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2007年3月

2007年3月28日 (水)

統一地方選真っ只中・・・・

 今年は選挙の年である。統一地方選、参議院選挙。

 大体が、係わり合いを持ちたくないというのが本音なのだが、そうも言っていられない。

 絶対に落とさねばならない人もいれば、どちらでもよい人も多い中、この人だけはどうしても通ってもらわねば、という人もいる。

 大体、何人の人にそう思わせることが出来るかどうかで勝敗も決するものなのだろう。

 ちょっと見た目がよいというだけでどっと女性票が流れる。あいつは生意気だといううわさが立てられるだけでどっと反感が広がる。親父の遺恨を晴らすといって政治的信念とは何ら関係のないところの情念だけで同情票が流れる。面白いものだ。民主主義の限界ともいえるだろうし、一票の信じられない軽さへの不信のなせる業か、戦後、投票率の下落振りは著しい。

 投票率30%台で決まった首長に本当に信頼がよせられたといえるのか。

 いわゆる「民主教育」がなされて60年。その成果の成れの果てがこの荒廃しきった選挙への姿勢である。色々と国に文句を言うのもよいが、せめて一票を投じるという行動を自ら起こしてからやるべきだと思われる。

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2007年3月21日 (水)

卒業式の日に

 昨日は全国的に小学校の卒業式で、知人の次男も卒業式でした。

 やや寒い一日でしたが、これから花の季節に迎います。卒業した皆さんの人生もまた花咲きますように。

 これからの日本を背負う皆さんが元気に育ちますことを心から念願いたします。

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2007年3月18日 (日)

木を見て森を見ず

 私のやうな感じ方は、「皇室の本質に全く無知な者」なのだと、中島氏の著書の中で断罪されてゐる箇所に出会つた。

 確かに、無知なのだらう。中島氏のやうに、深く 皇室の歴史と伝統を学び、皇室の本質を知つた人物の言なのだから、きつと本当なのだらう。

 私は無知なままに、「女系天皇」は「天皇」ではない、と信じた。

 皇室に姓がないから、どのような血統の人物が皇室に入らうが、たとえ蘇我氏だらうが、藤原氏だらうが、平氏だらうが、はたまた徳川氏だらうが、皇室の「外戚」でなく、「内戚」(といふことばがあるかどうかは無知にして知らぬが)にならうが、皇室の「本質」には改変はない、という氏の深遠なる認識に至ることは出来なかつた。

(歴史の事実では一般に、「外戚」にはなつてゐるが、「内戚」の例はない、との認識である。無知なる私の狭い了見の範囲である)

 おそらく、私同様に、皇室に無知な、多くの国民も、氏の深遠なる認識に立ち至ることは出来ないであらう。

 いや、私がとりわけ無知なのであつて、多くの「女系」容認の国民は、氏同様叡智に満ち溢れた、立派な人々なのであらう。

 神聖無比の 皇室を、 一般庶民の家庭と混同するやうな感覚は、無知のなせる業なのであらう。

 「週刊誌天皇制」は誤りであり、「開かれた皇室」はもっての他であらう。皇室を一般庶民と混同させるやうな、上記のやうな風潮は、(もしあるとするならば)けしからぬことであらう。しかしながら、氏のやうに叡智に満ち溢れた多数の国民にとつては、全く問題とならぬ事柄なのであらう。

 

 

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「皇位継承を考える―男系主義への疑問」への疑問

 昨年の最大の出来事は、悠仁親王殿下のご誕生ではなかつただらうか。

 小泉首相(当時)が聖域なき構造改革を掲げて、その改革の情熱を 皇室「制度」にまで及ぼし、皇位継承の原則を拙速に変更する「皇室典範」改変を企図し、その法案を国会に上程しようとした直前に、秋篠宮妃殿下のご懐妊の報が小泉首相(当時)の下にもたらされた。それ以降の小泉首相(当時)は、それまでの強硬な改正既定路線を引っ込め、9月のご誕生をお待ちする、という方向に転換した。

 皇位継承といふ、最も大切な、歴史と伝統の機微に触れた事柄は、日本人ならば、軽々しく議論すること自体が憚られる問題である。

 私も数ならぬ名も無き民草の一人であり、何の専門的な研究をしたわけでもない、一介の草莽の分際で、偉そうな議論をしたいとは思つてもいなかつた。他の問題ならいざ知らず、皇室に関する事柄について、軽々しい議論はしたくは無かつた。男系「主義」などといふ言葉にも、分類されればそうに違いないかもしれないが違和感を感じざるを得ない。

