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2006年12月

2006年12月30日 (土)

年の瀬を迎えて

 平成18年最後の記事を書く。

 昨年の暮れは、ある意味悲壮な覚悟で迎えた。皇室典範の改悪阻止を命に替えてもと思っていた。

 今年は、神風が吹いた。

 悠仁親王殿下のご誕生に、心の底から感謝の思いがこみ上げてきた。

 8月15日、小泉首相が靖国神社に堂々と正式参拝をした。遅れたとはいえよくやった、と思う。

 安倍政権が成立した。待望の政権である。

 改正教育基本法が成立した。

 防衛庁が省に昇格する法案が成立した。

 戦後日本の悪弊が次々と剥がれ落ちていく一年であった。

 と同時に、北朝鮮の弾道ミサイル発射、続けての核実験。ロシアのサハリン2をめぐる我が国への背信、北方領土海域での銃撃による死者。中国の海洋への野望。危機的な状況がひたひたと迫っていることも感じないわけにはいかない。

 内憂外患の中にあって、来年こそは我が国が真に問われる時を迎えるように思われる。

 統一地方選挙、そして参議院選挙がある。

 北朝鮮の核保有を許すのか、否か。その時、極東の軍事バランスはどのように傾くのか。日本に選択肢はあるのか。

 国のために、自分に出来ることは何か。改めて思いをいたしたい。

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2006年12月17日 (日)

書店の散歩

 遠出から帰り、運転に疲れたからだをほぐすつもりで、大型書店に入る。

 散歩がてらに、最近の出版状況を見てあるく。

 硫黄島関連の本が目に付く。大東亜戦争末期の熾烈な戦いが見直されている。戦争はヒサンだ、などという戯言はここには入る余地がない。勇戦敢闘して本土防衛を果たそうとした硫黄島守備隊の将兵の英霊の思いが、六〇年余の今に蘇ってきたのである。これは本当に嬉しいことの一つだ。

 年末、手帳コーナーが設えられていて山となっている。どれも一長一短、自分にとって一番使いやすいものは何か、中々定まらない。年末までには購入しようと思っている。

 「ローマ世界の終焉」を見出した。塩野七生さんの「ローマ人の物語」が遂に完結となったわけだ。全15巻。大作と言って間違いない。文庫で読もうと思っているので、現在ハードカバー版では10巻に当たる「全ての道はローマに通ずる」までしか読んでいないが、次の巻からは哲学者皇帝のマルクス・アウレリウスの治世に入り、「終わりの始まり」となるのだが、ここから先が実のところ本当に読みたいところでもある。あと何年かけて出版するのかは分からないが、気長に待とうと思う。それでも我慢できなくなったら、先にこっそり読んでしまおうか。
 なぜ、ではなく、どのように、というアプローチで書いた「ローマ世界の終焉」に期待しつつ、もう少し待つ楽しみを満喫したい。

 「全文リットン報告書」という本があった。渡部昇一氏が解説を書いている。国際連盟から派遣されたリットン卿を委員長とする調査団の報告書は、これまで日本の中国「侵略」を非難したものだとばかり誤解されてきた。しかし、実は、当時の日本がおかれていた立場に深い理解を示したものでもあったのだ。

 戦前は結論部分の「満州国は認められない」という点で非難されて読まれず、戦後は結論部分のみを利用されて詳細な価値ある部分が封じ込められるようにして読まれなかったこの文書は、実に戦前・戦後を通じてよく読まれることなく過ごされてきた第一級資料であるといっていい。

 大体「リットン報告書」を読みたいと思っても、これまでは入手することが極めて困難だったのだ。重要な第一次資料であるにも関らず、入手さえできないというのでは話にならないわけだが、今回のこの出版で、昭和の歴史に大きな光が当てられることになった。

 このほかにも、大東亜戦争の見直しに関る書籍が散見されるようになったことは喜ばしいことではある。

 「人は見た目が9割」、耳に痛い言葉だ。そんな表題の本がベストセラー2位に入っている。

 漫然と背表紙を眺めながら歩くのは楽しい。本には色々な表情があるものだ。

 今日は連れて帰った本はなかった。

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遂に、教育基本法は改正された!

