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2006年12月10日 (日)

泰緬鉄道のロマンス

 12月7日の産経抄の記事は、時間を超えたロマンスとでも言ふべき事實を紹介されていた。

 先ずは全文を引用する。

「一念が岩をも通すというのは本当だった。4ヶ月前の小欄で、戦時中の泰緬鉄道に関係した日本兵を探すタイ人の著名ビジネスマン、ビグロム・クロマディットさん(53)のことだ。そのビクロムさんが、鉄道第9連隊第6中隊で、彼の母親を知る大塚高二さん(91)と対面したのだ。 ▼泰緬鉄道は日本軍が英蘭捕虜を酷使したことから、「死の鉄道」といわれた。ところが、ビクロムさんの母は、日本兵が本当はやさしい人々であったと息子に話していた。娘盛りだった17歳の彼女は鉄道を使って果物を売り歩いていた。 ▼彼は自らの半生記を書き進めるうち、母が接した旧日本兵に話しを聞きたいと思った。駐タイ日本大使だった太田博さんに相談すると、元大使の心に火がついた。小欄にも情報がよせられ、第9連隊の一員がもつ戦友会名簿から、ついに大塚さんを探し当てたのだ ▼先月末に来日したビクロムさんは、相模原市の大塚さんを訪ねた。当時、20代だった大塚元軍曹は「あなたの御母さんはきれいな人だった」と目を細めた。通訳をした太田元大使は、2人が「夢のようだ」と繰り返す言葉が印象的だったという ▼六十余年の時を超えて、万感胸迫る風であった。大塚さんはビルマで捕虜になり、2年間の収容所生活を送る。ビクロムさんが英蘭軍の扱いを聞くと、「日本兵のそれよりも荒っぽかったな」と笑った。ビクロムさんは半生記の日本語訳ももくろむ ▼元大使から顛末を聞いた夜、秋吉敏子のジャズ・ピアノを聴いた。フィリピンの孤島で戦った小野田寛郎少尉に捧げた曲「孤軍」だ。死と隣り合わせにいた戦場の兵は、みんな「弧軍」だっただろう。大塚軍曹の戦地での出会いは、一瞬の「夢」だったか。」

 いい話だ。60年の時を超えて通い合う交情のロマンス。一編の映画を見るような陶然とした気分にさせられた。

 どんな心の通い合いがあったのだろう。20代の青年下士官と、現地の17歳の少女には、60年の時を超えて「夢」となる、どんな出会いと交情があったのだろう。そして、敗戦という現実の中で、どのような別れをしたのだろう。

 アメリカの反日華僑系の団体らが南京の映画をつくるという。日本兵は「鬼畜」としてしか描かれない。

 一方、硫黄島の映画が、これもアメリカ発で作られ、上映される。

 大東亜戦争下の日本人のありのままの姿が、少しでも後世に伝わるように語り継いでいきたいところだ。

 誰か日本の映画監督が、この話を、日本発の淡いロマンス映画として、描いてくれないものだろうか。

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