 そもそも、愛子内親王殿下がご誕生になられたころから、下世話にも、愛子様を天皇に、という話しは口にされることがあつた。当時、ある尊敬すべき先輩と、抜き差しならぬ議論になつてしまつたことがあつた。私の考え方はそのときから知識の量は蓄積されたかもしれないが、一貫して変はつてゐない。迂闊なことには、当時は単なる下世話な話で済んでいたものが、それこそ抜き差しならぬ国会への法案上程という具体的な政治課題として浮上してきたことにより、色々な賛成論・反対論に触れた後でも、基本的な考え方、感じ方にはいささかの変化もないのである。その意味で、ことこの問題に関して、自分は他者の考え方に賛成・反対を問はず、影響されたものとは自分を省みて思はないのであるが、その当時の抜き差しならぬ議論とは何かといへば、先輩は、愛子様の即位に賛成であつたが、自分は断固反対だつたといふ一事である。

 理由は、愛子様が即位されるといふことがあつたとしたら、歴史上その例はないことはない。しかし、愛子様がどなたかと御結婚なされて、そのお子様が次ぎをお継ぎになられるというような例は歴史上類例がないこと。(当時そのように認識しており、現在も基本的にその事実認識は変つていない。)
 もしそのようなことになつたとき、果たして自分は、素直に心の底から「天皇陛下万歳」と申し上げることが出来るであろうか。そのような改変が果たして行はれてよいものなのか。
 このような問ひかけを自らに行ふものであつた。これは仮定の話ではあるが、そうではあつてもこれは根本原則の変更ではないのか、といふことを感じた。それでつい断固反対といふようなことを言つてしまい、座が白けてしまつたのであつた。残念ながらその後、その先輩は事故で急逝されてしまつたので、今、改めて話すことは出来ない。

 一昨年から昨年3月にかけての保守論壇が沸騰したかのやうな議論の洪水に、一々全て目を通したわけではない。相当数出版された本の全てに目を通した訳ではない。それでも、「有識者会議」報告書は発表された直後に全文を丹念に目を通した。そのときの感覚は「愛情に欠けた」「誠意のかけらもない」「悪意に満ちたもの」であり、結論以前の全体に対して「背筋が寒くなる」感じを持つた。

 あれだけ議論が沸騰した背景にある政治状況を考へるならば、いわゆる「男系」を守ることが皇室をお守りすることであると思ふ立場に立てば、当然といつてよい反応ではなかつただらうか。あのときは、もし法案が通過した場合どうすればよいのか、といふことまで真剣に考へたものだ。実際にその法を発動しなければならない時期まで予想される時間、その法を再改変させるべく一貫して議論し続けることしかないとも考へた。状況は絶望に近かつた。

 女系でも皇室をお守りしたことになる、と思ふ立場に立てば早く法案を成立させた方がよいといふことになる。皇位の安定的継承のための法律であり、いわゆる「女性宮家」の制度を創出しても、内親王様方が皇籍離脱された後では意味がないといふことから、これも時間がないという切羽詰まつたものであるはずだからだ。しかし、いわゆる「男系」派ほどの危機感があつただらうか。確かに女系容認派の論客は当時もいわゆる「男系」派を指弾してゐたが、法案は通ると思ひ、「油断」していたのではないのか。

 いわゆる「男系」派的な議論をする人々の中に、品格が疑はれるやうな発言をする人々がいたことは事実であらう。そうした中で、その「運動」に対して眉を顰める「良識的」な人々もいたであらう。

 短絡といはれるかもしれないが、幕末の志士といはれる人々には、当時の所謂良識派(「公武合体論」者も含め)からみれば眉を顰めざるを得ない人物は大勢いただらうと思はれる。生きて動いていく動乱の中にあつては、多くの間違いや錯誤もある。しかし、国の本質にかかわる事柄に対して、その渦中にあつて、「冷静に」「慎重に」といふばかりで自ら火の粉を被るでもなく、超然としてゐることが果たして「正しい」ことなのだらうか。それぞれが己の信じた所を貫くこと、それは言葉の上だけのことではない。

 あのとき、皇室の歴史と伝統についての基本的な知識を身につけている人物が国会議員の中に、あるいは政府・与党の中にどれだけいたのか。

 あのとき、あるいは現在只今の時点において、皇室の歴史と伝統についての基本的な知識を身につけている国民はどれだけ居るのか。更に一歩踏み込んで、日本人としての感受性を保ち得て、知識だけではない心からの認識を把持してゐる人がどれだけゐるのか。

