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2007年1月

2007年1月31日 (水)

世紀のプロパガンダ戦争 南京

 リアルな戦争でなく、バーチャルな戦争で、これほどの長期に亘るものは珍しいのではないだろうか。

 1937年、昭和12年、第二次上海事変による日支両軍の衝突から派生した南京攻略戦は、泥沼化する日支事変にピリオドを打つため敵国の首都を攻略するという史上初めての戦いだった。世界の関心も集まり、報道関係者も多数そこにはいた。

 戦闘終了後、当時「平和蘇る南京」と報道され、日本の新聞には、日本の兵隊さんが屋台で食べ物をにこやかに食べる写真なども掲載された。不祥事もなかったわけではないが、大虐殺事件など、影も形もなかった。

 ところが、敗戦後、東京裁判において、初めて南京陥落時において大虐殺事件があったとされた。ところが法廷に提出された証拠は伝聞証拠ばかりで、直接の見聞としては強姦未遂事件があるばかりだった。

 その後、昭和40年代後半に至って、朝日新聞記者のH氏によって大々的に喧伝されるに至る。それに対して、「南京虐殺のまぼろし」などの反論が出て今に至る論争となっている。

 その間、毎日新聞の創作記事「百人切り」の冤罪によって死刑となった二人の将校の名誉回復を求める裁判なども起された。

 中国系アメリカ人のアイリス・チャンによる「レイプ・オブ・南京」という虚実取り混ぜた著作がアメリカで出されるに及んで、宣伝戦の舞台はアメリカに飛び火した。

 そして、今年、多分にチャンの著作に沿った映画が今年封切りとなる。

 息の長い宣伝戦である。中国からすれば、自国の首都を守ることも出来ずに、放置して逃げ出した後ろめたさを糊塗するためにも、被害者意識を強調し、日本軍をより悪逆非道な集団として描くことが必要なのだろう。

 しかし、歴史の真実を伝えるために、日本から声が上がった。ところが、マスコミは沈黙したままである。宣伝戦はマスコミ操作に及んでいるのだということを、改めて実感する。

 現在に至るまで、厳正な法手続きをクリアできるほどの証拠を、「虐殺あった派」は提出し得ていない。逆に、戦時プロパガンダであったとの証拠は心ある学者らの手によって次々と明らかにされている。「体験者」の語り伝えというプロパガンダの手法が採用されているが、検証に耐えうるものは何一つないというのがそれらを精査した学者らの見解である。

 自分は、この問題については何冊かの書物を読んだに過ぎない。比較検証して厖大な資料を精査する時間も余裕も能力も持ち合わせてはいない。しかし、今回の保守派による南京映画の作成についての記者会見が、多くのマスコミが集まって熱心に取材したにも関らず、不気味なほどにマスコミが沈黙を守ったことが逆にこの問題の「政治性」「プロパガンダ性」を証明しているようにも思われる。

 自分は、日本の兵隊さんを信じている。勿論、おかしな人たちも(今もいるように)いたかもしれないが。「歴史の真実」といったとき、本当に真実を求めるものと、真実という言葉を利用してプロパガンダに使うものとがある。「虐殺あった派」に後者の腐臭がしてならない。

 映画「南京の真実」が成功することを、市井の一人として心底願わざるを得ない。

 映画「南京の真実」記者会見

「産経」07/01/21

伝えたい「南京の真実」 保守系有志ら映画製作へ

 昭和12年、旧日本軍が日中戦争で南京を攻略した際、「南京大虐殺があった」との立場で描いた映画「南京」の上映が今月18日から米国の映画祭で始まった。これに対し、保守系の有志らが「南京大虐殺は政治的陰謀のでっちあげ」とするドキュメンタリー映画「南京の真実」の製作に乗り出す。

 映画「南京」は事件当時、現地に滞在していたドイツ人ビジネスマン、ジョン・ラーベ氏の残した日記を踏まえ、製作された。映画では犠牲者の数が「20万人以上」とされている。今年はほかにも中国系米国人作家、故アイリス・チャン氏のベストセラー「ザ・レイプ・オブ・南京」を下敷きにした米英中の合作映画など、5本程度の「南京大虐殺」映画が封切られる予定だ。

