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2007年7月

2007年7月31日 (火)

アメリカ下院の迷走 ~濡れ衣を着せられた日本~

 大声で嘘っぱちを泣き叫ぶ方が、静かに真実を語るよりも受け入れられる。

 これが、アメリカ民主主義の現実だ。

 ローマ以来の伝統である「雄弁」が全てものを言う世界なのだろう。同じ事実でも、雄弁でどれだけうまく解釈してみせるかが腕の見せ所である。事の真偽はそれほど問題ではない、というのだ。

 ありもしなかったものを、あったといいくるめる。嘘も百回言えば真実になる、と嘯いたヒットラーと同断ではないか。

 これが、アメリカ民主主義の現実だ。

 言論の自由が逆手に取られ、虚偽が現実を作り上げていく。

 「言葉は神なりき」

 時と場所でころころと変わる証言も、一度しか聞かないものにとっては、事実と思い込ませることが出来る。

 面倒な検証など、誰がするものか。

 軍国主義の日本ならやりかねない。だから日本がやったんだ。現にあのかわいそうなばあさんたちは泣き喚いているではないか。60年以上経った今でも。

 この没論理が、アメリカを支配しているのだ。

 何が真実か、は問われない世界。米英流の民主主義の怖さだ。これが真実だ、と決めたものが真実として持て囃される世界だ。

 このおそるべき老大国に対しては、「真実」を「真実」としてだけ訴えても果たして無駄なのだろうか。

 日本人の上に、平気で原爆を落とせた、この国の手が、一体汚れていないと、誰が言えるのか。ここでも、「真実」は軽んじられているのだ。

 哀れみを醸し出すためだけに、悲惨な境遇を語り、アイゴーを繰り返す、コスチュームも忘れない、あの用意のよい人たち。

 この決議をうらから唆して莫大な金をつぎ込んだ国では、現在進行形で「性的奴隷」にするための「略奪」が行われている。現在進行形で行われている巨大な悪に目を瞑り、ありもせず、証明も出来ない責任を追及することに汲々とする暇人の蔓延る議会。

 「言葉は神なりき」  

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2007年7月30日 (月)

岐路となった参議院選挙~安倍内閣続投を強く願いつつ~

 民主党の歴史的大勝となったこの度の参議院選挙だが、私の応援していたえとうせいいちさんは何とか比例当選を果たすことが出来た。

 自民党支持者の4分の1が民主党に流れたことが自民大敗の大きな原因であることは誰の眼にも明らかだろう。

 年金問題を煽って、高齢者を不安に落としいれ、不満の捌け口を全て自民党に向けた民主党の戦略勝ちというところだろうか。

 しかし、投票率が殆ど上がっていないことから考えれば、いわゆる無党派層の風が吹いたわけでもない。

 大体、何度でも繰り返すが、年金問題を惹起した最大の原因である社会保険庁に巣食っていた自治労である。その支持を受けている民主党が大勝したということは、笑いが止まらない思いだろう。

 日本の政治改革の最大のガンは官公労である。既得権益を守るためになりふりかまわず、肉を切らせて骨を断つ戦術が効を奏したともいえるだろう。

 民主党支持者で、活動家でもあるある知人が、年金問題は、政権与党の管理責任問題だ、といっていた。
 だから、責任を取ろうと必死で対策に取り組んでいるのであって、批判のための批判を繰り返す野党とは違う。 年金問題を政争の具にしてはならない、ということは、中西輝政教授が指摘していたが、ある意味、民主党は禁じ手を使ったということが出来る。

 安倍首相には如何に政権運営が困難であっても頑張っていただきたい。幸い、現在であれば、参議院で野党が如何にごねようとも、衆議院でひっくり返せるだけの議席はある。

 参議院選挙の後遺症は長く響く。しかし、安倍首相が掲げる3年後の憲法改正発議についていえば、決して後退したわけではない。社民・共産の退潮は一層すすみ、9条ネットの惨敗と、護憲派が最後の砦と頼む9条ももはや頼むに足らないことがはっきりした。