 制定から59年、遂に、占領軍によって強制された「教育基本法」が改正された。12月15日参議院本会議において改正案が可決成立したのである。

 同時に防衛庁の省昇格関連法も賛成多数で可決された。

 教育と防衛という、国家の根幹に関る重要法案が続いて成立したことは、国家の為に大慶であった。

 読売新聞には「愛国心」盛る、とその意義を明確に打ち出している。「国を愛する」「態度」という明文ではあるが、国会答弁その他において、実質的に「愛国心」の涵養を意味することが明確にされたことをさしている。

 家庭教育を定めた条文には「父母その他の保護者は子の教育について第一義的責任を有する」と明定した。
 あまりにも当然至極のことであるが、基本法に明記せねばならぬほど、我が国の不文律は犯されているのである。

 親子の絆の断絶は、今に始ったことではないとはいえ、現在では、ネグレクト、暴行などの虐待事件が後を絶たない。親としての責任の自覺を促す教育が求められてくるだろう。10年20年はかかるだろうが決して手を緩めてはならない。

 日教組による学校現場の不当な支配を許すことなく、国民全体に責任を負う開かれた学校現場を作り出すことが必要である。もういい加減目を覚ましてもよさそうなものだが、「三つ子の魂百まで」とはこんなところでも当てはまる言葉だと思われる。

 これまで、日本人もどきしか育てられなかった教育から、本当の日本人を育てる教育へと飛躍しなければならない。教育現場で欠落していたものを補おうと、自国への誇りを学び直そうとする若い人々も確実に増えている。

 これからが、教育再生の本当のスタートだと思う。下位法の改正が進められることになるが、歪められることのなきようにしっかりと見守っていかねばならない。
 

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2006年12月15日 (金)

聖徳太子の御製「勝鬘経義疏」の一節から、西晋一郎先生を思ふ

聖徳太子の御製「勝鬘経義疏」の一節に

慈心與楽

悲心抜苦

といふ言葉があるという。

味はひ深い言葉と思つたので、ここに謹書しておきたい。

仏教が日本に伝来して1500年。日本といふ異質の土壌に根を下ろすには多少の流血は致し方なかつたかもしれない。

それにしても、仏教精神の権化ともいふべき 聖徳太子とその御一族がおはしませばこそ、真の意味でこの教へは深く日本に根付くことになつたものであらう。日本国民は皆等しく太子の御恩を蒙らぬものはない。

最近、西晋一郎先生といふ哲学者の存在を知つた。西田幾多郎氏は夙に知られる哲学者だが、「東の西田、西の西」と並び称されたといふほどの日本屈指の哲学者である。ぽつぽつと残された著作など拝読しつつあるが、しみじみと心を打つ言葉に出会う。

「人は教えによって人であり、教は国があって行われ、国は歴史があって存立する。人と教と国と歴史とは一環状をなし、其の実一である。若し四者がその連貫を失つたならば、人は真に人でなく、教は真に教でなく、国は真に国をなさず、歴史というものから断絶される。」

教育基本法改正案がゆがむのも、国が精神的な独立を失っているからだ。国が精神的な独立を失つてゐるのは歴史が奪はれてゐるからだ。教へが歪んで居る今、人が真に人でなくなるのは当然といへるのだらうか。

歴史に目をやれば、聖徳太子の眩い御姿があり、今に至るまでこの国を守り続けて下さっていることが分かる。

西晋一郎先生が戦後忘れられてきたことと、日本人が日本を忘れてきたことには、何か深い関連があるようにも思はれる。しかし、地下水脈のように、何時か湧き水となつて、渇いた魂を潤すときも来る。絶やさぬやうに、漏らさぬやうに。

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2006年12月10日 (日)

心をゆすぶられる話 小野田町枝さん

 日本会議の機関誌「日本の息吹」12月号に、日本女性の会の会長に就任された小野田町枝さんのインタビュー記事が掲載されていた。

 小野田町枝さんは、ルバング島で戦後30年にわたって戦いを継続された小野田寛郎さんの奥様で、広島には、5年ほど前に、小野田寛郎さんが福山市の建国記念の日奉祝の集いに、記念講演で来県された際に、同行されてきた。

 特に言葉を交わしたというわけではなかったが、あのときの印象は本当に素晴らしいご婦人だということだった。今回、日本女性の会の会長にご就任されるということには、何となく納得がいった。

 帰還された小野田さんを見て、「ああこの人だ、この人のためなら死ねる」と思ったという。ブラジルを訪ねられたときに、「あなたは私にとって勿体ない人だ」と小野田さんから言われ、「あなたこそ私には勿体ない人だ」と答え、結婚することになったのだということで、「人生の戦友を得た」と後に小野田さんは言った。