 ただ、チャン氏の著作に対しては、「掲載された写真は中国国民党の宣伝担当による捏造(ねつぞう)で、南京大虐殺を証拠立てるものは存在しない」(東中野修道亜細亜大教授)など保守論壇からは否定的な見方が相次いでいる。

 映画「南京」のストーリーに反発する、衛星放送テレビ局「日本文化チャンネル桜」(東京都渋谷区)社長で映画監督の水島総さん(57)は「ありもしない『南京大虐殺』が歴史の『真実』とされるのは納得がいかない。このまま何の手も打たず、日本の国際的なイメージが悪化するのは見過ごせない」と映画の製作を思い立った。

 水島さん自らがメガホンを取り、当時の生存者の証言やフィルムなどをまとめ、今夏までに完成させる。今年は南京攻略から70年。南京が陥落した12月に合わせ、劇場公開と世界への配信を目指す。水島さんは「国内外の誤った歴史認識を改める道を切り開きたい」と話している。24日に映画の製作委員会を発足させ、製作資金の支援を一般に求める。問い合わせは同委員会準備室((電)03・5464・1937)。

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2007年1月18日 (木)

言葉のはきちがい~「ゆとり教育」VS「ゆとりある教育」~

 産経新聞1月17日正論欄、「ゆとりある」教育をなくすな、東京都教育委員会委員 将棋永世棋聖 米長邦雄 を読んでの感想。

 誰のための「ゆとり」だったのかが一番の問題。結論だけ言えば、児童生徒のためではなかった。

 「楽」をすることと、「楽しいこと」をすることが丁度正反対になるように、表面的に学習時間を削るとか、学習内容を簡略化するとかいうことを以って「ゆとり」だとしたことが間違いなのだ。

 結果として、教師からも「ゆとり」がなくなった。親にとっても子供の週休2日は負担になるだろう。子供にとっても6日間でやってきたことを5日でやるようになったのだから当然詰め込みになる。

 「ゆとりある」が「ゆとり」にすりかえられていった過程を検証しなければ、米長氏の「本来の理念は大切」という訴えはからまわりしてしまうのではないか。

 すりかえを許さない方策をこそ提示して頂きたい、と思われた。 

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北朝鮮問題は、現体制の崩壊以外では解決できない

 アメリカ政府ではないが、アメリカの前国連大使が、6カ国協議は失敗、各国の役割はもう終った、現実的には北朝鮮の現体制が崩壊することでしか解決できない、と言明したことは、北朝鮮をめぐる閉塞した現状を如実に物語るものである。

6カ国協議は「失敗」と言明 ボルトン前米国連大使が会見(共同通信) 
 米国のボルトン前国連大使は17日、都内の日本記者クラブで記者会見し、北朝鮮核問題をめぐる6カ国協議について「失敗した。各国の働き掛けの役割はもう終わった」と述べ、同問題は「現実的には、北朝鮮の現体制が崩壊することでしか解決できない」と主張した。ボルトン氏は、体制を崩壊させるためには「経済的圧力を強めることと、拡散防止構想(PSI)を組み合わせれば効果が出る」と話した。
[共同通信社:2007年01月17日 19時55分]

 手嶋龍一氏と佐藤優氏の対談、「インテリジェンス 武器なき戦争」(幻冬舎新書)のまえがきに佐藤氏が北朝鮮の核保有問題に関して収拾し分析したポイントが披瀝されている。

 1、「核クラブ」は北朝鮮の核保有を容認しない
 2、北朝鮮が核兵器、弾道ミサイルを手放す可能性はゼロ
 3、「核クラブ」とイスラエルは、北朝鮮の核・ミサイル技術の第三国への移転阻止を絶対防衛ラインとしている。

 (※核クラブとは、米英仏露中のNPT条約で核保有を認められた国をさすが、イスラエルが核兵器を保有していることは現在では公然の秘密である。ちなみに、核兵器を保有する国はこの他にインド・パキスタンがあり、核開発を進め核保有が疑われている国としてはイランがある。橘注:間違っていたらごめんなさい。)

 4、「核クラブ」は北朝鮮との対話路線に踏み切る。その上で、金正日政権中枢部の離間工作を進め体制転換を図る。

 (※一部表現を改めました。大筋では変わっていないと思います)

