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2006年11月17日 (金)

40年前に、いじめ・自殺問題の真因をたった3ページ半の文章で指摘した数学者

 いじめ・自殺問題がクローズアップされている。

 これほど短期間に続けて子供が、校長先生が、自ら命を断つという痛ましい事件が起これば無理もない。

 ただ、凶悪犯罪を犯す人々が絶えないことや、モラルを完全に置き去りにしたような経済犯罪が多発することなども、その人たちが学校を経てきていることを考えれば、根っこに同じ問題があることが伺えるだろう。

 もう自殺予告の手紙が出ても驚かなくなっている自分に気づく。一つ一つの事件が、昔であれば半年一年は話題として保つくらいの深刻な内容を伴っているにも拘らず、そんなことが続くと、もう感覚が麻痺してくるのだ。それは一つの救いであって、一々心を痛めていたらこちらの身がもたない。

 さて、そうはいっても何でこんなことが続くのか、考えてみる。いわゆる頭のよい人たちの中には、別に青少年の凶悪犯罪が増えているわけではない、としたり顔で説く人もいる。昔もあったのだから今さら騒ぐことはない、という醒めた見方であるが、知識ばかりあたまに詰め込んだ人の常で、庶民の感じていることとは余りにもかけ離れているのだ。昔は、こんなことが立て続けにおこることはありえなかった。特定の一人が病んでいるというよりも、全体が病んでいるというように思える。

 ふと手にしたのが、「日本のこころ」という本だった。1967年というから、もう39年も前に出た本である。

 著者の岡潔博士のプロフィールは、この本によれば次の通り。

 1901年大阪生まれ。三高卒業後、京大物理入学。数学科に転じ1925年卒業。奈良女子大名誉教授。理学博士。学士院賞・朝日文化賞受賞。主著「春宵十話」「風蘭」「紫の火花」「春風夏雨」「月影」他

 日本を代表する数学者である。1978年に没しておられる。小林秀雄氏との対談「人間の建設」もある。

 題名は「日本のこころ」だが、全編教育についてのエッセイであり、岡博士が憂慮し、見通していたことが、現在正に実現しつつある、ということなのだと、改めて実感させられる。

 岡博士の最初の教育問題についての警鐘が「春宵十話」というエッセイだった。その最初の話「人の情緒と教育」というたった3ページ半の文章が、現在の問題の真因を抉っていると思う。

 また、教育荒廃の問題は、日本のみならず先進国に共通する問題だが、その原因も言い当てているように思われる。

 「これは日本だけのことでなく、西洋もそうだが、学問にしろ教育にしろ「人」を抜きにして考えているような気がする。実際は人が学問をし、人が教育をしたりされたりするのだから、人を生理学的にみてはどうだろうか。これがいろいろの学問の中心になるべきではないだろうか。しかし、こんな学問はまだないし、医学でも本当に人を生理学的にみようとはしていない。」

 「人に対する知識の不足が最もはっきり現れているのは幼児の育て方や義務教育の面ではなかろうか。人は動物だが、単なる動物ではなく、渋柿の台木に甘柿の芽をついだようなもの、つまり動物性の台木に人間性の芽をつぎ木したものといえる。それを、芽なら何でもよい、早く育ちさえすればよいと思って育てているのがいまの教育ではあるまいか。」

 小林秀雄氏が、今の学問は冷たくなった。人間にとって最も大切なことは、幸、不幸の問題であるのに、今の学問はそんなことにはまったく無関心だ、といわれたことがある。それを思い出した。

 更に次の言葉「動物性の台木に、人間性の芽をつぎ木したもの」が人間だ、という例えは解りやすい。この「人間性の芽」というものは、実は歴史・文化・伝統なのではないか、と思われるのだが、それが全て否定されて、動物性の台木を伸ばすことに血道を上げてきたのが戦後の教育だといえば、なるほどそうだと思い当たる。