 これからの大きな問題の一つは、民主党内に巣食う(それは、議員だけの問題ではない)、戦後レジームである。戦後レジームは自民党の中にも巣食う。自己変革が問われているのは変わらない。

 政界再々編が起こるのか、起こるとすればどのような流れで起こるのか。あるいは起していくのか。

 憲法改正に向けて、やるべきことは多い。

 えとうせいいちさん、よろしくお願いします。

 安倍総理、頑張れ!安倍総理の掲げた政治理念は決して敗北していない。

 無理念の政局の政治家、小沢にしてやられたに過ぎない。勿論、負けは負けだ。

 年金問題で通った民主党の参議院議員は年金問題が解決したら一体何をするつもりだろうか。任期は6年あるのだ。

 小泉がぶっ壊した自民党から、新しい自民党を生み出すのは安倍総理だ。そのためにも、脇を固めて欲しいものだ。


 

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2007年7月26日 (木)

マニフェスト 自民党の「宙に浮いた改憲」・民主党「消えた改憲」・社共「改憲つぶし」が指摘され、参院選大詰め

産経新聞7月26日に、日本大学教授・憲法学者の百地章教授が、各党の憲法改正への姿勢を指摘した。

■スタンス明らかにし審判仰げ

 安倍総裁が「戦後レジームからの脱却」を掲げる自民党では、155の約束のトップに「新憲法制定の推進」をあげており、画期的だ。しかし年金問題に力を入れすぎたためか、7つの「重要課題」では最後に廻されてしまった。年金問題に例えれば、「宙に浮いた改憲」とでもいえようか。「加憲」を唱える公明党の「重点公約」にも、憲法改正への言及はまったくない。

 改憲論者であるはずの小沢代表率いる民主党も「3つの約束」「7つの提言」では全く触れずじまいで、番外に「自由闊達な憲法論議を」とある。改憲論者と護憲論者がいる党内の亀裂を恐れたからだろうが、これでは「改憲隠し」といわれても仕方がない。「消えた改憲」だ。

 これに対して、共産党は「12の重点政策」の5番目に「憲法改悪に反対」をあげ、社民党も「9条と年金があぶない」をスローガンに掲げている。両党とも「年金と9条を守れ」の大合唱で、さしずめ「改憲つぶし」といえよう。護憲論の側からの発信ばかりで、改憲側からの主張があまりにも少なすぎる。

 今回選ばれる議員の任期6年のうちに、国会による改憲の発議が行われる可能性はかなり高い。それゆえ、各党、各候補とも憲法改正問題へのスタンスを国民の前でもっと明らかにし、その上で主権者国民の審判を仰ぐべきではないか。

(以上引用終わり)

 置き去りにされた争点。やはり日本国民には、中長期の議論よりも目先の議論が大切なのか。

 騒ぐはイデオロギーに凝り固まった左派政党ばかりか。

 産経の連載ではないが、確かに「やばい」かも知れない、ニッポンだ。

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「社会保険庁監視等委員会」会長にJR東海会長の葛西氏就任

社保庁監視委が初会合、委員長に葛西・JR東海会長を選出(読売新聞)

 社会保険庁の業務を監視する総務省の「年金業務・社会保険庁監視等委員会」は25日、初会合を開き、年金記録漏れ問題への対応などを監視し、必要に応じて随時、総務相に提言、報告を行う方針を確認した。

 今後は月に1~2回、会合を開き、社保庁から聞き取り調査などを行っていく。

 初会合は、厚生労働省と社保庁が入る合同庁舎に開設された同委員会室で開いた。委員6人の互選により、委員長に葛西敬之・JR東海会長を選出した。

[読売新聞社:2007年07月25日 22時36分]

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拍手喝采に値する人事だと思う。

それにしても、~監視等委員会という名称は、社会保険庁が、監視されなければならない腐敗しきった官庁だったということである。あの傲慢さは何かに似ていると思っていたが、そう、北朝鮮にそっくりなのだ。