 インテリジェンスについての興味も尽きないが、ここで指摘されたポイントに沿ってみると、ボルトン前米国国連大使の言葉の位置づけも浮かび上がってくる。

 既に、対北朝鮮戦争は始っていると考えて間違いない。その渦中に北朝鮮に飛んだ山拓は日本の政治家の恥を晒したといえるだろう。変に密約でも結んできたと思われる分更にたちが悪い。日本から真相に近い情報がどんどん逃げていくのが目に見える。

 現時点において、日本の対北朝鮮防衛能力は万全なのか。本来、そのことが真剣に議論されて然るべきであろうが、どうも心許無い。4隻のイージス艦があるとはいえ北朝鮮の仕掛けるあらゆる攻撃に対して全てをかわしきれるのであろうか。

 産経新聞の17日の記事で、稲田朋美衆議院議員が「使い捨て恐れぬ「覚悟」」というインタビュー記事で出ていた。「国民の生命、身体、財産、領土を守るために命をかけることが政治家の使命なのだから、使い捨てを恐れては仕事はできない。あの言葉で「政治家の覚悟」というものが分かった気がします。首相も年頭会見で憲法改正への覚悟を示されました。私たちも覚悟を問われているんです。」と述べている。

 今年、問われるものは、正に日本人一人一人の「覚悟」なのではないか。そのように思える。

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2007年1月 7日 (日)

「専守防衛」といふ言葉の出自について

 「専守防衛」は、我が国の防衛政策の基本であると防衛白書に記述されている。

 「相手から攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使し、その態様と保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど、憲法の精神に則った受動的な防衛戦略の姿勢をいう」

 これが我が国の公的見解なのである。

 産経新聞の1月3日の「主張」によれば、専守防衛が防衛白書に登場したのは、37年前の昭和45年だつたといふ。三島由紀夫氏が自決した年である。最早戦後ではないと言はれ、昭和元禄を謳歌し高度成長の真っ只中、太平の夢に酔い痴れていた。独り孤独に醒めていた三島氏には、その恐るべき堕落の相が見へていたのだ。

 戦後の防衛政策の基本が「専守防衛」だ、といふ錯覚を訂正することが大切だらう。独立回復から10年余り日本の復興に全力を尽くしていた「戦後」には、そのようなまやかしが国民の中に入り込むことはなかつたのだ。

 昭和40年代から50年代にかけての価値観の歪みが、現在に至るまで悪影響を及ぼしているのではないか。戦後、憲法を押し付けられても、その運用の中で、害毒を抑えてきた力が緩み、占領軍の仕掛けた意図が時限装置のように働きだしたともいえよう。左からの改憲論が出てきたのもこの頃である。

 「専守防衛」が昭和45年の時代風潮を映しているとすれば、それは70年安保の終焉と革命勢力の限界に深く関係があるといえるのかもしれない。

 平成5年の北朝鮮による弾道ミサイル発射から「専守防衛」といふ防衛政策の基本は揺らぎ始めているといへるが、昨年の弾道ミサイル発射、そして核実験によつて最早過去の遺物と化しつつある。核兵器に対して第一撃を甘受することは出来ない相談である。

 日本の安全保障をどうするのか、防衛省が誕生する今日、国民的な議論を進めるべきときを迎へている。国民のレベル以上の軍隊を持つことは出来ないのだから、国民の安全保障の認識を高める以外に、国の平和と安全を守る道はないのだと、肝に銘じるべきなのだ。
 

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「死生観」といふこと

 昨年の夏に、元陸軍特別攻撃隊要員教官だった方のお話をお聞きした席で、ある疑問をぶつけた。

 戦闘機乗りの30歳生存率は平時でも50%程度であり、戦時にもなれば90%を超へるといふ。この方は6歳の時に戦闘機乗りになりたいと両親に話した。母親はその日から、少年の希望のために全力でバックアップしていくのである。戦闘機乗りになるために最も注意しなければならないことは視力である。夜の勉強は禁じられた。栄養を考へた食事の献立を考へた。体力をつけるために運動をした。学校以外での勉強は殆どやらなかつたにも拘らず成績は良かつたといふ。

