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2007年1月 7日 (日)

「死生観」といふこと

 昨年の夏に、元陸軍特別攻撃隊要員教官だった方のお話をお聞きした席で、ある疑問をぶつけた。

 戦闘機乗りの30歳生存率は平時でも50%程度であり、戦時にもなれば90%を超へるといふ。この方は6歳の時に戦闘機乗りになりたいと両親に話した。母親はその日から、少年の希望のために全力でバックアップしていくのである。戦闘機乗りになるために最も注意しなければならないことは視力である。夜の勉強は禁じられた。栄養を考へた食事の献立を考へた。体力をつけるために運動をした。学校以外での勉強は殆どやらなかつたにも拘らず成績は良かつたといふ。

 現在、食育の重要性が強調され、長野県のある町では給食の改善により、生徒指導上の課題が激減し、成績が向上した事例を桜井よし子氏が取り上げているが、勉強時間の単なる物理的な多さよりも、身心の健康を大切にするといふ発育途上の子供にとつて何よりも大切なことをきちんとすることが何よりも重要であることが改めて浮き彫りになつたわけだが、何のことはないかつての日本においてはむしろ当たり前の事であつたといへそうだ。

 ふと疑問に思ふことがあつた。戦闘機乗りといふ極めて危険な道を歩みたいといふ息子を支援する親の心につひてである。そしてまた、死を前提とする職業への憧れといふ心境につひてである。

 戦後の価値観では、「生命尊重」が第一である。勿論、それが至上の価値として完全に世を覆ひ尽くせば社会は成り立たなくなることは請け合いであり、現在正に我が国を侵す深い病理としての「生命尊重」といふ価値観があると思はれる。なぜなら、生命を危険に晒す職業がこの世には存在し、その人々が自分の生命を危険に晒すことを厭はずに従事してくれるからこそ、この社会は成り立つてゐるのである。警察官、消防士、自衛隊員は最も直接的にその任務に任じた人々であるが、戦後の「生命尊重」の価値観には馴染まないといつてよいだらう。

 「生命尊重」以上の価値、それを戦後の日本人の眼前に突きつけたのが昭和45年11月25日の、作家、三島由紀夫氏の市ヶ谷陸上自衛隊内での決起事件だつた。三島氏は「生命尊重」以上の価値、「日本」を日本人の前に突きつけた。

 元教官の方の言葉は、更に重いものがあつた。終戦直前に、特攻出撃の命を受けたときの心境について語られた。それは現在に至るまで最高に幸福な時間であつたといふ。90歳を超へる現在まで日本の再建のために尽くしてこられても、あの時以上の幸福には出会へていないといふのだ。国のため、家族のために命を捧げるといふことが至上の価値として氏の胸内に脈々と生きているのを感じた。

 生きるとは、只単に長く生きればよいといふものではない。如何に生きたかが問題であり、人生の価値は必ずしも時間の長短とは関係がない。国家社会のために命を捧げる生き方というのは至上の価値であり、そのために命を散らすことは決して惜しくない。この価値観は、過去のものとして葬り去ることが出来るだらうか。

 逆に言えば、「生命尊重」を至上の価値とした現在に続く戦後といふ時代に、物理的な時間だけは長く生きることが出来る現在の我々の人生は、どれだけの価値があるといへるだらうか。「生きてゐる」といふただそのことに価値がある、といふこと。それも真実かもしれない。しかし、人間は必ず死ぬべき存在であることは変はらぬ定めであることも変はらない。自らの生命を何のために使ふのか、何が価値であるのか。ただ長く物理的な時間を生きることが本当に価値あることであるなら、どうして人は退屈するのか。

 不惜身命
 唯惜身命

道元禅師の言葉である。身命を惜しまないで尽くすべき価値がある。だからこそ身命を惜しむのである。価値を見出さずにただ生きながらえるだけの人生では意味がない。「生命尊重」は目的ではない、手段なのだ。「生命軽視」は間違つてゐるが、何故「生命尊重」なのかを納得しなければ、簡単に生命軽視に走るのだらう。殺伐とした昨今の事件の背後には、この価値観の混乱があると見てもいいのではなからふか。

「生命尊重」は目的ではない。平たく言えば「生きがい」といふものを見出して、自分の生命の使い道を知れば、自ずから自分の生命も他者の生命も大切にするやうになるのではなからうか。

人にはその人にしか出来ない、もって生まれた「使命」がある。昔は誰もがそのやうに思つてゐた。限りある生命だからこそ、「使命」を全うするために一生懸命に生きた。

人として生まれた意味は何か、人生をどのやうに生きるべきなのか、考へたことのない人間が薄つぺらくなるのは当然だらう。宗教教育とは、本来このことを深く考へさせるために必要なことであるはずなのだ。

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