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2007年5月 1日 (火)

身の死するを怨み、心の死するを恨まない時代

 卑怯者たちが蠢く現代日本。

 卑劣なる利己主義、怠惰なる精神、弛緩せる生活。

 男がここまでダメになってしまった時代が又とあろうか。

 確かに、男が男として生きにくい時代ではある。男らしくあることが蔑まれ、疎まれる現実がある。

 卑怯ものたちのように、うまく世間の影に逃れて、男としての義務を回避し続けた方が、処世術としては余程賢いとはいえよう。

 しかし、そのような偽りの賢さに何の価値があろう。

 人間一度は死ぬのだ。死を賭して守るべきもの、「武士の一分」というものが、あってもよかろう。

 江戸時代、薩摩藩で、卑怯者といえば、命のやり取りになる位の侮辱として受け取られるものであった。それほど恥ずかしいレッテルが卑怯者という言葉なのである。その言葉を、今、日本中の全ての男子に対して発するのは、膾切りにされても文句は言えないほどの恐るべきことではあるのだ。しかし、そんな男が一人でもいるなら、まだ今の世は救われるものだと思う。ある意味、高を括ってこの言葉を吐いている。そんな腹の決まった奴が、いるはずがない、と。

 三島由紀夫の思想的遺書と言われる「革命哲学としての陽明学」という一文がある。昭和46年1月発表されたものである。明の時代、王陽明が創始した陽明学は、妥協を許さぬ行動哲学である。三島氏が引用した中に「身の死するを怨まず、心の死するを恨む」という一文がある。

 現行憲法が至高の価値とする「生命尊重」。しかし、それだけで国家や社会が成り立つということは有り得ないのだ。この「生命尊重」という価値に真っ向から対立した場に身をおく職業が、警察官や消防署員、そして自衛官などである。また本来的な意味からすれば公務員は一般にそのような場に自らの身をおく存在であるだろう。彼らの献身的な働きなくして、安全で平和な暮らしが守られるということはない。残念ながら、世の中には犯罪者は後を絶たず、自然災害も起こるものであり、また他国からの侵略は現在でも日々繰り返されているのである。

 心の死んで体だけが活動するゾンビ蠢く現代日本。その醜悪さは曰く言い難いものである。

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