自治労の牙城と言われた社保庁の解体が、北朝鮮の現体制崩壊にダブって見える。

JR労組の横暴に負けなかった葛西氏の就任は、正に適材適所と言うべく、安倍首相の本気を感じさせるものだ。

今、日本は、国内に巣食う、「内なる北朝鮮」との対決を求められている。

内に「北朝鮮」を抱え込んでいるのは、自民党も民主党も同じようなものだが、既に自民党内の「内なる北朝鮮派」は鳴りを潜めているが、民主党内のそれは一体どうなるのだろう。自治労や日教組を支持母体とする民主党に「内なる北朝鮮」を切ることが出来るのか。

これも焦点の一つだと思う。

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2007年7月24日 (火)

またぞろテロの時代か

自民党への逆風が強まっているという。

しかし、これは「逆風」なのだろうか。

自民党の候補を狙った暴行沙汰が起こり、遊説中の安倍首相に物が投げつけられるという事件が起こっている。

長崎市長選で、現職候補が殺されたことは記憶に新しいが、またぞろテロの時代が始まろうとしているのだろうか。

昭和初期と違うのは、狙うほうがまったく不真面目というか基地外ということだ。まだ理念なりイデオロギーのあった戦前の方がまじめだったといえよう。

マスコミに煽られて、単なるムードや気分だけでトンでもないことをやらかしてしまう輩がいる。

あるいは、これは低強度「テロ」なのかも知れない。こんな下らない「敵意」の表現でも、度重なれば一つのムードを作り出す。

戦後60年の間に劣化が進んだ日本人を、元に戻すには気の遠くなるような努力が必要なのだろう。

そのためにも、安倍内閣を退陣させるわけにはいかない。

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2007年7月 7日 (土)

ニュースジャパンにえとうせいいち

フジテレビ系の深夜ニュース番組、ニュースジャパンにえとうせいいち氏が取り上げられるというので、昨日は久しぶりにテレビを見た。自宅にはテレビを置いていないので事務所に残ってみていた。

梅雨前線の活発化による集中豪雨のニュース、防衛白書が、北朝鮮の2倍のスペースを割いて分析し警戒を呼びかけた中国軍の軍拡・近代化の脅威を伝えたニュースに続いて、自公協力のきしみをテーマに放映がなされた。

党の党紀委員会から、えとうせいいち氏が警告を受けた、というところから始まり、その理由が、公明党の名誉を傷つけるもの、というものだった。

えとうせいいち氏の地元である大分で、勝手連の人々が配布したとされる「参議院選挙、助けてください」とする文書が配布されたということで、自公協力を阻害するもの、と認定されたということである。

東京のえとうせいいち事務所で本人への取材がなされていた。あの朴訥な顔に、ごま塩髭がうっすらと生えている。一生懸命闘っているんだな、という印象を先ずはもった。

えとうせいいち氏が党に復帰して参議院比例区で出馬するに当たって、誓約書が求められた。その中に、「大分県から住民票を移す」というものがある。そしてまた「大分県内では運動しない」というものがあるそうだ。

公明党の北側幹事長の目の下に大きな隈が出来た顔が何度も映った。6日大分で自公協力を確認する集会が開かれたという。

大分では、自民党の地方区に公明党が協力する代わりに、自民党支持者に比例区は公明党を入れるよう、票のバーター取引がなされてきたという。

これが、自公連立の正体な訳だが、その結果、前回の参議院選挙では、民主党2100万票に対して、自民党1700万票と、400万票もの差をつけられて自民党は第2党の位置に甘んじたということである。しかし、これが国民の意思を反映しているのかといえば、上記のようなバーターがなされている現状では不透明としかいいようがない。

公明党を嫌って自民党支持から民主党支持にシフトした団体もあるわけだから、余計混沌としているといえるだろう。

話を戻すが、大分の自公協力が確認されたところで、公明党が参議院地方区の鹿児島、熊本、大分で自民党候補への推薦をようやく決めたということだが、残りの地区はどうなっているのだろうか。

