていた。自民党内でも衝撃が走っているというが、要因の一つに自公連立への疑問があるのではないか。

 政策協定を結んで、それぞれの党の自立性と独自性を保持しつつの連立なら何の文句もない。

 しかし、今回の参議院選挙で、これまで余りよく理解されていなかった、自公連立が何を意味するかが露呈されてしまったのである。

 「地方区は○○候補をお願いします。比例区は公明党をお願いします」

 電話ボランティアをした人なら、この台詞に必ず覚えがあるはずだ。比例区の候補を応援するボランティアが電話かけをしている隣で、このように言われたら、頭にきて当然だ。

 ある方から聞いた話しだが、「俺が比例区の自民党の候補を頼むといっている横で、何で比例区は公明党へ、だなんていうんだ、ふざけるな」と怒ったところ、誰も何も言えずシュンとしていた、ということだ。

 参議院の全国比例区は、本来、それぞれの党勢がはっきり出るはずである。ところが、自公連立だとそうは行かない。本来自民党の支持者が、公明党に流れるのだから当然である。嫌気が指して棄権する有権者も決して少なくないだろう。

 公明党は、自民党が本当に応援しているかどうか分かるように、ある仕掛けをしているという。

 公明党の支持者、つまり創価学会の会員には、公明党の候補者名を書かせるのだ。(それも、きちっとブロック毎に担当を分けて書かせていることが、票数を見れば一目瞭然で分かる)自民党には、「公明党」と党の名前を書かせるわけだ。だから、当然のことながら、自民党がどれだけきちっと応援したかどうかが、市町村単位で一票まで分かるのである。

 この構造が国民の目に晒された。バーター取引といっても、これではどうにもなるまい。自民党は公明党に急所を握られているようなものだ。

 嫌気が指した自民党の支持者が、今回4人に1人が民主党候補に票を投じたとも言われている。

 もちろん、全てが自公連立の腐臭のためでは無いかもしれないが、相当程度流れているとの観測は成り立つだろう。

 地方議員レベルでは、選挙運動での自公連立など有り得ようがないことは当然である。公明党が独自の候補を立てているのだから、地方議員には公明党に義理立てする意味は何もないのである。

 ところが、国政選挙になると、比例区は公明、と言わねばならないとしたら一体どうなるのか。

 国政選挙には、地方議員も相当程度応援し、動いているだろう。彼らに「比例区は公明党」と言わせるのか。

 嫌気が指して当たり前である。当然、動きも鈍る。これまた当然のことながら全体として票が目減りする。

 自民党の大敗には、もちろん色々な要因があるだろう。しかし、長期的に見て最大の要因は自公連立そのものであること。

 これは、既に選挙協力というレベルを超えて、癒着のはなはだしい奇形になっていると言ってよい。

 自民党議員ではなく、自公議員ということになるだろうか。既に生粋の自民党議員は極少数派になっているのではないかと思われる。

 脆弱化すればするほど、公明党の脅しが効いてくる。俺たちを袖にしたら落とすぞ、と。

 果たしてそうだろうか。筋を通して、公明党ときちっと健全な連立関係を保ち、選挙協力は最小限度にして、党の独自性を保った方が、本来の自民党支持者がどれだけ動きやすくなることか分からないだろう。もし、それを期待できないなら、もう自民党に芽はないということになる。

 公明党の地方区の票数は、独自候補を立てるほどまとまった票数を持っているところは限定されている。だから、殆どが死に票になるわけだ。しかし、ロットで5万10万という票が動けば、当落を決するだけの票になるかもしれない。また、そのように見られることによって力を発揮してきたわけだ。

 しかし、今回の、特に一人区での惨敗振りを見れば、それ以上に、本来の支持基盤が脆弱になる作用が生まれていることが分かるだろう。

 非自民8党連立で、自民党を政権の座から追いやったとき、小沢は公明党を抱きこんだ。自民党は、公明党の独裁体質を批判し、徹底して論戦をした。

 ところが、小沢は公明党を断固として切り捨てた。

 その公明票を、自民党が当てにして、今や取り込まれつつあるというわけだ。

 小沢は、公明党の毒がどのように作用するのか見極めていたのではないか。

 公明党自体も、目減りさせていることは、結果を見れば明らかなのだ。

 もはや、手遅れに近いかもしれないが、自民党は、公明党と適度な距離を保つ必要がある。

 安倍政権の本来の政策と、公明党が相容れないのは既に教育基本法を巡る論議でも明らかになっている。ネガティブな関係は清算しなければ、双方にとってマイナスだろう。

 今、不用意に危機感を煽る、反安倍の自民党内の獅子身中の虫が居る。危機感を持つのは当然だが、これもためにする論議で不必要にまぜっかえしている。舛添という議員など、前回の三分の一の票しか取れていないくせに、偉そうな批判を繰り返す。次に三分の一になったから確実に消えるというのに。自身の評価は全て棚に上げるということなのだろう。

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2007年8月 5日 (日)

明日は広島原爆の日

 明日は広島原爆の日。

 ”ヘイワ”宣言の骨子が発表されたということだが、例によって高飛車に政府批判を行っているらしい。

 いわゆる「革新」市政が続く広島市であるが、既に広島市議会の保守系といわれる議員も訳が分からない。

 ちなみに、広島県内のある自治体では、これまで毎年出していた「平和宣言」を取りやめることになったと仄聞した。本当かどうか確認はしていない。何でも、「平和宣言」は、いつも政府や一部外国を批判することになり、教育上悪影響がある、という理由だそうだ。これも一つの見識だと思う。

 原爆を巡る言語空間は極めて硬直しており、一種の言論統制が罷り通る。

 本当の慰霊とは何か。

 未だに、その答えを見出し得ていないのが、今の広島ではないかと思われる。

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2007年8月 3日 (金)

米下院の慰安婦決議と参議院選挙。どちらもスカだ

 情報に疎いと精神状態に悪い影響を及ぼすということが分かった。

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/america/72340/

 アメリカ下院・慰安婦決議、たったの10名。

 否決はしないが、たったの10名の議員を置き去りにしたとは。

 正に茶番劇を演出したものだ。

 日本でも、共産党と社民党以外が全部退席すれば、同じような状況になるだろうか。

 それにしても、467人の下院議員の内167名が共同提案に加わった、その議員らの真意は、持ち上げておいて落っことす、ということだったのだろうか。

 10/467 の中での圧倒的多数。

 絶対少数の中で圧倒的多数。

 これがアメリカ議会の意志だという。

 かつて終戦50年の衆議院決議の際、決議ボイコットが成されて、全く権威のないものになり、参議院ではあっさり否決されたことがあった。

 それで、慌てた村山総理が談話を出して取り繕った。

 その取り繕いの村山談話でさえ、日本の首相を拘束しているのだ。

 アメリカ議会の正式な決議というのは、10名でも出来るということなのか。

 議会制度の長い歴史の中で編み出された「知恵」なのか。

 いずれにせよ、安倍総理の訪米時の対応が効を奏したと言っていいのだろう。

 日本のマスコミは、中国・北朝鮮並だということなのだろう。特権階級よろしく、下品な番組を垂れ流し続けている。とうとうどんな番組をやっても視聴率が上がらず、国民から愛想をつかされつつあるのだという。

 インターネット時代、滅び行く恐竜のように、最後の咆哮をあげつつあるのか。

 それにしても、まだ選挙では、その恐竜の巨体が一定の空気を作り上げる。

 私は、殆どテレビを見なかった。お蔭で、自分なりの判断が出来たと思う。

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