« 未履修問題、政治決着だけでよいのか? | トップページ | 三連休も終ります »

2006年11月 3日 (金)

「日本国憲法」公布から60年、日本独立、未だ成らず

 産経新聞の連載「詳説・戦後」第3回が、11月2日掲載されている。「憲法公布満60歳」とある。

 岸信介元首相の血を受け継ぐ安倍総理と、吉田茂元首相の血を受け継ぐ麻生太郎外相のコンビ。これも歴史の因縁めいた話ではあるが、世代を超えて成し遂げなければならない志というものは確かに存在するのである。

 この特集ではコンパクトに「日本国憲法の制定過程」についてまとめている。

 「連合国による日本占領が始まった直後の昭和20年10月、連合国軍総司令部(GHQ)のマッカーサー総司令官は幣原喜重郎首相らに憲法改正の必要性を示唆した。政府は同月、憲法問題調査委員会を設置し、大日本帝国憲法の諸条項を踏襲した改正要綱を21年2月、GHQに提出した。マッカーサー総司令官は受け入れを拒否、独自の草案をGHQ民生局に作成させた。
 GHQは象徴天皇や戦争放棄を盛り込んだマッカーサー草案を10日で完成させた。政府は再考を求めて抵抗したが結局、閣議でGHQ草案に沿う政府案作成を決定。21年3月にGHQとの協議に基づいた改正草案要綱を発表。5月の吉田茂内閣の発足を経て、憲法改正案を第90回帝国議会に提出した。約4ヶ月間の審議を経て現憲法は可決成立し、11月3日に公布、22年5月3日に施行された。
 吉田氏が終戦連絡中央事務局次長に抜擢し、GHQとの折衝にあたった白洲次郎氏は21年3月の手記で「斯クノ如クシテ敗戦最露出ノ憲法案ハ生ル『今に見ていろ』ト云フ気持抑ヘ切レス ヒソカニ涙ス」と記している。」

 憲法9条については、「主権制限条項」と表現した江藤淳氏の「1946憲法―その拘束」の論文がある。そのまま読めば国の自衛権を否定しているとしか見えない、この条項は、その非現実性故に、宗教的情熱の的ともなっているのである。これは「神なき時代」の「殉教」を国民全体に「強制」した、恐るべき自民族へのジェノサイド条項と言ってもよいのかも知れない。これを改正して、自衛権を明記し、国軍を明確に規定することが憲法9条改正の要訣だが、それを「戦争のできる国」にする、いや、憲法を改正すると「戦争になる」とまで飛躍するのが改正反対派の教義なのである。殉教の情熱としか評しようのないこのようなカルティックな護憲論に、責任ある政治家が組することができないのは当然である。

 改憲を求める多くの国民与論も、「自衛権を明記し、国軍を明確に規定」することと「平和主義、国際協調路線」を維持することの間に何等矛盾は生じないことを充分理解するまで成熟してきたといえよう。そしてまた、世界には「平和を愛する諸国民」ばかりが存在するのではなく、明確に悪意を持って我が国と国民に相対している国があることを冷静に認識するようになった。そしてそのような国が「公正と信義」で我が国に対しているのではないことも「拉致」「核実験」「弾道ミサイル発射」によっていやというほど見せつけられてきたのである。

 無論そればかりでなく、南西諸島と東シナ海での脅威の増大、不法占拠され続けている竹島、そして最近国民が銃撃で殺された北方領土海域。カルティックな人々には見えていても見えないこれらの脅威が、多くの国民に認識され始めているということ。

 憲法改正、まったなしの時代が到来したのである。

|

« 未履修問題、政治決着だけでよいのか? | トップページ | 三連休も終ります »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/86795/12532627

この記事へのトラックバック一覧です: 「日本国憲法」公布から60年、日本独立、未だ成らず:

« 未履修問題、政治決着だけでよいのか? | トップページ | 三連休も終ります »