 日本人が日本人としての資質を蝕まれ続けて一体どれだけの年月が経過してしまつたのか。

 明治維新以後の歴史の中で、殊に敗戦後において、日本人本来の感受性がどれだけゆがめられてきたのか。

 著者が、女系・女帝容認の立場に立つてゐることは明らかであるが、秋篠宮家のご慶事を、「「男系派諸君!いまこそ冷静になつて継承論議を深めなさい」との啓示であつた」と、いわゆる「男系」派ばかりが「冷静」でなく、浅薄であつたやうにいふのは同調できない。「冷静」でなく、浅薄でもあつたのは、いわゆる「男系」派がそうだといふならば、同様に(あるひはそれ以上に)「女系容認」派も、「冷静」でなく、「浅薄」でもあつたと、私は思ふ。そして、そうした「生活」に「関係のない」ことに熱を上げるものを尻目に、自分のことにしか感心を持たない多くの国民は、この問題に対して「冷静」であるかも知れないが、決して「深い」わけでもなからう。

 当時の議論の字面のみを追つて、なぜこのやうな所謂「保守」を真っ二つに分断するやうな議論になつたのか、「男系」「女系」などの概念を使つて説明するのはそれほど難しいことではなからう。しかしそれは影であつて、事の本質ではなく、また、本質を論じたことにもならないと私は思ふのである。

 同時代に生きていても、見ている「現実」は一人一人が皆違ふ。トータルファクトたる「真実」(全ての事実を寄せ集めて真実になるかどうか、心もとないが)に基づいて、神の如くに無謬なる判断を下そうなど、人の身としてよく及ぶところではない。

 悠仁親王殿下がご即位される可能性はあるものの、皇太子殿下に皇孫殿下がお誕生にならないとはまだ断言できることでもなく、仮定の議論を無責任に論うべきでもないと思ふ。本当に議論し得る資格を持つ専門家が、慎重に議論を尽くして、最後には、天皇陛下に御裁可を仰ぐといふ道をつくること。それが、臣下としての道ではなかろうか。

 敗戦後の占領軍による皇室弱体化政策を、清算することなく、現在まで頬被りしてきた日本の「保守」政治家の責任は計り知れない程に重い。昨年成立した「皇室の伝統を守る国会議員の会」が、いたずらな議論をするのでなく、国民の代表としての分限を弁へ、「聖断」を仰ぐ回路を回復する道をこそ、模索して頂きたいと思ふのである。「男系」論も、もちろん「女系容認」論も、臣下が判断すべきことではない。それが、私の現時点における結論である。

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2007年3月16日 (金)

昨年12月来日したインド首相の国会演説の詳報/マスコミが伝えない親日国インド首相の声/伝える情報よりも伝えない情報でマスコミの偏向度がわかりますね

以下のブログを拝見して、感服いたしました。

スクープ! マスコミがひた隠す、マンモハン・シン・インド首相の親日マル秘?演説原稿

昨年12月14日に、来日したインドのマンモハン・シン首相の演説内容について、上記のブログからなぜマスコミが報道しなかったのかについてのポイントを引用させて頂くと、

◎インドが賠償を放棄したこと→ゆすりやかりの某国と違いが際立つ
◎パル判事の名前が出ていること→「東京偽裁判」がまやかしであった
◎ネルーが日本に学ぼうとしたこと→日本がアジアの手本であったことがバレる
◎岸信介に感謝していること→意図的に岸の功績を貶めていたことがバレる
◎日印防衛協力に言及→某国の逆鱗に触る

