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2006年12月15日 (金)

聖徳太子の御製「勝鬘経義疏」の一節から、西晋一郎先生を思ふ

聖徳太子の御製「勝鬘経義疏」の一節に

慈心與楽

悲心抜苦

といふ言葉があるという。

味はひ深い言葉と思つたので、ここに謹書しておきたい。

仏教が日本に伝来して1500年。日本といふ異質の土壌に根を下ろすには多少の流血は致し方なかつたかもしれない。

それにしても、仏教精神の権化ともいふべき 聖徳太子とその御一族がおはしませばこそ、真の意味でこの教へは深く日本に根付くことになつたものであらう。日本国民は皆等しく太子の御恩を蒙らぬものはない。

最近、西晋一郎先生といふ哲学者の存在を知つた。西田幾多郎氏は夙に知られる哲学者だが、「東の西田、西の西」と並び称されたといふほどの日本屈指の哲学者である。ぽつぽつと残された著作など拝読しつつあるが、しみじみと心を打つ言葉に出会う。

「人は教えによって人であり、教は国があって行われ、国は歴史があって存立する。人と教と国と歴史とは一環状をなし、其の実一である。若し四者がその連貫を失つたならば、人は真に人でなく、教は真に教でなく、国は真に国をなさず、歴史というものから断絶される。」

教育基本法改正案がゆがむのも、国が精神的な独立を失っているからだ。国が精神的な独立を失つてゐるのは歴史が奪はれてゐるからだ。教へが歪んで居る今、人が真に人でなくなるのは当然といへるのだらうか。

歴史に目をやれば、聖徳太子の眩い御姿があり、今に至るまでこの国を守り続けて下さっていることが分かる。

西晋一郎先生が戦後忘れられてきたことと、日本人が日本を忘れてきたことには、何か深い関連があるようにも思はれる。しかし、地下水脈のように、何時か湧き水となつて、渇いた魂を潤すときも来る。絶やさぬやうに、漏らさぬやうに。

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