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2007年4月13日 (金)

昭和天皇をお偲び申し上げて

 平成19年4月29日は、記念すべき「昭和の日」である。

 平成19年にしてようやくこの日を迎えることが出来ることは、感慨深いものがある。

 平成生まれの子供たちが今年3月、高校を巣立っていった。昭和を知らない世代が社会の一員として登場してくるのだ。この時にあたり、昭和という時代がどのような時代であったのかを、若い世代にも深く知ってもらいたいものと思うのは、恐らく年配の方々の多くの思いではなかろうか。

 しかし、昭和の歴史については、昭和20年8月15日の敗戦を境として、前後に裁断された認識が幅を利かせている。我が国の歴史始まって以来始めて外国に負けて本土を占領されるという屈辱を受けたのだから当然といえば当然なのかも知れないが、独立を回復し、経済的な復興をしても、精神的にはまだまだ傷跡は癒えないということなのかも知れない。

 近年、ようやく歴史の見直しが広く浸透してきて、それと同時に、いわゆる自虐史観をバックボーンにした政治勢力は著しい後退をしている。特に顕著なのが社会党であり、往時の勢いは見る影もない。共産党も看板の「赤旗」も半減し退潮傾向は止まらないようである。しかし、問題は、薄められた左翼主義が、保守政党であるはずの自民党を深く犯していることであり、かつまた民主党をも色濃く染め上げていることである。

 平成の時代は、日本の国の姿が揺れ動いている時代ということも出来るかも知れないが、昭和の負の遺産が精算されていないことがその大きな原因であることは間違いないであろう。

 昭和の時代は、西暦で言えば1925年から1989年という極めて長期間に亘っており、その前と後では世界全体が一変した観がある。昭和天皇という御人格なくして「昭和」という時代をひとくくりにすることは不可能といってもよいだろう。世界の歴史にも稀に見る御人格であり、これほどの激動を潜り抜けてきた君主は世界のどこにもないといってよい。かつまた、その無私の御足跡も顕著であり、この天皇の御世に生を受けたことをただ喜ぶ他はない。

 平成の時代は、ある意味昭和の歴史以上の苦難の歩みであるように思われてくる。昭和の時代には少なくとも日本国民が日本国民であったが、平成の民は日本国民であることを止めようとしているとしか思えない。「美しい国日本」の再建は、国民精神の回復以外にはないように思えるのである。「美しい日本」などと言えば嘲笑する人々が少なくないのである。彼らの中には「美しい日本」は最早存在しないのであろう。結局、国は心の中に存在するものである。「美しい日本」も、国民の心の中に宿るものである。嘲笑する人々は、自分の中に「美しい日本」がないことを証明しているに過ぎない、哀れな浮浪の民に過ぎないのだ。

 昭和の時代を振り返ることは、決して後ろ向きなのではない。これから前に進むにあたって、足元を見定めて大きく羽ばたくために必要なことなのだ。だからこそ、平成生まれの若い世代に、昭和天皇の御足跡を知ってもらいたいと思うのである。

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