ということでした。

全文の日本語訳と英語原文をアップしておられますので、是非ご一覧下さい。

また、衆議院のHPでは、よくわからないように映像がアップされていることを示唆しておられましたので、指示に従って探してみましたので下記でご覧下さい。

マンモハン・シン・インド首相夫妻歓迎会

以下、上記ブログからコピーさせていただきました。

マンモハン・シン・インド首相演説
2006年12月14日
東京

河野洋平衆議院議長閣下
扇千景参議院議長閣下
安倍晋三内閣総理大臣閣下
衆議院議員ならびに参議院議員の皆様
著名な指導者の皆様ならびにご列席の皆様

 この威厳のある議会において演説の機会を得ましたことは栄誉なことと認識しております。我々二カ国の国民が互いに寄せる善意と友情の表れです。
 ご列席の皆様
 日本とインドは文明的にも近い国であります。我々の最も古い絆を形成するのが、共通する遺産でもある仏教です。二つの文化は歴史を通して交流し、豊かさを増してきました。1000年余り前、インドの僧侶ボディセナ(菩提僊那)は、東大寺の大仏開眼供養に参列するため奈良を訪れました。近代においては、タゴールと岡倉天心が、アジアの偉大なる両国の間に理解の新しい架け橋を築きました。
 科学技術の発展に基づく明治維新以降の日本の近代化と、戦後に日本再建の基となった活力と気概は、インドの初代首相であるジャワハルラル・ネールに深い影響を与えました。ネール首相は、インドが日本と緊密な絆を結び、その経験から学ぶことを望みました。
 インドが日本からのODA(政府開発援助)の最初の受益国になるよう尽力されたのは、当時の岸信介総理大臣でした。今日、インドは日本のODAの最大の受益国であり、こうした援助に我々は深く感謝しております。
 日本の工業は、自動車や石油化学などインド産業の発展のために貴重な役割を果してきました。90年代の初頭、インドが深刻な経済危機に陥った時期、日本は迷うことなく支援し続けてくださいました。
 1952年、インドは日本との間で二国間の平和条約を調印し、日本に対するすべての戦争賠償要求を放棄しました。戦後、ラダ・ビノード・パル判事の下した信念に基づく判断は、今日に至っても日本で記憶されています。
 こうした出来事は、我々の友情の深さと、歴史を通じて、危機に際してお互いに助け合ってきた事実を反映するものです。
 日本を訪れるたびに、お国の発展を見て真に鼓舞され、寛大さに心を打たれます。私は、1992年の訪日を決して忘れることがないでしょう。それは、インドの財務相として初の両国間の訪問でした。
 1991年に前例のない経済危機に対処した際、日本から送られた支援に謝意を述べるための訪日でした。古い型を打破し、グローバル化しつつある世界での競争に備えるべく経済を開放し、新たな前進への道を乗り出す機会を、あの危機は我々に与えたのでした。当時、弾力性や献身といった長所、あるいは逆境にあって如何に機会を創造するかといったことを日本から学ぼうとして、我々は日本に目を向けたのでした。
 新生インドの首相として、今日、私は日本に戻ってまいりました。過去15年間、インド経済は年率平均6パーセントを上回る成長を遂げてきました。近年は一層弾みがつき、成長率は年間8パーセント以上に加速しています。現在、インドの投資率は対GNP比で30パーセントに相当します。1990年代初頭に立ち上げた広範な経済改革の結果、インド経済は、経済のグローバル化と多極化の進む世界の出現によってもたらされた課題やチャンスを受けいれる柔軟性を身につけました。
 インドは、開かれた社会、開かれた経済として前進を続けています。民主的な政体の枠組みの中でインドを変容させようとする我々の努力が成功を収めることは、アジアと世界の平和と発展にとって極めて重要です。これまでに、10億を超える人々が民族や文化など多元的な要素を抱えた民主主義の枠組みの中で貧困を撲滅し、社会と経済を現代化しようと試みた例は全くありません。
 インドは、現在、持続的な高度成長の波に乗っていると思います。サービス主導型かつ技術先導型の経済によるグローバル経済との統合という新しいモデルを開発してきました。今日、インドは、情報技術、バイオテクノロジー、医薬品など、知識を基礎とする分野で主要な役割を担う国として台頭してきました。道路、鉄道、電気通信、港湾、空港などから成る物理的および社会的インフラを拡大し現代化するため、大規模な投資が行われています。こうした発展は、インドの製造業の競争力と生産性を大いに高めるでしょう。
 インドと日本が両国間の結びつきを急速に発展させるための土台は、こうした経過と国際的な筋書きの変化によって生まれました。二つの古代文明にとって、戦略的かつグローバルな関係を含む、強固で今日的な関係を構築する時が到来したと思います。それは、アジアと世界にとって大変重要な意味をもつでしょう。
 我々は、自由、民主主義、基本的権利、法の支配という普遍的に擁護された価値を共有するアジアの二つの大国です。両国間に存在するこの共通の価値と膨大な経済的補完性を活用し、互いに相手国を最重要と認める強固なパートナーシップを築いていかなければなりません。
