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2006年12月10日 (日)

歴史なき浮浪の民~

 未履修問題について

 問題が収束してしまったかのように、報道もされなくなった。政治的措置によって、一応の救済策が打たれたことによりニュースバリューがなくなった、ということなのであろうか。

 およそ、マスコミによる報道には、一定のバイアスがかかっている場合が多いようだ。本当に大切な問題が過剰な報道によって隠される場合もある。無視される場合もある。

 国民の知る権利を標榜して報道の自由を謳歌する日本のマスコミだが、果たして国民の知る権利に資しているのかどうかは、よほど眉に唾してみなければなるまい。国民を僭称している場合の方が多いようにも思われる。

 未履修問題は、国の定めた学習指導要領が現場レベルで無視されていたことにその本質がある。

 文部科学省は、実は、これを是正することができないのだ。

 学習指導要領は地域によって格差をなくし一定水準以上の学力を児童生徒につけさせるために定められたものであり、教師にはこれを守る義務がある。日教組は「大綱的基準」だとして逐一守る必要はないと真っ向から対立路線を出している。学習指導要領を形骸化させようというのである。勿論、その上を行くという志の高さがあるのならまだしも、これを満たさないのでは話にならない。

 さて、必修の「世界史」が未履修であったということ。実は「日本史」は選択科目であり、学ばなくてもよいものとなっている。これを含めれば、およそ「歴史」に触れる機会が高校教育の場では奪われてしまった生徒が相当数存在することになるわけだ。

 「歴史」は「暗記物」と言われ、嫌われているらしい。その傾向は戦前からあって、小林秀雄氏が「歴史と文学」の中でそのことについて触れている。

 「歴史」が蔑ろにされてきたのは、今に始ったことではない、とも言えるのかもしれない。

 「歴史」とは何か。歴史学はこの問いに始まり、この問いに帰ってくるのであるが、昔の日本人の感覚からすれば、「歴史」とは「鑑」であった、とは言える。「鑑」には、自分の顔が映る。歴史を知るということは自己を知るということと一体不可分の関係にある。日本の歴史を知らないということは、日本人としての自己を知らないということであり、世界史を学ばないということは、世界がどうして成り立ってきたのかを知らないということである。

 自分がどうしてここに居るのかということを知らない。無自覚である。このことは自分の人生に対しても責任を取る意識を稀薄にさせることになる、いきおい無責任な放縦に流れ易いとはいえよう。

 難しいことではない、現在地点を確かめることだ。

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