 「人の人たる所以のところを育てるのをおろそかにしたからではあるまいか。ではその人たるゆえんはどこにあるのか。私は一にこれは人間の思いやりの感情にあると思う。人がけものから人間になったというのは、とりもなおさず人の感情がわかるようになったということだが、この、人の感情がわかるというのが実にむずかしい。」

 いじめなどは、正に「人の感情」がわからないところに止め処もなく死に追い詰めるまでやってしまうことになっているのであり、また周囲の子らも「人の感情」がわからずにそれを黙認する、ということなのだろうか。
 更にいえば、仮にわかる子が居たとしても、猛獣の檻の中で、猛獣にたてつくようなまねをして、標的にされるのが恐ろしいということなのかも知れない。

 教師にしても、「人の感情」がわからないから、いじめしている子もされている子もわからない、ということなのではないか。

 「どうもいまの教育は思いやりの心を育てるのを抜いているのではあるまいか。そう思ってみると、最近の青少年の犯罪の特徴がいかにも無慈悲なことにあると気づく。これはやはり動物性の芽を早く伸ばしたせいだと思う。学問にしても、そんな頭は決して学問には向かない。」

 学力低下についても、その根本の原因がこのようなところにあるとすれば、未履修問題で騒然としているけれど、必須科目を未履修にしてまで受験科目を詰め込んできた学校のやり方が、実は、底深いところで学力低下を招いてきた、といえるように思われる。

 「ちょうどこんなふうに、乾いた苔が水を吸うように学問を受け入れるのがよい頭といえる。ところが、動物的発育のためにそれができない頭は、妙に図太く、てんで学問なんか受け付けない。中学や高校の先生に聞いても、近ごろの子はそんなふうに教えにくいといっている。」

 妙に図太く、てんで学問など受け付けない頭の子は、恐らくこの頃とは比較にならない位増えているように思われる。学ぶ意欲の低下が指摘されるが、それは動物性ばかりが発育したために、人間性の芽が育たなかったためではないだろうか。低学年からの即物的性教育などが導入されて、動物的発育に拍車をかけているようにも思われる。根は一つである。

 今こそ、岡潔博士の警鐘は読まれなければならないと思う。

 「六十年後の日本」という文章にはこのように書かれている。

 「その矢先だった。三歳児の四割までが問題児だと聞いたのは。厚生省がそう発表したと二ヶ月ほど前の毎日新聞にのっていたのである。医学的にみてはっきりとわかる者の数であって、きわめて重大な欠陥にしか目をつけていないのに、これだけの数字を示している。となると残り六割の半分に当たる三割も疑問といえる。この状態がそのまま続くとすれば、六十年後には国民の四割が廃人ということになり、国民のうち本当に頼れるのはとても三割はないと思うべきだろう。それで国がやっていけるものだろうか。」

 岡博士の予言から40年が経過しているが、日本は正にその道をまっしぐらに進んでいるように思えてならない。

 「ところで、これらの点を充分務めても、六十年後には日本に極寒の季節が訪れることは、今となっては避けられないであろう。教育はそれに備えて、厳寒にして顕れるといわれている松柏のような人を育てるのを主眼にしなくてはならないだろう。この寒さに耐え抜くことができさえすれば、一陽来復も期し得られるかもしれないが、私は、人力だけでここが乗り切れるものだろうかと思っている。」

 「道は断崖にきわまっていることを知ったから、どれくらい深いかとのぞき込んでみたのだが、谷底は見るよしもなかったのである。もし転落し始めたら、今度こそ国の滅亡が待つばかりであろう。」

日本の国という水槽の水の入れ替え方―憂国の随想集

岡潔―日本の心

情緒の教育

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 ちょっと今日は真面目にいきたいと思います。普段は明るく生きたいと思ってますので暗い事件のことは書かないんですがあまりにも多すぎですよね。  本当にいじめられてる側って自殺をするまで追い詰められてるんでしょうか?これは私の感覚なので今の小学生の気持ちなどわかるはずも無く・・・・・・そう考えるといくら... [続きを読む]

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