公明党の票の出し方の厳格さは定評があり、決して「自由な投票」ということは有り得ない。統制の利いたまとまった数万の票は、確かに接戦において当落を決する力があるといえるだろう。

しかし、選挙の本義が、民意を問うことにあるならば、これを利用することは邪道である。

公明党支持の人は公明党に、自民党支持の人は自民党に、無党派の人は時々の政策や人物に共感や信頼が持てる候補に、投票するのが当たり前であり、かつまた健全でもあろう。

それが、極めて不透明になってしまうのは、上記のような不純な机上の票数計算によるはかりごとのためなのである。

そもそも、参議院選挙において、公明党の地方区の票数は、一人の候補を独力で通す力は本来無い。その浮いた票を生かすという意味では、地方区における選挙協力というのは、死に票をなくすという意味では良いことなのかも知れない。

しかし、その本来の死に票を武器に、比例区において、支持政党と違う政党に投票するように、本来投票の自由が憲法上保障されているはずの選挙民に呼びかけるということは、政党として不純である。党利党略としては成り立つのかも知れないが、極めて問題が多いであろう。

自民党は、非自民連立政権の悪夢から醒めないのであろう。本来なら、政治理念による政界再編がなされるべきなのだろうが、それほどの勇断が出来るほどには情勢は煮詰まっていない、ということなのだろう。

このまま微温湯の中に居れば、そこそこやっていける、そこまで根こそぎやり直す必要はない、寝た子を起すな、ということなのだろうか。これは自公ばかりのことではない、民主党も同床異夢の、無理念の「政権奪取」のみを旗印とする野合を解消することの難しさという意味では同じことなのである。

政党は、政治理念だけでなく、選挙基盤に共通点を持つ政治集団のことを指すのであろう。

共産党のような強烈なイデオロギー政党はむしろ分かりやすいが、それは共産党がそれ自体で完結していることの証明であって、国家内国家をつくり、やがては国家そのものを乗っ取るという、伝統的な共産党の本質を維持しているがためであり、通常の意味での政党でないことを明かすに過ぎない。「たしかな野党」などというまやかしではなく、「唯一の革命政党」であるという本質を明らかに歌い上げるのが、共産党としては正直であるといえるだろう。

元にもどすが、えとうせいいち氏が全国行脚で一生懸命に挨拶をしている姿が映し出された。徳島市では、安倍首相とニアミスし、電話で話す場面が流され、夜行バスで東京に戻る際、徳島の支持者の方々が、「頑張ろう」と応援する姿が映し出された。

12日の公示まであと僅かだが、えとうせいいち氏の存在そのものが、この参議院選挙の特質をよくあらわしているように思えてならない。

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2007年7月 4日 (水)

「原爆投下」正当性を主張する米特使

原爆投下の正当性、米核不拡散担当特使が強調
7月4日  読売新聞

 【ワシントン=大塚隆一】米国のロバート・ジョゼフ核不拡散担当特使(前国務次官)は3日、国務省で行った記者会見で、広島、長崎への原爆投下について、「さらに何百万人もの日本人が命を落としたであろう戦争を終わらせたという点に大半の歴史家は同意すると思う」と述べ、改めて正当性を強調した。
 原子力平和利用分野における米露協力に関する記者会見で、「原爆投下は技術の非常に無責任な利用だったと思う」と指摘されたのに反論した。
(以上、引用)

 久間防衛大臣が「原爆投下はしょうがなかった」と発言して、辞任に追い込まれた直後である。

 アメリカ政府の責任者が、改めて「原爆投下」の正当化を行ったことは当然対応しているものと思われる。

 原爆投下の正当化の理由としてアメリカが主張してきたのは、上記のように、何百万の日本人の生命ではなく、あと100万のアメリカ兵の生命のことであった。

 原爆投下がなくても日本の降伏は時間の問題だった、との原爆不要論がアメリカの研究者の間では広く支持されるに至っている。またそれは事実であったろう。

 原爆投下決断を巡っては、現代でも解明されない部分があるという。鳥居民氏の労作「原爆を投下するまで日本を降伏させるな」は、日本人の常識にするべき内容を多く含んでいる。