 小野田少尉が帰還されるまで、お母さんは三十年一日も欠かさず、毎日陰膳をされていたという。それで、帰還された日に、お母さんは、次の句をつくった。

 陰膳も 果てとなりけり 梅の花

 お父さんには、ルバング島に息子を探しにいって帰ってくるときにこれが最後という思いでつくったという次の句がある。

 こだますら うちかえさざり 夏山は

 絶唱である。

 これ以上迷惑はかけられないと、捜索を打ち切ってくださいと言った。これが、昔の日本の父だった。

 インタビュー記事を読みながら、日本人が生きている、と感じた。今は、寥寥として寒心に堪えない世情の中にあって尚、日本人が生きている、と思った。

 自分も、万分の一でもいい、日本人でありたい、と思う。

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泰緬鉄道のロマンス

 12月7日の産経抄の記事は、時間を超えたロマンスとでも言ふべき事實を紹介されていた。

 先ずは全文を引用する。

「一念が岩をも通すというのは本当だった。4ヶ月前の小欄で、戦時中の泰緬鉄道に関係した日本兵を探すタイ人の著名ビジネスマン、ビグロム・クロマディットさん(53)のことだ。そのビクロムさんが、鉄道第9連隊第6中隊で、彼の母親を知る大塚高二さん(91)と対面したのだ。 ▼泰緬鉄道は日本軍が英蘭捕虜を酷使したことから、「死の鉄道」といわれた。ところが、ビクロムさんの母は、日本兵が本当はやさしい人々であったと息子に話していた。娘盛りだった17歳の彼女は鉄道を使って果物を売り歩いていた。 ▼彼は自らの半生記を書き進めるうち、母が接した旧日本兵に話しを聞きたいと思った。駐タイ日本大使だった太田博さんに相談すると、元大使の心に火がついた。小欄にも情報がよせられ、第9連隊の一員がもつ戦友会名簿から、ついに大塚さんを探し当てたのだ ▼先月末に来日したビクロムさんは、相模原市の大塚さんを訪ねた。当時、20代だった大塚元軍曹は「あなたの御母さんはきれいな人だった」と目を細めた。通訳をした太田元大使は、2人が「夢のようだ」と繰り返す言葉が印象的だったという ▼六十余年の時を超えて、万感胸迫る風であった。大塚さんはビルマで捕虜になり、2年間の収容所生活を送る。ビクロムさんが英蘭軍の扱いを聞くと、「日本兵のそれよりも荒っぽかったな」と笑った。ビクロムさんは半生記の日本語訳ももくろむ ▼元大使から顛末を聞いた夜、秋吉敏子のジャズ・ピアノを聴いた。フィリピンの孤島で戦った小野田寛郎少尉に捧げた曲「孤軍」だ。死と隣り合わせにいた戦場の兵は、みんな「弧軍」だっただろう。大塚軍曹の戦地での出会いは、一瞬の「夢」だったか。」

 いい話だ。60年の時を超えて通い合う交情のロマンス。一編の映画を見るような陶然とした気分にさせられた。

 どんな心の通い合いがあったのだろう。20代の青年下士官と、現地の17歳の少女には、60年の時を超えて「夢」となる、どんな出会いと交情があったのだろう。そして、敗戦という現実の中で、どのような別れをしたのだろう。

 アメリカの反日華僑系の団体らが南京の映画をつくるという。日本兵は「鬼畜」としてしか描かれない。

 一方、硫黄島の映画が、これもアメリカ発で作られ、上映される。

 大東亜戦争下の日本人のありのままの姿が、少しでも後世に伝わるように語り継いでいきたいところだ。

 誰か日本の映画監督が、この話を、日本発の淡いロマンス映画として、描いてくれないものだろうか。

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歴史なき浮浪の民~

 未履修問題について

 問題が収束してしまったかのように、報道もされなくなった。政治的措置によって、一応の救済策が打たれたことによりニュースバリューがなくなった、ということなのであろうか。

 およそ、マスコミによる報道には、一定のバイアスがかかっている場合が多いようだ。本当に大切な問題が過剰な報道によって隠される場合もある。無視される場合もある。

 国民の知る権利を標榜して報道の自由を謳歌する日本のマスコミだが、果たして国民の知る権利に資しているのかどうかは、よほど眉に唾してみなければなるまい。国民を僭称している場合の方が多いようにも思われる。

 未履修問題は、国の定めた学習指導要領が現場レベルで無視されていたことにその本質がある。

 文部科学省は、実は、これを是正することができないのだ。

 学習指導要領は地域によって格差をなくし一定水準以上の学力を児童生徒につけさせるために定められたものであり、教師にはこれを守る義務がある。日教組は「大綱的基準」だとして逐一守る必要はないと真っ向から対立路線を出している。学習指導要領を形骸化させようというのである。勿論、その上を行くという志の高さがあるのならまだしも、これを満たさないのでは話にならない。

 さて、必修の「世界史」が未履修であったということ。実は「日本史」は選択科目であり、学ばなくてもよいものとなっている。これを含めれば、およそ「歴史」に触れる機会が高校教育の場では奪われてしまった生徒が相当数存在することになるわけだ。