 現在、食育の重要性が強調され、長野県のある町では給食の改善により、生徒指導上の課題が激減し、成績が向上した事例を桜井よし子氏が取り上げているが、勉強時間の単なる物理的な多さよりも、身心の健康を大切にするといふ発育途上の子供にとつて何よりも大切なことをきちんとすることが何よりも重要であることが改めて浮き彫りになつたわけだが、何のことはないかつての日本においてはむしろ当たり前の事であつたといへそうだ。

 ふと疑問に思ふことがあつた。戦闘機乗りといふ極めて危険な道を歩みたいといふ息子を支援する親の心につひてである。そしてまた、死を前提とする職業への憧れといふ心境につひてである。

 戦後の価値観では、「生命尊重」が第一である。勿論、それが至上の価値として完全に世を覆ひ尽くせば社会は成り立たなくなることは請け合いであり、現在正に我が国を侵す深い病理としての「生命尊重」といふ価値観があると思はれる。なぜなら、生命を危険に晒す職業がこの世には存在し、その人々が自分の生命を危険に晒すことを厭はずに従事してくれるからこそ、この社会は成り立つてゐるのである。警察官、消防士、自衛隊員は最も直接的にその任務に任じた人々であるが、戦後の「生命尊重」の価値観には馴染まないといつてよいだらう。

 「生命尊重」以上の価値、それを戦後の日本人の眼前に突きつけたのが昭和45年11月25日の、作家、三島由紀夫氏の市ヶ谷陸上自衛隊内での決起事件だつた。三島氏は「生命尊重」以上の価値、「日本」を日本人の前に突きつけた。

 元教官の方の言葉は、更に重いものがあつた。終戦直前に、特攻出撃の命を受けたときの心境について語られた。それは現在に至るまで最高に幸福な時間であつたといふ。90歳を超へる現在まで日本の再建のために尽くしてこられても、あの時以上の幸福には出会へていないといふのだ。国のため、家族のために命を捧げるといふことが至上の価値として氏の胸内に脈々と生きているのを感じた。

 生きるとは、只単に長く生きればよいといふものではない。如何に生きたかが問題であり、人生の価値は必ずしも時間の長短とは関係がない。国家社会のために命を捧げる生き方というのは至上の価値であり、そのために命を散らすことは決して惜しくない。この価値観は、過去のものとして葬り去ることが出来るだらうか。

 逆に言えば、「生命尊重」を至上の価値とした現在に続く戦後といふ時代に、物理的な時間だけは長く生きることが出来る現在の我々の人生は、どれだけの価値があるといへるだらうか。「生きてゐる」といふただそのことに価値がある、といふこと。それも真実かもしれない。しかし、人間は必ず死ぬべき存在であることは変はらぬ定めであることも変はらない。自らの生命を何のために使ふのか、何が価値であるのか。ただ長く物理的な時間を生きることが本当に価値あることであるなら、どうして人は退屈するのか。

 不惜身命
 唯惜身命

道元禅師の言葉である。身命を惜しまないで尽くすべき価値がある。だからこそ身命を惜しむのである。価値を見出さずにただ生きながらえるだけの人生では意味がない。「生命尊重」は目的ではない、手段なのだ。「生命軽視」は間違つてゐるが、何故「生命尊重」なのかを納得しなければ、簡単に生命軽視に走るのだらう。殺伐とした昨今の事件の背後には、この価値観の混乱があると見てもいいのではなからふか。

「生命尊重」は目的ではない。平たく言えば「生きがい」といふものを見出して、自分の生命の使い道を知れば、自ずから自分の生命も他者の生命も大切にするやうになるのではなからうか。

人にはその人にしか出来ない、もって生まれた「使命」がある。昔は誰もがそのやうに思つてゐた。限りある生命だからこそ、「使命」を全うするために一生懸命に生きた。

人として生まれた意味は何か、人生をどのやうに生きるべきなのか、考へたことのない人間が薄つぺらくなるのは当然だらう。宗教教育とは、本来このことを深く考へさせるために必要なことであるはずなのだ。

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「硫黄島からの手紙」は何処までが史実なのだらうか

 評判の「硫黄島からの手紙」をレイトショーでやっと見ることが出来た。

 2005年に硫黄島で遺骨収集団が栗林中将の遺品を発見するシーンから始まる。

 そして、硫黄島での日本軍の準備、米軍の上陸、縦横に掘り抜いた壕からの攻撃、自決、突撃などの戦闘が、意外なほど淡々と描かれる。

 そして、遺品が土中に埋められ隠され、栗林中将の遺体が隠されるところを描く。

 そこから現在に戻り、掘り出された遺品から家族に宛てて書き続けられていた手紙が舞い落ちるところで終る。

 栗林中将がどのような最期を遂げたのかに関する史実は残つて居ない筈なので、そのシーンが創作であることは間違いない。ただ悪意や恣意ではなく、かくもあつたであらうかといふ描き方だとは思つた。