 「原爆投下8時15分の謎」(諏訪澄氏著)も、多くの示唆を与えてくれるものである。


 世界最長とされる同盟関係である日本とアメリカ、しかしその直前まで死闘を繰り返し、あまつさえ原爆投下という人類史上未曾有の惨禍をもたらした国と、落とされた国との間の関係であると思うと、感慨無きを得ない。

 アメリカはなぜ、戦後日本を同盟国として庇護の下においたのか。

 冷戦が始まり、東側陣営に日本を奪われないため、ということが一つの説明としてなされてきた。

 しかしそれだけではあるまい。


 共産主義国が世界の平和に取って脅威であることは、何も第二次世界大戦後に始まったことではない。
 むしろ、共産主義の脅威に気付き、対峙してきたのが日本であったという事実に眼を向けるべきである。日本が何と戦ってきたのか、アメリカは理解しなかった。そして本来敵とすべきでなかった日本を敵とし、全面戦争を戦い、原爆まで使用して捻じ伏せたが、その結果、日本が対峙してきたものをそっくりそのまま受け継がねばならないという羽目になった。

 アメリカの大戦略のミスである。

 「米ソのアジア戦略と大東亜戦争」(椛島有三氏著)という著書がある。
 
 その結論部分で、アメリカが対ソ封じ込め戦略を提唱したジョージ・ケナンの言葉を引用して、上記のことを明かしている。

 今、日米離間を最も望む国がどこであるかは、誰でも判ることだ。中国であり、北朝鮮である。

 対米工作が浸透し、本来の敵を味方とし、味方を敵とする錯誤を再び犯すならば、それは両国にとっての最大の悲劇を招来することになるだろう。

 それにしても「原爆投下」を巡る歴史の整理は明確にしていく必要があるだろう。それでも、国と国との関係の中で、互いに容認し得ない部分が残ることは間違いない。その緊張に耐えていくことが重要なのであると思われる。 

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初代防衛大臣、「原爆・しょうがない」発言で失脚  ~では、元長崎市長の「確信」発言はどうなの?~

 久間防衛大臣が、千葉県柏市で講演した際、「原爆が落とされた長崎は悲惨な目にあったが、あれで戦争が終ったんだという頭の整理で、しょうがないと思っている」と述べたことが、「アメリカの原爆投下はしょうがない」と発言したと喧伝されて、足早に辞任にまで追い込まれてしまった。

 広島、長崎の「こころ」に配慮して、というよりも、参議院選が近いが故に、ということだ。

 如何なる意味においても「原爆投下」は許容できるものではない。非戦闘員を標的にした大量破壊兵器が使用された世界で最初の例であり、最後としなければならない事件である。

 久間氏は続けて、「米国を恨むつもりはない。勝ち戦と分かっている時に原爆まで使う必要があったのかという思いは今でもしているが、そういうことも選択肢としてはあり得るということも頭に入れながら考えなければいけない」と述べている。

 辞任会見では、「私が講演で不用意に発言した「しょうがない」という言葉が、原爆投下を是認したかのように報道された。これまで原爆投下は断じてあってはならないと繰り返し言ってきたが、「しょうがない」という言葉を言ったことは事実であり、不用意な発言だったと反省している。被爆者の心情を思うと大変、申し訳ない。参院選で私が足を引っ張るようなことばあっては大変、申し訳ないという気持ちになり、安倍晋三首相の姿勢にマイナスにならないよう、身を引く決意をした。」と述べている。

 大臣としては余りにも不用意で見識不足な発言だったとしかいいようがないが、口癖とは恐ろしいものである。

 しかし、単なる失言ではなく、確信犯として、積極的な「原爆投下肯定論」を述べた人物がいたことは余り知られていない。

 元・長崎市長の本島等氏である。昭和天皇の戦争責任発言で右翼に銃撃されたことだけが有名だが、この人物の対日憎悪は筋金入りといった感じがある。

 この本島氏による、「広島よ、おごるなかれ」という論文は、平成九年、広島平和教育研究所の紀要「広島平和教育研究」第24巻に書かれた。

 原爆投下されて「当然」だ、とする広島の「罪状」を、本島氏が書いたところを摘記してみる。

(以下、引用)