 「歴史」は「暗記物」と言われ、嫌われているらしい。その傾向は戦前からあって、小林秀雄氏が「歴史と文学」の中でそのことについて触れている。

 「歴史」が蔑ろにされてきたのは、今に始ったことではない、とも言えるのかもしれない。

 「歴史」とは何か。歴史学はこの問いに始まり、この問いに帰ってくるのであるが、昔の日本人の感覚からすれば、「歴史」とは「鑑」であった、とは言える。「鑑」には、自分の顔が映る。歴史を知るということは自己を知るということと一体不可分の関係にある。日本の歴史を知らないということは、日本人としての自己を知らないということであり、世界史を学ばないということは、世界がどうして成り立ってきたのかを知らないということである。

 自分がどうしてここに居るのかということを知らない。無自覚である。このことは自分の人生に対しても責任を取る意識を稀薄にさせることになる、いきおい無責任な放縦に流れ易いとはいえよう。

 難しいことではない、現在地点を確かめることだ。

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2006年12月 4日 (月)

明かされない必修逃れの本質

 いわゆる「未履修問題」が発覚して、全国に蔓延していることが分かり、国会で取り上げられる大問題となった。結局、当面の糊塗をして一件落着で幕引きがなされようとしているが、この問題の本質は根深いところにある。

 マスコミは「受験」が原因だ、とミスリードした。しかし、必修逃れが起っていたのは「進学校」だけだったのかといえば、それは違う。別の更に本質的な原因があるのである。

 一つの原因は、ゆとり教育にある。総合的学習の時間という名目の時間がどれほど教師の負担になっているか。あるいは偏向教育の温床になっているか。

 さらにつきつめていくならば、それはやはり教職員組合の存在に行き着くのである。

 「世界史」や「家庭科」ばかりが表に出ているが、他の教科についての詳細な調査はなされていない。調べたら収拾がつかなくなるという、暗黙の合意があるから、ではない。ただ気づかれていないだけなのだ。必修逃れの原因は、「学習指導要領」の軽視乃至無視にある。それは教職員組合により現場レベルで形骸化が進められた。そして教職員組合のOBが影響力を持つ教育委員会でも、「学習指導要領」を積極的に守ろうという意識に乏しい。

 実は、必修逃れというのは、「刑法犯罪」に当たるのだ。生徒が、ではない。

 卒業証書は公文書である。その裏づけとして、履修した学科の評価表等の公的文書が存在する。必修逃れということは、卒業に必要な単位を、実施していないにも拘らず、あったとして架空の「評価」までして記載しているはずである。「虚偽公文書作成罪」「同行使罪」にあたる。これは、かつて国会答弁でも明らかになったことがあり、うやむやに済まされる問題ではない。

 学力低下が問題になっているが、児童・生徒の資質が劣悪になったことが原因なのか?それは全く間違った見方である。実に「ゆとり教育」により、学習内容が減らされ、更にその減らされたものさえも守られずに、おざなりにされてきた結果による。

 学校は勉強するところ。これを学校の側が守っていなかったわけである。

 愛媛と茨城で校長先生が自殺した。両県とも、教育熱心な県である。校長先生の自殺は、追い詰められてというようなものではなく、自らに責任を引き受けての「自決」であったと思われた。それほど、この問題は重いのであるが、殆どすべての学校・教師は、当面の糊塗だけで、自らの責任を自覺しようとはしないのだ。

 これらをひっくるめた背後に何があるのか。教員の「ゆとり」づくりである。現在、教員は忙しいという。確かにそうだが、厖大な量の報告書やシラバスなど、なぜつくらなければならなくなったのか。自由ばかりを追い求めて、責任を果たしてこなかった結果ではないのか。勿論、教師全員を指弾するつもりはない。組織として運動を指導してきたものたちの責任、それに無批判に追随していったものの責任、それを抑え本来あるべき姿に戻すための指導を怠ったものの責任。この異常な無責任の連鎖が、生徒たちに悲劇のしわ寄せをしているのだ。口を開けば生徒のため、腹をのぞけば自分のため、そんな大人のまやかしを、生徒たちは気づいている。いじめの根も深いところでは同じところにあるであろう。すべては大人の問題なのだ。

 かつて、「広島教育無法地帯」と言われた。現在、日本全体が教育現場無法地帯、と言える状況である。幾重にも法は破られ犯され、人権を声高に叫ぶ人々ほど人権侵害には鈍感で、正義は蔑みされ、道徳は地に堕ちた。宝物のような美しいこの日本を、ぶち壊そうというのだろうか。金銀紅玉瑪瑙瑠璃のきらびやかな豪邸に住んでいても、そこに暮らす人の心がすさんでいればそこは地獄だ。どんなに貧しいように見えようとも、そこに住む人の心が、相手を思いやる愛に満ち溢れているならばそこな天国だ。日本はかつて、貧しいけれども高貴な人々が住む国だった。今や、豊かだけれども心根の賤しい人々が住む国になってしまった。一部ではあってもそれは悲しいことである。教育が明日の国をつくる。どうしても「教育」を立て直さなければならない。まったなし、とは正にこのことである。

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