 また、新たな国際秩序の中で、インドと日本は国力に見合った均衡の取れた役割を演じなければならないという点でも、考え方を共有しています。日印間の強い絆は、開かれた包容力のあるアジアを構築し、地域の平和と安定を強化するための重要な要素です。
 経済関係が二国間関係の基盤となるべきであり、この分野での結びつきを強力に推し進めることが必要です。日印間の貿易や投資は、到底その可能性を発揮しているとはいえません。それとは対照的に、インドと中国、インドと韓国の貿易は好調で、昨年は両国との貿易がおよそ40パーセントの伸びを示しました。中国との貿易は日印貿易の3倍近くに膨らんでおり、韓国との貿易も日印貿易とほぼ肩を並べています。
 経済協力の可能性を十分に生かすには、両国の政府、経済界、産業界の積極的な努力が必要です。
 将来、このパートナーシップを築くことができる最も重要な分野は、知識経済であると信じています。両国の経済構造、比較的得意な分野の均衡状態、人口動態の違いなどを考えれば納得できるでしょう。
 科学技術の分野でも、ナノテクノロジー、バイオテクノロジー、生命科学、情報通信技術といった将来の成長分野での提携を加速させていく必要があります。インドのソフト産業と日本のハード産業は、相乗効果を活用しながら発展しなければなりません。
 心ある賢人同士のパートナーシップは、人事の交流をより盛んにすることを意味します。私は、インドにおいて日本語を学ぶ学生の数が増えることを願っています。日本語は、既にインドの中等教育で外国語の選択科目として導入されています。明日、安部総理大臣と私は、「将来への投資構想」を立ち上げます。今後数年の間に何千人ものインドの若者が日本語を学ぶことができるようにしたいと望んでいます。
 相互が関心を持っているもう一つの分野は、エネルギーの安全保障です。アジア地域全体として、エネルギー供給の安全を保障し、エネルギー市場を効率的に機能させることが必要です。
 我々は貿易とエネルギーの流れを確保するために、シーレーンを保護することを含めた、防衛協力の促進に同等の関心をよせています。
 日本と同様にインドも、増加するエネルギー需要に対応するため、原子力が現実的でクリーンなエネルギー資源だと考えています。これを実現させるために、国際社会による革新的で前向きな取り組みが軌道に乗るよう、我々は日本の支援を求めます。
 テロは平和に対する共通の脅威で、開かれた我々の社会の調和と組織を脅かします。テロには多くの側面があり、その原因も多様で、地理的な境界も無視されるという複雑な問題なのです。我々が力を合わせないかぎり、テロとの戦いには勝てません。
 私は、国連と国連安全保障理事会が今日の情勢に対応できるものになるよう、その活性化と改革に向けて両国が協力してきたことをうれしく思います。両国は国連とさまざまな国連関係機関の効率強化に関心を持っています。この意味において、今、我々が置かれているグローバル化された世界で、各国の相互依存関係を秩序正しく公正に運営していくべく、両国の協力関係を強化しなければなりません。
 アジアで最大の民主主義国と最も発達した民主主義国である両国は、お互いの発展と繁栄に利害関係を有しています。我々は、インドの経済環境が投資のしやすいものになるよう努める決意です。日本企業に是非インドにおけるプレゼンスを拡大していただきたいのです。安部総理大臣と私は、二国間の投資、貿易、テクノロジーの流れを増大させるべく、包括的経済連携協定の締結につながる交渉を開始します。
 我々のパートナーシップは、アジア全域に「優位と繁栄の弧」を創出する可能性を秘めています。それは、アジア経済共同体の形成の基礎となるものです。
 こういった日印間のパートナーシップを拡大させたいという希望や抱負は、あらゆるレベルでの交流を増すことによってのみ現実のものとなります。我々はハイレベルでの「エネルギー対話」を設置することで合意していますが、このような機会がさらに多くの分野で設置されるべきであり、とりわけ貿易と産業分野では不可欠です。
 ご列席の皆様、
 いかなる戦略的パートナーシップにおいても、その礎となるのは人々の友情です。日本の若者の間で映画『踊るマハラジャ』が人気を博していると聞き、うれしく思っています。インドの子供たちは、日本のロボット『踊るアシモ』を見て歓声を上げていました。また、日本ではインド料理店の数が驚異的に増えているようですし、インドでも寿司と天婦羅への人気が高まってきたことは間違いありません。
 2007年は日印友好年であり、日印観光交流年でもあります。さらに、両国を結ぶ航空便の大幅な増便も望んでいます。老いも若きも多くの日本人がインドを訪れ、古代と現代のインドが放つ数多くの輝きをご自身の目で見てほしいと思います。
 インドと日本の新たなパートナーシップという構想は、本日、その決定的瞬間を迎えました。私の訪日はこの構想を具体化するためであり、21世紀をアジアの世紀にするために我々が努力して演じている役割に、将来の世代が感謝することができるようにするためなのです。
 ご清聴、ありがとうございました。