2、なぜ原爆は投下されたのか なぜ原爆投下は、喜ばれたのか

一、日本の最重要軍事基地、広島
 明治初年、徴兵令の公布と陸海軍の創設はその後の広島の街を規定するものであった。
 広島は、陸軍第五師団がおかれ、明治政府は大陸への軍事的進出が国策となって、チリ的に大陸との交通至便の広島を軍事上の重要拠点とした。
 そのため、練兵場をはじめ陸軍の運輸、被服、食料、病院、監獄、陸軍幼年学校など重要軍事施設が市域の広大な部分を占めるにいたった。また、広島港(宇品)は軍事輸送基地として大陸への出兵など重要な役割を果たすことになった。また、各種の軍需工場は、歩兵銃、大砲、弾薬、機械、タービン、造船などを生産した。
 日中戦争後半は陸軍船舶司令部ができ、船舶兵団、船舶歩兵団がおかれた。
 特に陸軍第五師団(広島、山口、島根)は日清戦争、日露戦争、北清事変、日中戦争、太平洋戦争で常に先頭に立って戦った。
 青島出兵、シベリア出兵、満州事変、シンガポール占領など敵に大きな打撃を与えた。広島は大型爆弾の投下を待つ状態になった。東京、大阪、名古屋をはじめ全国の中小都市まで空襲で瓦礫の山だったから。
 広島は強制疎開が行われ、学童疎開も実施された。広島市にB29三百機が来襲する想定のもとに、各河川に筏を設けて避難の便に供し、浮袋二十万人分を市民に配布し、舟艇を河川要所に配備し、罹災の折の食料の準備、火たきの整備、消防ポンプの増強、バケツ操法の訓練など。
 広島は日清戦争では、大本営ができ、明治天皇は対清作戦の指揮をとい、帝国議会の仮議事堂が開かれ、広島は臨時首都であった。(2)
 日中戦争、太平洋戦争を通じて、宇品港から中国大陸や南方に輸送される軍隊を見送った広島市民の「万歳万歳」の歓声は地面が揺れ動くようだった。
 日の丸の小旗をちぎれるようにうちふって軍隊の出撃に熱狂的に歓声の声をあびせた。としより、主婦、娘さん、中学生、女学生、学童こそ、数年のちの「被爆者」たちだった。(3)
 一九四一年(昭和一六年)一二月八日、広島第五師団は、「マレーの虎」陸軍中将山下奉文を軍司令官とする第二五軍の基幹師団として、近衛、第十八師団と共に、マレー半島のシンゴラに上陸し、ジョホールバル占領、ブキテマ高地を奪いシンガポールを占領、十三万人の捕虜を虐待し、六千人~数万人を虐殺した。第五師団は凶暴なる殺人軍団であった。また広島の誇り、郷土のほまれだった。広島の若者、若い父親たちだった。
 シンガポールの陥落は、全国小学生の「日の丸」行進、夜は全国提灯行列でわいた。(4)
 昭和二十年六月国民義勇兵役法が制定され、男子一五歳から六〇歳まで、女子一七歳から四〇歳まで義勇兵役に服することになり、各種婦人会、大政翼賛会、勤労報国隊、警防団、隣組、町内会などで、まさに広島は戦争指導者と戦争協力者(小学生も含む)だけであった。
 また、日本本土の防衛を二分して東京に第一総軍、広島に第二総軍の司令部がおかれ、広島は本土決戦の枢軸となった。
 昭和二十年六月、広島市はそれ自体一個の巨大な軍事施設と化していた。
 最重要軍事基地が最大の爆弾攻撃を受けるのは当然であった。

(略)

 三、原爆投下 ― アメリカの声明

 アメリカ空軍機は日本の最重要軍事基地広島に原子爆弾を投下した。爆弾の威力はNTT高性能爆弾二万トン以上の威力がある。日本軍は開戦にあたりパール・ハーバーを空襲したが、いまや何十倍もの報復を受けたのである。太陽の熱源が極東を戦禍の巷とした者を絶滅するために解放されたのである。(6)

