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2007年1月 7日 (日)

「専守防衛」といふ言葉の出自について

 「専守防衛」は、我が国の防衛政策の基本であると防衛白書に記述されている。

 「相手から攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使し、その態様と保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど、憲法の精神に則った受動的な防衛戦略の姿勢をいう」

 これが我が国の公的見解なのである。

 産経新聞の1月3日の「主張」によれば、専守防衛が防衛白書に登場したのは、37年前の昭和45年だつたといふ。三島由紀夫氏が自決した年である。最早戦後ではないと言はれ、昭和元禄を謳歌し高度成長の真っ只中、太平の夢に酔い痴れていた。独り孤独に醒めていた三島氏には、その恐るべき堕落の相が見へていたのだ。

 戦後の防衛政策の基本が「専守防衛」だ、といふ錯覚を訂正することが大切だらう。独立回復から10年余り日本の復興に全力を尽くしていた「戦後」には、そのようなまやかしが国民の中に入り込むことはなかつたのだ。

 昭和40年代から50年代にかけての価値観の歪みが、現在に至るまで悪影響を及ぼしているのではないか。戦後、憲法を押し付けられても、その運用の中で、害毒を抑えてきた力が緩み、占領軍の仕掛けた意図が時限装置のように働きだしたともいえよう。左からの改憲論が出てきたのもこの頃である。

 「専守防衛」が昭和45年の時代風潮を映しているとすれば、それは70年安保の終焉と革命勢力の限界に深く関係があるといえるのかもしれない。

 平成5年の北朝鮮による弾道ミサイル発射から「専守防衛」といふ防衛政策の基本は揺らぎ始めているといへるが、昨年の弾道ミサイル発射、そして核実験によつて最早過去の遺物と化しつつある。核兵器に対して第一撃を甘受することは出来ない相談である。

 日本の安全保障をどうするのか、防衛省が誕生する今日、国民的な議論を進めるべきときを迎へている。国民のレベル以上の軍隊を持つことは出来ないのだから、国民の安全保障の認識を高める以外に、国の平和と安全を守る道はないのだと、肝に銘じるべきなのだ。
 

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コメント

 渡辺様、コメントありがとうございます。
 拙文をお読みいただき感謝申し上げます。

 倶楽部ジパング・日本
 http://nozochan.blog79.fc2.com/

 拝見いたしました。勉強になります。
 透明な感じの読み易い文章ですね。お人柄なのでしょうね。

 リンクしていただけるのは有難い限りです。当方もリンクさせて頂きます。

投稿: 橘 正史 | 2007年1月19日 (金) 午後 03時43分

いつも緊張感をもって拝読させていただいております。相互リンクお願いしたく、一筆執りました次第でございます。よろしくご検討くだされば幸いに思います。
 

投稿: 渡辺 | 2007年1月15日 (月) 午後 02時22分

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