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2007年3月13日 (火)

晴れて「昭和の日」を迎える今年

 昭和の日制定記念シンポジウムが開催される。

 平成19年4月4日(水) 文京シビックセンター・小ホール

 先着400名(無料)

 総合司会     桜林 美佐

 発 言 者     大原康男(国学院大学教授)
            長谷川三千子(埼玉大大学教授)
 コーディネーター 高森明勅(日本文化総合研究所代表)


 昭和天皇の御遺徳を偲び、昭和の正史を確立するための日としたい。

 ご参考 昭和の日ネットワーク

      昭和天皇

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教育基本法改正を生かす下位法の改正を!

 中央教育審議会が教育再生関連3法案の骨子となる答申をまとめたと報道された。

 教育再生3法とは次の3つである。

 1、「学校教育法」
 2、「教員免許法」(ほか)
 3、「地方教育行政法」

 どのように改正されるのか。

 1、学校教育法の改正の眼目は、新教育基本法に盛り込まれた教育の目的をきちっと反映させることにある。

 ○内容面では、規律意識、公共の精神や「愛国心」を盛り込むこと。
 ○運営面では、副校長、主幹、指導教諭の新設など、スムーズな管理運営体制の確立。

 2、教員免許法の改正の眼目は、教師の資質向上と、不適格教員の排除にある。

 ○10年期限の免許更新により、時代に合った資質・技能のスキルアップを図り、更新不可の教師は免許失効とし、不適格教員として教職を去ること。
 ○「不適格教員」の基準を明確にし、統一基準を策定することにより、人事管理を厳格にすること。

 3、地方教育行政法の改正の眼目は、国の教育委員会への指導権限の確立にある。

 ○文部科学大臣が、是正指示権限を持つことにより、著しく問題のある教育委員会に対しては国が指示できるようにすること。これは、「地方分権の流れに逆行する」という理屈で反対意見があったが、新教育基本法では、国が教育に責任を取るために関与することを定めており、「地方分権」とは別次元の問題であることをはっきりさせた意義は大きい。

 以上が骨子であるが、教育改革は一朝一夕にして成就するものではない。

 教育現場に巣食う抵抗勢力は手薬煉ひいてゲリラ活動を仕掛けようと待っているであろう。これらを徹底排除しなければならない。そのためにも、法律があいまいであってはならない。

 改正教育基本法の理念を具体的に実現するための法改正に躊躇があってはならないのである。

 今日も、各地で卒業式が行われたが、相変わらず国歌斉唱に着席したり、国旗を引き摺り下ろそうとする教師もいたやにきく。卒業式が行われる学校近くで過激派とおぼしき市民グループがビラを撒き散らしたりする事態も散見されるという。

 一刻の猶予もない、というのが強い実感である。

 4月に行われる学力テストは実に40年振りのことである。全国学力テストが日教組の闘争によってむちゃくちゃにされたことにより、日本の児童生徒の学力の状況について文部省が直接把握することが出来ないできたのである。当時日教組が取った戦術というのが、答案用紙の改竄などといった児童生徒の努力を踏みにじるようなことも含めて、あまりにも無法なものだった。組織率3割を切ったとはいえ、国民の監視の目がなければ何をするかわからないのが彼らの本質である。教育正常化の戦いは、まだまだこれからだといえよう。

 

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2007年3月12日 (月)

未履修問題で大量処分が出ましたが・・・

高校未履修問題の元凶は日教組だ! 

長尾誠夫氏が、上記の論文を、WILL 平成19年1月号に掲載された。

以前、このブログで何度かこの問題について触れてきたが、この記事を拝見して、更に意を強くした。

 教育現場の無法状態を一刻も早く克服すること。それが教育改革の最大の眼目である。それは、日教組と、日教組に育てられた無自覚な親たちの横暴を抑え、学校現場に秩序を回復し、真に次世代をはぐくむ教育の場として再生させることなのである。

 教育改革に取り組む内閣の出現は、千載一遇のチャンスなのである。教育の再生なくして、日本の再生なし。

未履修問題、政治決着だけでよいのか?

