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2007年4月28日 (土)

卜部日記の「A級戦犯御意に召さず」報道について

 またぞろ昭和天皇がいわゆる「A級戦犯合祀」に反対だった、とも取れる記述のある侍従の日記が公表された。

 平成14年に78歳で逝去された卜部氏は大正13年生まれと思われるので、終戦時21歳と推定される。

 問題の「靖国神社の御参拝をお取りやめになった経緯 直接的にはA級戦犯合祀が御意に召さず」というものである。平成13年7月31日にある記述だということである。

 それ以前に「長官拝謁のあと出たら靖国戦犯合祀と中国の批判・奥野発言のこと」という記述が昭和63年4月28日にあるという。

 後者は、元宮内庁長官の冨田氏のメモに符号する、という指摘をしている新聞もある。

 しかし、この二つの記事の間には14年の隔たりがある。特に、明確に「A級戦犯合祀が御意に召さず」と記した記事は平成13年になってのことである。この隔たりをどう考えるかということを思うのである。

 こうしたことを論じるには、まだまだ断片的であり、昭和天皇がご晩年にどのような御思いをかこっておられたのかについては軽々しく判断は出来ないと思う。

 産経新聞の4月27日の記事に抜粋されている日記の要旨を見ると、生真面目な昭和天皇の面影が彷彿と蘇ってくるようにも思われる。また、御晩年に至っても尚ご公務に尽くされようとされるお姿が浮かび胸を締められる思いがするのである。

 卜部侍従の生きた年代は戦前に人間形成をしたとはいえ、敗戦・占領・戦後という激動の歩みを20代から30代という時にすごしていることを考えねばならないように思われる。いかなる人物であったのか。昭和44年12月から平成14年2月まで毎日丹念に記したとされる日記を、生前、朝日新聞に託したとされている。

 それにしても、御晩年の昭和天皇は、このような側近に囲まれていたのか、と改めて痛々しい感じがしてならない。

 そして、今上陛下の周囲におられる側近の方々はどうなのであろうか、ということが思われてくる。平成に入ってからの様々な不祥事を思い起こすと、平成の皇室をお守りする側近の責任は充分に果たされてきたのか、考えざるを得ないようにも思われてくる。その兆しは昭和天皇の御晩年にあったということである。

 猪瀬直樹氏が、昭和天皇は満足して目を閉じた、というようなことを書いていたが、全くの見当違いだと思う。彼は「ミカドの肖像」で世に出た評論家であり、天皇を論じて飯を食ってきた男である。単なる左翼ではないが、冷たくじろじろ見回す視線は、決して生身の人間の目ではない。三島由紀夫を論じた「ペルソナ」を読んだときに似たような感想を抱いたが、氏の本質であり限界であるのだろう。

 昭和の日を迎えるにあたって、昭和天皇の「御無念」ということを思わざるを得ないのである。勝手な憶測は控えるが、今の日本に対して憂慮されておられるに違いないと思うのである。

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