« 自民党は党として自殺しようとしているのか ~衛藤晟一(えとうせいいち)氏への仕打ち~ | トップページ | 許すまじ「サンダーバード」内のレイプ事件 »

2007年4月23日 (月)

長崎市長選における「世襲批判」への疑問

 統一地方選が終了し、世情もこれでようやく落ち着くことになる。

 色々なことがあったが、何よりも衝撃的であったのは、やはり長崎市長選である。

 現職の市長が、選挙事務所前で銃撃され、死亡するという極めつけの異常事態が発生したのである。

 それを受けて、亡くなった伊藤一長市長の娘婿が、急遽市長選に立候補し、無念を晴らすとして戦った。違和感がないではなかったが、大方の流れは決まるのではないか、と思っていた。

 ところが、蓋を開けて見ると、全く別の人が当選していた。票差は933票と極めて僅差である。それで、どうも腑に落ちない。このもやもや感を何とか表現したいと思う。

 この勝利した元市職員課長は、「世襲批判」を打ち出して、「世襲は是か非か」と、選挙の争点を提起した。ある意味判りやすいが、「世襲」という言葉は、選挙なしで血縁関係(あるいは縁故関係)によって世代交代がなされることである。それ自体は善でも悪でもない。しかも、選挙である。選挙で戦って勝つということは、市民から直接信任されることであって、「世襲」ではない。それがたとえ故市長の悲運への同情であってもである。

 今回の長崎市長選について言えば、伊藤市長が生きていれば、現職の強みもあり、当選は相当程度確実であったと思われる。市民も、伊藤市長のこれまでの実績の延長線上の施策を望んでいたに違いない。その意味で、実は「伊藤市長の遺志を継ぐ」として、「精神的な世襲」を標榜した娘婿の出馬には、一つの意味があった。

 それは、彼が当選した場合には、市民の意思として、「故伊藤市長の政策を継承すること」を条件とされたとみなされるからである。仮に政策を変える場合にも、故伊藤市長の遺志を無視することは出来ないだろう。

 しかし、当選した市職課長はどうだろうか。

 彼はフリーハンドを手にしたのである。

 彼は自ら表明しているように、伊藤市長の政策を継承するとは言ってない。彼がどのような政策を構想しているのかについて、選挙戦で語られたのかどうかは部外者にはわからないが、「世襲、是か非か」というわかりやすい二分法のフレーズが大きかったことは間違いない。しかも、「伊藤市長の長崎市への愛は継承する」として、あたかも故伊藤市長の何かを継承するかのような錯覚を覚えさせることを言っているが、卑しくも市長に立候補するものが、その市を愛していないということはあってはならないことではないのか。つまり、当たり前のことを、政治的パフォーマンスで最大限利用しているのである。「変えるべきところは変える」というが、その「変えるべきところ」というのは、故伊藤市長の政策への批判であろう。そこには当然政策論争がなければならないが、伊藤市長はもはや何も言えないのだから、論争になるはずもない。

 「世襲是か非か」というのは理屈である。決して道理ではない。

 「故伊藤市長の遺志を継承する」は、条理兼ね備えた決意である。少なくとも、具体的な姿がある。

 もう一つ疑問を呈すれば、たった3日間でよくもまあ選挙を戦えたものだ。市職員という彼の身分を考えると、背後にある巨大組織「市職労」が想定される。最近は、「勝手連」という形態がはやりだが、言っちゃ悪いが、「勝手」にやっているというのは名ばかりで、様々な組織がそれを動かしているというケースが殆どなのが実情である。そのことを考えれば、「勝手連」という隠れ蓑の裏に何があるのかは不気味である。

 長崎市長選が教えるのは、日本人が理屈で動くようになったという一時である。頭で動くようになったといってもよい。頭が理屈で説得されれば、心がどのように感じていようともその判断には従わないのである。これは、日本人の変質といってもよいと思われる。こちらの方がむしろ空恐ろしい気がするのである。

 そして、長崎市民は、伊藤市長を失った。そして、故伊藤市長をも失ったのである。

 最早、伊藤市長の時代にはそのような政策は取らなかった、という批判は通らない。なぜなら、選挙で「故伊藤市長の遺志を継ぐ」とした候補を落とし、「故伊藤市長の長崎市への愛は継ぐが、政策は別だ」という候補を選んだのだから。

 おそらくこれから起こることは、伊藤市長の市政への批判であり、あるいは暴露であろう。そして、幻滅と怒りを呼び起こしたところで、全く異質な新し気な政策をやってみせるのではないか。一種のミニ革命劇が見られる、そのような気がするのである。勿論、思い過ごしであれば、それに越したことはないが。

|

« 自民党は党として自殺しようとしているのか ~衛藤晟一(えとうせいいち)氏への仕打ち~ | トップページ | 許すまじ「サンダーバード」内のレイプ事件 »

コメント

 補足で書いて見る。
 伊藤市長の娘婿である横尾氏が大阪府出身であり、長崎との接点がないということが敗因の一つであったという指摘がなされている。

 また、伊藤市長の娘、優子さんは、「ご支援いただいて本当にありがとうございました。父伊藤一長はその程度の存在でしたか? 伊藤一長、浮かばれないと思います。父が愛する長崎でこのような仕打ちを受けるとは本当に思いませんでした。ごめんなさい、こんなこと言って。申し訳ない」
 と述べたということである。気持ちはよくわかる。しかし、ではなぜ自分が出馬するということを考えなかったのか、とも思う。しかし、それこそ市長の椅子はそんなに軽くはないだろう。


 当選した田上氏が述べた「長崎のまちは長崎のもんでつくりましょう」と述べているが、地方都市としては確かに受けるであろう。

 一つ指摘されていいのは、もう一つの平和都市の市長も、広島の出身ではないということである。一応東京ということになっている。出身地と平和都市は少なくとも東においては関係がなさそうである。

 横尾氏が出馬会見の席上で、ニヤニヤしているように見えたのが悪かった、という指摘もあるのだそうである。

 にやけているように見えたことが敗因の第一?そうだとすれば、何か上に書いたことが馬鹿みたいに思えてくる。

 確かに、選挙は一筋縄ではいかない。

 それ以上に、選挙は遊びではないのだ。単なる印象だけで投票行動を決める「市民」によって市政の最高責任者の首が決まるとならば、それは単なる衆愚政でありパフォーマンス政というに過ぎない。

 念のために、私は横尾氏になんら同情しているわけではない。ただ、「伊藤市長の遺志」というものが踏みにじられている様子が、何となく許せないと思ったに過ぎない。

投稿: 橘 正史 | 2007年4月24日 (火) 午前 12時03分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/86795/14826621

この記事へのトラックバック一覧です: 長崎市長選における「世襲批判」への疑問:

» ツキを運ぶ人?・・感謝!! [感謝する事の意味]
田上長崎新市長は長崎市にツキを運ぶ人? [続きを読む]

受信: 2007年4月24日 (火) 午後 10時45分

« 自民党は党として自殺しようとしているのか ~衛藤晟一(えとうせいいち)氏への仕打ち~ | トップページ | 許すまじ「サンダーバード」内のレイプ事件 »