高校未履修問題 「調査書改竄は犯罪」の記事を読んで思うこと、二、三・・

再び、必修科目の未履修問題について

高校必修科目履修漏れ多発に見る遵法意識の欠如

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衛藤せいいち氏、自民党へ復帰!

 前衆議院議員の衛藤晟一(えとう せいいち)氏が、3月9日の自由民主党党紀委員会で、正式に自民党への復党が認められ、来る7月の参議院議員選挙に、全国区比例代表として出馬することが確定した。

 衛藤晟一氏(59歳)は、どのような政治家なのか。

えとう 晟一氏が語る、日本への願い、政治への志、憂国の情

えとう 晟一 ブログ

えとう 晟一プロフィール

 これらに明らかな通り、安倍総理を支えるに足る、「真正保守」の理念を把持した政治家であることは間違いない。特に、安倍総理が参議院議員選挙の争点として積極的に打ち出している「憲法改正」についても、明快な改正論者であり、日本の憲法は日本人の手でつくるべきだという、至極まっとうな意見の持ち主である。

 大分市議会から大分県議会、そして衆議院選挙に挑戦、一度は惜敗したものの二度目には当選を勝ち取るなど、たたき上げの苦労人である。

 また、大分市は、例の社会党左派出身の首相、村山富一氏の地盤でもあり、連合が三分の一、保守系並びに公明党が三分の一、無党派三分の一という保守系にとっては極めて難しい選挙区なのである。しかも、衛藤氏は、地方議員時代に、日教組のヤミ専従問題を追及したことなどから、いまだに日教組から目の敵にされてきた人物でもある。
 大分県では、未だに教職員組合の政治活動に歯止めがかかっていない。(反戦)平和カレンダーが各学校で未だに出回っているという。

 その中で保守の砦を守り続けてきた衛藤氏の鍛えられ方は半端ではない、と思われる。

 教育基本法の改正が達成し、戦後体制を転換させる大きな岐路にさしかかりつつある現在の日本にあって、衛藤氏のような政治家が国会にいてくれることは、安倍総理にとっても心強いことなのだと思われる。

 器用に立ち回る人間が多い世の中にあって、愚直に努力を重ねてきた人間というのは、あるいは評価対象外なのかもしれない。しかし、本当に信頼の出来るのは、そうした人物なのではないだろうか。

 私は、衛藤氏を勝手連的に応援したいと思う。

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2007年3月 1日 (木)

許すまじ、小泉前首相「皇室は最後の抵抗勢力」発言!

 サンデー毎日の平成19年3月4日号に掲載されたスクープ記事の題である。

 断じて許せぬ!!

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「君が代伴奏拒否訴訟判決」要旨

【多数意見要旨】

 (1)原告は、「君が代」が過去の日本のアジア侵略と結びついており、公然と歌ったり伴奏したりすることはできないなどの思想及び良心の自由を有すると主張するが、このような考えは、原告の歴史観ないし世界観 及びこれに由来する社会生活上の信念等ということができる。
 国歌斉唱の際のピアノ伴奏を拒否することは、原告にとっては歴史観ないし世界観に基づく一つの選択ではあろうが、一般的にこれと不可分に結び付くということはできず、ピアノ伴奏を求める職務見例が、直ちに原告の歴史観ないし世界観を否定するものとは認めることはできない。

(2)公立小学校における儀式的行事で広く行われていた国歌斉唱に際し、職務命令は、伴奏を銘じるもので、原告に対して、特定の思想を強要したり、禁止したりするものではなく、特定の思想の有無について告白することを強要するものでもなく、児童に対して一方的な思想や理念を教え込むことを強制するものとみることもできない。

(3)憲法15条2項は、「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」と定めている。学校教育法などに基づく小学校学習指導要領は、「入学式や卒業式では、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする」と定め、入学式で音楽教諭によるピアノ伴奏で国歌斉唱を行うことは、趣旨にかなう。職務命令が、目的及び内容において不合理ということはできない。