 米軍が投降した日本兵を射殺したシーンがあつたがこれはリンドバーク大佐の記述などでも明らかなように第二次世界大戦を通じて戦線の随所で起つたことであり、これ自体が史実であるかどうかは別としてアメリカ人の作成した映画として、自国の暗部をも正直に描き出したものと受け止めることが出来る。

 口先だけの勇ましさが本当の勇気ではないといふメッセージもあつたやうに思はれる。

 戯画化されたところは一つとしてなく、かくも戦つただらうかといふ淡々とした眼で捉へられてゐた。

 惜しむらくは、時間の経過がよく分からないこと、海軍側の司令官であつた市丸少将のルーズベルトに与ふる書にも触れて欲しかつたこと、降伏勧告に肯んぜず自決した東大出身の学徒兵のことなど、史実に基づくエピソードを更に多く盛り込んで欲しかつた。

 日本が何故あれほど頑強に戦つたのかについて、一つの解釈として「愛する家族のため」といふものを前面に取り出したものであり、それは大切な側面であると思ふ。しかし、残念なことに市丸少将がルーズベルトに与ふる書に込めたやうな、日本が戦争に赴いた理由については欠落していやうに思はれた。

 戦勝国が戦敗国に与へることの出来ない只一つのものは、「正義」であると云ふ。クリントイーストウッド監督も、このくびきからは自由でなかつたといへるだらう。それでも、硫黄島に眠る英霊に対して悪意でなく、敬意を払つてこのやうな映画を作成してくれたことに対しては、やはり敬意を表すべきなのかと思はれる。

 栗林中将が訓示の中で何度か触れ、最期の突撃に当つても述べた「我は常に諸君の先頭にあり」との言葉が印象的であつた。「天皇陛下萬歳」も「靖国神社で会おう」も戯画化されることなく、かくもあつたかといふ真剣さで描かれていた。

 憲兵が徹底的に悪く描かれていたが、これは創作の部類に入るのではなからうか。悪名ばかり高いが本当のところどうであつたのか。職権の濫用が何処まで蔓延していたのか、そこに先入観による予断はないのか。そうしたところに疑問は残つた。

 兵隊さんについても、もつと朗らかなところがあつたと信じたい。

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平成19年を迎へて

 新年を列車の中で迎へた。

 このところ毎年のことではあるが、やはり侘しい心持ちはする。

 ほとんど外界の情報に接することなく年始の数日を送り、お墓参りに行き、恒例の家族の新年会に出た。久しぶりに郷里の先輩と知人らと話も出来た。それなりに充実していた。

 今年こそ、本居宣長の「古事記傳」を読もうと思い、岩波文庫の一冊目を読み始めた。いづれ読後感を書いてみたいと思つてゐる。

 幕末の勤皇歌人、高志の国の住人、橘曙見が詠んだ新年の歌に、古事記の歌がある。それで新年の最初には古事記を読みたいと思つてゐた。古事記傳では三之巻からとなつてゐる。

天地初發之時。於高天原成神名。天之御中主神。/訓高下天云阿麻下效此/次高御産巣日神。次神産巣日神。此三柱神者。並獨神成坐而。隠身也。

アメツチノハジメノトキ タカマノハラニ ナリマセルカミノミナハ アメノミナカヌシノカミ ツギニタカミムスビノカミ ツギニカミムスビノカミ コノミハシラノカミハ ミナヒトリガミナリマシテ ミミヲカクシタマヒキ

天地の初めの時、高天原に成りませる神の御名は、天之御中主之神。次に高御産巣日の神、次に神産巣日の神。此の三柱の神は、みな独り神なりまして、身を隠したまひき。

 新年の最初に、天地の初めの言霊に触れることによつて、旧年中の穢れを去り、心機一転巻き直して、心新たに己が務めにいそしみたいと思ふ。

 


 

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