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2007年3月18日 (日)

木を見て森を見ず

 私のやうな感じ方は、「皇室の本質に全く無知な者」なのだと、中島氏の著書の中で断罪されてゐる箇所に出会つた。

 確かに、無知なのだらう。中島氏のやうに、深く 皇室の歴史と伝統を学び、皇室の本質を知つた人物の言なのだから、きつと本当なのだらう。

 私は無知なままに、「女系天皇」は「天皇」ではない、と信じた。

 皇室に姓がないから、どのような血統の人物が皇室に入らうが、たとえ蘇我氏だらうが、藤原氏だらうが、平氏だらうが、はたまた徳川氏だらうが、皇室の「外戚」でなく、「内戚」(といふことばがあるかどうかは無知にして知らぬが)にならうが、皇室の「本質」には改変はない、という氏の深遠なる認識に至ることは出来なかつた。

(歴史の事実では一般に、「外戚」にはなつてゐるが、「内戚」の例はない、との認識である。無知なる私の狭い了見の範囲である)

 おそらく、私同様に、皇室に無知な、多くの国民も、氏の深遠なる認識に立ち至ることは出来ないであらう。

 いや、私がとりわけ無知なのであつて、多くの「女系」容認の国民は、氏同様叡智に満ち溢れた、立派な人々なのであらう。

 神聖無比の 皇室を、 一般庶民の家庭と混同するやうな感覚は、無知のなせる業なのであらう。

 「週刊誌天皇制」は誤りであり、「開かれた皇室」はもっての他であらう。皇室を一般庶民と混同させるやうな、上記のやうな風潮は、(もしあるとするならば)けしからぬことであらう。しかしながら、氏のやうに叡智に満ち溢れた多数の国民にとつては、全く問題とならぬ事柄なのであらう。

 

 

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