(4)以上の点から、本件職務命令は、原告の思想及び良心の自由を侵すものとして憲法19条に反するとはいえない。

【個別意見要旨】
〈那須弘平裁判官の補足意見〉

 入学式におけるピアノ伴奏は、「思想及び良心」の問題に深くかかわる内面性を持つと同時に、参列者の国歌斉唱を補助し誘導するという外部性をも有する。このような両面性を持った王位が、「思想及び良心の自由」を理由に、学校行事から事実上排除されたり、各教師の裁量にゆだねられたりすれば、学校教育の均質性や学校の秩序を維持する上で深刻な問題を引き起こしかねない。
 前記のような両面性をもった行為についても、学校単位での統一性を重視し、校長の裁量による統一的な意思決定に服させることも「思想及び良心の自由」との関係で許されると解する。指示を受けた教諭が任意に伴奏を行わない場合に職務命令によって職務上の義務として行わせることも、憲法上許される。思想・良心の自由を理由に職務命令を拒否することを許していては、職場の秩序が保持できないばかりか、子供の教育上の諸権利を害することになる。
 入学式での国歌斉唱を行うことが組織として決定された後は、原告もこれに協力する義務を負うに至ったというべきであり、本件職務命令はこの義務を更に明確に表明した措置であって、これを違憲、違法とする理由は見出しがたい。

(以上)

 なお、藤田宙靖裁判官は反対意見を述べているが、ここには紹介しない。次の衆議院選挙の際には是非とも「最高裁判官国民審査」で×をつけ、おやめいただこう。最高裁判所が「良識の府」として機能し続けるために。

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国旗国歌訴訟と日教組の終焉~「君が代伴奏拒否訴訟」・最高裁判決~

 学校現場から「日本」を排除し、「日本」に憎悪を植えつけることに異常な使命感を持って突進してきた日教組教師らの、反国旗国歌闘争にとどめの一撃が下された。

 国歌君が代斉唱のピアノ伴奏を職務命令が出ていたにも拘らず拒否し、戒告処分を受けていた音楽教師が、処分は不当だとして訴えていた裁判で、最高裁判所で、原告全面敗訴を言い渡したのである。

 昨年東京地方裁判所で全く逆の判決が出ており、それを金科玉条にして反国旗国歌闘争を再燃させようとしていた反日教師勢力=日教組らに、冷や水を浴びせた形となった。暖冬なのでひどい風邪などは引くまいが。

 法律で定められていないから国旗国歌ではない、と駄々をこね、校長先生を次々と窮地に追いやった組合教師らの横暴の中で、広島の世羅高校の校長先生が自殺された事件がきっかけとなって「国旗国歌法」が制定されたのが平成10年8月。彼らの望みどおり法律として定められたにも拘らず、反国旗国歌闘争をやめるどころか拍車をかけ、大量の処分者を生み出してきた。自業自得である。
 それをさらに裁判闘争に訴え、次々と裁判を起こすという戦術を採用し、荒れ狂ってきた彼らだが、最高裁判所での確定判決を導き出し、もはや彼らの愚論は最終的に否定されたのである。

 それほどいやなのであれば、教師を辞めて他の職につけばよい、ただそれだけのことなのに、しがみついて離れたくないために学校現場を混乱させ、児童生徒に自らのゆがんだ思想を押し付けてきたこの教師らに、最終的な鉄槌が下されたのである。

 遅すぎた、という思いは筆者だけではないはずだ。犠牲もあまりにも大きかった。

 しかし、改正教育基本法の成立とあいまって、この無法者の集団に対して徹底的な追撃戦・掃蕩作戦を行う必要があるだろう。閉鎖された学校のさらに閉鎖された組合という殻の中でぬくぬくと安逸をむさぼってきた特権階級たる日教組に対し、最終的な引導を渡すときである。

 この文章はきわめて厳しい言葉で書かれていることに辟易する向きもあるかもしれない。しかし、彼らがやってきたことを思えば、これでもまだやさしい方である。付き合いで入っていたに過ぎないという言い訳をする組合員がよくいる。しかし、全共闘風の論理で行けば、そういう連中がいるから不正はまかり通ってきたのである。その罪は活動家と同等かあるいはそれ以上であると自覚すべきだ。いずれにせよ、構成員全てが怒りの対象であることを敢えて断っておきたい。

 いくつかのリンクを紹介しておく。

 組合教師への最終通告を発する。

 以後一刻一刻その行動を注視する目を感ずるがよい。


【正論】百地章 国旗・国歌問題への誤解を正す

「君が代」伴奏命令は合憲 最高裁が初判断 教諭の敗訴確定 sankei


「君が代」拒否で処分、取り消し求めた教師敗訴確定へ yomiuri


君が代伴奏拒否訴訟、教諭側敗訴へ 最高裁 asahi


君が代>伴奏拒否訴訟、教諭の処分「合憲」が確定へ mainichi


東京都議会 9月一般質問・答弁

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