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2006年12月 4日 (月)

明かされない必修逃れの本質

 いわゆる「未履修問題」が発覚して、全国に蔓延していることが分かり、国会で取り上げられる大問題となった。結局、当面の糊塗をして一件落着で幕引きがなされようとしているが、この問題の本質は根深いところにある。

 マスコミは「受験」が原因だ、とミスリードした。しかし、必修逃れが起っていたのは「進学校」だけだったのかといえば、それは違う。別の更に本質的な原因があるのである。

 一つの原因は、ゆとり教育にある。総合的学習の時間という名目の時間がどれほど教師の負担になっているか。あるいは偏向教育の温床になっているか。

 さらにつきつめていくならば、それはやはり教職員組合の存在に行き着くのである。

 「世界史」や「家庭科」ばかりが表に出ているが、他の教科についての詳細な調査はなされていない。調べたら収拾がつかなくなるという、暗黙の合意があるから、ではない。ただ気づかれていないだけなのだ。必修逃れの原因は、「学習指導要領」の軽視乃至無視にある。それは教職員組合により現場レベルで形骸化が進められた。そして教職員組合のOBが影響力を持つ教育委員会でも、「学習指導要領」を積極的に守ろうという意識に乏しい。

 実は、必修逃れというのは、「刑法犯罪」に当たるのだ。生徒が、ではない。

 卒業証書は公文書である。その裏づけとして、履修した学科の評価表等の公的文書が存在する。必修逃れということは、卒業に必要な単位を、実施していないにも拘らず、あったとして架空の「評価」までして記載しているはずである。「虚偽公文書作成罪」「同行使罪」にあたる。これは、かつて国会答弁でも明らかになったことがあり、うやむやに済まされる問題ではない。

 学力低下が問題になっているが、児童・生徒の資質が劣悪になったことが原因なのか?それは全く間違った見方である。実に「ゆとり教育」により、学習内容が減らされ、更にその減らされたものさえも守られずに、おざなりにされてきた結果による。

 学校は勉強するところ。これを学校の側が守っていなかったわけである。

 愛媛と茨城で校長先生が自殺した。両県とも、教育熱心な県である。校長先生の自殺は、追い詰められてというようなものではなく、自らに責任を引き受けての「自決」であったと思われた。それほど、この問題は重いのであるが、殆どすべての学校・教師は、当面の糊塗だけで、自らの責任を自覺しようとはしないのだ。

 これらをひっくるめた背後に何があるのか。教員の「ゆとり」づくりである。現在、教員は忙しいという。確かにそうだが、厖大な量の報告書やシラバスなど、なぜつくらなければならなくなったのか。自由ばかりを追い求めて、責任を果たしてこなかった結果ではないのか。勿論、教師全員を指弾するつもりはない。組織として運動を指導してきたものたちの責任、それに無批判に追随していったものの責任、それを抑え本来あるべき姿に戻すための指導を怠ったものの責任。この異常な無責任の連鎖が、生徒たちに悲劇のしわ寄せをしているのだ。口を開けば生徒のため、腹をのぞけば自分のため、そんな大人のまやかしを、生徒たちは気づいている。いじめの根も深いところでは同じところにあるであろう。すべては大人の問題なのだ。

 かつて、「広島教育無法地帯」と言われた。現在、日本全体が教育現場無法地帯、と言える状況である。幾重にも法は破られ犯され、人権を声高に叫ぶ人々ほど人権侵害には鈍感で、正義は蔑みされ、道徳は地に堕ちた。宝物のような美しいこの日本を、ぶち壊そうというのだろうか。金銀紅玉瑪瑙瑠璃のきらびやかな豪邸に住んでいても、そこに暮らす人の心がすさんでいればそこは地獄だ。どんなに貧しいように見えようとも、そこに住む人の心が、相手を思いやる愛に満ち溢れているならばそこな天国だ。日本はかつて、貧しいけれども高貴な人々が住む国だった。今や、豊かだけれども心根の賤しい人々が住む国になってしまった。一部ではあってもそれは悲しいことである。教育が明日の国をつくる。どうしても「教育」を立て直さなければならない。まったなし、とは正にこのことである。

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コメント

未履修問題について、必ずしも「組合問題」ではないのでは、とのご指摘で、具体的に福岡県の例をご紹介いただきましてありがとうございました。

 確かに「組合問題」だけでは片付かないということには同意します。全国殆どの都道府県で蔓延していたことですから。

 未履修問題は、数年前に既に広島で問題になり、一応の是正が行われた経緯がありました。これは、明らかに「組合問題」でした。

 その時に「摘発」されたのがやはり「世界史」などだったわけです。

 広島の福山市では、中学校での「未履修問題」がありました。これも数年前に明るみに出ていたことです。

 広島だけの問題かと思っていたら、あにはからんや、こんなに広く蔓延していたのか、と驚いたというわけです。

 原因は、「組合問題」だけではないかも知れません。しかし、当面の卒業予定者の救済措置だけで済まされる問題ではないはずであり、徹底究明がなされなければならないはずです。

 未履修問題が「世界史」など一部の教科だけの問題なのか。全般に亙った徹底した調査がなされなければならないはずですが、教育委員会も学校現場も、隠蔽体質では同類ですから、相当な労力が必要でしょう。

 現在、教育基本法改正が目睫に迫っておりますが、次に行われなければならないのは、学校現場をチェックする第三者機関の設置でしょう。上記のような問題は、正にこれによって正されるほか、道はないように思われます。

 戦前の話をすると全てが悪だった、ということに決め付けられかねませんが、「視学官」という制度があったそうです。やはり客観的な評価機関というのは必要なのであって、緊張感を持って真に適正な教育が行われることを補償することにもなるはずです。

 そして、本当に必要な改善を促し、真の意味での教育再生を実現するようにしなければなりません。現在の教育再生会議が、そのような役割を果たしているかどうか、大掛かりな議論を進めていますが、恒常的な学校・教育委員会・教員養成を司る教育学部の評価機関の設置は、その大きな柱となってしかるべきことだ、というように思います。

 話が横道にそれたようですが、学校が勉強するところである以上、教科課程を定めた学習指導要領が守られていない実態は、教育現場の機能麻痺といっても良い事態であることに鑑み、再生への道筋をつけていくことの重要性を改めて強く感じる次第です。

 そして、現在、授業をほっぽらかして毎日国会に詰め掛けては抗議活動をしている日教組構成員らの、職業倫理の不在を改めて透かし見る思いがする次第です。

 乱文で失礼します。

投稿: 橘 正史 | 2006年12月10日 (日) 午前 01時32分

未履修についてはそれだけかなあと思います。

福岡も県立高校8校で発覚しましたが、いずれも反日教組の福岡教育連盟が教務主任などを占めている学校ばかりです。

その辺が単純に組合といえるかなと思うのですが。

投稿: なめ猫♪ | 2006年12月 9日 (土) 午後 10時50分

 先日広島のある教員と話しましたが、履修逃れは組合問題ということでした。ぜひ、現地から実態を暴いてください。国会で柏村氏とか亀井氏に取り上げてもらいましょう。

投稿: 茶畑 元 | 2006年12月 4日 (月) 午後 06時48分

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