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2006年11月27日 (月)

皇室とニューリッチ ~日本に「真の富裕層」を生み出すために~

 「ニュー・リッチの世界」という本を買って読み始めたところである。

 一億総中流社会が崩れて「格差社会」が”憂慮”される昨今である。しかし、「富裕層」は存在しなかったのではない。”平等”原理主義的なイデオロギーが支配する戦後の風潮の中で、「富裕層」であることをことさらに目立たないようにして存在してきたのである。

 イントロダクションの「単なるお金持ちを「富裕層」とは呼べない」という一文が興味を引いた。

 「実は「真の富裕層」というのは、もっともおカネから遠い人たちだ。この人たちは本当の意味での資産を持っているために、その資産の使い道をわきまえている。つまり、言葉を換えれば、「上流社会の人々」ということになるだろう。」

 これだけではちょっと分かりにくいかもしれない。

 「金持ちは自分たちの財産の所有者というよりはむしろ管財人であり、その立場からいつでも貧乏人に救いの手を差しのべるべきである」「管財人の仕事というのは、財産の管理を適正に行い、いかにその財産を有効に活用し、次世代に受け継いでいくかだ。だから、おカネを持ったらそれなりの義務が生じる」

 このような考え方が、「真の富裕層」の考え方であるというのである。しかし、残念なことに、「いまの日本には「真の富裕層」と呼ばれるべき人々は、少ない」というのだ。

 「日本ではいまだに富裕層の生き方が確立されず、ニュー・リッチにはその手本となる生き方が存在しない。」

 それは、日本が半世紀の間に、「太平洋戦争の敗北」と「バブル崩壊」という二つの社会システムの激変があり、近代的な富裕層が根付かず成熟を阻んだところに原因がある、というのである。「真の富裕層」が誕生するには、3,4世代かけてはぐくまれるものということである。

 現在「格差社会」は大きな問題としてクローズアップされているが、全員が経済的にも環境的にも平等であるという社会はありえない。であるから「格差が問題なのではなく、格差をちじめるためのチャンスが平等にある社会こそがいい社会だ」というのである。

 であるから、「これからの日本社会には、「真の富裕層」が必要なのではないだろうか?一般大衆がモデルとし、その羨望を受けながらも尊敬される「お金持ち」がいなければ、日本は本当の意味での豊かな社会とはなりえないからだ」というのである。

 「真の富裕層こそが、文化、価値を創造してくれる」というのが著者の主張だが、同感である。

 日本のニューリッチが、拝金主義に堕してしまうのか、それとも「真の富裕層」として、日本のためになるのか、の鍵は、ニューリッチたちの価値観にもよるが、それ以上に日本の国の制度設計にかかっているとも言える。それと、国民がニュー・リッチを妬み、嫉むような精神風土があるとすればそれを変えることだろう。

 お金持ちが気持ちよくおカネを使える社会にすることが、結果として全体を豊かにすることになることは見易い道理である。そして、おカネ持ちになるチャンスが開かれている社会であるならば、「富裕層」に「ノーブレス・オブリージ」が文化として定着しているならば、懐の深い国になる。

 金持ちに嫌われる国は、貧乏になる以外にない。

 日本人は一生懸命働いて現在世界でも有数の富裕層大国になっている。128万人のミリオネアがいるのである。これは全世界の17%に当たる人数だという。ではなぜ一般の景気回復感がないのか。それは、金持ちが気持ちよくカネを使えるようになっていないために、富裕層たちは海外でどんどんカネを使わざるを得ないということなのである。これは「愛国心」がない、といって批判できる問題ではない。ミリオネアは日本人だけではなく、日本人以外でも、日本で気持ちよくカネを使うことができるならば世界の富裕層が日本にカネをもたらしてくれることになるからである。

 日本は戦後、社会主義勢力が教育界を牛耳ったために、自由主義・資本主義国でありながら、国民の認識が極端な平等主義、社会主義に偏ってしまった観がある。この風潮を是正することは必要なことである。

 そして、表題に掲げたように、ニューリッチを「真の富裕層」に成長してもらうためにも、皇室の存在は極めて大きいと言わなければならない。皇室の歴史的、文化的、精神的伝統の価値は計り知れないものがある。皇室は、永い歴史の中で、極めて多彩で豊富な経験を蓄積し、その中で高度な精神文化を培ってきた存在でもある。一言で言えば「無私」の伝統、ということになるが、日本の「上流社会」が見習うべき鏡は、日本においては実に「皇室」が最高峰であって他を隔絶しているといってよいのだと思う。そしてそれは世界レベルで見ても最高峰であると言えるかも知れないのである。

 そのことに、ニュー・リッチたちが早く気づくことが望まれるところであり、また、最早時代遅れの共産党や社会党の長年の悪宣伝によって刷り込まれた皇室を軽んずる意識は払拭されなければならない。

 第125代天皇であられる、今上陛下のご即位20年という佳節があと数年と近づいているが、占領政策の遺制である様々な法的不備や歪みを正すことと同時に、皇室が現在の日本にとって真に救いであるということについて、階層を超えて認識を新たにし、その絶大なる価値を活かした国づくりを進めていく転換点とすべきだとも思われる。

 「不易」と「流行」、変わらざるものと移り変わるもの、そのどちらも大切なのであり、日本における「不易」の中心は、紛れもなく「皇室」であり、それ以上の存在はない。時々の政権も富裕層も「流行」であり、移り変わるものではあるが、「不易」と共にあることによってその生命を得るのだと思う。このような哲学が見直されることが、日本再生の鍵である、と思うのである。

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