四、世界は、広島の原爆投下を喜んだ
(1)戦後フランスで最も活動的な作家、ボーヴォワールの『レ・マンダラン』(一九五四)に作者とサルトルとカミュが登場する。
  三人は南フランスを旅行中、新聞を買った。巨大な見出しで「米軍ヒロシマに原子爆弾を投下す」
  日本は疑いもなく間もなく降伏するだろう。大戦の終わりだ・・・各新聞には大きな喜びの言葉を重ねていた。しかし三人はいずれもただ、恐怖と悲惨の感情しか感じなかった。
  「ドイツの都会だったら、白人種の上にだったら、彼らも敢えてなし得たかどうか疑問だね。黄色人種だからね。彼らは黄色人種を忌み嫌っているんだ」このようにフランスの新聞にとっては原爆投下は大きな喜びであった。(7)

(2)シンガポールのセントサ島の「ワックス(ロウ人形)博物館」の、第二次世界大戦コーナーでは、広島の原爆雲と焼け野原の市街地の写真が展示されている。
  それも、上下は天井から床まで、横幅はその二倍ほどの大きさで。それは、他の展示物に比べて、ひときわ大きいものである。また、他の展示物が戦時下のマレー半島とシンガポールのことばかりであるのにくらべて異質なものである。なぜ、広島の原爆投下が強調されるのか。
  一九四二年二月一五日シンガポールは陥落し、三年八カ月、日本軍に占領された。日本軍は華僑の抗日組織を探すために、シンガポールの華僑約二〇万人を集めた。検問する憲兵も、各部隊から集められた補助憲兵も中国語も英語も満足に話せなかった。当然の結果として、検問は、おおよそでたらめなものだった。日本側は戦犯法廷で華僑六〇〇〇人を虐殺したといっているが、現地では数万人が虐殺されたといわれている。
 シンガポールの人びとにとって、広島の原爆は日本の敗北を決定づけ、自分たちを死の苦しみから解放してくれた「神の救い」であったことを意味している。(8)
(以上、引用終わり)

この切り貼りのもととなった資料については、ご丁寧にも本島氏は隠さずに紹介している。

(1)ワシントンポスト東京特派員東郷茂彦「太平洋戦争は終わっていない」文芸春秋1996年9月特別号
(2) 新修廣島市史1巻 537~565ページ
(3) 伊藤昭彦 原子野の「ヨブ記」径書房 172ページ
(4) 橋本佐内、国民学校1年生 新日本出版社
(5) クリストファー・ソーン、太平洋戦争とは何だったのか。1989 草思社 17ページ 150ページ 159ページ
(6) 小倉豊文 ノーモア・ヒロシマ 風涛社 33ページ
(7) ボーヴォワール著『レ・マンダラン』1981 人文書院 349ページ
(8) 高嶋伸欣 旅しよう東南アジアへ 岩波ブックレット NO.99
(9) 方励之 自選集その1
(10)姫田光義 三光作戦とは何だったか 岩波ブックレット
(11)日本は中国に何をしたの 映画『侵略』上映委員会
(12)峠三吉 原爆詩集
(13)姫田光義 三光作戦とは何だったか 岩波ブックレット

 「原爆投下が喜ばれた」には恐れ入るが、一瞥して明らかなのは、岩波ブックレットなど、左翼運動パンフレットのオンパレードである。これが、「原爆投下」肯定論の確信を導き出した背景であることは、銘記しておいてよい。

 更に凄まじい呪詛が続くこの文章をこれ以上引用するに耐えないが、これが、戦後の「反戦平和」運動が行き着いた先であることは、考えておくべきことである。

 これに比べたら、久間氏の発言などは問題にもならないだろう。

 防衛大臣の更迭にいたる背景には、戦後の「反戦平和」運動の背後に広がる荒漠たる頽廃があるといえる。

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